はてなキーワード: 教養とは
読書会で知り合ったネットで竹島は日本の領土だと主張していそうなアラサーの弱者男性とランチした時の話です
その弱者男性さんってコンピュータについて何も勉強していないみたいでした
プログラミングも出来ないし、ネットワークの知識もない、そもそもパソコンすらまともに扱えないらしいんですよね
そのうえ私はその弱者男性さんが「インドは国じゃない」とか「インドの人口が多いからと言っても日本とは比べ物にならない」とか
「日本の人口が1億2千万人だからインドはせいぜい3~4万程度」とか「日本の経済力と比べたらインドのGDPなどゴミ同然」とか言っているのを聞いて教養がない人なんだなあと思いました
たとえば最近読んだ本ではこうだ。著者は女性の法人類学者(骨を専門とする科学者)で、本の内容は骨の世界について一般人に紹介するようなもの。この本で、作者は祖父にレイプされて自殺した少年の骨に強いストレスを感じていた痕跡があったエピソードを紹介し、自身もまた9歳の時にレイプされたことを告白していた。
訳者あとがきでもこの事に触れていたんだが、著者はレイプや児童虐待に関する論文も多数発表している。やはりレイプが原体験になっているのか、いやはや、ちょっと執念を感じる……。って書き方なんだよね
古い本ならありうる話だが、この本の日本語翻訳版出たのは2022年の夏、しかも訳者の名前からしておそらく女性。英日翻訳をするくらいの教養者だから昨今の人権感覚とかはわかっているはず。それでもこんなこと書いてしまえるのか……となんか地味にショックだった
あと覚えてるのはダ・ヴィンチ・コードの作者の本。訳者があとがきで、ウンチクが多いとネガティブに書いてて心底驚いた。教養をテーマにした作品でそれ言うんかい……と。
元増田じゃないけど、まともに回答できてるブクマコメント少なくて、はぁ〜って感じ
「必要」の意味わかってんのか。作業を回すために絶対に不可欠って意味だぞ
そりゃプログラマーの教養としてあったら解決できる問題も増えるし安全だし最高だけど、人間のリソースは有限だから取捨選択する必要があるわけで
ちゃんと「必要」と主張するなら「必要」なことを証明するべきっしょ
無理だろ、業務の種類によってぜんぜん変わるからな。やっぱりCSは必要とは限らんし、必要と限らないことは「必要」じゃないんだよ
トラブルさえなければ〜。みたいなのはそのとおりだしもっと言うなら、普通に開発してたらライブラリでカバーできない処理とかは全然出てくるし、そう言うタイミングで大抵の人はCSっぽいこと勉強して対応するんじゃないのか?
それって予めCS必要!必要!って声高に叫んでオベンキョするよりも、業務の実践で必要になるたびに習得するんがいいんじゃないのか
CS的なことって全然「不要!」とは思わんし、あったらいいことだけど「必要」って言い始めると嘘じゃん。なくてもある程度のプログラミングはできるし、そのある程度のプログラミングの範囲内で生活が成り立つなら、そこにとどまるのは戦略のうちだよ
CSないとプログラミングできないみたいなこと言ってると、誰も最初の一歩でプログラミングやろうってならんわ
おれもCSやったほうがいいと思うけど、必要って言い始めたら引く。必要ではない。なるべくあったほうが絶対にいい、とは言い切れるけど。「必要」とか言葉を雑に使ってしまうほうがプログラミングのことわかってない奴だろう
10分本読んでたら眠くなる。
なろうもいける。
なろうを出す時点で教養がない人間の可能性が高いと推察されるがそのとおり。
太宰のようわからん本は読書全盛期の高校生の頃でも50ページくらいで死んだ。
最近見てるreadingで無料で読める自己啓発本とかは馬鹿にしてる作者、内容とそうでないもの関係なく読めなかった。続かない。
糞みたいなのと決めつけても流し見はできない。
この人は賢いんだ!と思ってる人の本でも続かない。
小説とか自己啓発本とかは読めなくても心底どうでもいいんだが、技術書は読みたいんだ。
今読んでるオライリーのDesign It!とか知りたい内容なのに寝てしまう。
自分から見ると、Twitterや掲示板に出没するレベルの奴らは9割、フェミもオタクも単純に無知だな。
例えると永遠に「天動説だ!地面は平らで動いてないのに地球が動いてるなんておかしい」「いや地動説だ!地球が動いてる」みたいなことを言ってる感じ
「あの学者先生は地球には引きつける力があるって言ってたから地動説の奴ら終わったな!動いてたら物を引きつけてるわけないだろ!バカだな!」
「あの学者は地球は同じところを回転してるって言ってるわ。意味不明。もはや宗教だな」
「自分は地動説が好きかな、やっぱり地球って生きてると思うし」
みたいなかんじのことをずっと話してる沼ワールド
よく分からんけど頑張って欲しい
フェミニストの中には教養があるマトモな意見を言っている人間がたまにいて嬉しくなるが、そういう人はよく見たらみんなプロフィールが海外経験のある政治学か法学を専門で学んでる学者だった
あとは業界人
三角関数絶対必要マンの理系だけど、古典というか古文というのは言わば「言語史」だから、絶対必要だよ。
国語数学理科社会がなぜ必要かと言うと、それは単に「生活を豊かにしているから」とか「お金を稼ぐためのキャリアとして必要だから」というだけじゃなく、「私たちが生活しているこの社会が、一体どんな土台の元に成り立っているのか」の一端を知るということだからね。
狂人が「明日は槍が降る」と言うことと、天気予報士が「明日は雨が降る」と言うのは、明日の天気を自力で計算できない市井の民にとって、論理的には同等なんだよね。それでもなぜ私たちは狂人よりも天気予報士の言うことを信じられるかと言うと、それは地の教養が身についているから。「科学的に、槍が降るよりも雨が降る方が、概ねあり得そう」と判断できるには、それなりの教養が必要。かつて杞の国の人々が天が落ちるのではないかと憂いた「杞憂」のような集団ヒステリーは、現代社会では比較的起こりにくい。(たまに起こるけどね。)それを抑えているのが民の教養。
失礼クリエイターによる「マナー」の捏造を人々が批判できるのも同じ話。教養がなければ、言われたことを言われた通りに信じるしかない。
「言語は生き物である」という考え方も最近はかなり浸透して、誤用警察も随分大人しくなってきたよね。自然言語の変容という現象を理解する上で、「言語史」あるいは「古文」の知識は間違いなく必要になる。
物を大切にしないやつ、本当教養がないなって思う