はてなキーワード: 神聖ローマ帝国とは
植民地主義にポリコレ棒バンバンするのは、悪かったのは当時の植民地経営会社だけである、一般の善良な白人は遺憾である、と言いたいだけやろ
今では虐殺は犯罪と思うようになったものの、植民地持ってることは誇る白人種のひとびとの意識には不信感あるな(理解はできるが
そもそも、コロンブスのいたスペインはグラナダ国から航海術を学んだくせに、グラナダ滅ぼして新大陸進出して虐殺で領地拡大したわけで
スペインから神聖ローマ帝国まで支配して、1531年証券取引所を建てて、カトリック迫害してプロテスタント革命を支援したハプスブルグのカール5世が植民地主義の元凶、今で言うDS
アメリカ大陸では先住民インディアンが英蘭戦争、英仏戦争に雇われて人質合戦
産業革命できた割には弾薬がどうにも足りない、日本には硫黄があるらしい、黒船で襲撃だ、侍にミシンやエロ本を与えてやろう
結局のところ植民地の混血ならどちら側の血も持っている
東武東上線のふじみ野駅は、ふじみ野市ではなく富士見市にある。
これは、新宿駅の一部が渋谷区にあるというような、単に駅が隣の市にあるというわけではない。
ふじみ野駅は上福岡駅(当時 上福岡市)と鶴瀬(富士見市)の間に平成五年にできた駅で、その周辺は富士見市ふじみ野西 富士見市ふじみ野東として開発がすすめられた
また、大井町(当時)の境目でもあったことから、大井町にもサティ(当時)ができたり、住宅地ができるなど、大井町のほうでも開発が進んだ。
当時、大井町・上福岡市・富士見市・三芳町の2市2町は合併をしようという計画が上がっていた。
だが住民投票で否決された。
三芳町は小規模な町ながらも大規模な工場、関越につながる物流拠点、などの産業があり、地方交付税が不交付なほど財政が盤石だったため、メリットがなかったし、世論としても他の市の財政の肩代わりをさせられるという空気もあった。(なお三芳町は単独で市になることを目指している)
合併がお流れになったのだが、大井町と上福岡市の二つで合併がすすめられ、ふじみ野市になったのだ。
上福岡市、大井町、富士見市の一番近い栄えている場所なので、そこを中心としようという気持ちがあったのかもしれない。
18世紀の中欧、神聖ローマ帝国領土内と周辺国で30年戦争という長期間の戦争が発生する。
双方が戦争によって疲弊したことによってその停戦合意として「思想信条の自由」が生まれた歴史的経緯がある。
なので当時のドイツ人の人権感覚が優れていたと言う話ではなく、単なる戦争の産物に過ぎない。
ウィーンのカトリック派と、ライン川流域のプロテスタント派が30年間の戦争の果てに国土は荒廃し、最終的に共倒れする。
その停戦合意として「帝国諸侯はカトリックとプロテスタント、どちらの宗派を選んでもいい」ことになり、これが思想信条の自由の理念となる。
帝国諸侯とは、神聖ローマ帝国内で自治権をもっていた主権国家であり、日本で言えば江戸時代の藩みたいなものをイメージしてほしい。
何が言いたいかと言うと、今はてな界隈で色々話題になっている表現の自由の議論を見ていると、その点を無視しているように見える。
18世紀の神聖ローマ帝国ではカトリックとプロテスタントと言う「水と油」の両者が聖戦志向で激突し、30年間戦ったあげくに共倒れして、お互いの主張を認めると言う意味で「表現の自由」の概念が生まれた。
今のネットでは、フェミと反フェミと言う水と油の両者がネット上で30年戦争のごとく大激突している。
萌え絵やBL市場の全部を焼き尽くした上で、フェミと反フェミの双方が「これ以上の戦いは止めて、今後はお互いの意思を尊重しよう」という機運になった時に初めて表現の自由の理念が成立するのである。
なので、今後も徹底的にやりあえばいい。
五賢帝は、1世紀末から2世紀後期に在位したローマ帝国の5人の皇帝、またその在位した時代のこと。しばしばネルウァ=アントニヌス朝とも称される。共和政時代から続いてきた領土拡大が一種の集大成を迎え、ローマ帝国始まって以来の平和と繁栄が訪れた。パクス・ロマーナと呼ばれる時代の一角をなす。
貞観の治(じょうがんのち)は、中国唐(618年 - 907年)の第2代皇帝太宗の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627年 - 649年)の政治を指す。この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世に政治的な理想時代とされた。わずかな異変でも改元を行った王朝時代において、同一の元号が23年も続くというのはまれであり、その治世がいかに安定していたかが窺える。
16世紀中盤から17世紀前半までの約80年間はスペインが史上最も繁栄した時期であり、黄金世紀(Siglo de oro)と呼ばれている。スペイン君主のカルロス1世が神聖ローマ帝国皇帝に即位した際には、ヨーロッパにも本国以外の広大な領土を持つなど、その繁栄の様は「太陽の沈まない国」と形容された。
19世紀後半のヴィクトリア女王の時代、近代イギリスで最も繁栄し、多くの自治領、植民地を所有し、工業生産・金融の面で世界経済のヘゲモニーを握り、第二帝国の時代ともいわれた。国内政治では保守党と自由党の二大政党が交互に政権を担当する政党政治が機能し、文化面でも世界をリードしパックス=ブリタニカを実現した。
ベル・エポック(Belle Époque、仏:「良き時代」)とは、厳密な定義ではないが、主に19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までのパリが繁栄した華やかな時代、及びその文化を回顧して用いられる言葉である。19世紀中頃のフランスは普仏戦争に敗れ、パリ・コミューン成立などの混乱が続き、第三共和制も不安定な政治体制であったが、19世紀末までには産業革命も進み、ボン・マルシェ百貨店などに象徴される都市の消費文化が栄えるようになった。1900年の第5回パリ万国博覧会はその一つの頂点であった。
第一次世界大戦の特需にアメリカは大いに沸いた。アメリカ経済は空前の大繁栄をとげ、戦前の債務国から世界最大の債権国に発展した。世界経済の中心はロンドンからニューヨークのウォール街に移った。大衆の生活は大量生産・大量消費の生活様式が確立する。一般には「黄金の20年代」と呼ばれ自家用車やラジオ、洗濯機、冷蔵庫等の家電製品が普及した。1920年には女性への参政権が与えられるようになった。ベーブルースによる野球人気やチャップリンの映画、黒人音楽のジャズなどのアメリカ的な文化が開花した。
いつ?
英語だと Austro-Hangarian Empire か Austria-Hungary だがたぶん一番一般的?
当事者の意見なんて知らん!という一種の原理主義者の意見だがあまり聞かない。
厳密にはアウスグライヒ以前だが、以後も含めて使われることもある
オーストリア大公国やハンガリー王国以外にもボヘミア王国やらその他領邦を含む概念で Habsburgermonarchie の訳語。一般にはハプスブルク帝国とも。なかなかの中二力。
カーウントカー。kaiserlich und königlich 英語にすると Imperial and Royal で英国をUK、アメリカをUS と言う様な物だが日本では通常使われない。