はてなキーワード: 専業主婦とは
3号年金廃止の主張に対する反論として、色々な人達が同口異音に
「外で働けない事情がある専業主婦がたくさんいる(から無関係の人達が年金保険料負担してあげるのが当然)」
って理屈を使うけれど、本当に謎なんだよね。
同じ部署で育休中の人がいるんだけど上司が「一年は確実に戻ってこれないんだし、戻ってもどーせ時短でしょ?戦力にならんわ」とか言ってて泣きそう
しかももうじき一年だから戻ってくるかもと思ってたけど、保育園落ちたからまだ育休続くってさ
調べたら今住んでる地域は0歳保育してないんだよね
地元じゃ考えられない。一年は強制専業主婦?嫌だよ…働きたいよ…
一歳にならないと預けられない。しかも落ちる可能性がある。詰んだ。
0歳保育してないのに我が地域は待機児童がほぼゼロです!とか言うなやボケ自治体がよ
少子化対策したいなら、全国一律で0歳保育あたりまえだろうし、国立で保育福祉の専門大学作って、子供の税金控除してくれ
そこが最低ラインだろ
埼玉県議会の自民党県議団が親に非常に厳しい条例案を提出した。
子供を一人で家に残してゴミ捨てしたら虐待、高校生の子供と小学生の子供を家に留守番させて外出しても虐待、小3を一人で下校させても虐待、小三の子供だけで公園で遊ばせても虐待、周囲の大人はそのような家庭を虐待として通報義務がある。
子供が風邪をひいたときの買い物はどうする、不登校になったら親も強制的に無職になりかねないし、親兄弟も子供と一緒に強制引き籠もりさせられてゴミ捨て買い物程度の外出も侭ならなくなる、よその家に遊びに行ってそのまま公園なんて子供にはよくあるが、親はその間よその家に上がりずっとくっついているのか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4743177159782807439/comment/jou2
祖母がいわゆる「丁寧な暮らし」してたけど、長年専業主婦として個人事業主の夫を支え続けた結果だったから「自営業を営む社長さんの専業主婦」になるのが孫目線の答えだなと。忙しいぞ。代表者の主婦業は
稼ぎすぎた上で、一部だけ渡してあとはブラックボックスにしてるとってことかな
俺が子どもの頃、両親が共働きだったので平日の夜はいつも留守番をしていた。
ある日の留守番中、怖い思いをしたんだ。その日、急いで帰ってきた両親は俺のことを抱きしめて、「ごめんね」と言って泣いていた。
その日以降、学校が終わって家に帰ると両親のどちらかが必ず「おかえり」と迎えてくれるようになった。1ヶ月後には母親は仕事を辞めて専業主婦になっていた。
母親の稼ぎがなくなり、それまでのような贅沢はできなくなった。でもその頃は、毎日お母さんがいてうれしい!くらいにしか思っていなかった。
母親が仕事をやめたのがどういう意味なのか分かったのはもう少し大きくなってからだった。
大学に進学する際奨学金を借りることになった時、両親は俺に借金をさせてしまうことを謝ってきたが、俺はこれでよかったと思った。
まだ全然奨学金は返しきれていないし、生きていると辛いことはたくさんあるけど、何があっても自分のことを大切に思えるのは両親のおかげだと思う。
妊娠、つわり。ホルモンバランスが乱れ、吐き気が止まらず、常に体調が悪い状態。
胎児が奇形になったり先天性の病気にならないよう、食べてはいけないものや飲んではいけない薬があるため、
食事に気を遣い、病気にも感染しないようにしなければならない。
しかし共働き化が進んでおり、病原菌がウヨウヨした環境である通勤や労働はしなくてはならない。
陣痛、出産。何十時間も苦しんだり、脳出血を起こしたり、多量出血で生死の境を彷徨ったり。
会陰をハサミで切断する痛みもよくわからないくらいの陣痛の激痛。
産後、0歳児保育。夫は外で労働するので家事育児は育休取得した妻のワンオペ。
授乳で乳首に裂傷ができ、夜泣きで眠れず、精神状態や思考力はボロボロに。
赤子が泣きわめくのでトイレにも行けず、自分の食事もとれず、寝ていなくて憔悴した状態でいると、
夫から「仕事して疲れて帰ってきたのだから、家では癒されたいのに、部屋が散らかっているし、飯ができていないし、
子供がうるさいし、全く癒されない。俺が稼いできた金で食ってる専業主婦のくせに、一日中家にいるくせに、なんだそのざまは」と文句を言われる。
体質的に母乳が出ない、乳腺炎を起こした、乳首の傷が悪化して痛みが酷すぎて授乳できない、
などの理由でミルクを使うと「完全母乳でないと母親失格」と難癖をつけられる。
復職。運よく保育園に受かることができて復職できても、子供が頻繁に発熱して、
そのたびに迎えにこいと言われて、同僚から白い目で見られながら早退しなければならない。
保育園のお迎え時間のために時短勤務して、早退が多いことで子無し時代よりも大幅に待遇は下がり、
そのせいでフルタイム勤務で稼げている夫からはきつく当たられ、労働・育児・家事・厳しい周囲の目で身体も精神も疲弊しきった状態が数年続く。
そうやってお前は育てられましたよって言われても、母親に感謝しようっていう気持ちが起こらない。
じゃあ、産むなよ。育児が大変なことなんか、事前情報でわかりきってることじゃねえかよ。
つわりも出産も保育も死ぬほどキツくて、しかも近年は夫の賃金ダウンや教育費の高騰により
共働きしなければいけなくなっているから、専業主婦で良かった90年代までと比べて母親のキツさはマシマシになっていて、
そんな情報いくらでも転がっている当たり前のことじゃねえかよ。
「私はお前のために、私の手首を切ってあげました。私は首を吊ってあげました。感謝してください。」って言われても、
頼んでねーよ、有難くねーよ、ただただ怖えよってなるだろ。
産んでくれって頼んでないし、そんな死ぬほどの苦労されるなら産まれたくもねえよ。
いや避妊しとけよ。ふざけんなよ。そうして母親が死ぬほど苦労して育てた子供が育っていっても、高校生になったら死ぬほど勉強しなきゃいけないし、
大学生になったら死ぬほど就活しなきゃいけないし、採用されたらされたで地獄みたいに労働納税し続けないといけない人生が待ってるだけなんだよ。
グダグダ書いてるけど、それが嫌だとかずるいとかじゃなくて、みんなこのもにょもにょをどう解消してるんだろうか?という話
初めてこどもが生まれた。今は半年を過ぎた頃でとってもかわいい。いや、ずっとかわいい。
我が家はパートナーが専業主婦。自分はいわゆるお堅い仕事をしているため仕事が極端に遅くなったりとかはない。
とは言えパートナーは基本1日中こどもといるわけである。いくらかわいくてもずっと一緒にいると疲れてしまうので、離れる時間も必要だ。
自分としても育児は積極的にしたいし、パートナーの気持ちは良くわかるので、出勤前・帰宅後・休日などは可能な限りこどものことは任せてもらって、パートナーの自由時間を取れるように心がけている。
そうして自由時間に趣味に取り組むパートナーをみて安心しながらも「自分の自由時間っていつ取れるんだろうか」とふと考えてしまう。
自分が仕事中、パートナーは家の事やこどもの事をいろいろしてくれている。
ただ、ちょっとした隙間時間に自分のやりたいことをやる時間を少しは取れているようだ。
片や自分は休憩時間中も自分がやりたいこと(職場ではできないこと)ができるわけではない。
自分から「やりたいことがあるからお願い」と言ってしまえば嫌とは言われないだろうけど、家の事やこどもの事を日常的にやってくれているから、そのことにとても感謝してるから、そういったお願いをすることがすごく卑しく感じてしまう。
増田たちはどう折り合いつけてるんだろうか。
1979年に生まれ、東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。
母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。
父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。
母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。
母はいつも、自分も子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。
友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。
周囲を見ても、いじめ、ヤンキー、障害がある子へのからかいは普通にあった。
部活は運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問の教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。
高校時代の部活の顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。
大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。
県内の大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。
大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。
就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。
パワハラ、セクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性は喫煙可能な環境だった。
新卒3年目のころ、ストレスで食事が出来なくなったこともあった。
こっそり精神科に通いながら働いた。
あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。
夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児を負担することは、今もない。
専業主婦の家庭で育った夫、義母は完璧に家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。
育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。
仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。
それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。
今日はその気分が強くて吐き出した。
1979年に生まれ、東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。
母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。
父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。
母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。
母はいつも、自分も子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。
友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。
周囲を見ても、いじめ、ヤンキー、障害がある子へのからかいは普通にあった。
部活は運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問の教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。
高校時代の部活の顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。
大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。
県内の大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。
大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。
就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。
パワハラ、セクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性は喫煙可能な環境だった。
新卒3年目のころ、ストレスで食事が出来なくなったこともあった。
こっそり精神科に通いながら働いた。
あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。
夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児を負担することは、今もない。
専業主婦の家庭で育った夫、義母は完璧に家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。
育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。
仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。
それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。
今日はその気分が強くて吐き出した。