2013-05-17

歴史は鏡 メモ

生徒問う

歴史現代於いて何らかの役に、皆の為にならなければ意味を為さないという風潮が現代にはよくあると思います

しかし、先ほどのベルグソンお話の中で、自己流に信じていく、思い出していくことが大切だと先生は語られました。

その話を聞き、歴史大事なところは、大きな力はそこあると思われるのですが、その点について、先生にお伺いしま

小林、答えて曰く

悪い歴史観2つ

ロマンチック歴史観

考古学歴史観

両方とも歴史にちっとも触れていないからだ

TVで役者大公秀吉を演じてますが、あんなの秀吉じゃないですよ

現代俳優が演じられるような男ではないですよ、秀吉は。よく読むとね

からTVでやるような歴史観は信じちゃいかん。これ一つ

それと「本当はこうであった」という歴史神武天皇なんて嘘だという歴史

歴史とはみんな信じられたものです。信じられた通りに信ずることが出来ないなら歴史は読まないほうがいいんです

これ本居宣長の説です。古事記神話をみんなあの通りだと信じたんです。あれが神話時代歴史であったんです

それが信じられないなら読まないほうがいいんです

荒井白石のいうような寓話ではないんです。

白石最近評判がいいのは、現代歴史家はみんな「本当はこうであった」という歴史をやっているからだ

歴史を鏡にするとは非常に難しいものです。

まず昔の人が信じた通りに、自分もそれを経験することが出来ないなら、歴史など読まないほうがいいのです

現代歴史家で、そういう点を一番徹底しているのはクローチェです。彼はこう言ってる

歴史とは現代史だ。現代人が、ある史料を以て過去に生きることが出来るなら、歴史家と言えるのです

から君、貝殻を生きることは出来ないじゃないか考古学的な歴史は)

昔は歴史を鏡と言ったんです。鏡の中にはおまえ自身が映るんです

歴史を読んで自己発見できないような歴史ダメなんです

歴史現代史というのは、現代の我々が、歴史をもう一遍生きてみることが出来るという経験を指して言うのです

古事記の言うことがどこまで嘘でどこまで本当かというのは学問であっても、歴史ではない。僕の言う歴史ではないんです

歴史という言葉が非常に流行っているけども、一番忘れられているのは、鏡としての歴史です

増鏡とか今鏡とか、どういう精神で、心持で歴史を鑑と呼び書いたか、今の人がもう忘れてしまったことが、大変いけないことなんです

で、現代歴史についてもっと発達した進歩した考えを持っていると自惚れていますが、それは違います

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