はてなキーワード: さしことは
pixivの話。
ある作品名で検索すると十年以上前から幼稚園児が描くような画力でポルノ絵を投稿し続けてる人がいる
何十件何百件、数ページ以上その人の絵で埋めつくされてる
先日そういう人を「闇深絵師」と呼ぶと知った。単に闇が深いだけでなく話題として触れただけでこっちが悪人と眉をひそめられるような、いわゆる障碍者の方
そのジャンルは古く小規模で横のつながりが密だ
しょっちゅうコメントが飛びかうでもないが割とすぐにスタンプやいいねがつく
近年ある媒体で再び日の光を浴びたことでSNSでは祝い絵が出回り、pixiv投稿もそれなりに息を吹き返した
闇深絵師は変わらず投稿を続けている。あいかわらず幼稚園の壁にはりだされているような拙い線と色使いだけに、ちょろんとした簡素な性器と陰毛がやけに目を引く
失礼極まりないと承知しつつサムネで見る度にウッとなる。未就学児の絵面に赤裸々な性欲が付随していることへの抵抗感だ。十年以上前から絵と詳細なキャプションの投稿をしているのだからむろん子供ではないだろう
失礼を重ねるが自分はこの人を見るまで、こういった人たちにも性欲があるとは知らなかった。肉体的には成熟しているのだから当然といえば当然なのだが
裸体、裸体、たまに画面外からさしこむ何本もの性器と中心に裸体…
なぜか決まってカ××ィやポ××ンといったかわいげのあるキャラクターも一緒だ。いずれの作品も公式でコラボしたことはない。どういうわけか闇深絵師は好きな物を好きなだけクロスオーバーしたがるらしい
最初に目にした時から画力の向上は見受けられない。彼か彼女かどうかも知らない
プロフィールは妙に長々しく、ほとんどが好きなキャラや作品名の羅列だ。このスタッフロールじみた綿密な好意の開示も「闇深絵師」に共通する要素のようだ
時々彼(彼女)のコメント欄が賑わう。といってもほとんどが同類と思しき人種からのなかば日記じみた世間話に終始している
キャラ名羅列の前後かは失念したが「未成年の性的搾取に反対します!」との一文があった
ところで彼(彼女)のご執心キャラは未成年の男児である。自分は笑っていいものか迷った
闇深絵師の呼称を知ったのは暇つぶしに某掲示板のまとめ記事を閲覧した時だ
闇深絵師の作品や言動を笑い者にするスレッドがあり、障碍者に暇人が群がる愚かさを揶揄した記事だった
世の何もかもを喋る玩具と見做す住人も流石に呆れたか「一生懸命描いてこれなんだからしゃーない」と擁護していた
(あるいは擁護のふりして論っているのかもしれなかったが、それは重要ではない)
彼(彼女)は十年以上前から投稿を続けている。公式から何の音沙汰もないまま十年以上
同じように細々と投稿し続けたファンも公式からの供給を得て出戻ってきたファンも、彼(彼女)の作品には見向きもしない
腫物扱いどころか透明扱いだ。今も遡れば数ページに渡って彼(彼女)の作品だけが乱立している状況なのに
おそらく界隈は自分と同じ考えからスルーしているのだろう…こちらから反応を示したが最後適切な対応を取らねば一生涯差別主義者の烙印を押されかねない、という恐れ。あるいは面倒だから近寄らんとこ、という身も蓋もない理由
もちろん健常者同士でも感想が貰えないのは珍しくもない
特に二次創作は地雷、解釈違いという単語があるくらい個々の面倒臭さを煮詰めた世界だ
下手なら見向きもされないし、上手かろうと今度は嫉妬で叩かれる。どちらにしても通り魔的に燃やされかねない。最初に闇深絵師と呼び名をつけた人間も悪意から彼らを燃やしたのだろう
だからして「彼(彼女)の作品にもコメントしてあげるべき」などと偉ぶりたいわけではない
ただ昨今の多様性や人権といった聞こえのいい理想を耳にする度に、そこに彼(彼女)の作品が評価される居場所はあるのだろうかと思ってしまう
よく「オタクは現実から逃げた負け犬」と唾棄されてきたがその偏見の是非はさておき、オタクになって居場所を得た人は大勢いるだろう
今ではリアルとオタクの二足草鞋も珍しくもないがいまだにオタクは自虐として俺達はリア充ではない、陰キャだチー牛だとキャッキャしている
だが闇深絵師は最初からリアルの舞台にもオタク同士傷をなめ合う土俵にもいないのだ
健常者からは生温い愛想笑いを返され対等に扱ってはもらえず、逃げこんだオタク趣味のうちでも健常者オタクから存在しない風に扱われる
挙句闇深絵師と名付けられて監視を受け、口さがない者からは「検索汚染」などと罵られる…
・フィギュアを飾るための階段のニッチ棚(まあ鉄骨造りだと無駄に壁があついからこそできるのだが)
・つくりつけ本棚 俺は自分で設計図書いたぜ 居室✕2の壁面を1面ずつ本棚にしたが別にビデオやCDもたてられるぜ
・有線LANのケーブルはカテゴリー5で、電気パネルはルーターリセットかけやすいちょっと低めで
・ボタン一個で閉まる電動シャッター(雨戸の開閉がめんどくさい人に)(目隠し以外のカーテンがいらなくなる)
・引き戸(スペース確保)が自動できっちり最後までしまるバネのやつ(ただし無理に小幅で明け締めすると壊れる)
・室外機置き場の確保(エアコンないと夏死ぬし取り付けとかケアがめんどくさい)
・光ファイバー(入れるよな?)をどこからひきこむか考えて前庭をつくる(なんか集合なんとかいうチューブをうめこんでうんたら)(壁にあなあけて架空線でも悪くはないがなんか電柱がふやされたりして風景が邪魔)
・浄水器は寝室の近くの洗面所につけられたら無限うまい水最高なんだがたいてい台所にしかビルトインも後付もできない日本のハウスメーカーの怠惰
・庭と物置はセットだとおもうがたぶん両方いらないがガレージは要るだろ。要るだろ 車庫証明がとれないの欠陥住宅や
・客のための和室(そのうち納戸になるが) 保険のおばちゃんやら仕事の話もってきたおじちゃんと長話できるとりつくろいスペース 居間はテレビをおいた時点で客はもてなせなくなるからあきらめろ
・密集地の戸建ての場合屋上にアクセスできないと雨漏りが直せなくて死ぬので天窓
・都市ガスエリアなら暖房用ガス栓各部屋につけとけ、暖房代激安だし乾燥しないので勝つる ただし停電したらガスファンヒーターも止まる
・つまり各居室に電源コンセント、LAN、テレビ、ガス栓、エアコンが存在することがのぞましい
・実家がセントラル掃除機(勝手口にフィルターとモーターがあって全部屋の床に穴があってそこに専用ホースをさしこむだけで掃除機になる)いれて便利だっていってたけど今はどこもやってないかも
宅建士の試験は国家資格の中では比較的易しいらしいが、それでも合格率は高くなく職場には何年受験しても合格できないという人もいた。
わたしは当時30歳のオタクで腐女子、仕事で資格が必要になったので受験したのだが、大学受験以来の久々の試験勉強になかなか苦戦した。長らく勉強というものをしていないと、まず集中して参考書を読むことすら難しい。
わたしは無音状態で何かに集中するのが苦手で、かといって音楽を聞くとなるとオタクなのでアニソンやアイドルソングばかりになってしまう。日本語の歌詞だと頭の中で歌詞と宅建業法の条文がけんかを始めて勉強にならない。
ひとくちにボーイズラブCDと言っても勉強に向いているものとそうでないものがある。勉強中に聞くべきボーイズラブCDはとにかくエロいもの。男の喘ぎ声は特に意味もなく耳に優しいので聞いていると心が安らぐうえに集中力を高めてくれる。
特に聞いていたのは、彼らの恋の行方をただひたすらに見守るCD「男子高校生、はじめての」シリーズ。このシリーズはノーカット、ノーフェード、ノーBGMで男子高校生たちのそれを盗み聞きできるというもので、大部分がエッチシーンでできていてとても素晴らしい。一応ストーリーもあるが、民法の条文の邪魔をしない程度なのであまり気にならない。
シリーズの中でも第3弾「生徒会役員の密やかな謀」が良い。受け役の興津和幸さんの演技が最高。この喘ぎ声を聞くために現代に生まれた。
わたしはボーイズラブCDを家での勉強中はもちろん、出勤前のカフェ、通勤中の電車、職場で開かれた勉強会、とにかく勉強をするときはひたすらに聞き続けた。わたしが真剣な顔で法令上の制限を覚えているとき、耳元ではいつも男が喘いでいた。
30歳独身腐女子が合法的に高校の校舎に足を踏み入れる機会なんてそうそうない。高校を卒業してから10年以上が経っており、高校という場はもはやなによりもボーイズラブの舞台という感覚が強い。
校舎まで続く道、毎日の生活を感じる下駄箱、教室へと向かう階段、窓から昼の陽がさしこむ踊り場、分別を促す手書きの貼り紙があるゴミ箱、教室のドアが並ぶ廊下、すべてからボーイズラブの息遣いが聞こえた。
試験を受ける教室に入ると受験する人たちがすでに席で参考書などを開いていた。試験会場に入る指定の時刻から試験開始までけっこうな時間があり(細かく覚えていないが30分~1時間程度はあったと思う)、わたしも周囲の人にならって一応参考書を開いた。
しかし、ふと視線をあげれば黒板があり、日常で教室の黒板なんて見ることがないわたしは黒板にもまたボーイズラブを感じ、思った。今しかない。
参考書を閉じてイヤホンを装着し、まっすぐに前を見て「男子高校生、はじめての」を再生した。
実際の高校の教室で、男子高校生のボーイズラブを聞くのはこれまでに経験したことのない楽しさがあった。まるで今この瞬間に隣でボーイズラブたちが事に及んでいるような気がした。
ここまでくるとボーイズラブCDを聞きながら勉強をすると集中できるなんてことはもう言ってられず、頭の中はボーイズラブ一色、受けの痴態に興奮している攻めよりもただそれを聞いているわたしのほうが確実に大興奮していた。
ボーイズラブに包まれたままに試験が始まり、わたしは試験への緊張とボーイズラブへの興奮で手の震えが止まらずシャープペンシルを一本折った。
そんな状態で受けた試験だから絶対に落ちたと思い、そしたらまた来年も高校に行こう…あのボーイズラブが詰まった空間へと…と絶望を希望に変えていたが意外にも試験には合格した。わたしの地頭が良いということもあるが、ボーイズラブCDの力が大きかったのだろう。
日曜の午後だった。整理が2週間近く遅れていた。
3週間ほど,体も熱っぽく胸も貼っていて,いつものPMSとは何か違うなとは思っていた。
でもまあ生理不順だろう,妊娠なんてしてないよねと検査してみたら,
思い当たることは何もなかった・・・と胸をはって言えないのが情けないが,
中に出さなきゃOKでしょ,位に考えていた大アホな自分をぶん殴りたい。
慌ててパートナーに連絡を取る。
空港で登場手続き中だった彼,急遽行き先を変更して,会いに来てくれることになった。
翌朝一緒に病院へ行こうと決め,
●病院はどこがいいの?
ホームページできちんと手術の情報提供をしているところを3つほど選んで,
電話をかける。
日曜だからか,つながらない。
最後の3つ目でやっとつながり,翌朝の予約を入れることができた。
22時過ぎ,彼が到着。
不安なまま眠りにつく。
●診察,手術日決め
受付にはまだ人がいない。
問診表に一通り記入し,診察の順番を待つ。
名前を呼ばれ,彼もいっしょに診察室へ入った。
下着をとり,診察台へ座る。
カーテン越しに先生の気配。隣にはパートナーが入ってきてくれている。
「さて,赤ちゃんはいるかな?」と先生がエコーを私のおなかにさしこむ。
あ,いるね。「見えますか?心臓がぽこんぽこんってしていますよ」
大きさは3ミリ,6週と3日だと言われる。
「心臓が動いているの,見えるね」
赤ちゃん,いるんだ。
手術は麻酔で眠っている間に終わり,4時間ほどで日帰りでできる。
当日は,二人の署名押印をした同意書と,ショーツとナプキンを持ってくるよう言われる。
手術費用は,妊娠週数が増えるごとに5千円ずつ高くなるらしい。
お互いの仕事の都合もあり,
結局,8週目の金曜日に手術を受けることに決めた。
金曜なら,週末,家で安静に過ごせる。
保険がきかないので1万5千円の支払い,高い。
産んであげられる環境だったらよかったのにね。
複雑な気持ちで,そんなことを話しながら家に帰った。
●手術まで
激しい眠気,熱っぽさと体のだるさにはじまり,
このまま産んであげられたら,と何度も考えた。
家はどうしよう。仕事は?親にいつ話す?
彼も相当に悩んだらしかった。
でも結局,飛行機2時間の遠距離恋愛で,お互いキャリアも別々で,
看護師さんは「考えが変わったら,いつでも連絡してね」
と言ってくれた。
●手術当日
彼に付き添ってもらい,病院へ。
順番が来て,診察室へ入る。
エコーでおなかを見ると,赤ちゃんは少し大きくなっていて,心臓は元気に拍動していた。
「心臓,元気に動いているね」
もう決めたことなのに,心がとても痛んだ。ごめんね。
「あまり言うとつらくなるからね。これくらいで」と言って手を止めた。
「子宮はおなかの方に傾いているね」と言われる。
再度手術の説明を受け,支払いを済ませる。
手術費+診察費+赤ちゃんの埋葬費で合計12万円ほど。
手術は眠っている間に終わり,出血と軽い腹痛はあるかもしれないが,翌日から不通に生活できるとのこと。
性交渉は2週間ほど禁止らしい。入浴もNG,シャワーは翌日から大丈夫とのこと。
やっと安心できた。
9時半過ぎ,個室に荷物を置き,彼に見送られて手術室へ向かう。
15分くらいで終わる,難しい手術ではないという。
手術台に寝かされ,足を固定される。
私は一瞬で意識を失った。
下腹部の鈍い痛みを感じつつもうろうとするなか,担架にのせられ個室のベッドへ運ばれる。
手術は無事に終わっていた。
ずっと悪夢を見ていたが,
目が覚めて気が付いたら彼が来ていて,昼過ぎになっていた。
立ち上がろうとするもふらついてまともに立てない。
おまるを持ってきてもらう。
ぐったりしている。体が鉛のように思い。
そのまま1時間ほどまた眠った。
二度目に目覚めたとき,気分はそれほど悪くなかった。
14時過ぎに病院を出た。
無事に終わってほっとした,それが一番だった。
遅めのランチに何を食べようか,彼と話しながらバス停までのゆるい坂道をゆっくり歩いた。
バスはすぐ北。
麻酔が抜けきっていなかったのだろうと思う。
何とも言えない気持ち悪さで,すぐバスから降りて横になりたかったが,そうもいかない。
何とかターミナル駅でバスを降りてタクシーに乗り換え,家に着くとベッドに倒れこんだ。
述語は安静にね,としつこく言われたのに,私が甘かった。
アルコールに弱い,もしくは全く飲めない体質の人は麻酔がききやすいらしい。
私がまさにそうで,しかも体力もないのだから,用心すべきだったのだ。
●術後の経過
翌朝,退庁はかなり良い。
が,昨日のこともあるので家でおとなしく過ごす。
術後の腹痛や出欠具合は個人差が大きいそうだが,私の場合はどちらもほとんどなかった。
体の熱っぽさが嘘のように消えていて,船酔いのようなつわりもさっぱり消失していた。
術後は3日間ほど薬を飲み続ける。
薬を飲み切った翌日の夜,急に生理痛のような下腹部痛があった。
耐えられないほどではないが,生理痛が普段ほとんどない私にとっては,かなりしんどい痛みだったため,痛み止めを飲んだ。
調べてみたら,妊娠で大きくなった支給が元の大きさに戻ろうとするときにおこる,正常な痛みらしい,ほっとした。
市販の痛み止めは買っておいてよかった。
●1週間後
診察台へ上がり,エコーの機会を挿入されるのも慣れたもんだ。
「うん,完璧ですね」
よかった。
●まとめ
・術後すぐはあまり動かないこと
・痛み止めは買っておいたほうがいい
・料金は8週目で総額14万ほど(診察費,薬代等含む)
https://anond.hatelabo.jp/20191210171417
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
上2つの増田へのブコメを見て暗然とした、失望した。あなた方はなんでそんなに恥を知らないのか、愚かなのか。
まず明らかなのは元増田が「恋愛至上主義」のわかりやすい被害者だという事だ。
これからいくつか線を引いていこう。線の右側は判断を保留。左側は救いようのない阿呆だ、というような線だ。
1つめの線は「これが個人ではなく社会の問題だと気づいてるかどうか」だ。残念ながら、この時点で多くの者が左側に置かれる。早すぎない? せめてもうちょっと頑張ってくれよ。
あなたは1つの社会の長であり、その社会の構成員をしあわせにするのがあなたの責務だ。
あなたはひとつだけコントローラーを与えられている。その社会において「何が幸福」で「何が優れている」とされ「何が重要」だとされるか、社会の価値観だ。これをあなたは動かせる。
価値観にはいくつか選択肢があるが、「恋愛ができる者が優れている」とする「恋愛至上主義」はこのゲームにおいてチート級の強さを発揮する。なぜなら市民を殖やす生殖の領域にさわれるからだ。恋愛強者に他よりも優越しているという幸福感を与えながら、市民を殖やすことができる。いわゆるぶっ壊れ性能。「恋愛至上主義」は為政者にとってこれ以上なく都合がいい価値観だと言える。
恋愛強者でなければこの価値観の恩恵を得ることはできない。むしろそうでない者は自動的に「劣った者」の烙印をおされる。(元から劣っているのではなく、「劣っていることにされる」事に注目すべきだ。これは積極的な行為である)
「恋愛至上主義」を採用する限り市民のすべてを幸せにすることはできない。必ず生贄を必要とする。
これはそういう方法だ。一部の苦しみを積極的に生むことで大きなメリットを回収する。気にすることはない。苦しむのは自分じゃない。一部が苦しんで全体の幸福が上がるならそれでいいじゃないか。――そう考えるプレイヤーがこの方法を選ぶ。これは個人ではなく社会の構造の問題だ。
もちろんわかると思うが元増田はこの生贄だ。だから苦しんでる。彼の苦しみは社会が今の社会である限り絶対に必要とする苦しみであり、その存在は必然だ。
「そんなのはどの価値観でも同じだろ」と思うかもしれない。もちろんすこしはそういう側面もある。なにかを優と位置付けるかぎり自動的に劣は生まれる。どの価値観も犠牲は生む。ただし通常はこうした価値観をいくつも立てることでこれをカバーする。価値観Aで劣の者も価値観Bで優とすることでケアするというわけだ。
しかし重要なのは「恋愛至上主義」の「至上」の2文字だ。この価値観は単に「恋愛ができる者が優れている」とするだけでなく、むしろ他の価値観に対する自身の「至上」を主張する。つまりゲームシステムに落とし込めば、通常は複数選べる価値観を1つしか選べなくするという強い制約が「恋愛至上主義」には掛かる。ぶっ壊れ性能を考えれば当然の制約だろう。この制約のため、恋愛至上主義では価値観Bによるケアができない。
まとめよう、「恋愛至上主義」は恋愛弱者の苦しみというコストを払って大きなメリットを回収するが、加えて恋愛以外の価値観を劣位に置くことで恋愛弱者が他の価値観で苦しみを緩和する逃げ道をも奪う。その結果が元増田の「すべてが恋愛で解決される」という盲信だ。これは結果であって原因じゃない。元増田に「お前のその考えが原因だ」と言った者は恥を知るべきだ。これは増田個人が自由意志で手に入れたものじゃなく、社会が生贄を募集するために市民1人1人に植えつけた価値観の結果だ。はきちがえるな。
さて、チェックしよう。元増田にブコメなりコメントなりを送った者は自分のコメントを思い出してほしい。
そのコメントは社会ではなく増田個人に原因を求めるものではなかっただろうか? 増田個人にアクションを(そして責任を)求めるものではなかっただろうか?
この質問に「いいえ」と応えられなかった者はアウトだ。線の左側へどうぞ。椅子は用意してないから以降ぼーっと突っ立ってそのアホ面を晒し続けてくれ。
(ちなみに補足しておくが、例えばあなたのコメントに増田が従った結果彼女ができるなり幸せになったとしよう。その場合もアウトだ。思い出してくれ、これは社会の問題だ。例え増田が一抜けしたところでその苦しみは増田だけのものじゃない。別の生贄が補充されるだけ。全体の苦しみは減らない。あなたはなにもしていない。増田個人が恋愛至上主義から脱却しても意味が無いことを理解しよう。治療されるべきは個人じゃなく社会全体だ)
すでに線の左側に置かれた人もこれからの線で更に左になるかもしれないから以降もちゃんと読んでくれ。もし以降の線で右側に置かれたならひとまず喜んでいいしその部分は誇っていい。
さて、増田の苦しみが恋愛至上主義がのさばるかぎり発生を避けられないものであることは確認した。この程度のことは分かってた人も結構いるんじゃないかと思う。
ただし自覚したとてそれを避けられるかは別問題だ。むしろ自覚しても避けられないからこそこうした価値観は強力だし、卑劣でもある。
恋愛至上主義が犠牲を生むと分かってたとしても、それを内面化せずに居られる人は少ない。特にあなたが恋愛至上主義によって利益を得ている既得権益者なら、なおの事難しいだろう。
増田個人の問題の解決が社会の解決に至らないとしても、増田個人の幸せを願うのはもちろん自由だしそれなりに美しくもある。でもその幸せをまたもや「彼女ができる事」によって成し遂げられるとあなたは考えていないだろうか?
冒頭で紹介した2番目の「「彼女ができない苦しみを整理したい」に対するコメント返し」(↓)をあなたは読んだだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
↑で増田は寄せられたコメントに一つ一つ真摯に答えようとしている(もっともその痛々しいまでの従順さは彼を幸せにするだろうか? と心配になるが……)
そしてそれに対するブコメは彼の真摯さを賞賛するものが多い。いいことだ。しかしその内容には反吐が出る。
なんと驚くべきことに彼の真摯さが「彼女ができる事」に役立つことを願ったり期待する声が多いのだ。なんだこれは? イカレてるのかあなた方は。
どうして彼の真摯さそのものを、それだけで独立した達成であり勝利だと考えることができないのだろうか? なぜわざわざ彼の真摯さは一度恋愛に換金されなくてはならないんだ?
あなたは彼の真摯さを賞賛しながら、なぜその手元の「恋愛至上主義」というものさしを手離すことができないんだろうか?
そのものさしこそが彼をひっぱたき皮膚を裂いた凶器であることを知りながら、そのものさしによって彼が幸福になることを望むのか? それがどれだけ残酷な事なのか、本当に分からないのか?
まず解決されるべきは彼の恋愛至上主義ではなく、あなたの恋愛至上主義なのではないか?
もう一度確認しよう。「Xが優れている」「Xをもつ者が幸福である」と規定するのが社会の価値観だ。あなたがたはXに「恋愛」なり「彼女ができる事」を入れることに抵抗はないようだが(彼の幸福が恋愛によって達成されることを望むならそういうことだろう)、一方で彼の美質である「真摯さ」はそれそのものだけではXに入らないと考えているようだ。
当然ながら、そのような価値観を持つあなた方が多く住むこの社会では「こんなに真摯なら彼女もできる/幸福になれる」ことも期待できない。ここでは真摯さの評価のされ方・されなさが問題だからだ。悲しくもあなた方はあなた方の願いが達成される見込みが薄いことを自分自身で証してしまっている。彼の幸せを願うコメントがどこか他人事なのもそのせいだろう。
チェックしよう。あなたのコメントは彼の苦しみの根源である恋愛至上主義を内面化したり強化するものでなかったか?
「いいえ」と答えられないなら線の左側へ。
なお、社会ではなく「彼個人に」「恋愛による幸せ」のためのアクションや原因を求めた者は2重にアウトだ。頼むから慎んでくれ。あなたは有害だ。
はじめに紹介したゲームを思い出してほしい。私はあなた方をゲームのプレイヤーに設定した。その意図がわかるだろうか?
あなたがたがやっているのだ。
あなたが彼の苦しみを生み、加熱し、支持し、育て、成った実を食べる張本人のひとりだ。
ゲームをプレイするうちあなた方は気付くだろう、このゲームはオンラインゲームだと。プレイヤーは自分だけじゃない、何億という人間がこのゲームに接続し、それぞれがこの社会に期待する価値観を送信する。その結果として恋愛至上主義はみなさまのご愛顧のおかげでランキング1位に輝きました。
そもそも具体的にどういう仕組みでこの価値観ランキングは動いているのだろうか?
当然ながら、為政者が「恋愛至上主義」ボタンをポチっと押したらみんなの脳に恋愛至上主義がダウンロードされる、わけではない。そうではない具体的な仕組みがあるはずだ。
その仕組みの中にあなたがいる。
あなたが寝て起きて食べて話して歩いて働いて遊んで観て笑って泣いて過ごす一つ一つの所作や言動が様々に作用して結びつく複雑系がこのランキングだ。
さて、あなたはセーフだろうか? あなたの好きなあのコンテンツやあの人やあの活動はセーフだろうか?
セーフだと思った?
だとすれば異常だ。どうしてあなたはあなたがセーフかどうか判定する能力なり権限があると思ったのか、どうかしているとしか思えない。
増田へのブコメを見てもわかる通り、この社会には恋愛至上主義を内面化してしまっている人間が多い。あなた方は日常の様々な場面で恋愛至上主義を強化するような言動をばら撒き、加害者となりながらそれに気付かない。
気を付けてほしいのはそういう行為なりコンテンツは必ずしも批判の的にならないという事だ。すでに社会の隅々に恋愛至上主義が行き届いてしまっている以上、それは社会からは「許される」。どころか「推奨され」すらする。この社会において批判されない行為やあるいは賞賛されているコンテンツですら、実際には恋愛至上主義をばら撒く害毒である可能性は十分にあるという事だ。聖域は無い。
こうした考えは、たとえばフェミニストならば割かし容易く受け入れられると思う。日常の仕草や多くの人間に支持されるコンテンツが誰かを生贄にして成り立つ価値観を静かに忍び込ませてしまう。そうしたことをフェミニズムは主張してきた。
たとえばフェミニズムへの敵対者は、残念ながらその逆のようだ。彼らは心情的には増田のような人間の味方になりたいのではないかと思うが、彼らの論理はその方法を提供しない。日常の些細な言動やコンテンツによる抑圧や価値観の忍び込ませといった話題に嘲笑で迎え撃つ彼らは、同様に恋愛至上主義を忍び込ませる言動やコンテンツを批判しえないのだ。
(もっとも、ここには反論があるかもしれない。全員がそうではないと。例えばフェミニズムの敵対者が「言動やコンテンツによる価値観のばら撒き」を否定しているのではなく、そのようなばら撒きへの批判の「偏り」を問題にしている、と主張するとしたら、それが本当なら確かにそうだろう。つまりあるばら撒きにはその存在や加害性を認めるが、他のばら撒きには認めない、という態度を取る人を批判するという事はあり得るし、実際増田へのブコメを見るかぎりそうした偏りを無自覚に持っている(自分の加害性を自覚できていない)人は多そうである。また↑のフェミニストへの期待も留保が必要な場合もある。彼女ら彼らはオタクコンテンツに対しては厳しい目を持っているが、彼女ら彼らが賞賛するコンテンツの恋愛至上主義のばら撒きに対して同じくらい厳しい目を持っていると言えるか? と言われると、うーむ、検討させてくれ、とならざるを得ないし、言動よりもコンテンツへの批判に偏っていると言われれば、それも自信をもって反論はできない。そもそも恋愛至上主義での既得権益者もそれなりに抱える集団なのだ、その点で不当であったり不誠実な人間も混じっているだろうし、そういう不純物に対する自浄性は多くの集団が備えていない。とはいえ、その辺りも自覚して気を付けてる人は多いと思う。思いたい(もっとも「自分は気を付けてるから大丈夫だ」とあなたが思ってるとしたら、あなたは線の左側にいる))
さて、チェックしよう。
あなたはあなたがこの社会で恋愛至上主義の蔓延に(従って増田の苦しみに)加担している自覚を持ってコメントしたか?
「いいえ」と言えないならあなたの居場所は線の左側だ。自覚を持ってくれ。お願いだ。
この他にも様々な線が引けるだろう。流石に疲れてきたので(本当にいい加減にしてくれ、せめてもっとマシになってくれ)このあたりにするが、気が向けばまた線を追加するなりするかもしれない。
さて、あなたはいま線の右側に居るだろうか? 左側に居るだろうか?
右側に居る場合はおめでとう。ただしそれは偶然の結果である事をお忘れなく。今回引いた線はあくまで私の能力の限界に規定されて選抜されている。私がまだ思いついていない他の線で左側に立たされる可能性は大いにある。
左側に居る場合は、あなたは他人にコメントする前にまず自分の問題や加害性をどうにかするべきだ。まずは恥を知るところからはじめるといい。
「こんなに細かい事をいちいち言われたら何もできないし言えないじゃないか」という感想をあなたが持ったとしたら「今更気付いたの?」と答えるしかない。現代は過去最高にアウトの線が増えた時代だ。あなたが何かする度、あなたは加害者である。あなたが何かをできるために倫理が気を遣ってあなたを避けてくれる事は無いのだ。
さて、気付いた方もいると思うが、これが価値観のしている事だ。
恋愛という線を引き、不躾にも他人をその右側に置いたり左側に置いたりする。もしもあなたがこれまでの私の言葉に傲慢さを感じたとしたら、いや、全く正しい。だから、あなたは、傲慢なのだ。
線を引くにしてもなるべくフェアになるよう言葉を尽くしたつもりだが、尽くしたつもりなら尽くせるとは限らないし、仮にその線引きがフェアだったとしても、その暴力性が無くなることは無い。人種や性別のような理不尽な線を選ばないとしても「差別じゃなく区別」などという戯言はやはり戯言でしかないのだ。
頼むから自覚してくれ、恥を、加害性を、暴力性を、知ってくれ。
「そうだそうだ」じゃねぇぞ。お前に言ってるんだよお前に。
ちなみにアメリカで社会保障番号カードってのがずいぶんまえから使われてるんだけど
実在の女のカードをお高い財布の商品見本写真にさしこんでうつしてばら撒いた広告業界のバカのせいで
その人の税金とかがめちゃくちゃになって政府があやまって新しいのを発行したという事件がある
追記 あったわこれ
https://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2015/10/44.php
有名なのは1938年の出来事。ある財布メーカーが、新作財布のカード入れにダミーのSocial Security Cardを入れて販売することにしたのが発端だ。そのカードに載っていた番号は社長の秘書ヒルダさんのSSN。つまり、本物だった!
仕事の帰り道、届いたメールに目をやると、もうすぐポイントが切れるとDMMからのお知らせだった。
最近は社会人になりやっと責任のある仕事を任せてもらえるようになり、なかなかゆっくりとAVを選ぶ時間を取れていなかった。
早めに仕事を終えた今日は、ポイントでどんな作品を買おうか想像を膨らましながら家路についた。
晩ご飯も食べ終え、いざ良いオカズを探そうと探すが、どうもピンとくる作品がない。
30分ほど探していたが、良い作品に出会えずに今日は諦めよてブラウザを閉じようを思ったときに見つけたのが、希志あいのだ。
僕が初めて希志あいのを知ったのは2009年の高3の夏だった。
その夏は、一刻も早く田舎の汗臭い中高一貫の男子校から抜け出したい一心で、東京のK大を目指して勉強していた。
K大に入学しさえすれば、女性とまともに喋ったこともない生活が一変し、一瞬でモテモテになると本気で信じていた。
そんな思いから、起きている時間のほぼ全てを勉強に費やす毎日だった。
それは、近くの駅にある美容室にいくことだった。
髪を切るのが楽しくていっていたのではもちろんない。
予約の電話をするといつもそのお姉さんが出てくれ、「あの、もし、、えーと、もし、、」くらいで僕だと気づいてくれて予約を取ってくれた。
美容室では受付の椅子に座っている時や、ちょっとした待ち時間にお姉さんはすごく優しく話かけてくれた。
しかし、なにも優しいお姉さんがいるからという理由だけでそんなにも美容室が楽しみだったわけではない。
いつも画面越しでみる女神が受付にいたのだ。
月に一度、あいの姉さんを見るだけで、勉強なんていくらでも頑張ることができた。
そんなある時、予約時間に遅れてしまい、「次からは遅れる時はメールするんだよ!!」とアドレスを教えて貰った。
それが嬉しすぎて正直2日くらい勉強が集中できなかった。。
メールでは次の予約などをするだけであったが、それでもドキドキの連続で5歳は上であろうお姉さんに恋をしていた。
勉強は休まず続け、秋になり、冬になり、受験がやってきた。慣れない東京でホテルに泊まり、緊張からお腹を壊しまくっていた。
本命の学部では緊張からかパニックになり手応えは全くなかった。
残りの日程の学部のテストもだんだん弱気になっていて正直受かる気はしていなかった。
そんな夜、届いたメールを見ると、お姉さんから励ましのメールであった。
正直メールの内容は他の人がくれるような、ありふれた内容だったが僕には女神の導きに見えた。
お腹は崩壊したままだったが気力を取り戻し、なんとか受験を終えることができた。
正直全部落ちたかとおもっていたが、メールをもらった翌日の学部は補欠合格し入学できることになった。
すぐにお姉さんにメールで合格を伝えたら自分ごとのように喜んでくれた。
何通かメールをやり取りしたあとお姉さんからも実は報告があると返事がかえってきた。
「増田くんが受験終わるまで言うの待ってたんだけど、3月末でお店やめるの。実は店長と結婚するの。」
ずっと前にお姉さんは僕の気持ちに気づいていたのだ。
ショックから落ち着いたタイミングで、今までの感謝を伝えに大丸でハンカチを買ってプレゼントしにいった。
プレゼントを渡した帰り道、あれだけモテたい一心で勉強を頑張った大学生活に心踊らすことはなかった。
みんなにモテたいかったのではい、お姉さんにモテたかったのだ。
涙をながしながら下を向き自転車をおしえていると、鮮やかな夕日がさしこんできた。
顔を上げると、そこには夕日に照らされた、咲き始めの桜が輝いていた。
始めて恋知って、始めて恋の痛みをしった春だった。
それから10年。今日あいのちゃんの作品を見た瞬間、いままで忘れていたその当時の春の香りが駆け巡った。
なんだかわかんないけど、涙と笑みが溢れ出た。