はてなキーワード: もうろうとは
って、他人に怒ることがいかに無駄なのかということを体感した一週間だった。
以下の理由により、千葉県在住の俺は4月から始まった(それでも遅い)リモートワークを継続したい旨を上司に打診した。
・オフィス最寄りの駅でも(そしてオフィスと道を挟んで隣の商業施設でも)クラスタが発生した
なお、今月から全社員週3日は出勤するようお触れが出ている。理由は「対面によるコミュニケーションのため」。
例にもれず先週は出勤していたけれど、正直出たくなかったので始発で出勤→半休取って帰る、ということを繰り返していたけれど、無駄に有給を使いたくなかったので、上記のような申し出を先週上司へとぶつけた。
結論は「社長や役員含めて全員一旦は週3出勤と決めて出勤しているので特別扱いはできない」というものだった。
なんで分からないんだ、と、怒り狂って週末を迎えた。怒った反動でひどい抑うつ感で仕事にならないほど虚無の世界に閉じこもっていた。二日くらい。
社内には未婚既婚子なし子持ちとさまざまな立場な人がいる。俺は未婚子なしの恋人持ちだけど、周りに感染させるとかの前にそもそも俺が罹患したくない。
健康的な人だって重篤化することがある。「軽症」って表記されている人の「軽症」はにこにこわらってネトフリ見てお菓子食うようなそんな楽なものじゃない。
呼吸がつらくて意識がもうろうとしてしまう、そんな症状する「軽症」。絶対なりたくない。
時差通勤OKって言ったって、この人混みじゃあいつ感染してもおかしくない。だから家の中に居たい。
そう言っているのに分かってもらえずに、怒り、落ち込み、ふさぎ込んだ一週間だった。
恋人に話を聞いてもらったら少し落ち着いて、「いや、もうこの会社やめよう。社員を守るつもりもないんだ」って思ったら楽になった。
どうしてわかってくれないんだ、って怒るより、とっとと離れた方が良い。それに気付いたのは心が少し元気になってからだった。
改めて上司には出社拒否をする旨の連絡と、リモートが許可されない場合は有給を取る旨の連絡を入れた。
世の中、こういう会社ばかりなんだろうなって思う。
日曜の午後だった。整理が2週間近く遅れていた。
3週間ほど,体も熱っぽく胸も貼っていて,いつものPMSとは何か違うなとは思っていた。
でもまあ生理不順だろう,妊娠なんてしてないよねと検査してみたら,
思い当たることは何もなかった・・・と胸をはって言えないのが情けないが,
中に出さなきゃOKでしょ,位に考えていた大アホな自分をぶん殴りたい。
慌ててパートナーに連絡を取る。
空港で登場手続き中だった彼,急遽行き先を変更して,会いに来てくれることになった。
翌朝一緒に病院へ行こうと決め,
●病院はどこがいいの?
ホームページできちんと手術の情報提供をしているところを3つほど選んで,
電話をかける。
日曜だからか,つながらない。
最後の3つ目でやっとつながり,翌朝の予約を入れることができた。
22時過ぎ,彼が到着。
不安なまま眠りにつく。
●診察,手術日決め
受付にはまだ人がいない。
問診表に一通り記入し,診察の順番を待つ。
名前を呼ばれ,彼もいっしょに診察室へ入った。
下着をとり,診察台へ座る。
カーテン越しに先生の気配。隣にはパートナーが入ってきてくれている。
「さて,赤ちゃんはいるかな?」と先生がエコーを私のおなかにさしこむ。
あ,いるね。「見えますか?心臓がぽこんぽこんってしていますよ」
大きさは3ミリ,6週と3日だと言われる。
「心臓が動いているの,見えるね」
赤ちゃん,いるんだ。
手術は麻酔で眠っている間に終わり,4時間ほどで日帰りでできる。
当日は,二人の署名押印をした同意書と,ショーツとナプキンを持ってくるよう言われる。
手術費用は,妊娠週数が増えるごとに5千円ずつ高くなるらしい。
お互いの仕事の都合もあり,
結局,8週目の金曜日に手術を受けることに決めた。
金曜なら,週末,家で安静に過ごせる。
保険がきかないので1万5千円の支払い,高い。
産んであげられる環境だったらよかったのにね。
複雑な気持ちで,そんなことを話しながら家に帰った。
●手術まで
激しい眠気,熱っぽさと体のだるさにはじまり,
このまま産んであげられたら,と何度も考えた。
家はどうしよう。仕事は?親にいつ話す?
彼も相当に悩んだらしかった。
でも結局,飛行機2時間の遠距離恋愛で,お互いキャリアも別々で,
看護師さんは「考えが変わったら,いつでも連絡してね」
と言ってくれた。
●手術当日
彼に付き添ってもらい,病院へ。
順番が来て,診察室へ入る。
エコーでおなかを見ると,赤ちゃんは少し大きくなっていて,心臓は元気に拍動していた。
「心臓,元気に動いているね」
もう決めたことなのに,心がとても痛んだ。ごめんね。
「あまり言うとつらくなるからね。これくらいで」と言って手を止めた。
「子宮はおなかの方に傾いているね」と言われる。
再度手術の説明を受け,支払いを済ませる。
手術費+診察費+赤ちゃんの埋葬費で合計12万円ほど。
手術は眠っている間に終わり,出血と軽い腹痛はあるかもしれないが,翌日から不通に生活できるとのこと。
性交渉は2週間ほど禁止らしい。入浴もNG,シャワーは翌日から大丈夫とのこと。
やっと安心できた。
9時半過ぎ,個室に荷物を置き,彼に見送られて手術室へ向かう。
15分くらいで終わる,難しい手術ではないという。
手術台に寝かされ,足を固定される。
私は一瞬で意識を失った。
下腹部の鈍い痛みを感じつつもうろうとするなか,担架にのせられ個室のベッドへ運ばれる。
手術は無事に終わっていた。
ずっと悪夢を見ていたが,
目が覚めて気が付いたら彼が来ていて,昼過ぎになっていた。
立ち上がろうとするもふらついてまともに立てない。
おまるを持ってきてもらう。
ぐったりしている。体が鉛のように思い。
そのまま1時間ほどまた眠った。
二度目に目覚めたとき,気分はそれほど悪くなかった。
14時過ぎに病院を出た。
無事に終わってほっとした,それが一番だった。
遅めのランチに何を食べようか,彼と話しながらバス停までのゆるい坂道をゆっくり歩いた。
バスはすぐ北。
麻酔が抜けきっていなかったのだろうと思う。
何とも言えない気持ち悪さで,すぐバスから降りて横になりたかったが,そうもいかない。
何とかターミナル駅でバスを降りてタクシーに乗り換え,家に着くとベッドに倒れこんだ。
述語は安静にね,としつこく言われたのに,私が甘かった。
アルコールに弱い,もしくは全く飲めない体質の人は麻酔がききやすいらしい。
私がまさにそうで,しかも体力もないのだから,用心すべきだったのだ。
●術後の経過
翌朝,退庁はかなり良い。
が,昨日のこともあるので家でおとなしく過ごす。
術後の腹痛や出欠具合は個人差が大きいそうだが,私の場合はどちらもほとんどなかった。
体の熱っぽさが嘘のように消えていて,船酔いのようなつわりもさっぱり消失していた。
術後は3日間ほど薬を飲み続ける。
薬を飲み切った翌日の夜,急に生理痛のような下腹部痛があった。
耐えられないほどではないが,生理痛が普段ほとんどない私にとっては,かなりしんどい痛みだったため,痛み止めを飲んだ。
調べてみたら,妊娠で大きくなった支給が元の大きさに戻ろうとするときにおこる,正常な痛みらしい,ほっとした。
市販の痛み止めは買っておいてよかった。
●1週間後
診察台へ上がり,エコーの機会を挿入されるのも慣れたもんだ。
「うん,完璧ですね」
よかった。
●まとめ
・術後すぐはあまり動かないこと
・痛み止めは買っておいたほうがいい
・料金は8週目で総額14万ほど(診察費,薬代等含む)
死にたいとかじゃなくてやけくそになって1,2週間分くらいの薬を寝る前に飲んだ
朝おきたら熱中症みたいにくらくらしてたってられないしすげーあせでる
しばらく廊下とか別の部屋の床に横になってた
その後なんとか立ち上がってフラフラふうふういいながらトイレに座ってなんとかおしっこする
そのあとキッチンの床で横になる
父親が熱中症か笑みたいにいってアイスノンとかアクエリ飲ませようとしてくれるけどそうじゃないんだと訂正することができない
しゃべれない
なんとかかんとか「きゅうきゅうしゃ!!!」とだけ叫んで救急搬送してもらう
救急車がきてはこばれるあたりから意識がかなりもうろうとしてくる
受け答えはもうまともにできない
気づいたらベッドの上で尿道カテーテルと鼻だか口だかのカテーテル
胃洗浄のやつ
正直2日目にはもう元気になってるくらいだったけど
わたしとしてはしぬわけじゃないいし
2、3日すれば薬は抜けるし、のたうち回ってりゃいいんやろ程度で布団にこもってたんだけど
家族に見つかった。
別に黙ってれば時間がたてば元に戻るよーってのたうち回りながら言ったんだけど、
結局かかりつけの医大に連れてかれてもうた
点滴だけして5時間かかった。
金と父母の時間と点滴の間の暇さが印象に残っている。
医師のみなさん、看護師のみなさん、受付事務のおねえさまがた、申し訳ねえ。
でも私が普通に見えてるけど限界だああっていうのが父母には伝わってちょっとほっとしている。
あと意識がもうろうとしてたから、家に帰りたくないって、いつもは言えない核心を医師看護師父母の前で言えたのはよかったとおもいます。
あー具合わりい
しにてえ
自分は20代前半なのだが、恥ずかしながら今まで食わず嫌いをしておりいくらを食べたことがなかった。
それを上司に伝えるとせっかくだし食べてみようよ!ということでとてもいいいくらを用意してくれた。
めちゃくちゃおいしかった。とってもおいしかった。ほっぺた落ちるかと思った。
トマト的な味を想像していたので予想外のおいしさに一生懸命ほおばっていたら唇がかゆくなってきて腫れてきた。
いくらってプチってなるしそういう食べ物なんだろうと思ってシカトして食べていた。
数分経つと急に視界がぐらつきはじめて、声がおかしくなった。
お手洗いに立った時に気持ち悪さはないのに嘔吐が止まらなくなって、スルスルスルスル胃の中のものが出てきた。
そこからさらに数分経ったときには顔がパンパンに腫れてしまって、見かねた上司がホテルまでタクシーをつけてくれた。
ホテルに帰って少し横になっていると息苦しくなってきて、立ち上がれなくなり飲みすぎたなぁと反省しながら心細くなってしまって彼氏に連絡をした。
そこで
「それアレルギーじゃないの?」
と言われたものの魚卵にアレルギーは持っていなかったのでそんなはずはないぞと否定した。
しかし、時間が経つにつれ症状はどんどん悪化していき、意識がもうろうとし始めたのと蕁麻疹が出てきてしまったためホテルのフロントに電話してタクシーを呼んでもらい、フロントのお兄さんに抱えられながら深夜2時過ぎに夜間の病院へ向かった。
病院に着くころにはもう座っていることもできなくなっており、着くなり抱えられてベッドに運ばれ横になった状態で簡単な問診をして血圧と体温を測ってもらった。
先生と思われる男の人が来て、
「時間が経っているから何が原因かはわからないがおそらくいくら。そして確実にこれはアナフィラキシー症状です。注射をしますのでお待ちください。」
と告げられた。
その時点でもまだお酒のせいじゃないかと疑っていた私はお酒じゃないんですか?と聞いたが違います。とはっきり言われた。
応急処置後に薬を処方してもらってお会計をしたのだが千円札二枚で払おうとしたのにうまくお札が手に取れなくて五千円札と千円札を一枚ずつ出して支払った。
お会計の人、やさしかったからそのまま指摘はせずに5千円札だけを使ってお会計して、おつりは私に確認させながらお財布に戻してくれた。ありがとう。
帰りのタクシーも呼んでくれていて、薬のせいでなおさらヨボヨボしていた私は抱えられながら乗り込み、送ってもらった。
運転手のおじさんに海鮮あたったの?と聞かれてアレルギーで・・と返したらタクシー代おまけしてくれた。優しすぎないか?
ホテルに戻ってからも吐き気と胃痛に苦しめられ、結局一睡もできなかったけど朝になるころにはだいぶおさまってくれて、次の日は無事に(1時間遅刻していったけど)仕事にも行けた。
まだ血液検査をしてないので詳細は分からないが、しばらくお酒と生ものは厳禁で胃にやさしいものを食べてくださいねとのことだった。
追記:
読んでくださった皆さんありがとう。
タイトルはよくなかったなと自分でも感じたため変更しました。すみません。
次の日は休むことを勧められたけど店舗応援で出張に行ったため、北海道の店舗なんてなかなか見られないし…!と思って仕事に行きました。
今までがありがたいことにザ・健康みたいな人間だったので、そもそもそんなにやばいと自分でも思ってなかった。クソしんどかったけど。
ブコメ読んで改めて本当に自分死にかけたんだなって怖くなりました。
あんなに美味しい食べ物が二度と食べられないのは悲しいけど死ななくて済むなら平気かな…
励ましてくれた方もありがとう。
歩きながら
片手には手持ち扇風機
片手にはペロペロキャンデー
風を浴びつつキャンデーをなめながらだと、
ごめんなさい若気が至りまくったせいです。
ほんと暑いわね。
幸い中の幸い、
昼間の炎天下の中外に出ることはないんだけど、
たまに銀行とか郵便局だとか行くときの炎天下の甲子園の給仕は何故倒れないか心配になるぐらい暑くて、
そこまでにたどり着くまでに倒れてしまいそうで、
また夏のアスファルトは極熱の極みで
いきなり肉持ってきてステーキが焼けるようだわ。
その銀行や郵便局までにたどり着くまでにもうろうとナリながらも、
あ!あそこにオアシスが見える!
しっかりして!
そう私は往復ビンタをされて気が付くと
駱駝さんの扱いは何になるのかしらね?
これも軽車両?
そんなことを
こないだ甥っ子と行った動物園で思いながら駱駝コーナーにかぶりついていたわ。
甥っ子は水辺の生き物展の水棲動物のタッチングプールに大喜びだったわ。
私はさすがにカニとかカニとかカニしか居ないそのタッチングプールに手を突っ込む勇気さえ無く、
そのカニをピザにしてしまったら美味しそうだなという発想しか沸かなかったけど、
きっとタッチングプールに手を入れたら指を挟まれてしまうわって緊張感漂っていたの。
逆に言うと私がヤギコーナーでキャベツのエサをあげていたとき、
私は風の谷のナウシカの肩にいる使い魔のリスの件のシーンをやろうとして、
パクってヤギさんに手を噛まれたところを甥っ子に見て見て!って
ナウシカの件をやろうとして振り向いたら
甥っ子が居なくて思わず見てないのかよ!って突っ込んじゃったわ。
うふふ。
暑さ寒さもガンズアンドローゼズまでって言うけど
それまでは我慢ね。
朝水っぽいものばかりだけど、
今日もそんな感じよ。
朝牛乳を飲むのは緊張感が走るわ。
大きなトマトをざく切りにしてもいいし、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
神戸大学院生リンチ殺人事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2%E7%94%9F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
警察への通報から16分後に神戸西警察署管轄の井吹台交番の47歳の巡査部長、31歳の巡査、神戸西警察署のパトカーから33歳の巡査部長、29歳の巡査の4名が駆けつけた。さらに通報から20分後に事件現場から一番近い有瀬交番から39歳の巡査部長、27歳の巡査が駆けつけた。男性の友人は意識がもうろうとしたまま血だらけの状態で車から飛び出し、駆けつけた警官らに必死になって助けを求め、友人が車に乗せられているかもしれないと告げた。しかし警官らは、男性の友人が血だらけであり組長や組員らにも血が付着しているという状態にもかかわらず、組員らの車のナンバーを控えるのみで組長や組員らの身体検査や車を検めず、組長らが後日出頭すると言う言葉を信じ事件は解決したとその場を立ち去ってしまった。なお警察への通報は他に2件あったものの、警官が仮眠していたという理由から通報から到着が16分、最寄りからは20分掛かったと説明している。また男性は母親と同居であったため、警官が母親に男性が帰宅しているかの確認をし、男性が帰宅していないことが判明したにもかかわらず確認を怠っていた。さらには男性が押し込められた車の窓はスモークガラスでなかったため、目視で車内の確認をすれば男性の姿が分かるにもかかわらずそれも怠っていた。
警官が立ち去った後、組長と組員と32歳組員など計6人が2km離れた空き地に男性を連れ込み、男性の体を縛った上に殴る蹴るの暴行を加えた。失神した男性に水を掛けて意識を戻させさらに暴行を加えるなど拷問のような手口だった。男性は瀕死の状態で宝光芒川の浅瀬に放置され、翌日3月5日16時20分頃、遺体となって発見された。遺体の肋骨はほとんど折られ、右後頭部が割れクモ膜下出血で意識を失った形跡もあったが、死因は凍死だった。男性は組長らが立ち去ってから数時間生存していたと見られている。なお、リンチを行った後、37歳の組員が有瀬交番に出頭するも1時間ほどの事情聴取を行っただけで帰してしまった。
(注)これは増田の体験ではなく日本国内の外国人居住者向け某掲示板に書かれた内容を訳したもの。
私の誕生日である3月2日、外国人と日本人のグループで一緒にディナーを食べに出かけました。
二次会はカラオケに行き、その後はちょっと踊ろうと思い昔からいる人達と新宿二丁目のドラゴンマンというゲイクラブへ行きました。
覚えているのはバーでは楽しい時間を過ごし、疲れているように見えたレジの人に水を奢った事です。
その後友達に手洗いに行くと伝えました。日曜日の午前四時くらいです。そこからは記憶があまりありません。
手洗いに行ってからはもどりませんでした。(トイレの?)列に並んでそこに入った記憶はありますがそこからは記憶がありません。
タクシーの中にいて、友達が面倒を見てくれて家に帰る途中なのかと思った記憶があります。
もうろうとした意識の中で夫が迎えにきてくれたのかとも思いました。これは完全な勘違いでした。
起きると裸にされていて、男が無理やり自分の上に乗っていて日本語を話していました。
蹴りを入れて自分の話せる全ての言語でノーと言いましたが、私は弱っていてまた意識を失いました。
これが全部で三回起きました。
服を着て立ち、逃げようとした時ひどい頭痛がしてベッドに倒れ込むと、また行為を始められました。
私はただ諦めて固まっていました。
彼は私に話し続けていましたが私はただ逃げたいと思いつつも自分自身で立ち上がることもできませんでした。
LINEの連絡先を聞かれたのでこれしか相手を捕まえる方法がないと思い交換しました。男は全く知らない人でした。
月曜日はただただ呆然として何もできない状況でした。自分の心が機能不全の状態でどうやって家に帰ったのかもわかりません。
私の友達は私がいなくなった後30分も探してくれていたようで、私の被害に強く責任を感じていました。
医師の診察でまだ内部で出血がある事がわかり、ソーシャルワーカーの人が呼ばれました。
私の日本人の友達でバイリンガルの人に助けてもらい警察に電話をしましたが、当然バカみたいな質問をされ、自己責任だと認めるように求められました。
その人たちに話すのは拒絶し私の大使館(ドイツ)と連絡を取る、夫と電話で話すまで何も結論は出さないと伝えました。
最終的には警察が病院に行って医療記録を取ってくる事で合意し、その後はDNA鑑定をしました。
さらに警察署でまたDNA鑑定をし、質問に答え、歩き回って強姦魔に連れていかれたホテルを探しに行きました。
警察が言うには十分な証拠があれば公式な犯罪捜査を開始でき、医療費も全て払ってくれるとのことでした。
そこで警察は公式捜査を始めるため私に命令したのは月曜日に警察に来いと言うことでしたが、被害当時着ていた服を持ってきて被害時の状況をマネキンで再現できるようにと言われました。
もううんざりです。助けて下さい。誰かこれから何が起こるか資料や知識を持っている人はいますか?
大使館に行ったほうがいいでしょうか?支えてくれる人は沢山いますが既にもう自分には限界です。もう知っていることは全て警察に話しました。状況の再現などしたくありません。私は強いですがいつまで耐えられるかわかりません。
ラーメン二郎に行ったら客が泡を吹いて倒れた話。
http://www.cojking.com/entry/2018/10/16/233321
を拝読したところ、「泡をふいて倒れた」というのはもしかして、てんかん発作ではないかと思いました。
そうではないかもしれません。ただ、これを機会にてんかんで倒れた人の対処方法について乗っからせてください。自分のブログより人目にふれるかと思い匿名ダイアリーに書きました。
私はてんかん患者です。てんかん発作をおこしたときに対処してくださる人は本当に有り難いことだと思います。いきなり、けいれん発作をおこしたり、倒れたり、泡をふいたりしたら、驚くし怖いと感じることもあるでしょう。それでも、手を差し伸べてくれる人がいるのは、本当にありがたいです。
ただよく言われている「口の中にスプーンを入れる」など、口の中に何かを入れることは、窒息をおこすかもしれないので、今はやってはいけないことになっています。
てんかんinfo
https://www.tenkan.info/spasm/care/
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発作時
けいれんの最中は名前を呼んだり、体を押さえたり揺さぶってはいけません。
舌をかまないようにと、けいれんの最中に口の中に指、タオル、スプーンなどを無理に突っ込んではいけません。無理に硬いものをさし込むと歯が折れたり、口の中を傷つけたりしますし、指を入れると噛まれてけがをしてしまいます。物をさし込むより、下あごを下から軽くあげ、けいれんの際に舌を噛まないようにしてあげましょう。
発作後
上を向いていると、発作後に食べ物を吐いたときに、吐いたものが気管に詰まって呼吸ができなくなるので、発作の後は顔を横にしましょう。
けいれん発作後にしばしば眠ってしまうことがありますが、発作後にもうろう状態となり、物にぶつかったり、危険なものに触れたりすることがありますので周囲の人が軽く寄り添って保護してあげましょう。
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意識がないように見えても、実際回りの声は聞こえていることもあります(発作にはさまざまな種類があります)。
私も駅のホームで発作を起こし倒れたことがありますが、2人の人が、助けてくれました。1人の人が、頭の下にかばんを入れて、手を握ってくれました。
「てんかん?」と聞かれてうなづくと、「大丈夫、大丈夫だよ」と声をかけてくれました。
もう一人の人が駅員さんを呼びに行ってくれました。
「大丈夫だよ」と言ってくれた人は、消防員の方でした。非番だったそうです。
もう一人の人は学生さんでした。
駅員さんが来てくれた時は、もう発作が収まっていました。
消防員の方が、発作を起こしてからの時間を計っていて、頭は打っていないことを確認していたことなどを話していました。
私は発作の後、体がうごかなくなる(トッド麻痺)ので、そのことを話すと、タンカで救護室まで運んでもらえました。
私の場合は、脳外科手術の後遺症として、てんかんにり患し、その頃はまだ薬でのコントロールがつかなかった為、発作を起こしてしまいました。
てんかんのことは自分がなるまで、まったく知らなかったですし、きっと発作を目の当たりにしたら怖かったでしょう。
それでも、手を差し伸べてくれるのはほんとうに有り難いので、よかったら、ぜひてんかんのことを知ってください。
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薬でまだ発作をコントロールできていない人たちへ。
私はコントロールできるまで2年半かかりました。発作が起きるたび「また起こしてしまった」と絶望的な気持ちになりました。
それでも。意識消失する発作から、半身発作、足だけの発作…とだんだん軽くなっていき、今ではほぼコントロールできています。
だから。あきらめずにがんばろうね。絶対コントロールできるって、信じようね。うまくいくよう祈っています。
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38度2分。
入園したての子供は、まだ慣れてないせいもあってママにベッタリ。
いつもなら落ち着くまで抱っこしたり、一緒に遊んだりするけど、今日は何もしてあげられない。
その状態で、旦那に夕飯の用意ができないから外で食べてきてとメッセージを送った時、かんしゃくを起こした子供が、おもちゃ箱をひっくり返して泣き出した。
こりゃダメだなと思って、何もかもを放りだし、子供を連れて布団に入った。
鼻が詰まって苦しいと思いながら寝ていたんだけど、トントンと叩かれて目を開けたら旦那がいた。
あれ、もう夜?
そんなに寝ちゃったのかと勘違いしてパニクってたら、「ポカリとオレンジジュースとお茶。どれがいい?」って聞いてきたので、反射的に「ポカリ」と答えた。
すぐポカリを入れてくれた旦那に「どうしたの?」って聞いたら「しんどそうだから一回帰ってきた」と。
テーブルの上にあったビニル袋には、おかゆとスープはるさめとカップ麺が入ってた。
そのあと旦那は、家で少し仕事をして、風邪薬買いに行ってから仕事に戻っていった。
昼寝前は怪獣だった子供は、パパの顔を見て落ち着いたようで、いまは大人しく遊んでいる。
風邪引いてもうろうとした意識で書いているので文章力は期待しないで
夏のインターンは前期がずっと体調絶不調のため諦めて
学校主催の就活準備のお話の前日に風邪で微熱になり、当日回復したもの精神力が全くなくなってたから諦めた(同じ話が複数回あるのの一回だから諦めれたけど、予定を取り消すのしんどい)
マイナビの説明会も予定をしっかりして、参加企業調べてたのに秋バテで貧血凄まじくて諦めた
昨日から低気圧で体調悪くて、今日は風邪でもうろうとしてる。明後日外部の就活イベント(予約済み)があるのに。不安
その間間も色々小さな就活準備をしている一方で色々な体調不良頻発。友達に就活頑張ると言ってるのに実行できず意識高い系になってて、嫌われないかとても怖い。
元々は体調不良になりやすいわけでなく、一人暮らし大学生になってから体調不良が増えてる。食事も栄養気をつけてるし、標準体型だし、なんでこんなに体調悪くなるんだろうと思いながら改善改善。体調不良によっては病院行くし
成績や単位は大丈夫だけど、しんどい。理系院進学する予定だけど、学部の就活本気で頑張って内定一つは取りたいのに。
なんで体調不良になるの。ただの意識高い系になって友達に嫌われたくない。なんかないかしんどい。友達に関しては私がただ自滅して怖がってるだけなんだけど
俺は何年間かハルシオンを飲んでた事が有る。
医者が睡眠導入剤だと言ってたけど、いっぱんには睡眠薬って呼ばれる事もあったかな。
で、暫く飲んでると、効かなくなったよ。
って後から知ったんだけど、
この薬を飲んでも眠くならなくなって、その直後にアルコールを飲んだら悲惨な事になった。
アルコールを飲む前に車で出かけて、その出先で酒をたらふく飲んで、
知り合いの人が俺の車で送ってくれた事も有った。
でも不味い事に、その時その時は物事が不通に理解できるんだよ。
できる事なら睡眠導入剤とか、直ぐに止めた方がいいよ。