はてなキーワード: 脊索動物とは
人間だけが化けて出られるの?それとも犬とか猫とかの人間以外の幽霊はいるの?
ここで返答は枝分かれする。
ホモ・サピエンスだけなの?それはホモ属だけってこと?それとも現世種であるホモ・サピエンスと遺伝的に同質じゃないとだめなの?
例えばホモ・サピエンスに限りなく近いけど少しだけゲノムに違いがある種が確実にちょっと前にいたはずなんだけどそいつらは幽霊になれるの?なれないとしたらその僅かなゲノムの差異が化けて出られるか出られないかの分かれ目っていう謎の話なの?
じゃあ現代人も個々人でゲノムの差異があるわけだけどその差異はどうなの?横方向のゲノムの差異は問題なしで縦方向のゲノムの差異だけ問題視するの?それとも「幽霊になれるゲノム」「なれないゲノム」があるの????
少しのゲノムの差異があるだけなら化けられるなら、どんどんその少しの差異をチンパンジーと枝分かれする700万年~600万年の共通祖先まで辿れるわけだけどどこの段階でどういう理由で「こっから先のゲノムは幽霊になれませーん」ってなるの?
ホモ属はオッケーでアウストラロピテクス属はだめなの?その属の分け方ってめっちゃ人間の主幹だしどっかでホモ属ともアウストラロピテクス属ともいえない種がいたはずだけどそいつは化けて出られるの?出られないとしたらその前後の遺伝子の変異を問題視するってことなの?どういう理由で?
チンパンジーから枝分かれした人類の祖先までは化けて出られるとしたらその「共通祖先と人類の祖先」とのゲノムの差異も最初はめちゃくちゃ少なかったはずだけどなんでそこで別れるの?その少ない差異が幽霊になれるかなれないかの分かれ目っていう馬鹿な話なの?その2種の差異はどう考えても人類の祖先と今のホモ・サピエンスの差異以上に少ないはずなんだけど?
もっと言うなら別にヒトの進化って一直線じゃなくて色々枝分かれしてるし同じ時代に生きてたりするんだけど、例えばネアンデルタール人とかフローレス人とかは幽霊になれるの?なれないの????
じゃあさ、例えば細菌の幽霊もいるの?お前の腸内でいまもバカスカ死んでる大腸菌も化けてでてくんの?それとも細菌ドメインや古細菌ドメインはだめで真核生物ドメインだけなの?じゃあ菌類とか植物の幽霊もいるの?ゴキブリの幽霊とかも?それとも猫や犬だけなの?それはどこで分けてんの?脊索動物門だけとか哺乳綱だけとかそういう話なの??脊髄の有無や乳房の有無で化けられるかどうか決めるの????
もしかしたら脳の有無って分け方?でも脳って進化の過程で細かく見てけば漸進的に作られてったはずだから「脳らしきもの」と「脳」との間があるはずだしこのふたつを分けてるのは人間の勝手な主観になるんだけどそこが分かれ目ってどういう理由なの???
それとも生命はすべて化けてでられるの?じゃあさウイルスはどうなの?ウイルスが生命じゃないってのはめっちゃ人間の主観的な分け方だからね?まさか細胞の有無で幽霊になれるかなれないかが決まるの?そんな生化学的な理由なの?なんで?
もっと言うならDNAとかRNAとかの自己複製子は幽霊になれないの?たんぱく質構造の有無とかいう生化学的な理由で幽霊になれるかなれないかが決まるの?んでさらに言うならDNAとかRNAを構成する各ヌクレオチドは幽霊に何でなれないの?ヌクレオチドの構成要素である糖とかリン酸とか塩基とかはどうなの?チミンの幽霊とかシトシンの幽霊とかいちゃだめなの?
今日が暇だったから、前々から興味があったはてな匿名ダイアリーに日記を書くことにしてみた。色々調べていると、初心者のための増田講座みたいのもあって世の中は平和だなと思った。せっかく書くのだから、たくさんの人に読んでもらえると嬉しいなと思った。だから、いかにもなタイトルを付けてみたが特に内容はない。それでもいいんだよね?
でもせっかくだから、タイトル通りの内容を書いてみることにした。意見とかもらえたら嬉しいのだけど。まぁなくてもいいや。書きます。「人に説明をする時に気をつけているたった一つのこと」。
とかさ、何一つ間違ったことは伝えてないんだろうけど、分かった気がしないよね。これ、多分説明してるんじゃなくて、定義をしてるだけだからなんだと思う。数学の教科書も似たような構造をしていて、最初に公式の定義があって、その後に延々と証明があって、最後には定義通りの式が導出できてて、「ほら簡単でしょ?」、じゃあ次。ってな風に説明されているよね。これで分かる人もいるのだろうけど、苦手な人、多分多いです。数学嫌いな人は特に苦手なんじゃないかな。これは、「○○ってなに」とか「○○ってなんだろう」みたくチャレンジ一年生的やさしげな言葉に置き換えたところで、その分かりづらさは何一つ変わることはない。
だからこそ、人に何かを説明する時「とは」に頼りすぎないように気をつける。じゃあどうするのかというと、よく練り上げた比喩で説明をはじめる。いいお手本として参考にしているのが、「郵便と糸電話でわかるインターネットのしくみ」という本。内容は別にどうでもいいから、目次だけは見てみてほしいです。「通信の基本はのろしと糸電話」といったように、ほとんどの人が実体験として持っている、もしくはかなりの人が常識的に知っていることばによって説明をはじめる。そのことばを軸にしつつも、比喩の部分をだんだんと削ぎ落としていき、説明すべき事項に慎重に近づいていく。そのように説明が展開されるように気をつけています。説明の最終段階として、ことばを持ち運びしやすいように定義づけるのは別にいいことだとは思います。説明の流れのイメージとしては、マトリョーシカ人形などどうでしょう?一番外側はよく知っている顔なのだけど、一個ずつめくっていくうちにいつの間にか違う顔のマトリョーシカになっているという感じ(この比喩がわかりにくいよ!)
もちろん定義という手段が必要になる場面はいくらでもあります。そして「とは」を使った表現が有効な場合だっていくらでもあります。ただ、無自覚・無意識に「とは」を使って説明した気になっているようなやつには、十分反省してほしいです。以上。