はてなキーワード: ファミリーレストランとは
久しぶりにファミレスに行った。
行ったのだが、ファミレスってこんなにうるさいものだっけと思いこの日記を書いている。
まず子ども連れ。乳幼児は泣く。とにかく泣く。泣くのは赤ん坊の仕事と聞いたことはあるが、親は我関せずと食事をしていた。
次にそれよりもちょっと上の子。立つことも歩くこともできる子。仲良し親子といえば微笑ましいかもしれないが、
バネじかけで小物が宙を舞うおもちゃ(黒ひげ危機一髪みたいなやつ)で父親と一緒に遊んでいた。
小物はそこそこの高さまで飛び上がり、テーブルへ音を立てて落下、そのまま床へと転がり落ちていく。
別のテーブルでは同じくらいの子どもがナイフとフォークを打楽器にして遊んでいた。そんな子どもを親は注意しない。
しかし、近くの席で食事をしていた大学生風のカップルはスマホのスピーカーを使って動画を再生しながら食事をしていた。
これには衝撃を受けた。
ファミリーレストランなのだから、過剰なマナーを求めるのは間違いだとは思う(そもそも他人にマナーを求めるべきではないが)。
ただ、ここまで酷いのは初めて遭遇した。
正直にいうとうるさくて嫌な思いをしたが、そこは我慢して食事をした。
情報を追加いたしますと、夫さんは離婚協議の中で既に他に好きな人がいるということも奥さんに打ち明けるに至っておりました。
その流れで、奥さんの方から好きな人(わたし)の方へ直接の話し合いをしたいとご連絡をいただきました。
わたし的には、慰謝料請求されるような行為はありませんでしたので、問題はないかと思い、お受けしました。
(夫さんとしては、奥さんは離婚協議の中で刃物を取り出したりすることがあったため、不安そうでしたが、何かあっても誰かが通報できるようにとファミリーレストランにて話し合いを行うことにして、納得してもらいました)
その際、以下のことをお話しくださいました。
カウンセラーからも指摘され、奥さんはご自分の結婚生活の中での振る舞いが間違っていたということは自覚されており、その上でなんとかやり直させてくれないかとお願いされているところだそうです。
わたしとしては、そもそもわたしから離婚してくれと頼んだことは一度もなく、旦那さんがどうするか決めるのは旦那さんご自身だと思いますので、申し訳ありませんがお力になれることがあまりありません。
2人で会うな、連絡を取るなといったようなことでしたら、ご対応可能です。
とお伝えしました。
受付でスタッフ同士が「あの人この間も来た」という会話が聞こえてから行ってない
見張られてまで食いたくない
そんな繁盛店で顔を覚えられたのはいつも同じ時間に行くため、そのスタッフとシフトが重なっていたからだ
あのときのスタッフがいるかどうか分からんので、試しに再来店しようとgooglemapを開いた
クチコミにあの店長らしいスタッフが相変わらず無表情で愛想がないこと、
スタッフが相変わらず受付で客の話をしていることが書かれていた
あのお喋りスタッフにはとっとと辞めて欲しいのが望みだが、
店長らしい人はクチコミでクレームが書かれてちょっと気の毒だと思った
安くて旨いので相変わらず行列ができていることだろう
別の店に行く
私が30歳の時に両親が離婚した。
その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害と静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか。
両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金や借家の更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。
そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。
私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつと飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。
大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由でアルバイトを辞めた。
就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか、子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態をかいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかわからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟だけがあった。
私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人と再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。
父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯の電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見も文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。
それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。
10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族の葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookのメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから約半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずにメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単なものだった。
ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初のメッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。
次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話と留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害を発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分の生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。
次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。
2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしか出さない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。
父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからもメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから、親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話で意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。
最初のコンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。
そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄の手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってからの再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要な書類を集めて回り、家庭裁判所の相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。
父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから。
父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手の名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻の継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。
家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。
長くなりました。読んでくださってありがとうございます。
私は3年以上の間、関西にあるファミリーレストランでアルバイトをしている。だが現在、店は崩壊寸前の状態にある。
1年前までの問題は前店長からのパワハラであった。私たちはご機嫌取りと通常業務の両立を余儀なくされていた。しかし新しい店長に交代したことでその問題は解決された。新店長は人見知りであるのか口数は少なく、パワハラを行うこともなかった。店長のご機嫌取りをしなくて済むようになったのは我々にとってありがたかった。また、新しい店長は学生の仕事について細かいことに口を出さないうえに、料理の提供や食器の洗浄などの業務に黙々と取り組むため、そうした点も我々にとって好ましいものだった。
ところが現在、学生のフラストレーションは限界点に近づいている。
会社の経費削減の方針によって、店は慢性的な人員不足の状況になり、個々の従業員のキャパシティを超える労働が当たり前とされる状態となった。なんとかサービスの質を維持しているものの、今は崩壊寸前の状態にある。
従業員は弱い立場ではあるが、異常な労働量や来年への不安をはじめとした多くの不満、問題点について店長に直談判が行われた。ちなみに声を上げた人物は複数名いるが、全員男性である。
就職によって来年には比較的重い業務を担っている学生アルバイトの約1/3が抜けることになる。このままでは店が崩壊するという危機感を、従業員は共通して抱いていた。その直談判を受けて店長がどう対応したのか、想像できるだろうか。人員削減の程度を減らす?新しいアルバイトを採用する?前者は完全に間違いで、後者は半分正解といっていいかもしれない。
答えは「聞き流す」だ。
私たちが喜び、珍重していた放任主義は事なかれ主義の結果であったのだ。ただそれだけなのである。意見に対する返答は「うん。」「そうだね。」これの繰り返し、まるでbotである。彼の目に映るのは目の前にいる私たち従業員ではない。上部に君臨する本部の社員やお客様のイメージだけである。
暖簾に腕押しとはこのことで、やればやるほどこちらの体力が消耗していく。次第に、自分が何を訴えていたのか、何を期待していたのか分からなくなっていく。完全にどつぼにはまった状態となってしまった。話し合い(といっても一方的な意見陳述の場になった訳だが、)の様子を語る疲弊した学生を前に、私の脳裏には佐野SAの勇気あるストライキのニュースが繰り返し流れていた。
このように面倒ごとの回避だけが異常に上手い店長であるが、我々の直談判はアルバイト採用の変化として表れた。今までほとんどが大学生で構成されていたアルバイトに女子高生が2人入ってきたのである。ここまでなら珍しい、で済むことであったが、さらに1人女子高生が追加されたことによって我々の注意が疑惑に変わっていった。女子高生ばかり採用するのはなんだ?
その理由は店長様直々の「男はもうとらない。」という言葉ですぐに判明した。不満のたまったアルバイトからの突き上げを喰らった店長がした選択は、問題を解決することではなく、自分に反発し攻撃する男性の採用をしないということであった。
確かに女子高生は店長に反発も攻撃もしなかった。だがその代わりとして行われたのが、当日欠勤と無連絡での退職、いわゆるバックレだった。だが私は女子高生を責める気にはなれない。限りある高校生活はこのような朽ち行く墓場で浪費されるものでは決してないのだから。だが店の人員不足と過剰労働という問題そのものは、女子高生アルバイトの割合増加にともなって、悪化しつつある。
店への愛着はもちろんある。長く働いたことで得たことや仲間も多い。この店を選んだ後悔は、少なくとも私の中にはない。私がいつか辞めることがあっても、その後も従業員が入れ替わり、店は続いていくと思っていた。
ゆっくりと、しかし確実に崩壊していくこの店を見守るしかないのだろうか。
(重要ではない部分の削減と多すぎる倒置法の削除)
生殖医療の現状について、現行の制度がどのようになっているか調査してみました。自身が30代半ばの社会人という観点から、調べた感想を講義の内容を含めて述べます。
1.はじめに
私の住む茨城県の県北地域は、常陸太田市の様に子育て支援の充実度をPRする自治体が多い印象です。
(http://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/data/settle/16/ )
実際、私自身は子供が二人いるので、いばらきKidsカード( https://www.kids.pref.ibaraki.jp)のようなサービスの存在は、非常にありがたいと思っています。ファミリーレストランで子供用のジュースがサービスされる程度ではありますが、あるとないとでは大違い。ジュースがあれば子供は泣き止みます。
これらはあくまで、産まれた後の話です。では、その前の段階である妊娠・出産に関してはどうなのか。子育て支援も大事ですが、子供が産まれないことには始まりません。ということで、妊娠・出産に関して、国がどのような制度を設けているのか、また、自治体がどのような考えを持っているのか、調査してみようと思いました。特に今回は、東京大学大学院の講義「問いを立てるデザイン」(尾崎マリサ准教授)内で生殖医療の現状に関して講義を受けた後ということもあり、不妊治療に関して掘り下げることとしました。
茨城県の不妊治療助成事業に関する説明は、いばらき結婚子育てポータルサイトに記載がありました。( http://www.kids.pref.ibaraki.jp/kids/birth01_1_1/xs=_.RoYzvWEN82T/ )
体外受精,顕微授精
(http://www.kids.pref.ibaraki.jp/~kids/kosodate/birth/birth01_1/stage.pdf)
■助成内容
(1)助成限度額
1回目:30万円
2回目以降:20万円
男性不妊治療を行った場合:上記+初回30万円(以降20万円)
(2)助成回数
40〜42歳まで:通算3回
■対象者
(1)治療開始時に法律上の婚姻をしているご夫婦で、夫又は妻のいずれか一方が県内に住所を有すること
(3)申請日の前年(申請日が1月から5月の場合は前々年)の夫婦合算の所得額が730万円未満であること
(4)茨城県が指定する医療機関において実施した治療であること
治療終了から60日以内(治療終了とは、妊娠または医師の判定による)
(http://www.kids.pref.ibaraki.jp/~kids/kosodate/birth/birth01_1/2019hunintiryouhijyoseijigyou.pdf)
3.所感
不妊治療制度そのものは厚生労働省主導の事業なので全国共通と思われるが、調べて一番驚いた点は、所得額の観点から、共働きで夫・妻ともにバリバリ働いているような家庭は、助成が想定されていないという事実です。また、講義中でも述べられていた通り、助成を受けられるのは、結婚している場合のみであり、同性のパートナーのようなケースはそもそも想定されていないことがわかります。
上限年齢を見ると、講義でも述べられていたリミットの44歳前後が対象上限となっています。しかし、妻の側の年齢上限が設定されているにも関わらず、男性側の年齢上限が特に規定されていない点も、講義を聴いた後だからこそ、違和感を覚える点です。講義で述べられていた値をそのまま書くと、不妊の原因の4割が男性起因とのことで、その一因が女性の側と同じ年齢にあることは容易に想像できます。
一方で、助成対象範囲内に胚凍結が含まれていることから、若いうちに予め卵子・精子を凍結し、その数年後に不妊治療を受ける、といった形は、選択可能な様です(結婚していることが前提な様だが)。
日本はこれから人口が減るわけですし、出産・子育ての問題は、これからの日本社会をどう構成していくかを考えるうえで大きな課題と個人的には考えています。将来、自分の子供たちに負担を強いることになるわけですし、それは避けてあげたい、と親なら誰しも思うはずです。幸い、私の住む茨城県の県北地域は、保育園の数も多く待機児童が少ない印象で、共働き家庭にも子育てがしやすい印象です。物価も安いですし。
「問いを立てるデザイン」内の主要なテーマのひとつであった“多様性(この場合は多様な家族)に寛容な社会”のためにも、もう少し多くの人が取り入れられる助成制度に変わっていくといいなというのが、今回制度を調べた後に感じる正直な感想です。
以上
前にタルタルどばーっのギルティについて書いたのだけどトラバも含め3人しか反応してくれなかったので、今一度実体験を絡めて言及。
先日、某ファミリーレストランガ○トでタルタル派の陰謀ともとらえられる衝撃な体験をした。
まずはこちらを見て欲しい。
とても美味しそうなカキフライと牡蠣ご飯まで並んでいて食欲をそそられる逸品である。
その隣にはレモンとソースを添えているにも関わらず、最低2個はタルタルで食えといわんばかりだ。
百歩譲って2個無事なら許せるのだけど、このメニュー画像を免罪符にしてか、時と場合によっては4個全数にタルタルをかけて提供してくるケースもある。
こちとらレモンを絞って卓上の醤油を少し垂らして食べる気満々なのに、タルタルとかもう全然味変わっちゃうだろ。胸焼けするだろ。
タルタル派がマジョリティなのは構わないんだけど、ソースのように別添えにするという発想がなんでないのかと。
最初に企画したやつは最低2個をタルタルで食すことを強要していることに何故気付かなかったのかと。
最初に企画したやつがタルタル派? まぁそうだろうよ。でもその企画をチェックするやつもいればメニュー写真をチェックするやつもいるだろう。みんなタルタル派なのかよ。
最後の要の調理担当の店員さんはどうよ? タルタル派? そんなにタルタル派ばかりなのかよこの世は。
まあ、言いたいことは言ったし、今度からガストではタルタルは抜いてくださいと頼むからいいわ。
カキフライにタルタルくらいでぐちぐち言うなという諸君には最後にこの画像を見てもらいたい。ハンバーグも食べたいけど物足りないから揚げたチキンなんかも食べたいという時に最適なやつだ。
そもそもファミリーレストランに静寂を求めることが間違ってる。
あと、大体はてなーな人たちは子供に対して拒否反応起こすクソが多いけど、そういうはてなーは
騒ぐ子は、その時そこで騒いでも親がいずれ諦めてほっとくってわかってるから、好きなように騒ぐんだよ。
親が疲弊して諦めたくなる気持ちはわかるけど、せめて外出て、他に金払って食事してる人たちに迷惑のかからない場所で諦めようよ。
大人だって公共の場で騒ぐ奴と騒がない奴がいるし、幼児にも個人差があるのはわかるけど「言い聞かせたけど聞かないから、騒いでても仕方ないじゃん。だってこの子は騒ぐタイプだし、幼児なんだもん。ファミリーレストランでしょ?仕方ないよね。」なんて保護者が考え始めたら終わりだよ。
(正直に言えば「苦手」というのはかなりオブラートに包んだ言い方だ。普段からイヤマフを常用している自分からすれば、突発的な子供の絶叫は暴力や凶器に近い。)
だが、個人的には別にファミレスで子供が騒ぐのは一向に構わない。そもそもが「ファミリーレストラン」だし、仮に子供の声が不快なのであれば、そこに行かなければ良いだけだ。むしろ子連れの方々が、肩身の狭い思いをしなくて済むようなレストランや公共施設はもっと増えたほうが良いとさえ思う。この国での子育ては、はっきり言ってハードモードなのだから。
ただ、子供連れが入店できない空間もあって然るべきだとは思う。地球上の人類全てが子供に対して寛容という状況はありえないし、自分みたいに聴覚刺激がとことん苦手な人間だっている。
思えば自分が昔海外に住んでいた頃には、子連れが入店できない店なんて普通にあったし、子供がいる夫婦がそういう店に行く時には気軽にベビーシッターに預けることもできた。その代わり、街ゆく人は子供に対してとても寛容だった。怖そうなおじさんも、パンクなお兄さんでさえも。子供の声なんだから我慢しろ!という言説も聞いたことがなかった。
この国ではそれがない。全く。
なぜだろうか。個人的には、日本に蔓延する「子供と大人の棲み分けを一切許さない空気」が原因の一つに思える。棲み分けがなされてないからこそ、世のお母さん達は子連れで入れる店が少ないと感じる。
例えば、前述の「子連れが入店できない店」とは逆に「子連れウェルカム」であることを堂々と謳う店は、子供に不寛容な人に対して「ご入店・ご利用をご遠慮ください」と言うこともできる。
そういうことができない・なされていない中途半端な状況下、ネット上で子連れのお母さんと不寛容派の人間が殴り合っているのを見ると、なんとも悲しい気持ちになる。
日本では、いろんなバックグラウンドの人間を同じ空間に押し込めて「お互いに我慢を強要する」ことがとても多いように感じるが、大抵その場にいる全員が等しく不幸になっている。逆にお互いが不幸にならないよう、あえて不均質な空間・場はどんどん作った方がいいし、不均質さに対しては不寛容であるべきでない。
ファミリーレストランで苦情言われたの私だ
人は見た目が9割っていうやろ?
見せ方やねん、すべては。
って数日前のホッテントリにもあったやろ?
ファミリーレストランだから子供連れてきてもいいだろ?
ええで、なんぼで連れてこい。
でもな、それを親が放置しててええ、っていう理屈は大人の世界では通用せえへんのや。
泣きわめく子供を少しでもあやしたり泣き止ませる努力させてれば、店長からそんなことも言われへんかったやろ。
(泣き止ますっていう)成果は求めへん。
ヘタしたら「うるさいから何とかしろ」と言われたことすらないんじゃないか?
客はほぼ全員くっそうるせーと思いながらもでも仕方ないと思いながら我慢してるんだよ。
こっちがそうやって我慢してて、それでネットに「親もちょっとは何とかしてほしいよね」ぐらいのこと言っただけで「あーーーーはいはいファミリーレストランってのは名前だけなんですね!!!」みたいにキレてきてお前なんなん?としか思わないわ。
子供がうるせえのは子供だから仕方ないと思ってるけど、お前がキレてんのはぜんぜん許容されないから。
もしあなたが未就学児ならごめんなさい。