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はてなキーワード: 過激思想とは

2017-11-30

リベラルは「ゾーニング戦士」だなww

オタクが「表現の自由戦士」と笑われているけど、リベラルゾーニングを推進しすぎて大概だわ。




表現の自由も、ゾーニングも、それ自体はすばらしい理念だよ?

でも、原理主義みたいにそれを推進したら、うまくいくはずない。


例えば最近話題コンビニエロ本問題だって、すでにゾーニング実施されている。

そういう本は店の片隅に置かれていて、子供立ち読み・購入を禁止されているが、これはゾーニングの一つの形態である

子供たちはそういう卑猥な本を軽蔑するようになるし、それを買っているエロオヤジのことも軽蔑するだろう。

私は撤去しなくても、この現状のゾーニングでちょうどいいと思うけどね。


もし店内でエロ本立ち読みするオッサンが怖いというなら、本をビニールで包んで、大人立ち読みができなくするくらいの対策はしてもいいかもしれない。

ただ、コンビニに陳列してあること自体問題だというのは、私の感覚ではちょっと理解できない。

リベラルが言っている「見たくないものを見ない権利」は、行き過ぎた過激思想ではないか


実際には「どっちでもいい」と考える人たち、または「どちらかというと不快だが許容範囲」くらいの中間派がたくさんいるはずだ。

リベラルはそれに比べると、かなり偏向した立場から権利を訴えている。

そのありさまは、まさしくゾーニング戦士というべきだろう。

2017-11-13

過激思想持ちは何故飽きっぽいのか

ゆらぎ荘から始まったジャンプ焚書騒動って結局どうなったの?

コンビニオムツ問題は?

花王不買運動は?水原希子関連は?

飽きたらすぐポイってのはウヨフェミも一緒だよな。

問題にして、それらしい正義ぶっ立ててギャースカ騒いで飽きたら無かったことにする。

自分問題にしたくせに、なんにも解決することもない。

踏み荒らし場所についてはなんにもコメントもない。当然謝罪もない。

突き抜けた過激思想は人が着いてきやすいけど、こういうとこ軽薄で嫌だわ。酔っぱらいのオッサンと何が違うんだよ。

2017-11-01

鉄道おじ、緯度おじ「これが悪魔か。面白えじゃねえか」

いまどきの日本人民度がいいって言われてるけど、超穏健な奴と超過激な奴がいるっていうのが正しい理解だと思う。

大多数は堅気な生き方をしてるんだけど、中にはやべーやつもいる。そのやべーやつが過激思想裏社会だったり、最近鉄道おじ、緯度おじといったクソコテだったりする。

最初からひとつの型にはまる前提の社会では、その型にはまらなかった人は疎外される。

いくつもの型を用意していかないと、加藤智大植松白石やハッセ・大澤黒木のようなやべー野郎は今後も生まれ続けるに違いない。

鉄道おじ、緯度おじは大人社会の厳しさを理解していないようだし、生かしておいた方がいいと思うが、近いうちにやべーやつになって悪しまくったりするのだろう。この世の悪魔は人の命を弄ばないことを願う。

2017-08-17

公務員現役リーマンの考える日本再生プラン

私は今の日本が嫌いだ。リーマンショック以前はアメリカよりも大嫌いだった。しかしそれでも世界3番目の大国。この国がしっかりしなければ、先進国の足並みをそろえて衰退への道に歯止めを掛けることはできない。そこで、私なりの「日本再生プラン」を考えてみた。

①「ウルトラ資本主義から社会主義」へ

まず必要なことは資本至上主義発想の解体だ。良く言われているように、今の日本の諸問題資本主義暴走にあって、それに歯止めをかけるものがない。これは良く言えば一時期のアメリカ匹敵する経済構造を支えていた。

しかし今の日本では、資本主義国家の味方というわけではない。むしろ弊害が増えていて、公務員でも資本主義嫌悪する人も多い。そんな彼らからすれば「資本主義カースト上位」もモンスター思想家と同じくらい嫌悪すべき存在で、結果的資本主義を活かしたプランが嫌われる傾向がある。

かつて大きな資本主義必要だったのは日本社会のものが未熟だったからでもあるが、今の日本社会成熟している。要するに社会主義的な考え方が導入・実践されており、たとえば高度な社会保障が持続化できるようになっている。

欧米各国で広まっている社会主義運動の流れを艦みて、日本はこの際、もう資本主義拡張を諦めるべきではないか勇気ある行動で示してほしい。資本主義社会社畜思想もどうみても同じ側の存在であることは明白だ。旧来型の資本主義思想ときっぱり決別し、社会主義との共生への道を示すことを鮮明にすれば、国民は「日本は変わったな」と評価するはずだ。

②「烏合の衆から多様性」へ

日本国民はまとまりがなく「烏合の衆」とされていた。もともとが学生運動崩壊後にノンポリごった煮になった国民なので、内心極左だった人もいれば極右もいる。その節操なさが日本国民の強みとも言われていたこともある。

ところが実際には、平成ポスト好景気になった時に、これがネックになった。景気回復問題、そして国民の荒れなど、是非が左右できっぱり分かれるテーマに直面した時に、はっきりと決断できなかった。妥協すれば国民失望するし、一方をとればもう一方を失う。派閥抗争も激化した。

日本は当初、第二次世界大戦敗戦の際にアメリカなどの西側諸国同盟を組んでいたが、韓国が反発し、戦前問題ではアメリカ人も躊躇するような過激思想が台頭し、2000年代の対中接近路線で一気に友好関係破綻した。そうしたら、西側諸国との協調関係崩壊したのである

なので日本国民烏合の衆である必要性はない。現状では、なんだかんだで一致団結すべき困難が続いているので、ネトウヨ新自由主義エリートたちが敵ということがわかりきっているのなら、日本国民がすべきは内部にある彼らを忖度することではなく、むしろ追放することではないか

村田蓮舫がかつて述べた「私は多様性象徴」という言葉にあるように。多様性こそが今の日本社会必要ことなである日本社会の敵が右翼カラー全体主義に陥る中、日本国民が示すべきは寛容な多様性主義である。そのために、まず右派なんか追い出したほうがいい。

日本社会のもとに集まるべきは、新自由主義エリートでも右派思想でもない人であり、インテリであり、社会主義になびく人ではないか烏合の衆を脱し、多様性国民に生まれ変わることも、日本の再起のために必要なことである在特会みたいな小物右派をさっさと追放しろ

過去・現状が「ポスト藩閥社会ポスト帝国主義」なら未来は「最先端民主主義国家」を目指せ

かつて日本は藩閥社会(江戸時代エリート末裔)、帝国主義(天皇制シンパ)という大きな権威を抱える国家で彼らの末裔総理大臣になったりした。現在も「日本2677年の歴史であることから現状も帝国主義であると思い込んでいる人が多いが、それは間違いだと思う。日本の現状はどちらかといえばポスト帝国主義国家、つまりそれをブランドにしているに過ぎないのだ。

実際、本当の安倍政権の最大の支持者である藩閥主義者帝国主義者東京への搾取で裏切られ、選挙左翼系が彼らを乗っ取る光景ももう当たり前だ。地方創生天皇制問題を見ても、美しい伝統民意を圧殺してぶち壊しているようにしか見えない。形は残っても中身は残っていない。

藩閥主義者帝国主義者安倍政権を支持しないが、高齢者なら左翼若者極左大衆なら中道となると、残るは中道でも左翼でもない「右翼」というポジションである経済面では、エコカーコンパクトカーや安い車を作っても日本人の車離れは改善せず、公共交通の混雑は市場競争弊害でむしろ激化するが、政治はちっとも進歩しないのだ。

そこで日本社会がすべきことは、安倍政権が見限った藩閥主義者帝国主義者の受け皿になりつつ、歴代政権放置し続けている諸問題(たとえば都市問題経済問題など)に取り組むことである。ついでに共和制移行も検討してしまえばいい。なぜこれができないのか、不思議でならないよ。

今の持つ層と昔の持つ層と持たない層できっぱり考えが割れる傾向はアメリカを筆頭に共和制先進国では当たり前になっているが、日本場合アメリカのような進んだ政治もなければ果てしなく富裕層排出するような最高クラス経済もない。「量産型化」したロボット国民存在があまりに多いので、現役勝ち組と元勝ち組負け組割れない。

現状維持はいずれ衰退する

これら私の掲げる方向転換を日本国民実施してくれる可能性はたぶんないだろう。だが、それくらい思い切った変化がなければいけない。あれほど圧倒的な勢いで経済成長できた日本が、わずか四半世紀で好景気終了後に凋落がとまらないのは、国家現状維持以外の何もできずにいることに国民失望しているからだ。

復興出直しをするなら、今だ。それができないなら、ほんとうに売国するしかない。

2017-07-30

https://anond.hatelabo.jp/20170730074005

そういうことを考える開き直りキモカネは昔から多い

でも、実際にそういう話を聞かないっつーことはほとんど実現してないっぽい

シェアハウス自体成功例がギークハウスくらいしか見ないしね

小林銅蟲phaみたいな異能持ちだからこそ上手くいっているっていうのはあると思うし

シェアハウスが無理だと男は孤独死まっしぐらだけど

女は女で悲惨ルートが待ってる↓

1.「白人精子買って天使みたいな子をシングルで育てる!」

まぁ普通夫婦ですら排卵日考えて頑張ってようやく当てるのに、精子購入には一回ウン万もかかるコストに耐えられず100%断念する

2.「〇〇国の男のがジャッポスより上等!」

これ、発展途上国の男に入れあげるタイプと、白人に入れあげるのに分かれるんだけど、

共通点としてヤるだけやってポイ、というのがある(金目的かどうか、というのは割とケースバイケース)

3.「〇〇を駆逐するぞ!」

愛国心ならず者最後のとりで」なんて言うが、過激思想はなんでも終の棲家になるみたい。

〇〇には外国人とか、ジャッポスとか、左翼とか右翼とか、まぁ色々入る。

大抵は3みたいな気狂いに到達するまでもなく、1に到達する途中で還暦を迎えるキモカネババアが多い

でもま、ブーストはどこでかかるか分からんから20代で3までいくやつもいるっちゃあいる。

2017-05-23

ネット右翼に活気があった時代を生きていた人が羨ましい

私の政治運動デビュー2009年4月4日ネトウヨ旋風の時代だ。ちなみに生まれ1985年2月27日

当時の愛読本小林よしのり漫画だった(今は左翼転向してしまった)。

そういう生い立ちがあるので社会人2年目くらいの頃からネット右翼について興味があって、ネトウヨについてよく調べていた。

私の世代は、2ちゃんねらーサブカルからって特別ネトウヨに詳しい人なんて居なかった。ネトウヨについて調べていたのなんて私くらいだ。別に右翼思想に興味があるわけではない。参加者やそのバイブルについて興味があるのだ。

こう言うと不謹慎かもしれないが、ネット右翼ロマンを感じてしまう。2ちゃんねるとある板の不気味な感じとか、デモ行進をそこらじゅうで起こしていたこととか、右派なのに左翼スタイルで行動していたこととか、不気味な出版物原稿料印税を稼いでいたこととか、薄暗くて、どことなく惹かれるところがある。ほかの人がカルト宗教とか左翼過激派とかヤンキー暴走族に惹かれるのと似たようなもので、私はネット右翼ロマンを感じる。

しかし、残念なのはあの時代をもう経験できないことだ。

ネット右翼系の出版物がそこらじゅうにあっていつでも新品を買えた時代桜井誠掲示板で討論していた時代大学2ちゃんねるなどでネット右翼オルグしていた時代ニコニコ動画愛国動画が乱舞していた時代日本人胡散臭い過激思想を大真面目に信仰していた時代。あの歪んだ2000年代を、私はもう経験することが出来ない。1日でいいからあの時代の空気経験してみたかった。

あの時代経験したあなた達が羨ましい。

2017-05-19

共謀罪自由日本おしまいか~

反共謀罪で地下社会過激思想共闘。な、これwww

何処の外国

今日も元気に国会前では(以下略)

愚民対策めんどくせぇから民主主義停止で

お上お上なら国民国民、か…

ほんとクソめんどくせぇからいっそのこと臨時的全体主義政権しろ

中国を見習うべき

賢者だけの政治にしよう

2017-05-17

安倍政権って本気で日本戦前に戻せるつもり?

共謀罪だの反テロ法だの騒がれているけど、本当に日本をあの戦争国家にできると思ってるの?

野党もそうだけど、この法案ときで驚く国民がどれだけいると思ってるの?

秘密保護法だの安保法制ときを思い出してみなさい。みんな無視したでしょ?

1930年代とはちがって、日本人は富裕の喜びを味わってるから政治に頼る機会というのはほとんどなくなってきている。

なぜ戦前日本戦争に向えたかといえば、当時はほとんどの人民が貧しかたからだよ。だから政治に頼らざるを得なかった。事実過激派はその時代のほうが戦後のそれよりも多かった。

現在日本はそれこそ非寛容な社会だが、景気に関しては悪化が止まっていないどころかむしろ改善兆しさえ見ている。いや改善しているのかもしれない。

過激思想に手を出すような人間というのはしばらくは現れないだろう。

安倍政権の願いであ戦前再現は、あの法律だけでは実現しないだろう。大多数の人民には意味をなさないと思う。

彼の夢は、非寛容社会にした上で、人民平等に貧しくしてこそ実現できるのだ。

2017-01-11

信じられない?最近日本で起きていること

【信頼するかは貴方次第です】

2016-12-31

2016年懺悔詩(3)「ビットウィーンイデオロギー

俺は小学生だった

俺は中高生だった

俺は大学生だった

ビットウィーンイデオロギー

情報学を学んだ

質素に過ごしながら

バイトで汗を流しながら

ビットウィーンイデオロギー

秩序が壊れて時代が苦しくなると

権威が俺たちを助けてくれることを期待した

彼らは過激思想繁栄を与えた

「我らは中庸のために振り切れてるんだ」

ビットウィーンイデオロギー

俺は信念を持って怒り続けた

政治の拳のためではなく救いの手が欲しくて

奴らにとっては悪魔に囲まれ土地

俺達のは人間同士の信念

奴らのは希望栄光象徴

俺のは修羅世界

奴らのは危機という現実

俺のは俺達が知っていた理想

ビットウィーンイデオロギー

技術者を呼び出せ

製図者を連れて来い

外れることの出来ない人生の道を作ってくれ

そうしたら俺も承認するよ

どんな政府でも

生活必要犠牲を払うのを拒否しないなら

若者たちを見たら二度と右向かないように言うんだ

過ぎ去った日々から旗印を持ってくるんだ

善意の反骨

リベラル精神

俺たちを見捨てるな

ビットウィーンイデオロギー

2016-09-07

そりゃ誰でも自殺したくなるさ

4人に1人「本気で自殺したい」 日本財団が4万人調査:朝日新聞デジタル

 

そりゃ自殺したくなる人間が沢山出てきても不思議ではない。

それだけ日本絶望的状況だし、日本希望なんてものはない。

もし「希望」を声高に叫ぶ人間がいるとするなら、そいつ詐欺師底抜けバカだ。

特に「○○すれば希望はある」と宣う連中はほぼ全員詐欺師だ。彼らの妄言に耳を貸す必要などない。

2016-08-08

キリスト教徒になることにした

神とかいないし、キリスト教とかクソだな、と思ってたんですが、最近、生きる意味を考えるようになりまして、ニーチェをはじめとする実存主義の本を読むことが多くなりました。

ただね~神否定ちゃうと面倒くさいんですよね。結局突き詰めると、人生とか意味ねぇわ~ってことになっちゃうし、がんばって神なしで生きる意味を論証してる本もあるんですけど、ぐちゃぐちゃ言ってる割に実りがないというか、結局それ聖書の言ってることを違うルートで言ってるだけじゃね?みたいなのが多いんです。

ニーチェに至ってはほとんど過激思想ですよ。本人も発狂して死んでるし。幸せそうには見えない。

だったらキリスト教信じたほうが早いんじゃないかと、分かりやすいし。具体的にあーしろこーしろと言ってくれるから楽なんですよね。

こんな感じで落ちこぼれキリスト教徒になりました。

2016-01-29

何が先進国若者テロリストへ変えるのか

 20世紀初頭、英国経済学者であるケインズ卿は、主著の中で「考え方ほど強力なものはない」と説いた。つまり、人の行動要因のうち、最も影響力が強いものは、外部的要因よりもその人の内部要因、すなわち考え方だというわけだ。

 ひるがえって現代英国では、中東出身者の2世3世となる若者たちイスラム国(という名のテロリスト集団)へと帰属すべく、混乱を極める中東へと世代を超えた里帰りをしている。こうした若者たち常軌を逸したテロリスト集団に忠誠を誓う要因は何だろう。ある人は欧米社会における中東系への差別が原因であるとし、ある人は貧困が原因であるという。しかし、これはあまりにも皮相的な見方ではないだろうか。どの国にも貧困差別存在する。それにも関わらず、なぜ一部の人々、特に豊かな先進国若者海外の狂信集団への参加を企図するのだろうか。

 ここでケインズ卿の金言を思い出してほしい。何よりも人を駆り立てるのは考え方だ。もちろん、乾燥した砂漠地帯へと向かう若者たちの中には自意識をこじらせ、過激思想に染まった狂信者もいることだろう。だが、その多くは渡航直前まで通常の市民生活を送っていた一般人である(と報道されている)。ということは、通常の市民生活に浸透するごく一般的常識の中にこそ、彼らを破滅的な行動に追い込む何かが潜んでいるとは考えられないだろうか。

 健全若者たちを追い込んだもの近代社会の「一般常識」とは、「人は役に立たなければ生きている価値がない」という考え方だ。このあまり妥当に思える考え方にこそ狂気が秘められている。

 中東渡航した若者の多くは、同国の他の若者と同等の高等教育を受けており、言い換えれば社会的に役立つ(と見なされるべき)存在である。彼らは教育によって社会常識能力を身につけ、社会への参加と貢献を望む(ごく健全な)精神性を身に付けていたはずだ。だが、彼らはその意欲と能力を十分に活かすことが出来ない環境下にある。

 無論、こうした差別貧困けが問題ならば、例えば南米東南アジアスラム民のごとく、それを人生既定路線として別の生き方適応することも出来ただろう。だが、彼らは私たちと同じように近代的な市民としての精神性を埋め込められた「一般人」なのである

 資本主義であれ社会主義であれ、近代社会おいて市民は、「人の役に立たなければ生きている価値はない」と考えられている。言い換えれば、人の役に立つことが人生意味・意義・目的である。それは経済活動本質でもある。だが、英国をはじめとする欧米社会は、中東系の若者たち近代市民としてごく一般的健全希望を満たすことを許さなかった。結果として「人の役に立ちたい」という健全な欲求は、全く不健全狂気の塊とでもいうべき集団への参加・貢献へと姿を変えてしまう。なぜなら、イスラム国はそうした近代市民として望ましい欲求の全てを満たしてくれるからだ。

 あなた人生には意味がある。あなたは人の役に立つことができる。あなた必要とされている。だからこそ、私たちに参加・貢献してほしい。

 こうしたメッセージ実存的な欲求を満たせずに鬱々とした日々を過ごす若者に届き、その心の隙間に棲みついたとき、彼らを押しとどめる要因、すなわち彼らを暴走させない「考え方」を欧米社会提供できていたのだろうか。事実イスラム国はすぐれて近代的な精神性を持つ集団であり、表面的な暴虐性と狂信性を剥ぎ取れば、そこにあるのは英国と全く同様なもう一つの近代社会であり、宗教というフックによって近代市民を惹きつける別種の帰属集団たりえるわけだ。よって、若者たちの豊かな社会から貧しい狂信団への「宗旨替え」という一見奇妙な現象は、単純に欧米社会の失敗と敗北の証左なのである

 ところで、これは私たち日本人にも無縁の問題ではない。むしろ喫緊問題でもある。中東系の若者には(擬制はいえ)神への信仰が残されているようだが、私たちには一体何が残されているというのだろうか。この社会による無言の死刑宣告に抗うため、私たちにはどうふるまう余地があるだろうか。自身社会的価値の欠如を自覚し、世間という名の集団圧力に圧迫され、閉塞し、窒息したとき私たちは静かに(そう、「誰にも迷惑をかけない」ように!)命を棄てる道しか残されていないのだろうか。

 かつての武士階級にとって自死は、名誉を守る行為だ(という共通理解があ)ったが、近代市民たる私たちにとっては疑いなく、何の疑いもなく、言葉通りの犬死でしかないだろう。それとも、これも一つの考え方に過ぎないのか?

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