はてなキーワード: 言論の自由とは
言論の自由がない国を目指してるってコト?
左翼は言論の自由と、人種差別撤廃を訴えますが、実際には言論弾圧と人種差別をします。
何度も答えが出ています。
弥助が侍かどうが議論できるのは日本人だけです、と言ったらそれは間違いでしょう。
ですが、海外の巨大掲示板Redditでは「弥助は侍である」と結論付けて、議論を禁止しました。
彼らは議論への参加権があるだけで決定権はありません。本当は参加権すら無いと思います。
他国の文化について、なぜ断言できるのか、それは日本人に人権が無いからです。
弥助が侍であるかどうが議論があるのは、侍の定義が日本でも曖昧であるために議論が起きているのに
つまり、今後、日本でどのような議論があろうとも侍は殿様が命じれば何の武功も上げてない外国人でも
id:yas-mal 蓮舫氏の発言が「言論の自由への抑圧」だと言うなら、この増田は「裁判を受ける権利への抑圧」だろう。議員時代ならともかく、一人の私人でしかない今、他人がそこに口を出す権利はなかろう。
まあこの件に関してなんですけどね…
まず。
https://x.com/renho_sha/status/1813225397397647642?s=46&t=FBE2Rki1MSDg_1dagUFAWA
正直落選してからの蓮舫はしなくてもいい発言、やらなくてはいけない行動をしない、誰彼構わず噛みつきにいく姿にどんどん株を落としにいき、さらにこれら自分を批判する朝日新聞の記者に凸して、勤務先に抗議し、そして法的に対処を匂わせ言論の自由への抑圧を感じせる姿にはドン引きですよ…
都知事選挙で蓮舫に投票しなかった無党派層はああこの人に入れなくてよかったと思っていることでしょう。
そもそも蓮舫氏は特別に袋叩きにされてると主張されていますが、本当でしょうか?
私の印象では選挙後石丸氏も石丸構文と揶揄されるくらい叩かれていますし、別に女だからとかそんなくだらない理由で特別叩かれているとは到底思えません。
とはいえ、これは私の印象であって蓮舫氏とその愉快な仲間達の世界観では違うみたいです。
しかしなかなか説得できるような共通に認識できる指標もないので困りものです。
そこで、Yahooのリアルタイム検索ではXのツイートからネガティブかポジティブどちらが多いかAIで判定してくれるのでこちらで都知事選挙トップ3を見てみましょう。
これを見てみますと現職の小池氏がぶっちぎりでネガティブされてますね、現職なんで選挙戦では他の候補全員から批判されるので当然っちゃ当然かもしれませんがね。
石丸氏が1番ポジティブな評価高いですね、これはちょっと驚きでした、とは言っても数%ですが。
蓮舫氏はこの三人の中ではちょうど真ん中、特別批判されているかというと、そんな飛び抜けてネガティブされてるわけではないですね…
まあある程度の指標で蓮舫氏が特別攻撃されているなんてことにはなってないことお分かりでしょうか?
女性蔑視だのくだらない流言はお控えになった方がよろしいかと思います。そもそも都知事選当選したのは女性の小池百合子氏ですしね(小池百合子氏が名誉男性だとかミソジニーに塗れた女性蔑視も甚だしい発言は受け付けません、論評に値しないので)
衆院選には鞍替えしないみたいなので、今後引退されるのか地方の首長選に出られるかは知りませんが、政治家を続けられるなら今のような誰彼構わず噛みついていくスタイルよりも、シールくらい剥がすくらい世間に見直させる行動した方がよろしいのではないでしょうか?
この文章では、自由と制約という相反する概念を、インターネットという現代社会における重要なテーマと絡めて考察します。
自由ってそもそも定義が何だって話なんだけど、ここでは仮に行動の制約が少ないこととするね
で、そうするとどうなるのか
まずわかりやすいのがインターネットで、知ってる人は多いと思うけど、アクセス制限をしたいサイトには/etc/hostsってファイルに記述して回避できんのよ
で、大の大人がなんでそんなことするかって言ったら、そのサイトにあまりにも時間が取られて不自由になってるからなんだよね
このパラドックスわかるかな?
つまりね、一見すると自由を減らすための行為である「アクセス制限」という行為が、中毒を減らすことによってかえって自由を増やしてるってこと
つまり「なんでもかんでも制限をとっぱらえば、自由が最大化できるのか」っていうとそうでもないって話
いうなれば、正しい制約が存在すると、かえって自由が増すんだぞってのがここでいいたいことね
Twitterで「言論の自由を増やすために、誹謗中傷もある程度許可する」という発想があるみたいだけど、それは真の言論の自由ではないんだよね
同じ論理を適用すると、誹謗中傷を恐れて発言する人が減るから、その分の自由が失われるわけだよね
犯罪を規制するのも同じ論理で、その犯罪を許可することによって失われる権利(例えば自由)が存在するからこそ、法律が存在するわけだよね
ちょっと難しい言葉を使うなら、一種の力学系みたいなもので、力学系ってなにかって言うと、一定の規則に沿って時間遷移するシステムのことね
つまり「アクセス制限する」という規則を採用した場合とそうでない場合で時間遷移を追うと、後者の場合は「中毒」が現れやすくなって、結果的に自由の数値が減少してるって話
つまり正しく制限を行わないと、別の代替品の費用がかかって不自由が増すこともある
しかし匿名で不特定多数の人間に攻撃を行った場合は、かえってそれが憂さ晴らしになっている可能性がある
結果的に、重大な犯罪が起こることもなく、ある種の生贄を捧げるだけで済むようになっている
と、似たようなことをYoutubeで言ってる人を見たんだけどね、俺はそれには納得できないなぁ
そもそも憎悪は憎悪を見ることで増大する性質を持っていると俺は思ってる
低能先生が事件を起こしてしまったなら、生贄で憂さ晴らしして安全性を保つという発想が大した役割をしていなかったってことだな
この意味で俺は、「実名性」という制約を付け足せば、自由が増加すると考えている
実名個人を攻撃したことによる誹謗中傷は犯罪となるから、誹謗中傷を見つけたらすぐに警察にでも通報するか、訴えればいいからね
つまり実名であれば、正当化できる攻撃が存在しなくなり、結果的に憎悪が憎悪を生み出すことも減り、投稿がしやすくなり、自由が増えるということ
でも匿名での投稿を法的に規制しても、児童ポルノと同レベルの重罪に問わないと抜け穴が出るだろうね、Torでサーバー立ち上げるとかね
だから「匿名ダイアリー」は自由でもなんでもなく、不自由な場であると俺は言っておくね
実名で発信すれば、仮に誹謗中傷されても訴えることが可能だけど、匿名だったら誰がIDを見てるかわからないし、叩かれ放題だからね
ただし「実名という制限を課せば、その分自由に発信できるようになる」という考えは、
あくまでも発信内容が恥ずかしくない正当な場合だけで、陰口とか暴言とか書くなら発信しないほうがいいよ
追記:
陰口、暴言を書く人間に人格上の問題があるというのは単なる事実なので理解してね
追記: