「持続可能な開発」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 持続可能な開発とは

2020-12-04

今のバズワードサステナビリティ」に対する違和感

SDGsとも言う

持続可能社会持続可能な開発ってのは20年くらい前からちょいちょい言われていた

80年代までの、「とにかくジャンジャン消費しろ」という時代を経て

環境問題が大きくなって「ある程度規制抑制エコ環境保護をしていかないといつか破滅するよね」ってなった

これが90年代

で、その後の00年代からは「エコだけじゃ経済成り立たないじゃん。成長はするけど環境保護する、両立できる社会を作らなきゃいけない」

みたいな形でサステナビリティが出てきたと思う

 

なんだけど、今のバズワードになってるサステナビリティってエコ意味で使われてること多くない?

持続可能な「開発」が抜けてる

から胡散臭いんだよ

2020-11-22

anond:20201122003829

それな。エコ運動が「持続可能な開発」って言い方しだしてからもう10年以上たつのに、全然アップデートされてないという。

せめて興味ある分野の勉強ぐらいしてほしいもんだ。

2020-08-19

性犯罪を行わない善良な男が「性差別や性暴力の話になるとケンカになる問題」について解説する (追記あり)

性差別や性暴力の話になるとケンカになる問題」を読んだ。

https://www.gentosha.jp/article/16300/

ブコメでは様々な反応があったが、この手の話題でお互いに理解が得られないのには理由がある。

そもそも自分加害者だと思っていない」からだ。だって実際に性犯罪したことないんだから当たり前だ。

社会構造がそうなっている」ことを責められても「いや俺にどうしようもないだろ」となるのは当たり前なのだが、この感覚女性理解することは難しい。

ほとんどの女性はこの手の話題に囚われるとき視野狭窄になっている。簡単に言えば「私は被害者モード」だ。

そのため、この手の話題を振られたとき男性気持ち理解する例題を用意する必要がある。

アルテイシア氏の旦那さんのように、ほとんどの男性は善良な一市民である。彼らと女性たちは本来共闘すべき仲間なのだ相互理解第一歩を踏み出そう。

例題だが、「日本人加害者である」というテーマでいこう。

まずはこちらの記事を。(抜粋するので読まなくてもいい。)

搾取され続ける労働者チョコレートを食べている人は、オレの肉を食べている。」

https://www.oks-j.com/brain/2016/03/23/160323/

日本人が着ている衣服は、度を越す過酷労働によって成り立っている。

広告マーケティング戦略によって「安いものはお得」だと一方的に刷り込まれてきた多くの先進国消費者は、「中国製」や「ファストフード」なども含めて「安いものは質がよくない」という情報には敏感でも、自分たちが安さを追求すればするほど、異国で搾取される人がいて犠牲が増えていくということまでは、なかなか意識することはできていません。



ちなみに、「私はフェアトレード商品を買っています」「そもそもチョコレートユニクロも買わない」というのも意味がなく、加害構造の中にいるのは変わらない。残念。

(中略)チョコレート企業には消費者からの抗議の電話や、不買運動を匂わす手紙が送られてくるなどの反響がありました。

おそらく私たちを含む先進国消費者が、すぐに不買運動につなげてしまうのは、「みんなが買わなければ、その品物は出回らなくなるので、きちんとした品物だけが残るようになる」と、考えるためかもしれませんが、残念ながら買わないことと、労働者が正当に扱ってもらえるようになるということは、必ずしもイコールではなく、買わないという運動は、労働者経済から完全に切り離してしま危険性があることもしっかりと意識しておかなければなりません。


チョコレート報道されない「ビター」な現実

https://globalnewsview.org/archives/9151

世界チョコレートの売上げの60%をトップ5のメーカー(マース、フェレロ、モンデリーズ明治ネスレ)が占めている。生産地での厳しい現実が知られるようになり、批判対象となったメーカーは次から次へと「対策」を発表した。例えば、マースは生産者収入環境配慮し、児童労働が伴わないカカオを2025年までに100%にすると発表した。明治特定目標は設けず、「人権尊重した適切な労働環境の確保(児童労働強制労働監視など)に努めていきます」といった曖昧表現ウェブサイト掲載していると同時に、「カカオ農家支援」や、国連持続可能な開発目標SDGs)に「貢献」していると主張している。

しかし、メーカー言葉に行動は追いついておらず、上記統計が示すとおり状況が改善に向かっているとは言えない。生産者への最低価格保証するフェアトレード認証などの仕組みをメーカーが避けたり、あるいはごく一部の商品しか適用しようとせず、そのシェアは伸び悩んでいる。その結果、生産者コストをかけ、フェアトレード認証に値するカカオ豆を作っても、その多くはフェアトレード商品として売れず、より安い市場で売らざるを得ない。さらに、フェアトレード認証があるといっても、実際に「フェア」といえるものにはなっていない場合も多い。フェアトレード認証基準が甘く、最低価格プレミアム奨励金)も安く、フェアトレード認証カカオ豆を作りながら貧困のままでいる生産者は決して少なくない。


「全ての男性男性社会を作っている側である」という言い分に沿うならば、この文脈では結局女性搾取構造を作る側であると言える。

もちろん全ての男性痴漢ではないのと同様、ユニクロの服を買うことやコンビニチョコレートを買うことが直接の加害であるとは言えない。

直接の加害者ユニクロ明治ネスレであるあなた商品を楽しんでいるだけなのだから

これはそっくりそのまま、性犯罪を行うほんの一部の男性と、そうでない男性……自宅でAVを見ているだけの男性との違いである。

さて、アルテイシア氏は「ヘルジャパン」などと表現していることから分かる通り、彼女は当然本当のヘルは知らない。

当然自分加害者であるという意識は一切ないままに日常生活を送っているだろう。「私たち社会被害者だ!」という意識だけ立派であると思う。

貴女もおそらくアルテイシア氏と同じだろう。そんな日常を送っている先進国在住の貴女が、

「なぜ途上国まれというだけで、傷つかなきゃいけないの?」「なぜ傷ついた側が、傷ついてない側に丁寧に説明しなきゃいけないの?」「そんなの理不尽すぎるじゃないか! キエエエエーッ!!」

と、目の前でまくしたてられることを想像してみてください。あるいはアルテイシア氏ほど感情的でなくても

「僕はねえ、あなたたち日本人のために毎日毎日低賃金で働かされて辛かったよ。今でも日本人を見ると怒りで手が震えるよ。あ、君の着てる服は僕が作ったやつだね。参考までに聞きたいんだけどそれいくらで買ったの?はあ……。」

愚痴を言われたとしよう。

「いやそんなん知らんし」と、ムッとしないだろうか。少なくとも「なんで私に言うんだ」と思わずにいられないだろうか?

そりゃいきなり怒りをぶつけられたら怒りで返されるだろうけど、単に昔こんなことがあってねぇって淡々と語っても瞬間沸騰的にぶちギレて罵倒してくる男性もいるのよ。そうでない人には信じられないだろうけど。

(実際にあったブコメ

これを手がかりにして、「加害者意識がない、事実痴漢性犯罪者ではない善良な一市民である男性個人」をどうやったら動かすことができるか考えてみてほしい。

最後アルテイシア氏の文章を改めて引用して終わりにする。

自分性犯罪なんかしてない(自分加害者じゃない)」とムッとする男性は多いが、ほとんどの男性加害者じゃないし、かつ被害者でもない。

一方で、ほとんどの女性被害者なのだ。私の周りで痴漢露出狂盗撮などの性被害に遭ったことのない女性はいない。レイプ被害を打ち明けられたことも一度ではない。

これは、発展途上国ライターが書くなら

「私は搾取なんかしてない(自分加害者じゃない)」とムッとする日本人は多いが、ほとんどの日本人加害者じゃないし、かつ被害者でもない。

一方で、ほとんどの発展途上国民は被害者なのだ。私の周りで先進国から搾取被害に遭ったことのない国民はいない。明日パンを食べるお金もないと打ち明けられたことも一度ではない。

と置き換えられるだろう。「加害者であるあなた」の心に響いただろうか。

追記

「私はムッとしない」系の表明が多かったので追記

枝葉末節をあげつらっても仕方ないんですが、別にアルテイシア氏も「ムッとしないで欲しい」ってのがメインで言いたいことじゃなくて

AVやその他コンテンツの作り手は意識アップデートせよ(アップデートした結果売れるのか、生活していけるかどうかは考慮しない)

そのためには作り手が意識アップデートさせて、表現についてしっかり考えるべきだ。

その中でも特に暴力性的嫌がらせエロギャグ扱いするのはやめて、「絶対許せないもの」として描くべきだ。


痴漢をなくせ(無理難題でしょう)

痴漢がいなければ痴漢冤罪はないし、女性専用車両だっていらない。加害者がいなければ、性犯罪はなくなるのだ。これはあなたたちの問題なのだよ。


鉄道会社啓蒙映像を作れ(脚本以外の金は誰が出すん?)

日本鉄道会社警察はこういうのを作らんかい。なんなら私が脚本を書いてやる、ギャラは千円でいい。


基本的には自己犠牲というか、奉仕というか、金および労働力を提供せよという話をしてるわけでしょう。なんかしらアクションしてよって言ってるわけでしょう。

そりゃそうだよ。ムッとしないだけじゃ何も変わらないから。心を痛めたからって性犯罪者がいなくなるわけじゃない。

でも実際には世の中の善良な男性満員電車をなくすことはできないし、痴漢消失させることもできない。少なくとも普通の人には。

仮にあなた途上国に心を痛めたとて、何もできないし何の影響力もない、故にあなたが行動に移さないのと全く同じことだよって話です。

anond:20200819062832

というか、

持続可能な開発目標

に、人口再生産が含まれいるかが気になる

まれていないとしたら人口を減らすのがベターでしょ

2020-08-16

反出生主義って、反社会的勢力と同じなんだよな

最近流行りではあるんだがSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)がもてはやされるように

社会というのは持続可能であることが、必須条件なんだよね

社会が持続するというのは何かと言えば、個々が子供を産み育てて代替わりをしていくことなわけで。

反出生ということは、子供を産みもしない、育てもしない、むしろ邪魔をする存在

から反社会的

カール・ポパー提唱した、寛容のパラドックスparadox of tolerance)もあるけど、反出生に寛容である社会が持続せず、途切れてしま

から反出生主義には不寛容であるべきなんだよね

2020-01-02

SDGs

国連持続可能な開発計画が指摘しているのは

外国人労働者がいなければ経済が成り立たない先進国傲慢

母国仕送り依存して独裁政権が生きながらえる途上国怠惰であり

ブレグジット移民排除はむしろ計画正当性を支持しているし

外国人犯罪者裁判にかけずレバノン送りした安倍政権もまた

SDGsの崇高なる理念体現しているといえる

2017-11-05

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である21世紀中国がどこに向かうのか。この種の権威主義統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派残酷鎮圧にあって失敗した。辛亥革命1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジア最初共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国現代全体主義深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国毛沢東時代の普遍的貧困絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆生活水準は大幅に向上し、個人経済的自由社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間人権政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者市場化と私有化経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会2004年憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れ直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である言論出版信仰集会結社・移動・ストライキデモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民社会的経済的文化的政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和方法で公共の事務を処理することである

 民主もっと基本的な意味は主権在民と民選政府である民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民真正選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国根本的な活路である

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立権力分立現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障人権を確実に保障し、人間尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙全面的民主選挙制度実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民選挙参加は奪うことのできない基本的人権である

8、都市農村の平等:現行の都市農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由国民結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争原則確立し、政党政治正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由平和集会デモ示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由言論の自由出版の自由学術研究の自由を実現し、国民知る権利監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識確立し、社会に奉仕する国民美徳提唱する。

14、財産保護私有財産権を確立保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権帰属責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義確立納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択住民投票)や民意機関議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民カバーする社会保障制度を構築し、国民教育医療養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境保護し、持続可能な開発提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動政治的迫害を受けた人々とその家族名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会設立歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会メンバーとして、人類の平和事業人権進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

(括弧)内は訳注。

原文:

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40

転載自由、出典明示)

2014-09-25

[]

中尾則幸君 おはようございます中尾でございます

 ただいま委員長からも御報告がありましたけれ

ども、質問に先立ちまして、当委員会の藤江先生の御冥福を心からお祈りしたいと思います

 私は、きょうはアイヌ問題に絞って質問いたしたいと思います

 ことしは、言うまでもなく国連が定める国際先住民年であります。少数先住民族に対する人権保障、あるいは民族伝統文化生活様式の保存、継承は言うまでもありません。我が国のみならず、今や国際的課題となっております世界的にこの先住民族問題クローズアップされたのは、歯どめのきかない自然界に対する開発政策への警鐘といいますか、反省、見直しを求める声があったからだと思います。昨年採択されました環境と開発に関するリオ宣言第二十二原則でもそのことがうたわれております先住民文化及び利益を認め、持続可能な開発の達成に向けて効果的参加を可能とするように、こういうふうに明記されております

 そこで、早速具体的質問に移りたいと思います

 まず、河野長官にお伺いいたします。

 アイヌ民族北海道、昔は蝦夷地と呼ばれておりましたが、樺太あるいは北方領土を含む千島列島和人よりも先に住んでいたという事実をお認めになりますでしょうか。

国務大臣河野洋平君) アイヌの方々が古くから住んでおられたということは、文献その他から見て通説となっていると承知しております

中尾則幸君 そうしますと、繰り返しになりますけれども、先に住んでいたということは長官も認められました。つまり、先に住んでいるということで先住民族であると。これは社会党を初めいろいろ私どもがたびたび国会の場で論議してきたところであります。この国会審議の場で河野長官は、国際的定義がいま一つである、はっきりしないと繰り返し答弁されてきました。これまでの経過の中で、アイヌ民族少数民族として政府が認めるということは聞いておりますけれども、歴史的にも先に住んでいた、つまり先住民であることは、これはもう明白な事実であります

 なぜ政府独自先住民としての定義づけをしないのか、結論国連の場に求めるのか。判断先延ばししているのじゃないかと私は思うのでありますけれども、その理由は何かお聞かせ願いたいと思います

国務大臣河野洋平君) 今先生お話しになりましたように、私どもはアイヌの方々が古くから住んでいるということは文献等によって承知しておりますが、先住民族という言葉の持つ定義というものが幾つかに分かれている、あるいはまた国際的定説がないということから、つまり国際的定説がないままにそうした先住民族という言葉を使うということには躊躇せざるを得ないものがあるというのが我々の率直な感じでございます

 今先生御指摘のように、古くから住んでいた、それはすなわち先住、先に住んでいたということではないかというふうにおっしゃいますが、古くから住んでいたことを我々は承知しておりますが、先住民族という言葉でそれを表現してしまうと、先住民族という言葉それ自体が持つ国際的なさまざまな議論がございまして、もうこれは先生十分御承知のとおりでございますが、そのどの定説に当たるかによってこれから先の言ってみれば権利義務問題その他に絡んでくる、あるいは誤解を招きかねないということがございますので、私どもとしては古くから住んでいることを承知しているということでお答えを申し上げているわけでございます

中尾則幸君 長官の今までの御答弁、衆議院予算委員会等でも同じような御答弁なんですけれども、私はちょっとここでもう一言伺いたいのは、先住のことについては認める、ただ長官がおっしゃるのは権利、いろいろな権利が発生してきます。その問題長官は言っていると思いますけれども、私は先住権について言っておらないのであります

 先住民族としてまず認めない限り、今までのウタリ対策については非常に後退している。長官も御存じのように、アメリカあるいはカナダ先進諸国はいろいろな州法をもって保護あるいはいろいろな権利を認めているわけです。ですから、先住権となりますとこれは長官のおっしゃることも私はあろうかと思いますしかし、先住民族としてまず指定をすべきじゃないかと私は思っているわけです。先住権と同一にする理由はない。もちろん先住権についてウタリ協会も私どももあるんだというふうに主張してまいりますけれども、その入り口先住民族であるという認定、これは政府独自の手でやるべきじゃないかと私は思っているわけです。一言お答え願います

国務大臣河野洋平君) 私どもとしては古くから住んでおられた方々に対して、それなりのと申しますか我々としての思いはございますしかし、これは委員が十分御承知のとおり、国際的なさまざまな議論が今、とりわけことしはそうした議論の年でございますからさまざまな議論があって、これを国際的な通念として固めていくという議論が行われている年でございますだけに、私どもはその議論の間でもう少し慎重に我々なりに議論をし、国際的議論との関係についても慎重に検討する必要があるのではないか。これは日本憲法その他とのかかわり合いもございます。そうしたこともあって慎重な検討必要ではないか。

 これも私は恐らく先生と同じ気持ちだと思いますが、古くから住んでおられて経済的にも大変御苦労をしておられるこうした方々に対する思い、気持ちというものを私は持っております。持っておりますが、そのことと国際的議論との間には少しま検討しなければならない余地があるのではないかということを事務当局がこの問題をずっと議論をし研究をしつつある中で感じているわけでございまして、私は古くから住んでおられることを認め、そしてこうした方々が今非常に厳しい環境の中におられるということも私自身は承知しながらも、固有名詞としてそれを使うということについては非常にちゅうちょせざるを得ない状況でございます

第126回国会 決算委員会 第6号

平成五年六月十四日(月曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/126/1410/12606141410006c.html

2014-01-11

「開発」と称する破壊

日本政府は、西アフリカ地域にまで行って金銭的支援約束したそうだ。そのころ、中央アフリカ南スーダンでは大惨事最中である

ちなみに、支援といって金銭や食糧などを送っても、ODAなどではおよそ末端の庶民にはほとんど届かないそうだ。為政者役人などがまたぞろ中抜きしていくからであるもっとも、今般の西アフリカ支援というのは、「開発」が目的であるから、おそらく国家的な産業振興で、土建屋工事や、大規模なプラントや採掘現場などに費消されるのだろうが。いま福島第一原発では、作業員がもらうはずの手当も中抜きされてヤクザにわたっているそうだ。しか世界では、ヤクザどころか、国家権力関係者公然と抜いていくのだろう。

ところでその西アフリカであるが、いま、ライオンが激減していて、絶滅しかねないほどだそうだ。

「開発」、さらに近年は「持続可能な開発」(sustainable development)というのが流行っている。国連など国際的にさえも、「開発」というのが強調されている。しかし、人間からすれば「開発」であって産業経済の点で実に都合の良いものであろうが、「開発」の実態はつまり地球破壊生物殺戮であることが多い。

正直に言って私は呆れもするのだけれど、そもそもヒトというのも動物であり生物であり地球の一部であり、たとえて言えば地球細胞みたいなものだ。その「細胞」が、母体を傷つけている。どれほどまでにヒトの自我や欲求や生存意欲は膨張していくのだろう。端的に言って、癌だ。

世界人口はどんどん増えていき、地球では暮らしていけないところにきている。だから宇宙開発」にも躍起だったりする。地球外で暮らす方法だとか、月や火星の探索、さらには資源を掘り当てようということまで研究中だ。

日本のいまのひとたちはよく「ガマン」と言うけれども、人類客観的にみて、ちっとも辛抱していない。だから、私からすると、呆れるし、滑稽にみえるのだ。

2013-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20130922090744

「スモール・イズ・ビューティフル」エルンストシューマッハー著。

あるいは、持続可能な開発(SD)という概念が、答えになるでしょう。

2013-04-28

結果を求めず、結果を診る

仕事が楽しくない!ってそこのオマエ。

仕事が楽しくないパターンには色々あるけど、一番多いのがこれだよこれ。

結果ばかり求めて結果を診れてない人間が多い。

これが出来ないから楽しくないんだよ。これが出来れば楽しくなるんだよ。

うつ病乗り越えて仕事を楽しみにした俺が言うんだから間違いない。

そこそこいい大学からブラック企業に入ってうつ病になるも仕事を楽しむコツを見いだし今は悠々と転職の準備までする余裕がある始末wこれだから人生はやめられない。

まり結果を求めるのはダメって話よ。ダメものダメって気付かないといけない。

フェラを求める人間が本番やれてもフェラ出来ないのを不満に感じるだろ?それといっしょ。

社会人よ、フェラばかり求める男に仕事は楽しめないぞと。

結局、結果を求めるっていうのは1つの結果ばかり求めて、他の結果とか副産物には全然目がいってない。

結果ばかり求めて目がイッてるんだよ。だから本番でイッてもフェラでイけなかったとブーブー言う。

まずは結果を楽しもう。1つのアクションをとったとき、1つの活動をおこなうとき、さまざまな結果が得られている。

結果より過程が大切って箴言(しんげん。いましめとなる短い句。教訓の意味をもった短い言葉格言。「―集」)があるだろ?

結果を求める人間には1つの結果しか見えない。その結果がでるまで不満が続く。結果がえられずじまいになるともっと不満になる。ほかにいい結果が得られても所望する結果が得られないと「やーです」。だから楽しくない。

フェラ男みたいな社会クズになるんじゃないぞと。

まだ話は終わらんよ。結果を求めるサルから脱皮して人間になったところで、やっと他の奴らに肩を並べたに過ぎぬのだ。

結果を診るというものの考え方ができる男になろう。

羽生三冠も近著「捨てる力」で行動の節目節目で振り返る習慣を説いていた。我々も羽生にならないといけない。

おすすめは15分。15分区切りで時間を考えろ。そして15分ごとに出来事を振り返る習慣をつける。振り返る暇のない時はまとめて30分か60分振り返るのでもいい。とにかくなるべく15分で振り返る。

振り返るのは人生の基本。ただ振り返るだけじゃなしに、結果を診る。これが出来るかどうかだよ。

結果を求めて結果を診る人間も世の中多い、だがしかし、結果を「求めず」結果を診る人間果たして世の中にいるだろうか?いやいない。

からこそ、それが出来る人間価値が高い。

社会学やってると集団の中でどんな人間重要役割果たすか常に考えて周りを見るクセがつくだろ?リーダーは必ずしも最重要ではない。

リーダーに助言するメンターのほうが重要なことも多い。リーダーは舵取りに忙しくて結果を求めがちだ。だからこそ結果を求めず結果をみれる人間大事なんじゃよ。

リーダーもそういう人間を求めている。つまり仕事が楽しくなるだけでなく、会社に貢献できる人間にもなれる。そういうことも考えに入れておくのがいい。

結果を求めず結果を診るっていいことだらけだな!でもやっぱり一番嬉しいのはやりがいを感じて生きる技術が身につくこと。

世の中にはヘイトスピーチって言って憎悪に基づく発言しかできない人間がいる。ストレスと憎しみと怒りが貯まっていて、それが解消できない限り、何やっても楽しくない。

憎悪を吐き出すことが唯一のストレス発散になってる重症患者までいる。あいつらは生きがいやりがいがないんだと思うわ。やりがちを感じる方法を教わってこなかった。

それも当然、だーれもそんなこと教えてくれる人いないんだものw 自分で気付くしかない。

結果にもいろいろあるし楽しみにもいろんな形があるってことに気付かないといけない。セクロスだけじゃなくラクロス楽しい

君の好きなクロスは何クロスと聞かれてセクロスしか答えられない男にはなるな。ラクロスのできない男には絶対嫁にやらん。

ヤってもやりがいがないようでは離婚もやむなしだから仕事のできる男は遊びもできるしセックスもできると相場が決まってる。

どれか1つでも出来ない奴は、じつは全部できない可能性が高い。それは何故できないのか考えてみれば分かる。

結局うまくいかないのは楽しくないから。やりがいを感じられないから。才能とか環境とか言い訳にするのは弱者の思考。才能とか環境は100%いや65536%関係ない。

プログラミングも一緒。どの言語やればいいですか。投資も一緒。どれ買えばいいですか。

そういう質問をいついつまでもやってるようじゃアホ。社会人2年目になっても言ってるようじゃ見込みなし。

結局のところ1つの言語できない奴はどの言語もできない。そこにいい加減気付けと。

結局のところはやりがい。そのために結果を求めるな。結果を求めるのは楽しくない人間のすること。つまらない人間のすることは何やってもつまらない。

楽しい人間は何やっても楽しい。美事なまでにはっきり差がついている。

結局のところは結果を診れるかどうか。フェラしか眼中にないイッた目じゃなしに濁りのない新鮮な目で結果を診る。

結局のところはそこなんだよな。わずかな成長、ささやかな結果を喜べる人間しか成長はありえない。

結局のところ続けられないと意味がない。多様化高速化時代、結果を求めるのはもう古い。小さな成長を細かく診てやりがい感じないと継続はむずかしい。持続可能な開発も難しい。

いろんな人間の言うことに騙されてはいけない。結局はやりがいなんだから。結局はそこなんだから

なんでうまくいかないんだよと自問しながら鏡に向かうがいい。頬はやせこけしかめっ面。そんなんでうまくいくわけがない。パワーが圧倒的に少ない。

うだつのあがらない会社員って決まってしかめっ面してるだろ?そして生きるパワーが圧倒的に弱い。

大学の頃を思い出すんだ。テンションが高ければ何でもうまくいくと信じていたあの頃を。あの頃を思い出すんだ。

枯れてる場合じゃねえぞ。しっかりやれ。

なぜパワーがないかはもう言わなくてもわかるな?言わなくても分かるけど、あえてなぜパワーがないかと言うと、それは結果が見えてないから。

たくさんの結果が得られているのに気付いてなくて、いついつまでも結果を求めてる。高望みしてる奴。夢物語をみてる奴。いつまでも不満を抱えて何が楽しいんだろう。

何をするにも「ご褒美」が得られないんだから楽しいけがない。すごくシンプルなこと。

才能とか環境関係ない。ただ結果を素直に診るだけ。そうすれば報酬が得られる。報酬を感じる回路が使ってなくて腐りきってるんだよ。だから鍛え直さないといけない。

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