はてなキーワード: 最終回とは
それと朝意君とは絶対に仲よくしとけよ。お前の幼馴染で長い付き合いの同級生とはな。
お前の優しい心に唯一ついてこれた人間だ。しかも、実はサイコパスだぞ。
お前の忠告も親切に効いている。お前が映画代をケチってレイトショーを見に行った時も少し意やだったけど、ついてきてる。
お前が昔に自分で考えた最終回は、理ゅー区が人間っておもしろってつぶやきながらひとり去っていくシーンだ。
ライトは、迫害されて意やになって自室にひきこもり、最後は自分の名前を書く。その直前まで理ゅー区と桃鉄をして遊んでたのにな。
こいつが考えてたストーリーな。これ。ちなみに、桃鉄はすぐに金が儲かるが一気に破産するシステムだ…。彼はキングボンビーが大嫌いだ。
なぜなら、彼は昔弟たちと遊んでいた時に、あからさまに買っていたのに、奈落の底に突き落とされて三位になった苦い思い出があるからだ。たいらのまさカードを作られたのも痛い。
これではトップになっても常にギーガボンビーと戦う恐怖を味わわなければならない。
こんなんメカボンビーだけじゃタリンわな。しかし、最近、桃鉄の作者は似たようなリメイクばっかりするのをやっと辞める気になったようだが、
何かのメッセージかもなあ…
増田の議論にのるとしても、ワンピースの最終回がどうなるかわからない以上、
「連載が始まった時からわかっていた」なんていえないはずでは?
「ワンピースはドラゴンボールを超えた」という人もいるけど、ちゃんちゃらおかしい。
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もちろん今のところ、ワンピースの人気は高いけど、それはただ流行っているというだけ。
どうせ連載が終わったら、「ワンピース?ああ、そんな漫画もあったな」という感じになってしまうよ。
連載終了後も根強いファンがいて、ゲームやグッズが発売され続けるドラゴンボールにはぜったいなれないと思う。
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ある漫画がロングセラーになれるかどうか、これを決めるのはみんながその漫画を何度も読み返すかどうかにかかってる。
もし読み返されなかったら、すぐに忘れ去られてしまうだろう。
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アニメ「イカ娘」は2期が製作されたのに、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」はされてない。
まあ、作ってもよかったんだろうけど、もし俺妹2期が放送されたとして、イカ娘2期の場合と同じ高さのテンションでそれを迎えられる人って多くないと思う。
「ああ、そういえば俺妹とか、あったなあ」という感じだろう。
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俺妹の1期放送中は各話を何度も繰り返し観た人も、いざ最終回を迎えた後では、俺妹に対する興味が失せてしまった、という人は結構多いはず。
たまに観返しても、「あれ?こんなアニメだったっけ?もっと面白かった気がしたが・・・。」といった違和感を覚える。
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この原因は、そもそも俺妹というアニメが「最終回が気になる」タイプのアニメだったからだ。
視聴者は、「主人公と妹が仲良くなれるか??」という緊張感を最終回までずーっと引きずってきた。
しかしいざ妹が素直になったのを観ると、その緊張感は消えてしまう。
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むしろ近年まれに見る傑作だった。
ただこういう種類のアニメは、最終回後に観ると面白さが半減してしまう。
「ペリーヌ物語」なんてのも好い例だ。
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逆にイカ娘は、緊張感がぜんぜんない。
しかも各話独立のため、1期全体を通した一貫性というのも無い。
だからみんな、純粋に1話1話が面白いという理由だけでイカ娘を観ていたはずだ。
こういうタイプのアニメというのは、放送が終わっても何度観ても面白さは変わらない。
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基本的に、俺妹のような「最終回が気になる」タイプのアニメは、最終回が終わった後は忘れら去られることが多い。
ただし例外的に、最終回が視聴者に欲求不満を残すような終わり方をするアニメは、何度も観返される。
たとえば「あしたのジョー」。
あるいは「エヴァンゲリオン」。
こういうアニメは最終回を迎えた後も「いつも心のどこかに引っかかっている」ということになる。
だからみんなふたたび観る。
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2つ目の例外として、「まだ続きがありそうな終わり方」をした漫画は、何度も読み返される。
たとえば「スラムダンク」。
もしこれが「桜木が全国優勝して終わり」とかだったら、読者はみんな心から満足して、その漫画のことをきれいさっぱり忘れたはずだ。
あるいは「ドラゴンボール」。
悟空より強い敵はまだまだたくさん出てくるんじゃないかと思わせる。
鳥山明さまの終わらせ方は本当に上手いと思う。
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さて問題のワンピース。
読者は「いったいワンピースとは何だろう?」と気になりながら読んでいる。
そしてシャンクスとの再会も気になるところ。
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こういうありったけの伏線を張っておいて、いざ最終回を迎えてすべての伏線が回収されるとき、その満足感は計り知れないが、逆にその分だけ、えらく気の抜けたことになってしまう。
だからふたたび読み返そうにも、「ああ、ひとつなぎの大秘宝ってのはつまり4つの〇のことなんだよね。」などとわかっていたら、面白さ半減もいいとこだ。
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みんなの中にはこういう反論があるかもしれない。
「私はアラバスタ編は何度読んでも泣けるよ」という人が。
しかしそれはワンピースという漫画がまだ「終わっていない」からだ。
しかしいざ終わってしまえば、「過去の漫画」になってしまうだろう。
それがワンピース。
ちげぇよ。
当時責任者としてとか、なんでそこにたどり着くんだよ。
シモンは信じてたんだよ、改変前は、人類は愚かじゃないってな。
改変後は信じてないんだろ。
信じてるから「ああ」って答えてるんだろ。
当然だと言い切ることもできなければ、祈ってくれって言っちまってる。
強い言葉で断言しない=信じてない ?
祈る=信じてない ?
「掘り下げると馬鹿の理解範囲から外れる」の間違いじゃないのか。
あと繰り返しになるけどシモンの人物像は一貫しており変わってない。
TV版の最後なんて、めっちゃ王道の熱血ロボット物だったじゃないかよw
終盤の描写は若干シリアス交じりになって、風呂敷畳んでるんだから、そりゃ大人になっていく必要はあったが、最後の決戦で全部吹き飛んでたろ。
ものすごくノイズ感のある「主人公の老い」「一線を引く」「後に続くを信ず」がしつこく盛り込まれて、
最終決戦にも影を落とし、決戦後の最終回では隠者EDまで描かれたのに、
>「最後の決戦で全部吹き飛んでたろ」
かあ。
「よくわかんなかったけどなんだったんだあれ」みたいに記憶しておく回路すらないんだな、脳に。
ちょっと気の利いたアニメならキャスティングに下手糞なんか一人も居ないわけじゃないですか。
新人ばっかり使っててもみんな上手い。
アイドルじゃねえんだぞ、ケッ! とか言いたくなるけど
圧倒的にみんな上手いからそういう批判が当たらない。
みんながめんまに気づくとこから泣き出すとこまで本当に上手かった。
あれも芸暦そんなに長くない若手声優だらけでした。
しかしこれだけみんな上手くても
数年で消えてしまう人もまたすごく多い。らしい。
その上澄みだけでもものすごい量なので、
若手声優の足場が固まる前に更に若い声優に押しのけられてしまう。のだそうだ。
下手糞もいない上手い人だらけのアニメを見て
「すばらしい!」とか言ってりゃいいけど
声優やってる人達は一部の成功者を除いてとんでもなく過酷なんじゃないでしょうか。
どうなの?
ある意味アニメーターとかより酷そう。アニメーターは仕事自体は尽きないし。
3年前にアイドル声優として人気を博してた若くて可愛い女性声優で
今も同じぐらいに売れてる人って何人もいないんですよね。
NHKがプロジェクトXやってた辺りからおかしくなった気がする。
グルメと関係ない番組で「どこそこの〇〇はうまい」とか言ってゲストが「おみやげ」持ってきたり、
「楽天で売上1位の商品はこれ!」と言って訳のわからんものを紹介したり、
「〇〇は健康に良い」って紹介した翌日にスーパーで売り切れ続出とか、
やたらロケに行ってメシ食ったりする番組が増えてきたり、家電量販店で買い物だけする番組があったり、
最終的にはファミレスのメニュー全部食うとか、コンビニの新商品を評価(うまいとしか言わない)とか、
工場見学までやって露骨に特定の企業イメージを上げようとしたりしてる。
トーク番組のゲストは、ドラマか映画かCDか書籍のプロモーションで来てる奴ばかりだし、
ドラマも最終回で劇場版に引っ張るような終わり方をして、結末が気になったら映画まで見なきゃいけなくなったし、
アニメなんて本編がまるごとDVD、BDやキャラソンCD、原作のラノベ、漫画のCMみたいなものだ。
制作費が減ったせいなのか知らんけど、最近のテレビは1日じゅう芸人がコマーシャルやってるような番組ばっかりだ。
ステルスマーケティングというか、露骨すぎてステルスにもなり損なってる。
そりゃ番組単体のクオリティとか関係ないだろ、CMなんだから。
こっちも普通の口調にしよう。そして自分がなぜこの辺りの話に疑問を抱いたか議論で説明が付いたからこの辺で終わりにするかも。
自分の考えでは二次創作を含む文化簒奪は、それ自体が悪なわけじゃない。文化簒奪は「オリジナルの価値を損ねる」時に初めて悪になる。
二次創作が許容されるのも還元ではなくそのポイントで、オリジナルをなぞった作品は拒絶される。ぷよぷよの配信は許諾されて、ノベルゲームの配信で激怒するのもオリジナルの価値を奪うからだ。ドラえもんの最終回が訴えられたのも、あまりにオリジナルに近づきすぎたからだ。ポケモンが訴えられたのは、子供向けの健全なゲームというオリジナルのブランディングイメージを汚したからだ。ときメモビデオはコナミの過剰反応もあるが、仮想の彼女と付き合うというオリジナルのコンセプトとバッティングするものだから、という説明が付く。グロやレイプの同人誌が許されるのもそれがオリジナルを離れたもので、還元することはなくてもオリジナルの利益を奪うものではないから。
翻ってカオスのコラージュ作品はオリジナル文化へのリスペクトこそないものの、オリジナルからは到底かけ離れたもので「オリジナルの利益を損ねる」ものではない。ゆえに許容されても実害はないとしか思わない。(水かけアートは許さん)
ただ憎む気持ちは理解は出来る。
文化圏同士の戦争は、論理ではなく感情のレイヤのもので、結局「俺の文化のものを奪うな」の一言で片付き、理屈を後付けすることにはほとんど意味がないように思う。
あのタイトルにしては十分な「心の準備期間」はあった。俺もそれとなく「そろそろPS3買おうぜ!トルネとか便利だし!」と何度か勧めた。
が、結局今日まで友人は動かなかった。そしてあの有様だ。
色々と予兆はあった。
他のメーカーもこの傾向が色濃く、中にはマルチプラットフォームからPS3独占に切り替えたり、海外ではマルチプラットフォームなのに国内ではPS3独占(箱○版の発売は無し)なタイトルも出てくる始末。そんな中であのタイトルだけが箱○に縛られ続けるなんてどう考えてもあり得ないだろうに…。
一昨日の発表以来、俺は友人にはこの件には全く触れていない。昨年9月の件を乗り切った奴だが、果たして今回はどうなる事やら。
「あの花」最終回、もやもやするものが溢れてきて最後まで見れなかった。
誰が好き、誰が振り向いてくれない、理解できなかった、理解できた。
恋愛感情のあれこれを真っすぐに出しすぎなところが、もう無理。
録画を一時停止しながら、ゲームして気持ちを切り替えながら見てたけど、つることあなるのやり取り見てる途中で消してしまった。もう一度見返すこともないだろう。
もうすぐ30歳にもなる傷だらけの心に、傷が一つ増えたところでなんも感じないから、チビハゲキモイと罵倒されても、優越感ゲームのために馬鹿にされても、誘いをむげに断られても笑って流せるけど、あのやり取りは無理、逃げ出したくなるし実際逃げたし。
スポーツとか勝負事に関する嫉妬とか悔しいとかは理解できるし一緒に泣けるんだけどなぁ。
まともな恋愛してない年齢=童貞だから、逃げたくなるんだろうか?
好奇心からいろんなことにワクワクすることはあっても、人間関係で感情が高まることに年齢的にももう耐えられない。25くらいまではわりとそれも楽しめたのに。
やれSFだとかそれファンタジーだとかいけ魔法少女モノだとかまたゼロ年代だとかいう文脈で語られるまどか☆マギカ。
だけど私は思う、まどか☆マギカは徹底的なリアリズムだ、第三話以前と最終回を除いて。
もっとも、その除かれた物も、現実の只中にある視聴者が希求してやまないものだった。
一部の人間は日常の延長としての水着回を、あるいは美化された青春に永く留まっていたかった。
現実を突きつけられた視聴者は少女たちの救済を願って止まなかったし、事実それは達成された(視聴者の意図とはずれようとも)
少女たちは友人の死、避けられない宿命、隠されてきた歴史、対価と代償、資源枯渇の様々な現実を見せつけられ、翻弄された。
そしてそれは「よりよい終末」という政治的な解決(そしてそれは因果律を書き換えるほどの困難)によって救われる。
さて、なぜこれがリアリズムなのか。
数年前、蟹工船がブームになったのは、まだ記憶に新しいだろうか。
内容や当時の潮流などはさておいて、平成の世にまたブームが巻き起こるのは当然理由がある。
もちろんそれは今でも色褪せぬ現実がそこに描かれていたからにほかならない。まさに共感による再燃である。
つまり、文学的、思想的な背景は無視され、そこに描かれた現実のみが人を動かしたのである。
むろん、そこからの解釈は薄いと言わざるを得ない。表層的な一致が、ブームにつながったのだから。
しかしながら、それは今となっては関係がない。理解の程度はブームとは無縁なのは、バナナダイエットが示したとおりである。
さて、リバイバルヒットというのは、ときに悲しい事実さえも教えてくれる。現実は変わっていないということだ。
悪く言えば、成長していないということでもある。
いつか働かなくても生きていける社会が来ると、望んでは嘆き、を繰り返す。
そしてまた時が経って再評価されるのである。
いつか、まどか☆マギカが忘れられたときに再評価されるだろうか?
それはわからない。
報われない彼女らと、報われない私を重ねて。
あんまりネタばれするのも好ましくないから多くは語らんけど、少女の願いがなんちゃらかんちゃらの部分はほむほむの腕に装着されたほむスピナーとQB、および「まどか以前の魔法少女」と最終回以降のアレでSF分的には補完されているのだと個人的には考える。
願いがエネルギーって科学的にプギャーとかそういうんじゃなくてさ、セカイそのものの仕組みが割とロジカルに構成されてるかどうかでSF分って判定されるもんだと思うんだ。
そういった意味で、まどマギはストーリー(&世界観)にきっちりとした筋を付けたことにより漏れはSF分の高い作品だと思ってる。
シュタゲは、序盤だからまだなんだろうけどロジカルパワーよりオカルトパワーの方が勝ってる感じ。「バタフライエフェクトよ」って台詞だけでごまかされても困る。
今のところ、「実は全てオカリンの夢でした」でも通じちゃう程度には脆弱とは言えるだろ。(今やってるサブタイトルが夢幻のホメオスタシスだから当然なんだが)
人はそれを、「監督の才能欠如」と呼ぶと思う。
wikipedia参照↓
ところが打ち切りが決まった直後から人気が上昇。最終回でアムロは死ぬ予定だったが関岡が人気の盛り上がりから再放送や続編制作が期待できるため反対して取りやめになった。
また、放送当時からアニメ雑誌がたびたび熱意ある特集記事を組むなど、中高生、特に女子を中心に口コミで徐々に評判が高まった。
本放送終了後もアニメファンによる再放送要請嘆願署名が行われるなど熱意は衰えず、これらを受けてクローバーは再放送を決定した。
こうして再放送、再々放送が重ねられ、世間一般へ本作が浸透していった。再放送では平均視聴率も10%を超え、1982年における再放送では名古屋地区で25.7%(最高視聴率29.1%)を記録した。
特集が組まれても人気がない作品が、ガンダムを例に出しても、みじめになるだけ。
※以下の文章はAmazonレビューに投稿して掲載拒否されたのでこちらに転載します。
(申し訳ありませんが作品に対するレビューではなく、ここに書かれているレビューについて思ったことを書かせて頂きます)
絶賛しているレビューも酷評しているレビューも、作品のテーマをきちんと理解せず書かれているように思わざるを得ません。
みなさんは、なぜこの作品のタイトルが「フラクタル」なのか分かりましたか?
中身をここに書いてしまうとネタばれになってしまうので、きちんと理解したい方は後述の箇条書き部分を基に考えて頂きたいのですが、
ここにいるレビュワーの方々は「フラクタル」という言葉の意味を理解せずに書いているのでないかと思ってしまうような内容で失望しています。フラクタルの意味が分からない方はこちらをご覧下さい→http://j.mp/mcqN5d
もしも、あなた方が作品中で使われている言語の意味も分からずに作品を評価しているのだとしたら、それは料理を食べずに見た目や雰囲気だけでレストランを評価しているようなものです。制作に関わった方々があまりにもかわいそうです。
...そして、それらの一体どこが「フラクタル」なのかを考えながらもう一度最終回を見て欲しいと思います。
一見宗教やSF的な作品に見えて実は現代社会をモチーフにしたとてもユニークな作品だと私は思います。キャラクターの命名などにもこだわりが見え隠れする良作だと感じました。
ネットの書き込みを見ているとおそらく女性の方で、嫌悪感を抱かれた方もいらっしゃるようですが、この作品のテーマは女性にこそ考えて欲しいテーマなので、きちんと作品と向き合ってもらえればと思います。また、終盤の展開に異を唱える男性の方には自らの愛する存在が何かをしっかりと考えて想像して欲しいと思います。
監督に直接聞いたわけではないので、私が感じたテーマが正解だという保証はありませんが、
この作品は子供向けの単純アニメとは訳が違います。簡単に分からないものを敢えて作ったということがタイトルの付け方からも伺えます。正にノイタミナ枠にふさわしい作品だと思います。
作品のテーマを理解していない浅い内容の低評価がたくさん集まることは、結果として簡単に分からないアニメが実現されているということを意味しているので、酷い評価が増えれば増えるほどこの作品の価値は上がるということになります。
簡単には分からない奥の深い作品を完成させ、観る者にここまで考えさせるアニメを作ったという点を高く評価して5点をつけさせて頂きます。
どんなにたくさんのアニメが今後生まれてもこの作品のことは忘れないと思います。このような作品は例えどんな評価を受けようが、ちゃんと歴史に残りますので制作者の方々もこれに懲りず今後もどんどんユニークな作品を作って下さい。面白い作品を作って下さり感謝しております。今後も楽しみにしています。
横レスだけどまおゆうは嫌韓流と同じで自分を他の人間より優れたエリートだと思っている元増田やペトロなんちゃらみたいな連中のエリート意識を慰撫する話で、連中はその部分を隠していて醜いってことだろ。北守がまおゆう騒動の時に書いてる。
そもそも2ちゃんねるというのがある種の欲望のはけ口であって、という点からするとそれはそれで完結したいい話かもしれないけど、そのような前提が忘れ去られているのか隠蔽されているのか知らないけど、そのような欲望の排泄物をベタにありがたがるってのは、やっぱりその「批評」の敗北じゃないの。
まおゆうとまどマギとは逆ベクトルに違うのに元増田はまどマギと一緒にしてるし、amamakoを引き合いに出してまおゆう批判した北守やkagamiを叩きたいだけの文章と思われても仕方ない。北守とamamakoがまどマギ最終回でもめたのを見て思いついたんだろうけど。
これは作品を批判するとかそういう事を意図してるわけじゃなくて(私もかなり楽しんだ。傑作だと思う)
最終回まで見た結果残った「もやっとした物」をどう取り扱っていいのかよくわからなくて書いてみる、と断った上で。
「魔法少女 まどか☆マギカ」は従来の「魔法少女」という物を一つ一つ壊していくことによって出来上がっている作品だ。
そして壊し尽くしたところに劇的な展開によって「魔法少女」の再構築を見事成し遂げたした作品でもあるだろう。
この破壊と再構築の手法は素晴らしいとしか言いようが無い。多くの人の興味を引きつけネット上に「祭」を呼び寄せたのは放送延期など他の要因はあれど作品自体のクオリティによる所は大きいと信じる。
ところが、その再構築した「魔法少女」というものはまどマギ前にあった「魔法少女」というものでしかない。これを端的に表すのが12話Bパートのほむらとキュゥべえの会話だ。
だとしても証明しようがないよ
君が言うように宇宙のルールが書き換えられてしまったのだとすれば
今の僕らにそれを確かめられる手段なんてないわけだし
最後にたどり着いた世界(それは、本作以前からあった「魔法少女」の世界)からみたらこの作品が12話かけて描いてきたものはオッカムの剃刀によって一刀両断に切り落とす事ができるものであり、その構造は作中でかなり自覚的に表されてる。そしてそれは、これまでの出来事に意味があったのだろうか、という身もふたもない疑問につながってしまう。こんな所にたどり着くために、わざわざ「魔法少女」というものを一旦破壊し尽くす事が必要だったのか、と。
個人的にはそれは否定される事であってちゃんと答え(それは、まどマギ以降の「魔法少女」作品のスタート地点たるような)が用意されていると思ってるんだけど、うまく整理できなくてもやもやしている。どうしたもんだろう。
102 渡る世間は名無しばかり :2011/04/22(金) 04:32:37.52 ID:1qTo7HHo
まんま地球と同じのを作って、パンくわえながら「遅刻遅刻~」ってまどかがでてくるのを想像したが
全く違った
116 渡る世間は名無しばかり :2011/04/22(金) 04:34:05.64 ID:IIPj2Qfb
>>102
そんで杏子が転校してくるんだよな
268 渡る世間は名無しばかり :2011/04/22(金) 04:40:00.38 ID:1qTo7HHo
>>116
そうそう
頭悪い俺にはそういうベタエンドがよかった
365 渡る世間は名無しばかり :2011/04/22(金) 04:41:42.89 ID:vkvTUaO2
394 渡る世間は名無しばかり :2011/04/22(金) 04:42:20.53 ID:cLNfmxUt
>>102
俺も最終Bパートはてっきりそれで来ると思ったw
374 渡る世間は名無しばかり :2011/04/22(金) 04:41:54.49 ID:vKsi7SJD
491 渡る世間は名無しばかり :2011/04/22(金) 04:44:15.34 ID:cHsQSNea
震災で伸びたせいか11話12話の評価が変わってしまった気がする。
もし、通常のペースで放送されてたら
もっと評価されていただろう
540 渡る世間は名無しばかり :2011/04/22(金) 04:45:08.24 ID:JL0pk3HR
でも11話の引きで我慢はできなかった