はてなキーワード: 過激思想とは
レイプされて妊娠したとかだったらガチで同情するし、そりゃあ全面的に被害者ヅラしてもいい、というか完全に被害者なんだからそりゃそうだって感じなんだけど、自由意志で結婚して子供こさえた上で「社会が冷たい!」つってんのはなんなんだ
取り返しのつかない出産を経た後でムリとか支援が足りないとか言い出すなよ
きょうび、子育ての実態が闇に包まれてて実際やってみるまで何一つわかんないなんてことはねえじゃん
ちょっとネットみりゃありとあらゆる失敗談とかリスクの話が転がってるし、全体として「社会は妊婦に冷たいし、子育ては基本的に死ぬほど大変」って書いてあるじゃん
ネットにアクセスできない層ならまだ許せるけど、子育てキツすぎるってネットに書いてる層がネットにアクセスできてないはずがない
目の前にあるデバイスをもっと上手く使えないのか?リスクを知るのに役立てることはできねーのに愚痴るのには使えるってのはマジで人間性能が低い感じがして、いよいよ子供がかわいそう
自由に使える金が50億円あって、何があっても余裕!ってくらいじゃないと子供なんて作っちゃダメだろ……というのは流石に俺の過激思想だけど、正直それくらいは求めてえな
ワンオペ育児にならざるを得ない環境なのは分かってただろうにわざわざ産んで、それで社会を呪ってんだから世話ないぜ いや、社会は呪うべきものなんだけどさ……原因が情けないんだよな
人生ただでさえ苦しいのに、自分から困難に突っ込んだ上でビービー泣き喚くっていうのが本当に理解不能なんだよな しかもそれに否応なく巻き込まれる子供の存在もあり、相当な悲劇性を感じますね
つか、ビンボー人とか普通人がガキこさえるのが悪いよ
マジの金持ちしか子供作んない世の中になって、一年の出生数2万とかになったら絶対クソ面白いでしょ
エリートのガキはエリートって構造が破壊されるんだよな なぜなら全員エリートになることはできないから
あまりに少ない出生数のせいであらゆるシステムが破綻した社会で苦しむ金持ちのガキぜってえ見たいでしょ
ビンボー人が馬鹿みたいにガキつくるのやめたら、自ずとそういう社会が来るんだよな
子供つくんねえだけで富裕層に復讐できるのに、なぜわざわざ大変で苦しくて加害性の高い生殖に励み、そのうえ愚痴を撒き散らすのか?
本当にわからない
まず、私は死ネタが嫌いではない。
むしろ好んで読むことすらある。
人によって作品の確信や結末にあたる【ネタ】部分は心に刺さることが多い。死ネタは地雷として表現されることが多いと考えてタイトルに表記した。人それぞれ、地雷とされる【ネタ】は様々だと思う。取捨選択して、素晴らしい二次創作ライフを楽しんで欲しい。
もしも、作品に注意書きがなく、自分の思う内容ではなかったとしても、目くじらを立てずスルースキルを発揮する力を養うべきだ、と。そこそこ長くオタクも腐女子も経験した身としては、蚊帳の外からそっと思っていた。
今回、どうしても、どうしても、言葉を綴りたくなってしまった。
私だけが?と思う推しキャラクターを巡る世の流れや趣向の違いを飲み込めない意固地なオタクだとわかっているのだが、やるせない孤立感が大きい。
私の推しキャラクターは、唯我独尊タイプだが信念のある支配者然とした男性キャラクターである。知性も理性も備えている。また、彼自身遊び心も持ち合わせており、絶え間なく変わる姿に心の底から引き込まれてしまう。正直、作品の中で、1・2を争う完璧な生物であり、私の語彙程度では正しく表現できないことが悔しいが男前なキャラクターに分類されると思っている。
当然のように、支えている部下たちも一流の男たちである。完璧な仕事ぶり、所作・言葉使いまで、各人員が要所に個性や気品があると思う。
かなりこの方々は人気がある。
私は推しキャラクターには多大なる恩義があるので、もう一生推す・この人で最後、と本気と書いてマジで思っている。盲目的であることを許してほしい。
ここから少し推しを巡るカップリングの話をしたい。私の推しキャラクターとその側近のような部下がいる。人により捉え方は変わると思うが、複数人いる部下の中で、この2人だけ作中で別次元の描かれ方をしていたように感じた。ここにストンとおさまってしまった腐思考の方々も多いのではないだろうか。実は、私もその口だ…
そんなあっさり、おまえ。と思うかもしれないが、視覚と音の効果は絶大で逃れようがないんだ。世界中に見せたい、これできてるよな?と、10億人思うはず。
私はその推しキャラクターを単体で推して長いが、今までカップリングで考えることは、稀にある、程度の頻度であった。
推しキャラクターをとにかく彼らしく描いていて欲しいという願いを持っていたので、二次創作よりも公式に傾倒していた事もある。ここで書く彼らしいは、公式を逸脱しない設定でという意味で捉えて欲しい。それも、わたし個人の主観によるものなので、人により解釈は変わるだろう。簡単に考えれば二次創作に重きを置いていなかった、公式最重視型オタクだったのだ。
でも、拗らせ方がひどい時期は
と、ここまでは流石に思っていなかったかもしれないが、人間活動としてのリアルな事象はなるべく想像したくなかった。神様レベルの信仰対象に限りなく近かったのではなかろうか。また、夢女子的な思考はなかったが推しキャラクターへ心酔に近い考えを持っていたために、ドリーム思想の方々とは相入れないとわかっていた。住む畑が違うならば耕さなければいい、ノータッチを貫いた。
そして当時から最近まで、確信的な推しのえっちなシーンを想像するのはギリギリのラインに留めたいという気持ちがあった。やってもいいけど直接的には見たくない。暗転希望、事後描写にしてくれ。反して、支配者タイプの成人男性なのだから、女は抱いてていいと思っていた。
みたいものが少ないと判断していたためか、二次創作を進んで読むことは少なかった。
そして、
2020年7月現在、これは全く当てはまらない。公式からの新しい情報投下により私の世界は一変した。
部下(攻め)×推しキャラクター(受け)がめちゃくちゃ読みたい。毎日読みたい。沢山読みたい。朝起きてからおやすみまで読みたい。作中まだ幸せそうに見えない推しキャラクターを幸せにしてくれ、部下!と願いながら広大なネットの海で神々の作品に溺れさせてくれ。
そして根っ子には腐った女を飼っているので求めるところは以下である。
メタクソ読みたい。
洗浄からきちんと見させていただきたいですし、わたし、上に乗るのが好みです。
できたらステイさせられるのは攻めがいいし、女王然としていて欲しい。
貴方の優位は揺るがない。で、お願いしたい。
これ。
今回、自分の認識が変わり、二次創作を楽しめるようになった。ブームにのり溢れてくる作品群、雲が晴れたように私の世界は明るかった。とても喜ばしい日々が続いていた、自分も作品をかきたいという気持ちもあった。少し前まで創作意欲も創作物にも触れる事が怖かった時期があったので本当に感謝の気持ちで、推しに五体投地して過ごしている気持ちだ。
意識的に、自分が読み飛ばしているシーンが、だんだんと、だんだんと、増えていくことに。
その頻度が増えていることに。
これだ。
あまりにも唐突に、コーヒーいれたよー!みたいな感覚で呼び捨てにされる推しキャラクターと、唐突に呼び捨てにする部下という図に思考回路が追いついていなかった。
頭の中のシナプス伝達が出来てない、言語中枢が真っ黒に塗りつぶされたのか、拒否してるとしか思えない。視覚からも受け付けてはくれない、意図して目を滑らせる。これは、これはダメかもしれない…のみこめないのだ。素直にびっくりしてしまった。
私は、オタクとして自覚をもつ頃には、読めないものが少なかった。漫画も小説もとりあえず読んでから考えるスタンスで生きてきた。そして、殆どが多様性をもった【ネタ】として別時空のキャラクター達として読み進めることができた。ハッピーエンドもバッドエンドもそれぞれの解釈を楽しむことが作者の世界観を知り楽しめる、そこに幸せを感じていた。
勿論、記憶に残らないものや、私には難しいかもしれないという世界観もあったがそれほど気にせず受け流していたのだと思う。
わたしの二次履修背景からしてこんなことになるとは思わなかった。しかしながら今回に限り頭の中を占めるのは、
推しキャラクターを呼び捨てにするという身に余る行為を軽率にしている部下。
なぜか?という疑問が拭えない。なんでなんだ部下…なぜ敬意を払わない。お前にとって、唯一無二のお方ぞ。
(わたしは冷静ではないので、細かな前後描写や文脈から作者の意図を汲み取ることができない、また読み返してもできる自信がない。)
補足をしておきたいが、全ての部下→推しキャラクター(上司)への呼び捨て行為が受け入れがたい訳ではなかった。
ストーリーの流れで呼び捨てる行為がスムーズまたは、必要とされれば受け入れられた。
そこに至る設定というのはとても大切で、呼び捨てる行為にスイッチや理屈があることが重要な鍵となっているようだった。
人によって、なんとないことかもしれない。名前の先に付ける敬称が無いだけだ。
推しの事を呼び捨てる行為について、部下は許しを得ているのか。
不敬であろう、なんて、不敬なのだろうか。
そもそも部下はこんなことをするだろうか。そんな信念でお仕えしているのか、望むだろうか。
推しはあっさりと呼び捨てることをさせるだろうか、高貴なあなたが!?
いや、無理だなぁ涙涙涙
しかしながら、界隈の流行があるようで、ポンポンポーンとお名前を呼んでいる部下。
呼ぶにしても、推しからの許可や切羽詰まった懇願をしてからにと切望してしまう。推しキャラクターは受けだが完全生物なんだ。オメガバ○スならαだろうし、セクヒ○スなら重種だ。マーメイドかも。メタくそ美しいんだ世界が傾く美貌なんだ。
ひとり四面楚歌に立たされている中、追い討ちをかけるように、客観的な作品への同意マークが増えていくことが不可思議でならない…みんな呼び捨て呼称は気にならないのか、この方をあっさりと名前で呼んでいいの…様つけないの…
自らの中に警備員を飼っていたことにも驚愕し、同時に作品を創作してくださった方への罪悪感や裏切られた気持ち、受け入れられない自分への失望が一気に流れ込んできていた。相反する感情で潰れそう、きつすぎる。
ただ、推しキャラクターが好きでたまらなくて、カップリング趣向を楽しめるようになったのに、このような感情を持っている自分への悲しみ呆れ。でも、やはり受け入れられない真理。
萎えるのだ、受け止められない。呼び捨てるという行為を見た瞬間に、サッと血の気がひく、どんな行為の最中だろうと冷静さを取り戻してしまう。その後には、怒りすら覚えてしまう。どうしようもない…
そして、恐ろしいのがこれは記載される可能性が低い、無いだろう地雷なのだ。
私自身は作品を読むうえで地雷を気にしたことが殆どない、読んでから考えるタイプだった。対して、過去自身の創作に関しては慎重で注意記載は多すぎる方だった。だからわかる。
という至極丁寧な記載をしていただけるだろうかと言えば、私にはそこまで求められない。小説ならば数千数万の作品を書いてくださる偉人たちにそこまでさせるか、と言えばできない。自身も攻めが受けの呼称を変えますと、表記したことはない。もしかしたら、私も誰かの脳にダイレクトアタックをキメていた可能性もある。なんてことだ。
自営したいのに、とても回避が難しいことに頭を抱えている。
つらいつらいつらいつらい。
読みたい!!!なんでこんなに面倒なことになった
素直に推しのえっちシーン読めよおおおお!拗らせないでくれマイブレイン!
でもやっぱり呼び捨ておがじぃ!
冷静では無い。
素晴らしい作品に出会い読み進め、いざこれから本番です。きたきたきたあああああ盛り上がってまいりましたっ!という時に突如として推しが呼び捨てされる行為、いともたやすく行われるえげつない行為。
すべてが止まる、静寂が訪れる。
オタクが差別されるようになったきっかけだが、やっぱりTVと週刊誌なのだよな。
「ここに10万人の宮崎勤がいます」というのはデマだったというのはご存じの通り。
でも「オタク」という像を「ネクラでキモくて社交性がない上に過激思想で、テロとかやっちゃいそう」というステレオタイプが発生し強化したのは実はテレビと週刊誌なんだよなあ。
「キモくて、モテそうにない、挙動不審で、ファッションセンスがなくて、言うことがやばくて、過激で、復讐とか常に考えてそうなオタク“男性”」という像。
その証拠に「TVや週刊誌が想定するのは必ず“オタク男性”」だよね。
この80年代~90年代にかけての報道がどうやって差別を強化したかというのは、非常に面白いのだが、なかなか資料が見当たらない。一番資料を持ってるテレビ局は、絶対に調査に協力してくれないだろうが。
政治なんて興味ないし、投票いってもムダと思って今まで投票しなかったけど、今回は山本太郎に投票する。
理由は単順に「消費税撤廃」に惹かれたから。もちろん民主党みたいに口だけ番長で結局、減税できない可能性はあるけど、それでも「どうせ俺らに入れるんでしょ?」と慢心して増税しようとしてる自民党に泡吹かせてやりたい。
たぶんアメリカでトランプが当選したのと同じような理由。同じような空気だと思う。
とんでも理論の中でも、特に自分たち若者を見て、高齢者を無視してる山本太郎に投票する。
「財源が~」「非現実的」みたいな意見はどうでもいい。とにかく、今の現状をぶち壊して欲しい。
もうね、「命じられた」とか言ってる時点で差別やめる気もないよね。
「救済じゃない」と言われても自力救済だろうが他力救済だろうが救済には違いない。
は?自力救済?
被差別者にこれ以上足掻かせるのを「救済」?
やっぱり、差別の継続を望んでるだけじゃん。自分は何もしたくないってな。、
「「キモい」に類する感情に基づく不当な扱い全て」のような曖昧な言い方は白紙委任と同義であり同意を得られるわけがない。非現実的。
曖昧でもなんでもなく、それが全て。
お前は差別を続けるため、何も考えないようにしてるだけ。
同意を得る?何言ってんだ?
代表として振る舞った覚えなどないが。
いいえ、質問ですが。
答えず逃げ回ってるあたり、もうそれ自体が答えだけど。「差別やめたくありません、KKOは俺らの感情のサンドバッグでいてください」って答え。
「罪の意識」とはなにを言っている?
逆に聞くがいままでの人生の中で「贖罪しろ」と命じられて行動を変えたことがあるのか?
一方的な理屈で罪の意識を押し付けて相手が動くわけがない。非現実的。
「救済じゃない」と言われても自力救済だろうが他力救済だろうが救済には違いない。
「他力救済以外は救済ではない」という自分定義で語られても困る。
「「キモい」に類する感情に基づく不当な扱い全て」のような曖昧な言い方は白紙委任と同義であり同意を得られるわけがない。非現実的。
過激思想と感じているかはともかく感情抹消論はKKOの中でもユニークな意見なのだからKKOの代表みたく振舞うのは詐欺的。
発生当時の時代状況と欧米の文化においては、まあ、意味はあった、のかなあ。そのへんは論者の評価によるけれど俺個人は意味があったと思うよ。
そもそものはなし欧米の文化のベースである一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)において、神は「父なる神」だし、イブはアダムから作られた劣化神造人間だし、ノア(男性)が家父長であり一族のリーダーだと神からはっきり示されてるわけ。つまり、文化の大前提として家父長制=男性優位社会がインストールされてるわけよ。アメリカ南部の教会ではつい最近まで「女性にはテレビとラジオを禁止しておけ、娯楽をあたえると家事をサボるようになる」とかそういう説教を牧師が言ってたとか、まあすげえわけ。
当時はリベラル・フェミニズムはもうすでにあったわけだけど、女性参政権程度じゃ、文化や宗教の制約(つまりは既存社会の慣習)が打破できなくて、そこで、血に飢えた狂戦士みたいなフェミソルジャーを戦線に投入して食い破らなければいつまでも家庭内家事奴隷だろみたいな思惑もあった。宗教的権威に対する挑戦であり、血まみれで戦わなきゃ一歩も前に進めねえので、そこでラディカル・フェミニズムなわけよ。「父権社会によって長い年月をかけて洗脳に近い刷り込みをされた女性は女性自身も気づかぬうちに搾取されてる」「全ては父権社会と権力勾配が悪である」「女性は無給家事労働者とか公的な娼婦として隷属化させられてる」あたりの思想で、「既存の男性主導文化そのものを打倒」しようとしたわけだ。その歴史的経緯を踏まえないと、ラディカル・フェミニズムは理解できないとおもう。
なんつうか、もうこの時点で天照が女神で天鈿女命がおっぱい揺らすとノコノコでてきちゃう日本民族的には理解しがたいのよな。とは言え、「俺には理解し難いんでお前らのやったことは全部無意味で無価値」とはいいたくないんで、だから前述の通り「個人的には意味があったと思うよ」なわけだけど。
だから、そういう状況で戦った女性はそれなりに道理もあれば正義もあったわけ。
上記のような宗教的抑圧の地獄で発達した過激思想を、現代の恵まれた(この恵まれたって言うのに和フェミの皆様方は噛み付くわけだけど、上の記述を見てそれが理解できないのは馬鹿だと思うのでもう話したくない)日本の女性社会において、ラディカル・フェミニズムってのはもう圧倒的に過剰で馬鹿げた思想なわけよ。でも、男性叩きの理論的背景には便利だから、遊び半分でネットのキチガイどもが振り回してるってわけ。
某漫画関連で気になっているクラスタがある。そのクラスタの輪の中に入りたい。
けどtwitterを2回やめた身としてはもう二度とやりたくないという気持ちも強い。
以下やめた経緯など
院生~プー太郎の頃に使っていたアカウント。アニメとかラジオの感想を適当につぶやいていた。
そうしたら同じきらら系の某アニメが好きなアカウントにフォローされた。フォローし返したら「面白いこと書いていますね」と言われた。
そのまましばらく相互フォローの関係にあったのだが、よく見るとツイートが明らかに偏っている。政治的に極端だ。
某宗教の信者にヘイトスピーチをしているところも目撃した。でもそのアカウントはヘイトスピーチ反対ともほざいていた。何これ意味が分からない。
徐々に先鋭化していくアカウント。そのアカウントに悪印象を与えなくないと思い、なるだけ刺激しないよう当たり障りのないことを書き続けた。
しかし相手側は「俺たち仲間だよな?」と言わんばかりに自分を彼の陣営に引き込もうとしていた。
過激な思想にくみしたくないと思った自分はアカウントを消した。過激な思想を見続けることは心身に毒だ。頭がおかしくなってしまう。
ツイッタランドでは今日も過激な思想が喧伝され、それに影響を受けた人間が過激思想の再生産にいそしんでいる。togetterに至っては蟲毒の壺のようだ(嫌儲板の住人のためいわゆる「まとめ」自体大嫌いだが)。
きらら系の某アニメが好きなアカウントのように、一見無害なアカウントに見えて実は…ということも起こりそうで怖い。
ついでに件のアカウントには早稲田の新入生が引っかかって、無事過激な思想を植え付けられたようだ。早稲田のような超一流大学の学生が過激思想に引っかかるtwitterは闇。
大学学部時代~(一時中断)~プー太郎~社会人(現在)の頃に使っていたアカウント。
大学学部時代の同級生とリアルで相互フォローの関係にあった。数か月前、知人の裏垢(鍵付き)に招待された。
その裏垢というのが別の知人や親への誹謗中傷を書き連ねたアカウントで、見ているだけで全身の毛がよだつ気がした。
しかし知人の機嫌を損ねたら今度は自分が誹謗中傷のターゲットになりかねないと思ってしまい、誹謗中傷するツイートに「いいね」を押したりした。
そして今年9月4日。この日はたまたま休みだったため朝からタイムラインを眺めていたら、件の裏垢がツイートを投下したようだ。
内容は別の知人とやり取りしていたLINEのスクショを勝手にさらし、キャプションとして罵詈雑言を書き連ねたツイートである。
この瞬間、自分が「いいね」をつけることで彼女の誹謗中傷に加担していることに気が付いた。
これ以上誹謗中傷に加担することは耐えられないと感じた自分はアカウントを消した。「ネットで誹謗中傷に加担していました」と警察署にも出頭した。追い返されたが。
傍観しているだけでも誹謗中傷に加担しているようなものなのに、「いいね」をつけることでさらに誹謗中傷を加速させてしまった。
被害を受けた親や別の同級生には悔悟の念が生じている。どうやって贖罪すればいいか分からない。自分は明らかに加害者だ。そんな自分にtwitterをする権利などあるのか?
思想的に過激な連中に引っかからなかったり、誹謗中傷に巻き込まれないならもう一度twitterのアカウントを作ってみたい気がする。
しかしそうならない保証はどこにもない以上、twitterを使いたくないという気分も強い。
一体どうすればいいのか。
「フェミニストが男女差別や性犯罪に真剣に怒っているように、ヴィーガンは牛や豚に対する酷い扱いに本気で怒っているんだ」
って、そんなに理解するのが難しいことかねぇ。
私は肉うめぇって思うし、カエルが生贄でもいいじゃんと思うし、私が肉食うのに口出しすんじゃねーよって感じるけど、彼らが怒っていることはわかるよ。
真剣に怒る人を茶化して遊ぶの、さんざんフェミニストが苦しめられてきたことだと思うんだけど、なんでヴィーガニズムに対して同じことをできるのかがわからない。
ヴィーガニズムは一部の過激思想じゃないかって? 婦人参政権だって、昔は過激思想だったのに!
せめて差別者としての顔をしようぜ。あ、なるほど、そう考えると茶化してる人たちはちゃんと差別者しぐさをしているともいえるわけか。女性差別してる連中とやってること同じだもんなぁ。