はてなキーワード: 改憲派とは
私自身は改憲派なんだけど、護憲派の意見に興味があったから行った。
私「抑止力としての敵地攻撃能力が平和維持には必要なんじゃ……」
吉田茂よろしく、九条を利用してアメリカからの派兵要請を拒否しようとか、平和シンボルとして九条を柔軟に運用しようとか、護憲の理由付けがごっそり抜けてる。
理屈があって護憲ならまだ分かるんだけど、とにかく九条死守の一点張りはあまりにも知恵がなさすぎる。
そもそも「九条の会」の講座が、お年寄りの茶話会みたいになってる。
誰が入院したとか、孫と遠出したとか、病院のサロンみたいな話ばかりしてる。
私が政治の話しようとすると、「そんなデリケートな話題ふるな」って露骨に嫌な顔する。何のために集まってるんですか?
九条っていう題目をネタにして、交流したいだけ。ネタにはあまり意味がなくて、コミュニケーションを取ることが目的。創価学会と似てる。
有権者のオツムがこの程度なのを思うと、改憲派の私でも「九条がなくなったら、自衛隊がアメリカ軍の一部になる恐れがある」って考えちゃう。
困るのは、こういう人たちが選挙でそれなりに力を発揮すること。
他の左翼系団体はどうなのかな?
主義主張の中身というより、頭の良し悪しが心配。
そうした人を、リベラルやサヨクみたいな人が、”ナチス麻生”や”アホウ”といって足蹴にして罵っているのだから、なんかもったいない。
不思議でも何でもないだろう。「リベラルやサヨクみたいな人」は、あくまでも「みたいな人」に過ぎないのだから。
もっと直接的に言えば、「ネトウヨなんかガス室送りしてやりたい」という本音を持つような、ネトウヨとは逆ベクトルで他人の意見を一切認めない狭量な人間こそが彼らなのである。気に入らない他人を貶めるのは、彼らにとって義務といっても過言ではない。改憲に慎重だろうが何だろうが、軍事力を肯定し、改憲派とつるんでる時点で、左翼にとって麻生太郎は殺してやりたい存在なのである。
麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要(平成25年8月2日(金曜日)) : 財務省
を読んで
【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
を読むと、”麻生は憲法改正に反対だと取られたのでは”という麻生副総理の会見での発言と整合しているように思える。憲法改正は静かに、慎重であるべきというのは副総理の発言は、すくなくとも討論会の参加者には認識されていたのでしょう。
であるならナチを賛美しているというより、悪例として取り上げたという麻生副総理の釈明は自然だと思う。まぁ、悪例というより、かなりメディア批判と改憲派への皮肉を混ぜたきわどいビーンボールなのは確か。だから、聴衆から笑いが出たのだろうし。改憲派のセミナーで、おもっきり改憲慎重発言しているのだから、護憲的な朝日新聞の第一報ではナチスうんぬんは出てこなかったのだろうなと。
ピッチャーとバッターがニヤリとして終わればよかったが、レフト側ベンチからワラワラと人が出てきて乱闘騒ぎになってしまったという、野球でよく見かけそうな場面となっちゃいましたといったところかな。ビーンボールを投げたピッチャーは退場寸前の警告。
麻生副総理って、憲法改正には慎重で、靖国参拝はするけど持論はウル覚えだけど靖国神社の宗教法人自主返上&分祀&国家追悼施設化だし、内部留保に関しては国会で共産党と意気投合するし、全額社会保障化での消費税増税に理解を示していて、新自由主義者とマネタリストは信用していないようだし、一貫して韓国は、自由と民主主義という共通の価値観を有していると擁護?していて、と案外とリベラルや左翼に近い。(人間だからいろいろ矛盾はあるだろうけど)
そうした人を、リベラルやサヨクみたいな人が、”ナチス麻生”や”アホウ”といって足蹴にして罵っているのだから、なんかもったいない。
あくまですごい解釈を披露する遊びだと言う前提で言うけど。
ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。
これは、全権委任法ではなく、首相になるときのことだろう。過半数ではないが、議会で”多数”を握ったからこそ、大統領もやむなく首相にしてくれたわけだ。
そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。
これは、文字通り憲法がよくでもダメな政治家が台頭することはあり得るという意味だろう。そして
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって(事実上無効化され)、ナチス憲法(法の支配じゃなく”党”の支配になったという意味)に変わっていたんですよ。(弾圧によって反ナチス勢力が活動できなかったせいで、その問題点には)だれも気づかないで変わった。(性急な改憲派は、騒ぎの中で改憲しようとしているけれども、それよりなら弾圧してでも静かななかでやった方がマシだ、だから)あの手口学んだらどうかね(と、考えると急いで改憲することがバカだとわかるだろう?)。
わーわー騒がないで。本当に、みんな(ワイマール憲法は)いい憲法と、みんな納得して、(にも関わらず弾圧など強引な政権掌握の過程で)あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味(憲法の硬性は、選挙妨害や議会規則の強引な変更で実質的に無効にされる恐れがあるという意味)で、僕は民主主義(民主的に改憲する余地があること)を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない(ために、憲法の硬性はできる限り維持すべきである)。
ネトウヨさんは、これ自由に使っていいですよ。
全文を読むと
→ナチスの場合、民衆の熱狂的支持の中で静かに(悪い方に)事は変えられたよ、
→否定はしないが民主主義でも(ナチスという過ちが起きたように)
民衆によって過ちは起きる事もある、気をつけよという文脈
まとめ:
国家に利用されないようにね!
に見えたけどなあ…
話す対象は改憲派らしいので静かにしてればナチスみたいに事はうまくいくよ
基本的に落ち着け、と改憲派にも冷や水というか冷静を促している話だと思いました
そもそも世界に向けて発信した話では全く無く、
いわゆるハイコンテクストの極み(聴衆はごくある種の団体
でのトークなのにローコンテキストの極みの世界の舞台に引っ張り出されて揚げ足を取られていることに、
時代の不幸を感じるけどなあ…
昔からこんなんでしたっけ?
これより際どい発言多かったし、それをみんな面白がってなかったか?
世界中の全政治家のトークが日々こういうチェックされる世の中なんですか?
グローバル時代っていうのは世界がPTAになるって事なのか、と思いました
麻生さんのトークもつまらないローコンテキスト化するしかないのか。
やろうと思えばこれで麻生さんを永久失脚させる事もできるでしょうが、
あとは与党野党マスコミ関わらず、日本の政治にさて、実利として彼を失っていいのかどうか考えてるのかな、というところじゃないかな。
少なくともリンク先にあるような記事を書くような護憲派はどうしようもないヤツラだな、ってことでしょ。
そこに、改憲されたら、卒業式で国家歌うのを拒否したら大学推薦取り消されて人生を狂わされてしまう、
という話があるので、これを「押し付け」と言ってるのかと。改憲後、の話ね。
増田が護憲派なのはよくわかったけど、その話の流れで実はあべちゃんもただブラフとして言ってるだけで
ホントはやんないよ、ってのは流石に飛躍し過ぎかと。
あべちゃんと園周辺が実際そう思ってたとしても、実際作業してる人達はそうは思ってないだろうし、
流石にそこまで国民を馬鹿にしてるとは思えないけどな。馬鹿にしてるってか、そこまでこじらせてブラフにする意味もわからないし。
共産党とかの左翼って、同じ日本人でも改憲派とかは同じ民族どころか「人間」とすら認めてない感じがあるよな。右翼が言うところの「ヒトモドキ」としか見ていない気がする。
お前さんはお肉になりたい豚だからな。人間の心を捨てた家畜の群れに相応しい最期を迎えるのだよ、日本は。そのような所詮豚共でも一応姿形は人間である以上、人権は護持されるべきものなんだよ。
ネオナチとかの例ひとつとっても、お肉になりたい豚の群れは日本だけではないことくらいはわかってるよ。「「外国人」という存在を理想化してる」例をあげてごらん。「外国社会」ではなくて「外国人」をな。
だいたいの人間は、そういう連中だよ。相手を小馬鹿にする「便利な道具」として、人権や倫理を振りかざすしか能がない。
左翼団体に所属していた友人曰く、左翼は憲法改正を語る人間を前にしたら、護憲派の大半はこう思うのだという。「ああ、こんな野蛮な子供を相手にするのは時間の無駄だ」とね。で、頭ごなしに批判する。ほとんど、相手をなじるかのように喧嘩腰なので、相手も素直に聞くわけがない。改憲派の人間は、護憲派に興味を持つどころか、護憲派への憎しみしか抱かない。こんなんで、護憲思想など広がるわけがない。
もちろん、それは逆にしても同様なんだろうが。
中国や北朝鮮の軍拡を止めること、これに尽きる。そもそも、日本の改憲論や、自衛隊増強の背骨は、「中国や北朝鮮の軍事的伸長に対向するため」というのを理由にしてるわけで、当然だけどね。
でも、護憲派は日本の改憲派を批判するだけで、中国や北朝鮮の軍拡に反対する姿勢を見せない。
もちろん、護憲派は、時に中国や北朝鮮への批判を展開するけど、少なくとも、日本の改憲派に対するものほど、強烈で過激ではない。
少なくとも、自分は「護憲派が作製した、安倍首相とヒトラーの合成写真」は見たことがあるけど、「護憲派が作製した、北朝鮮や中国の政治家をパロった写真」は見たことがない。
これで「憲法を守ろう」と言っても、改憲か護憲か決めかねている層は、「護憲派は、本気で平和を考えてるのだろうか? その割には、中国の領海侵犯などへの批判は聞こえてこないが」と疑問を抱くばかりで、共感を得るのは難しいだろう。
僕も今度はあなたの言わんとしていることがいまいちピンと来ない。具体的な事例を挙げながら書いてくれると助かる。とはいえ、こちら側の主張をもう少し書いておく。
歴史家のヘイドン・ホワイトによれば、歴史というのは何らかの教訓なしには語り得ない。ただ起きたことを時系列的に書き起こしたところで、それは歴史にはならない。歴史を語った時点で、どうしても何らかの教訓が引き出されてしまう。その意味では、たしかに歴史修正主義の人たちも、歴史から何らかの教訓を引き出そうとしているのだろう。しかし、問題は、そこで引き出される教訓の質が低いことにある。そうした態度から出てくるのは、それこそ「仕方がなかった」という諦観か、「騙された」という恨みつらみ、あるいはプロパガンダ合戦に負けないようにしようという水準のものでしかない。
たとえば、某田母神さんが好きなコミンテルン陰謀史観。これは保守層にはそれなりに浸透していて、要するに「日本が泥沼の戦争に突入したのはコミンテルンの陰謀のせいだ」という話。もちろん、陰謀自体はつねに存在しうるわけだが、それによって日本が一方的に戦争に引きずり込まれたというのは、責任主体としての日本政府の責任を免ずるような効果を持つ。「戦争は日本のせいではない→したがって、戦前の日本の国家のあり方を反省するどころか、というかそれを取り戻すべき」みたいな思考の流れになる。そうなると、戦前日本においてまともな政策論争を不可能にしてしまうような言説構造がいかに生まれたのか、「空気」に支配されがちな世論と外交とをいかに関係づけるべきか、といった問いを考える契機も失われてしまう。
虐殺や人権抑圧に関しても同様。歴史認識問題に深入りすることは避けるが、僕はやはり南京虐殺にせよ従軍慰安婦にせよ日本側に大きな問題があったと考える。虐殺の規模や狭義の強制があったかどうかといった問題は措くとしても、「虐殺は存在しなかった」「慰安婦は売春婦に過ぎなかった」という主張からは、国際的なプロパガンダ合戦に今度は負けないようにしよう、ぐらいの発想しか出てこない。言い方を変えれば、修正主義的な思考では、当時の日本の社会や軍隊そのものについて考えるというよりも、「歴史の語り方」の部分に思考が集中してしまう。その挙句の果てが、NY州の議員に稚拙なコピーメールを大量に送りつけてかえって怒りをかってしまうという状況なんだろう。事実を事実として認めてようやく、それでは中国戦線において軍規が乱れてしまった原因は何か、兵員の管理に問題は無かったか、戦場での兵士の性をいかに考えるべきか、という問いが生まれてくる。
もちろん、歴史を考えるうえで、日本を一方的な悪役にする必要は必ずしもない。日本側の主張にも正当な部分はあったとは思う。しかし、結果としてアジアへの侵略をずるずると拡大し、無謀な戦争に突入してしまったということは大前提として踏まえておくべきだろう。
あと、「改憲したい人=反省してない人」なんて言っていない。一番最初の書き込みに「いまの改憲派の少なからぬ人たちが歴史修正主義的な価値観を持っているように見える」とは書いたが、全員そうだとは言ってないでしょ?改憲派であっても、歴史をきちんと学んでいる人はいる。ただ、そういう人たちの声があまり聞こえてこず、改憲論と歴史修正主義とがセットであるかのように同一の論者によって語られる場合が多いのが怖いということ。
以上。
また、いまの改憲派の少なからぬ人たちが歴史修正主義的な価値観を持っているように見えることも怖い。石破さんあたりはさすがに慎重だが、脳天気に戦前日本を持ち上げる人たちを見ると改憲にはどうしてもイエスと言いにくくなる。内外の多くの人たちを苦しめ、泥沼に入り込んでしまったことに対する真摯な反省もないまま、国防軍への改組というのは怖すぎる。しかも、そうした反省なき改憲では、欧米諸国の理解も得にくいし、中国国内でも対日強硬派がさらに発言力を増すことになってしまう。
俺もたぶん、「変な風に変えるぐらいなら現行のままで良いと思ってくるぐらいの緩い護憲派」なのだが、上のような文章には、非常に疑問を覚える。
俺は「緩い護憲派」であるとともに、戦前日本を肯定する立場だが、その肯定ってのは「結果内外の人を苦しめてしまった」にせよ、当時、そこにいた人は、それなりにベストを尽くしたんだろうな、という意味でだ。非常に少人数での陰謀的な行為や犯罪行為などはとがめられるべきだが、それ以外のところ――戦争や大きな事変などは、後から振り返って良くない点があったにせよ、現場の人間にとってはやむにやまれぬ判断だったであろうと思う。その種の判断の当時の当事者であればともかく、その子孫にたいして「反省」を求めたところで、どうなるモノでもないというのが立場だ。
それは日本人として日本の過去を開き直るというわけではなく、世界中の国々の過去にたいして同じ立場を取ると言うことだ。
こういうのもとしあきからしたら歴史修正主義と言われてしまうのではないかと恐れるが、なんだか歴史修正主義って言葉がサヨクの言葉狩りの鎌みたいになっていて気持ち悪い。