はてなキーワード: 大公とは
http://www.sankei.com/politics/news/170703/plt1707030091-n1.html
識者はこれをどう見るのだろうか。
元都副知事で明治大公共政策大学院の青山●(やすし)教授は「選挙直前に代表に就任し、終わったら退くというのは筋書き通りという印象を受ける」と話す。
「公平性や中立性が求められる執行機関の長の立場でローカルパーティーの代表を続けるとは思えず、辞任は必然。知事は9割が行政官で1割が政治家。裏切られたという声は理解できるが、選挙期間中は政治家としての顔が前に出たのだと思う」と分析した。
中央大の佐々木信夫教授(行政学)は「知事主導で政党を作り、代表となって議会の勢力を変えるという行為はやり過ぎで、二元代表制のルールから逸脱していたと思う。形式上辞任したことは、けじめとして評価する」とする。しかし、「腹心の特別秘書を新代表としたことは実質上、小池氏の影響力を維持することにみえる。有権者としては複雑な気持ちかもしれないが、影響力は変わらないと思う」と今後を予測してみせた。
あたりまえだがこれが識者の反応と批判
終末のイゼッタは視聴後の余韻が心地よく毎回楽しんで見ているので、中間報告ってことでメモを残しとく。
今期のアニメを見ている本数は数本なんだけど、このアニメは続きを一週間じっくり待ちながらリアルタイムで見て良かったと思う。はじめは「原作なし」と知らなかったので、「どうせ原作読者は結末知ってんだろ」と思いながら冷めた気持ちで(姫様目当てに)見てたんだけど、オリジナルと知って俄然結末を待つ楽しみも増えてる。
で、このアニメの魅力は綺麗な暴力性とカワイイセクシャリティとの2点に尽きると思う。
綺麗な暴力性のところは、言うまでもなく戦争と兵器。ネットを見ると比較的ミリオタ諸兄には好評の描写が多いんだけど、私はそのへん知識も見識も無いんで評価できん。ただ、実在らしい兵器を使って戦争っぽいことしているのを見るのはスキ。このアニメを思わず見入ってしまうのは、リアリティは差し置いて戦闘するイゼッタの立ち回りがとっても綺麗に纏まってるからなんだよね。剣で戦闘機を貫き、槍で戦車を射止め、対物ライフルに乗ってそれを発射する。そうかと思えば、剣で戦車の砲弾を弾き返し、戦車を横転させる。ついには、空母のエレベータに魚雷を打ち込み轟沈させる。次々と手を変え品を買え、視聴者に息をつかせぬ映像を見せてくれたと思うけど、バトル物に目の肥えた諸兄からはどのように見ているのだろうか。
ついでに言っておくと、兵器の部分は表層的な暴力性と映像の快感だけじゃなく、アイデアとしてもきちんと練られているんじゃないか。魔法というフィクションを利用して物語を進めながら第二次世界大戦とか現代の兵器やらからアイデアを入れてまとめ上げているのは見ていて本当にテンションが上がる。空を飛びながら戦車を一方的に攻撃するのはイラク戦争での航空機からの映像を彷彿とさせるし、魚雷を連れて地面スレスレを飛ぶのは湾岸戦争でみたトマホークじゃないかと思って思わず関心してしまった。
「性的」の部分はフィーネもとい早見沙織大公とイゼッタの百合絡みだよね。百合は物語の本筋としては関係ないし、それを作中で意識されることもないが、視聴者としてはこれは最高と感じてる。当然のようにレズっ気を発露する女王様とイゼッタ達は見ていて落ち着くんよ。フィーネとイゼッタのどちらかが男だったら、ゴチうさのような安心感を戦争アニメで見ることはできないよね。つくづく思うのは、アニメキャラってのはカワイイだけじゃやっていけない時代になったんだなあ、声優のように積極的に百合営業していかないとアッピールできんのかいなあ、としみじみ思う。
まとめると、「パワフルさ」と「ちょっぴりエッチ(百合)さ」、男の子がスキな要素を大盛りで盛り込んだアニメが終末のイゼッタなんだろうと思う。つぎはどんな魔法(兵器)でワクワクさせてくれるのだろうか、そして物語の結末はどうなるのだろうか。そんなふうに期待しながら次回を待ちわびている。
個人的にはオタク向けのアニメとして、よく纏まった作品、あるいは佳作レベルとして十分魅力的になる可能性を秘めていると思う。あとはストーリーのまとめ方次第だと思う。今後の展開にワクワクしてる。
暴力としての戦争という快感、かわいい美少女、そして「これトマホークじゃん!」と突っ込む楽しみを提供してくれたこのアニメに期待している。
古参Ingressプレイヤー@田舎なので、数年前からこつこつとポータルを申請をしてきた。
申請したポータルが実際に生えるまでには1年以上かかったりする
もともとIngressのポータルというのは、不思議パワーのXMとやらが湧く場所という設定になっている。
XMはヨーロッパで発見され、古代からあったが初めて観測されたという未知のエネルギー。
そのエネルギーが湧いている場所を調べると、やはり古代からあり、人の集まる場所でパワーを
貰い続けていた仏像、神社、お寺、銅像、建物、もしくは人が集まる場所のシンボルマークだったと。
なのでナイアンテックがポータルと認めてくれたのは前述のものが多く、神社仏閣祠だけはたくさん
最初はほとんどなかったポータルがみなの協力で増えていく様は嬉しかった。
地元の大きなテーマパークなどは、複数のポータルが生え、いわゆるファームと呼ばれるものになる。
ファームとは、ポケモンで言うポケストップが密集して生えている場所のことで、アイテムが移動しなくても
ざくざく手に入る。
人が集まる場所は、ポータルのレベルも上がるので、強い武器もこのポータルから手に入るのだ。
田舎Ingressとしては、ファームの存在は必要不可欠に近い。
一つ一つのポータルの距離が遠く、密集地ではないと安定してアイテムが手に入らないからだ。
ポケストップと違って、一個のポータルは4回ハック(ポケストップでいうクルクルしたらアイテム手に入るアレ)
したら数時間使えなくなる。
そこで密集地に、ハック許可回数を増やすアイテムを入れ、一回ハックした後次にハックするまでの時間が短くなる
こうして人が集まると、もちろん「気持ち悪い」と言われることもある。
それを防ぐため、Ingress界隈では全体的に「ルールを守ろう、マナーを守ろう」という風潮があった。
Google+などで、地域の公園の閉園時間などを周知し、それ以降入らないように徹底。個人宅に生えたポータルは、
白ポータルにするように両陣営で協定を結ぶ。等々。(削除申請は出すが、許可されるまでの間の話)
知らない人が破ったら、COMMと呼ばれる全体チャットで注意。COMMでも定期的に、進入不可ポータルの告知。
それでいままで自分の地域では、トラブルは起こったことはなかった。トラブルが起こった地域もあっただろうが、
それはそれで地元エージェントの自浄作用が発動したはずだ。解決できたかどうかは別としても、トラブルはだめだ、
ポータルのある場所に迷惑をかけない、という雰囲気はIngress界隈全体にあった。
そんなところにこのポケモンGOがはじまり、自分たちがポータルをはやした公園やお寺、神社などに大量に人が
湧くようになった。
10時に閉まる某国宝オブジェには夜中に大量に人がうろついた。
Ingressと違い、GOにはCOMMのようなチャットがない。おかしなユーザーに「やめてくれ」と伝える術がない。
そして人が増えすぎ、自分たちが使っていたファームは、立ち入り禁止になった。
ポータルが多くて、よく経験値稼ぎに利用されていた場所も、GO禁止になった。
そして、それらの土地の管理人や、市の人間などが、「こんなところにポケストップをはやすなんて迷惑だ、不謹慎だ」
と怒り始めた。
迷惑も不謹慎も何も、もともとそういう場所に生えるのがポータルなのだ。
Ingressの時にはなんら問題になっていなかった。問題になる場所(個人宅の庭など)は、ナイアンテックに削除申請は出した。
ポケストップで流用されたポータルのデータが突然、不謹慎だといわれ、自分たちが足を棒にして申請しまくったポータル(ポケストップ)は
ポケモンGOに移行した人もいるだろうが、よく使っていた場所が次々使えなくなっていくのだ。
いくらIngress禁止とは言われていなくても、GOが禁止ならIngressはいいだろう、なんていうわけにいかない。
下手にその場所で頻繁にプレイするとIngressも禁止されてしまいかねない。
ファームが使えなくなったのが痛い。痛すぎる。
ハングアウトでは、「地元ファームが使えなくなったので、車で1時間かけて隣県のファームに行くがここもいつまで持つのか」という悲壮な
声が聞こえてくる。
ゲームの敵プレイヤーにファームを壊されるのはいい。そういうゲームだからだ。だが、こんな理由でファームが使えなくなると思わなかった。
どうしてこんなことになったんだ。
ポケモンGOが問題を起こすのはポケモンの話だろう。元のデータを作成したIngressが、巻き添えを食らい、せっせと培ってきた
ものをぶちこわしにされた。
それこそ漁獲量を守って珊瑚を取っていたのに、どこからともなく現れた変な漁船が根こそぎかっさらっていくような気分だ。
やめてくれといっても言葉が通じないので伝える術がない。
ナイアンテックの失敗は、ポケモンGOにIngressのようなCOMMを設定しなかったことだと思う。
「その公園に9時以降に入っちゃだめだよ」と伝えることが出来ない。
ポケモンGOのプレイヤーだって、閉園時間など特に考えてないだけで、きちんと言えば、わかってくれると思う、思いたい。
残された地元の巨大公園に今は人が殺到しているので、ひょっとしたらこの場所も使えなくなるかもしれない。
地元のIngressが死ぬのはプレイヤーががっつり減ったときだと思っていたが、まさか黒船来航のせいだとはおもわなかった。
こんにちはれいむだよ。ゆっゆっゆっ。
カフェ探訪記事も3回目だよ。こんなのが続くと思ってなかったかられいむもびっくりだよ。まああまあまさんは生活必需品だから仕方ないよね。
さて第一回ではITC(意識高いカフェ)、二回ではIHC(意識低いカフェ)を紹介したんだけど今回紹介するのはそんな「意識軸」にカウンターを加える存在だよ。カフェ業界にはこの「意識軸」に対応する思想としてニューウェーブであるKOFC(これが俺らじゃ普通だからカフェ)という潮流があるんだよ。
具体的に言うと地方色を押し出したカフェだね。意識が高いとか低いとかは関係ない。俺たちのシマじゃこれがデフォルトスタンダードだからね。自然体だから。そういう主張を武器に展開するカフェです。
まあITCってものそのものが、欧米的なKOFC主張(NYじゃこれが普通だから、パリじゃこれがスタンダードだから)をありがたがって舶来輸入したという背景が無きにしも非ずなので、れいむも水筒をじゃばじゃばあらってラテを入れてもらってありがたく職場に帰ったりもしたものだよ。
どうでもいいけど、そういうことをやってると、竹筒を持参した氏子さんに御親水を入れてあげてた巫女時代を思い出すね。ゆっくりしたライフだったよ。境内の日蔭部分に竹ベンチを作って、そこで竹水筒(バンブーボトル)に自家製麦茶を詰めてあげれば500円くらいとれるんじゃないかな。神社が近所のひとびとの喫茶ポイントになる画期的アイデアだと思うんだけど、なんでそういうの無いのかな。あ、そか。Wifi環境と電源が必要だからか。むずかしいね。
話が脱線しちゃったよ。
今回は国内KOFC(これが俺らじゃ普通だからカフェ)の雄「珈琲所コメダ珈琲店」にやってきたよ。国内の喫茶店文化の中でも異形の進化を遂げたギアナ高地ナゴヤから現れたニューヒーローだよ。
れいむが普段通っているのは都内僻地にあるコメダなんだけどね。
どれくらい僻地かっていうと近所の住んでる住民ですらそこが都内だとは意識してないというような場所にあるんだ。この地域にある都内有数の巨大公園は首なしライダー都市伝説発祥の地として名高いよ。
さてそんな地域にできたコメダ珈琲なのでヤンクのたまり場になっているかというとそんなこともなく、客の過半数は老夫妻、老婦人数人連れという落ち着いたものだよ。男性老人が老眼鏡をかけて新聞をにらんでいたりもする。
コメダ珈琲の思想性はメニューを見ても明らかだけどコーヒー豆の種類とか女々しいことは言わないよ。そんなの選ばせたって庶民はわからないもんね。こっちでブレンドしたのを飲めって感じだよ。アイスコーシーかアイスオーレでいいんだよ。ゆっゆっゆっ。
れいむのおすすめは「たっぷりアイスオーレ」だよ。ガムシロは事前に入れてもらえるよ。大きな金属マグカップに入って出てくるんだけど、このマグカップは中空断熱だとおもうよ。いつまでたっても氷が解けないからね。
コメダと言えばモーニングだとか大盛りだとかハンバーガーでかいとかなんだけど、このへんは実をいうとそこまで感銘を受けなかったよ。最近どこのファミレスでもモーニングを500円前後でやってるしね。ボリューム勝負をするのであれば大差はないよ。コメダのイートメニューの美点はその気取りのなさで、サンドイッチもバーガー系も、自宅で惣菜をはさんだような素朴なおいしさがあるよ。
客層に反してここのコメダも全席にコンセントがあるので、れいむはれいむのカフェ日記を書くこともできる。いたれりつくせりだね。やったー。ぴょんぴょん。
などとここまでコメダ珈琲を普段使いのできるカフェとして持ち上げておいたけれど、隣の席に女子中学生集団がやってきてかき氷を食いだしてから霧散しちゃったよ。うわー。引くわ。どんびきだわ。
女子中学生が「やべえ」「まじやべえ」っていってるよ。普段だったら「お前たちの語学力がまじでやばい」と突っ込む(内心)だけど、横目で見たられいむも「あれはやばい」って呟いちゃったよ。
コメダ珈琲のかき氷はレギュラーサイズとミニサイズに100円しか差がないから、そりゃ、それくらいならレギュラー食っとくかと思う。みんなそう思う。その考えを察知して、レギュラーを下痢確実なサイズに巨大化するのは、れいむどうかと思う。罠なのかな。
割とかわいい女子中学生三人組がお腹をさするカフェという意味不明を目撃してしまったよ。
そんなわけでれいむのカフェ探訪3はおわりだよ。
機会があったらまた報告を書くよ。
http://d.hatena.ne.jp/chuunenh/20131211/1386766614
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
承認欲求!
承 認 欲 求!!!!
また懐かしい言葉ですね。shとみたら勝手に指が承認欲求って打ち込んでしまうくらい、書いた記憶がございます。そう、はしごたんがはてな村に君臨していた頃のお話でございます。
はてなダイアリーがはてなブログに変わって人が流入し、何やら色々リセットされたようですが、基本的にやってることは昔のまま。サードブロガーとか洒落た名前を冠しておられるようですが、その昔にはてな村のステージで喧嘩をしていたあの人達が世代交代しただけではないかと村人は思うのであります。
昔のはてな村にはそんなものが溢れておりました。そしてそれこそがイナゴの大好物だったのでございます。隙をみつけたイナゴは、まず先陣三匹が隙から皮を食い破り、続く怒涛のイナゴたちがブロガーの自意識を食い破ってかれらを発狂させます。そうして何人のブロガーが腐海に沈んだことか…
ちなみに隙のない文章はプロでもそうそう書けないものなので、ブログが流行り始めた頃からネットには「隙だらけ」の文書があふれていました。当時のブログはどこもたいていトラックバック機能を有しておりましたが、これが機能していたとはいいがたく、また今よりもサービス間の連結は疎であったため、自浄作用がはたらきませんでした。しかし、2005年、はてなブックマークがリリース。これにより大量発生したイナゴがゴミを食い荒らし、ゴミをまき散らしうるブログを潰していったのです。これこそが、はてな村が敬遠された理由でした。イナゴにとってはゴミですが、ブロガーにとってそれは宝だったからです。
彼らが自分のブログ・文章を批判されると凄く傷ついてしまうのは、
彼らにとって、「自分のブログ・文章」は、「自分そのもの」だからなのではないかと思っている。
対してやまもとのような古参民は違う。「 自分の信念・感情・思考 → (変換) → 自分の文章・自分が提出したデータ 」にしている。
残念ながら、自分の信念や感情と文章を切り離せるのは一部のプロあるいは釣り師のみ。あのumedamochioでさえ書評を批判されて発狂したのです。基本的に人は、文章と自分を切り離せません。切り離せると思っているのは幻想に過ぎず、またかれあるいはかのじょがそれを無視するだけの尊大な人間であるためなのです。
しかしどうも新参ネット民やデジタルネイティブはそうではないようなのだ。
彼らはまず自分の人格・個人をババーン!と世界に大公表して、それから情報のやり取りを始めるのではないのだろうか。
これは明らかに誤謬ですね。
はてなイナゴとともにはてな村で踊り狂った一族は、個人の内面をまずさらけ出していました。イナゴはそれが大好物だったので、あっという間に飛びつき、貪り食ったものです。そしてそれに火を放つものがおり、さらにイナゴがどこかから飛んでくる。それがはてな村でした。この騒動のなかでひとつ残った言葉が、承認欲求。まるで南無阿弥陀仏を唱えるが如く、一時期は承認欲求の文字がどこでもつぶやかれていたことを懐かしく思います。
思うに、はてなブックマーク時代以前は、mixiのようなSNSで個人情報を垂れ流すか、オープンな全く自分の尻尾を掴ませないか、そのどちらかしかなかったのです。mixi似つかれた人々は穴蔵から這い出し、オープンな世界で自由を謳歌したかのように見えましたが、個人情報を守れど自分自身の中核を守るすべは知らなかったのです。個人情報さえ守れていれば、大丈夫。彼らはそんなふうに思い、SNSの中と同じような活動を使用としました。そしてネットイナゴに食いつくされたのでした。しかもネットイナゴは彼らにとって見ればまさに承認であり、欲求を満たしてくれる救いでもあったのです。
データのやりとりのみを行う方法を知っているのは、SNS発生以前、ブログ黎明期よりもまえにオープンな場所でそだった野生児だけでありましょう。野生児と非野生児はコミュニケーションが取れないものです。そして野生児は少数派なのです。
ちなみに2005年のはてなブックマークリリース後、2006年から2007年にかけてはてなが盛り上がった頃、はてな村界隈ではこのような人々が活躍していました。例に出したのは一部です。どこに入れたらいいかわからなかったネコプさんとかは省いています(あとはいろいろ忘れた)。あとはてな村の外側には大学生自治寮やギーク平原、狼集落などが点在しておりました。
この後、はてな村は別都市の興隆や再開発によって解体・分解しております。とくに2007年以降は、突っ込まれるのは面倒だが承認欲求がほしい人々は増田へ、キャッキャウフフしたい人々はTwitterへと移民していき、イナゴも人の流れに従ってあちこちへ分散していってしまいました。そしてはてな村は生き残った強者だけがつぶやく廃村となったのであります。
ココロ社さん
メレ子さん
はまちお兄ちゃん(Hamachiya2):猟師
てらじさん(TERRAZI):Operaの人だがたまにはてな村に絡む
シナ千代兄さんの場合はてなの図解まとめ人なのだが、なんかはてな村とは適度に距離をおいている感じがする。多分メタだからだろう。
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060217/p1
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060912/p1
あたりは今でもそのままって感じ。
パル氏(pal-9999):的の外れた男女論のためたびたびブクマで炎上。思想はマッチョ。本人は炎上商法のつもりではないのかも
萌え理の人(sirout2):ライフハック系。あんまりはてな村ではない気もする
タケルンバ卿(takerunba):ライフハック系。でもなんか非モテあたりと親和性が高かった気がする
にちのさん(nitino):メンタルヘルス
まさおさん(Masao_hate):非コミュ
ulululunさん:こじらせ
republic1963氏:非モテ
フルカツ氏(furukatsu):非モテ急進派
じゃんくま氏(junkMA):単著もないのに
ここらへんが動くとohnosakikoさんがメタエントリを生成
ともむん氏(tomo-moon):ミサンドリ→結婚後おとなしくなってたが最近は鬼女として復活か
えっけんさん(ekken):なんかよくわからないが炎上してるとまとめに飛んでくる人
蟹亭主さん(kanimaster):揉みごとの人
加野瀬氏(kanose):なにしてるかよくわからないが村長らしい ←すみません素で名前間違えました
花見川氏(ch1248):何故か炎上する武闘派。非モテ(非コミュ?)から後にニコ動画系へ
ふぁー/ぴーは/ぴゃーさん(pha):この頃はネオニート一年生だった
の、のぶたんのこと忘れたわけじゃないんだからね!でもなんとなくれぶたんとセットです。
生徒問う
歴史は現代に於いて何らかの役に、皆の為にならなければ意味を為さないという風潮が現代にはよくあると思います。
しかし、先ほどのベルグソンのお話の中で、自己流に信じていく、思い出していくことが大切だと先生は語られました。
その話を聞き、歴史の大事なところは、大きな力はそこあると思われるのですが、その点について、先生にお伺いします
小林、答えて曰く
悪い歴史観2つ
TVで役者が大公秀吉を演じてますが、あんなの秀吉じゃないですよ
現代の俳優が演じられるような男ではないですよ、秀吉は。よく読むとね
それと「本当はこうであった」という歴史。神武天皇なんて嘘だという歴史
歴史とはみんな信じられたものです。信じられた通りに信ずることが出来ないなら歴史は読まないほうがいいんです
これ本居宣長の説です。古事記の神話をみんなあの通りだと信じたんです。あれが神話時代の歴史であったんです
それが信じられないなら読まないほうがいいんです
白石が最近評判がいいのは、現代の歴史家はみんな「本当はこうであった」という歴史をやっているからだ
まず昔の人が信じた通りに、自分もそれを経験することが出来ないなら、歴史など読まないほうがいいのです
現代の歴史家で、そういう点を一番徹底しているのはクローチェです。彼はこう言ってる
歴史とは現代史だ。現代人が、ある史料を以て過去に生きることが出来るなら、歴史家と言えるのです
だから君、貝殻を生きることは出来ないじゃないか(考古学的な歴史は)
昔は歴史を鏡と言ったんです。鏡の中にはおまえ自身が映るんです
歴史は現代史というのは、現代の我々が、歴史をもう一遍生きてみることが出来るという経験を指して言うのです
古事記の言うことがどこまで嘘でどこまで本当かというのは学問であっても、歴史ではない。僕の言う歴史ではないんです
今歴史という言葉が非常に流行っているけども、一番忘れられているのは、鏡としての歴史です
増鏡とか今鏡とか、どういう精神で、心持で歴史を鑑と呼び書いたか、今の人がもう忘れてしまったことが、大変いけないことなんです
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大公報によれば「CCI事件」なる汚職事件が勃発し、中国の奥の院を揺らしているという。
中国石油のビジネス活動は全世界に跨るが、賄賂、収賄、汚職がつきものの企業ゆえに、外国で当該法律に抵触するといきなり国際的な事件となる。
中央紀律委員会は専門チームを発足させて事件の全貌解明を急いでいる。チームは凄腕の摘発豪腕組が選抜され、まもなく捜査を開始するという。
容疑は166万元(邦貨換算で2500万円弱)の賄賂が下請け企業から中国石油幹部に渡ったとされるもので、米国の捜査資料に基づく(多維新聞網、8月31日付け)。容疑のかかった企業には興中海油、大唐発電、華潤電力、東方電気、中国石油物資装備公司など具体的な国有企業名があがっている。
しかしちょっと面妖な側面がある。汚職の大々的な捜査にしては賄賂の額面が少なすぎるのではないか。
すでに既報のように現在の中南海の権力闘争は十月一日の国慶節軍事パレートを前に「一時休戦」の観があるものの、本質的対立構造はかわらず、上海派+太子党 vs 団派の次期権力掌握をめぐる果てしなき確執は留まるところを知らない。
上海派が同派に属する周永康(政治局序列9位)、孟建柱(国務委員、公安を統括)などを通じて、胡錦涛の息子、李克強の手下どものスキャンダルを漏洩すると、すかさず団派は上海派と太子党の悪をあばく、いってみれば党内同士討ちだ。
上海派のボスは江沢民だが、裏で指揮しているのは曽慶紅である。
曽は自らの引退と引き替えに子飼いの太子党=習近平を後継として政治局常務委員へ送り込んだ仕掛け人。
次期後継を決定的に印象づけようと、四川省地震では習近平に現地慰問に赴かせ、妻の膨麗媛(国民的歌手)と娘を帯同させ歌唱演技などをさせたりもした。
ところが中国では家族を使う政治演出は不評を買い、団派のほうに得点があがる。また急に団派にすりよる太子党の薄!)来は、習近平なんぞより自分が上と思っているからバランス上、上海派の庇護を離れて、重慶のマフィア一斉手入れという未曾有の政治劇を演出して名をあげ、一気にレースに後継加わってきた。
団派のホープのひとり、王洋(広東省書記)や李潮源らは一歩遅れた。
こうした中央の権力闘争が背後にあって、上海派が中国石油の賄賂スキャンダルを利用しようとしているわけだが、資源外交を積極的にすすめている団派、とくに李克強は豪州訪問の成果として空前のガス輸入契約を結んで外交実績をあげたばかりだけに、異様な捜査入りは、あきらかに団派への嫌がらせととれる。
やくざ団体を手入れし地元の黒幕1400余名を逮捕、全国から拍手喝采
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薄熙来・重慶特別市党書記は、『重慶の平和と安定』のためと獅子吼して同特別市域内にはびこるマフィア、やくざ十四団体を一斉に手入れさせ、1544人を逮捕した。陳明亮、岳村、黎強らマフィアのボスを含む67名の手配中の大物も捕縛、これで悪は一網打尽と旨を張った。党の高官とやくざはぐるの地域が多いだけに、この措置が本当なら政治家のお手本として庶民の絶大な人気を得るだろう。
薄熙来の遼寧省省長時代に同地域内の黒社会撲滅に辣腕を振るった王立軍を重慶市公安局長に指名して、遼寧省から呼び押せた。王は着任早々からやくざへの手入れの機会をうかがっていた(香港紙『大公報』)。
重慶の十四の黒社会組織への捜索で、かれらのアジトからピストル48丁、弾丸900発、現金合計三億元を押収した(多維新聞網、8月17日付け)。このほか組織犯罪の銀行口座を凍結し、総額十五億三千万人民元を封鎖した。
かれらはみかじめ料を支払わない商店やレストランに放火したり、高利貸しで期日に遅れると見せしめの殺害など凶悪なことで知られ、麻薬、博打、凶器準備、売春など従来のマフィアの「ビジネス」を超えた商業活動は共産党の脅威でもあった。
とくに重慶は中央政府の特別配慮による開発予算が300億ドル。あちこちにモノレール、立体交差、政府建物、駅舎などを突貫工事、宇宙都市のような激甚な発展ぶりをみせ、同時に全土から儲かるとばかりマフィアが蝟集して利権をむさぼり、表向きは貿易、商社、銀行などを経営していた。
就中、建設土木が盛んで砂利、セメント、建材を扱う表向きの顔があった。巴南区などは黎強の組織が一手に支配しており、マフィアのボスでありながら財閥、大富豪としても知られる。なにしろ表の顔として黎強は重慶市全人代代表。陳明亮は重慶市古物商工会理事長兼地区人民代表だった。かれらの元には千もの企業がぶら下がり、不動産ビジネスの殆どを抑えていた。
また地下銀行、高利貸しビジネスでこれまでに貸し付けた額面は三百億元とも。こうなると地元警察、公安は買収されている可能性があり、アンタッチャブル。土地にしがらみのない政治家にしか大鉈(なた)は振るえまいと言われた。
組織が縄張りを決め、組織構成員は軍隊のような訓練を受け、上下の序列にうるさく、なかには昼は公務員という『白道』、夜はやくざに早変わりの『黒道』を兼務する手合いもいて「重道(白黒兼務)社会」だから重慶と自嘲気味なところもあった。
さて薄熙来である。かれは共産党大幹部だった薄一波の息子、「太子党」の代表的人物として、大連市長、遼寧省書記から胡錦涛の人事で重慶特別市書記に任ぜられた。直前までの商務大臣。来日回数も多く、かなりの日本通である。同時に世界貿易のネゴシエーターとしても活躍した。
辺地へ飛ばされて左遷かとおもいきや着々と政治的野心を秘めながらも中央への成績をあげた。
薄熙来の認識では次期総書記に有力とされる習近平よりも、自分がなる、ということだろう。野心を沸々と燃やしてきたことは華字紙でたびたび報道されてきた。
しかし薄熙来は「太子党」に勢力を扶植してはいても、上海派とはそりが悪い。だからポピュリズムに一気に打って出て、せめて次期首相くらいは射止めたい。おりしも次期首相後継最有力だった李克強に七月以降というもの、部下の汚職スキャンダルが多発し、任期急降下中でもある。
漫画喫茶とP2Pの決定的な違いは、権利者(漫画家や出版社等)と話し合う相手が存在しているかどうかにある。
漫画喫茶の場合、店舗や、それを経営している企業といった「窓口」があって、権利者側は「俺らの漫画のおかげで客が入ってるんだからちったあ分け前よこせやコラ」といった交渉が可能なわけ。そうやって話し合ったり喧嘩したりする事でお互いの妥協点を見いだす余地があるし、権利者側は最終手段として、「俺の漫画を勝手に商売に使うんじゃねーよ!店から撤去しろ!」と訴訟を起こす事も可能だったりする。多分、今現在もそういった交渉はどこかで続いているはず(もしくは既に完了しているのかも)。音楽CDのレンタルもそうやって落ち着いたわけだしな。
しかしP2Pには「窓口」が無い。権利者は、放流者に「やめろ」と言えないし、カネもせびれない(だってどこに居るのか分からないんだもん)。さらに放流停止を強制する手段も無い(一度拡散したら削除はほぼ不可能でしょ)。つまり「やられっぱなし」なわけ。作品に対する正当な権利を持っているにも関わらず、勝手にばらまかれている状況に歯止めをかけられない。だから漫画喫茶とは完全に事情が違うんだよ。
当たり前の常識を持っていれば、漫画喫茶とP2Pが同じだなんて結論には至らないはずなんだが、まあ夏休み中にあまりハメ外さないようにしとけと。妙なウィルスに引っかかって私生活をインターネットに大公開してからじゃ遅いぞ。