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2011-07-29

幸せになりたい

どうして苦しいことを認められなかったのか。

私の苦痛は私の苦痛であって他人には計れないはずでした。

だけど私は自分苦痛を見ようとしませんでした。

小学生の頃、道徳の授業で少年兵についてのビデオを観ました。

「かわいそう」でした。

人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。

彼等は学校に行けません。

彼等は人を愛せません。

彼等は私たちと同じじゃありません。

からかわいそうでした。

皆大体同じことを考えたと思います

今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています

そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。

苦痛という感情もその一つです

彼等の苦痛と私たちの苦痛は同じ所に並べられません。

違うのです

単純に、彼等の苦痛が大きくて、私たちの苦痛が小さい。

周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。

「苦しい」と言えば、

「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、

死にたい」と言えば、

「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。

そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。

私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。

理由は私の兄にありました。

私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。

少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。

実践してみれば簡単なことでした。

道化と化した私はクラスの人気者になりました。

その時は嬉しかったのです

変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。

今思えばここが間違いだった、と感じています

道化見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です

そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです

私は見世物として存在することに慣れました。

人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです

私はそれを苦痛だと考えませんでした。

周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。

ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。

私はそれを見ているのがとても嫌いでした。

笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。

しかしその時からいらぬ疑問を抱くようになりました。

他の人はいつも私がされていることを嫌がるのです

それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから

私は本当にうれしいのか?

中学生になり、地元学校だったので小学校ほとんどの生徒が同じ中学校入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。

相変わらず私を知っている人達は私を私として扱います

そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです

わたしは結論しました。

自分はいじめられていると。

部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。

こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです

何故なら、私はその私しか知らなかったかです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。

中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。

勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。

私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです

一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。

ただの暴力一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。

彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。

なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。

彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです

限界はどうしても来てしまものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです

そして学校面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。

しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。

勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。

人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです

何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。

かわいそうな自分が好きでしょうがない。

私なりの結論でした。

そしてそれは正鵠を得ていました。

教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快感情と同時に、安心できるのです高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのですしか絶望します。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます

この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです

高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。

全てが嫌でした。

それなのにクラス委員などに就いている自分が嫌でした。

苦痛を期待している自分が嫌でした。

惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。

友達と楽しく会話している自分が嫌でした。

こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。

死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべ感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです

私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです

二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。

学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰します。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。

私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員ですおかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです

それでも私は理性的です。生きているのです

しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇であるためには。

生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです

結局これが私の思春期の全てでした。

大学生になりました。

冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立大学に入り、親の前での面子を保たせました。

大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分学力で行ける範疇大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。

大学生活の一番初めの感想は、喪失感でした。

大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。

最早かわいそうな私はいないのです

かわいそうな私を求める人はいないのです

随分と薄っぺらい絶望が全身を覆います

大学では色んな人が色んなとこからます

しかし確実に私と違うところがありました。

彼等は正常でした。

彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです

彼等は目を輝かせて自分の将来を語るのです

彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです

思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。

苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。

自分苦痛を認めずに、自分いじめ人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。

苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。

現在私は大学二年生になり、成人を迎えました。

使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去苦痛に相変わらず縋りついています

行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようですしかしその症状は殆どからあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。

すぐに三年生になり、就活が始まります

私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です

結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。

しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。

こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。

私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。

でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。

なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。

それよりとにかく幸せになりたいです。でも私の求める幸せがよくわかりません。

こんなクソッタレはもうダメですかね?

2011-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20110715021051

はいじめてた側ではないんだけどさ、元いじめられっ子特有の、「傲慢かつ卑屈な性格」ってのがあるよな

全員が全員そうなるってわけじゃないんだけど、周囲を見てると、少なくない割合の元いじめられっ子がそういう性格してるという実感がある

いじめの段階から知ってる奴に関しては、「不似合いな傲慢さ」(まあつまり、「のび太のくせになまいきだ」的な)に目を付けられていじめられて、

その結果、敗北者としての「卑屈さ」を獲得してそういう性格になってるという印象

へえ~~~

http://anond.hatelabo.jp/20110715021051

facebookで昔のいじめてた奴をブロックした

facebookで中高の時にいじめていた奴をたまたま見つけたんだけど、

いじめられっ子って本当に変わらねーな。

facebookだけでなくて、はてなでもブログ書いてたけど負け犬根性丸出しで。

会社でも非コミュいじめられてうつ病になりましただってさ。

やっぱりいじめられる奴は性格に問題があるんだよ。

誰かが言ってたよな「だめなやつはなにをやってもだめ」って。

facebook経由で連絡でも取られたらムカつくからブロックしてやった。

「中高のとき」というからには、私立の一貫校かなあ? いじめたことに罪悪感がありそうだねえ。「性格に問題がある」って、いじめられるほうに原因があって、私の性格には問題ないってことだよねえ? でもね。世の中、どんなにむかつく性格の相手でも「いじめない」って選択をする人のほうが圧倒的に多いんだよ? いじめっ子って実はマイノリティだって知ってるかなあ? うつ病の人が昔のいじめっ子に連絡してくるって? そんなことあるわけないじゃん。どんだけおびえてんだよ。

あ、もちろん、私もいじめっ子の側だよ。他人に弱みを見せるなんて、脇が甘すぎるって考える人間だからね。愛されて育ってないから、母親に愛されてる男なんか見ると、もう、それだけで水ぶっかけていいって思っちゃうよ。さすがに、ホントにしたのは小学生までだけどね。こういう「恐怖におびえた魂」を見ると、ついつい、釣られちゃうね。特定されないように気をつけてね。

2011-07-15

facebookで昔のいじめてた奴をブロックした

facebookで中高の時にいじめていた奴をたまたま見つけたんだけど、

いじめられっ子って本当に変わらねーな。

facebookだけでなくて、はてなでもブログ書いてたけど負け犬根性丸出しで。

会社でも非コミュいじめられてうつ病になりましただってさ。

やっぱりいじめられる奴は性格に問題があるんだよ。

誰かが言ってたよな「だめなやつはなにをやってもだめ」って。

facebook経由で連絡でも取られたらムカつくからブロックしてやった。

2011-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20110704090447

いじめられっ子なら、学習無力感を分かるはずだよね。つらいけど。言葉じゃなくて。

チンコ野郎さんが自分で行動するしか解決はなされない。

2011-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20110701083501

いじめられっ子としてはいじめっ子に謝罪される方がずっと迷惑だと思う

多分増田は相手がすっかり忘れてヘラヘラ寄ってきたら真逆の事を呟いてるよ

被害者は、どれもこれも迷惑で許せないんだよ

でも、どれも許せないって言うと自分の度量の狭さを露見するみたいで

つい逆なら良かったのに、と言いたがる

別に狭くてもいいんだけどな

2011-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20110630125005

いいなあ。いじめられっ子でただの無職のおっさんだけど、うらやましいよ。

男だとかつてのいじめっ子が親しげにしてくるってことはあんまり無い気がする

2011-06-29

なぜ菅は退陣を求められるのか?

まず菅に致命的な失策が無いというのは大前提だ。

(多大な成果を上げているという意味ではない、念のため)

もしあったら自民党マスコミがもっと騒いでいる。

とにかく、菅を批判する声には具体性が欠けている。

「行動が遅い」「ペテン師」「人気取り

どの表現も何とでも言えるような漠然としたものだ。

から菅を追い詰めきれない。

いまだに菅は逃げ切れている。

問題なのは自民党だけでなく身内の民主党までが、このような漠然とした理由で菅を批判していることだ。

有力な後継候補もいないし、総選挙をやって政権交代なんて悠長な状況でもない。

それはつまり、先のことはともかく今すぐに菅を降ろさないと我慢できない、ということである

そうやって政界が一致団結しているのである

よく考えればこれは凄いことじゃないか

もう「菅と一緒に仕事をするくらいなら復興が遅れるほうがマシだ」というレベルで嫌われているとしか思えない。

菅には地盤がない。盟友がいない。取り巻きもいない。国民様の大嫌いな「二世議員」でもない。

からいじめられているのか?

いじめられっ子なのか?

なぜ菅は退陣を求められるのか。

俺は「菅=いじめられっ子」説を推すぜ!

2011-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20110625160826

仕事の締め切りが1日延びたので元増田今日中に返信できるのが嬉しい

どうも考えが噛みあわないと思ったら

元増田は「罪にも許しを与えるべき」という価値観の持ち主なわけですね。

私は「因果応報」という考え方に近い

その後、改心してどんな良い事をしても社会的に許されない許しちゃいけない事件ってあると思う

「一生の恥」として背負って再び同じ過ちをしないために忘れてはならない

それが法律で裁かれない人が代わりに一生背負わなきゃいけない「罪と罰

そういう罪を許せるのは、「神様」だけ。そして現代社会では「神は死んだ」

神様信じてる人なんてほとんどいないし

自分レイパーレイプされたんだから別のレイパーレイプしていいってことにはならないでしょう。

もちろん自分レイプしたレイパーすら自分レイプする権利を持たない。

叩いてる人が「人間」ならね。「人間」ならその社会の秩序を守るための理屈は通じるんだ。

だけど「いじめられっ子」は学校では「人間」ではない。「間」を取り上げられた「人(ヒト)」だ。

人は周りとの関係があって初めて「人間」としての扱いを受けられる。「間」が薄いから同じ「人権」ある生き物と

して扱ってもらえないんだよ。「人間」として見てもらえてないから。

環境保護団体のように集団で、「いじめるな」と言っても意味は無い。

なぜなら「いじめっ子」には「いじめられっ子」は鯨程度の生き物にしか見えてないから。

「鯨を狩って何が悪い。これは昔から伝わる伝統文化だ。」程度の感覚

そうやって、「人間ではない」扱いを受けて文字通り魂をいじめっ子に喰い潰されて社会的廃人になったら

どうなるか分かりますか。

魂に「鬼」が棲みつくんですよ。そして、「いじめ」のスレが話題となる度に度に全国から「鬼」が出てきて

ネットで「百鬼夜行」を繰り広げて、行列に見つかったら・・・。

という平成の時代に平安時代オカルトチックな「百鬼夜行ネット炎上」が起きてる訳です

子ども廃人ネット使わせることを社会が認めてる時点でそういうネット中傷止めるのは無理。

人権団体的なものを作るのは難しいと思う。教育マスコミ関係に「電凸」が関の山

「金」と「利権」と「票」の臭いが無いもの

はてなには「人権活動家」的な人で「人権」「差別」と唱える人は

たくさんいるけど「いじめ」でデモやる人は見たことないし。

学校はね、余程の事件じゃないと加害者を転校させたりとかしないんですよ。むしろ、被害者の方が転校したり

保健室登校でいるべき場所から隔離されます

行き過ぎた中傷ね。それで廃人怨念や苦しみが少しでも癒されるなら、いいんじゃないかな。

それで廃人が下を向いて人生立ち止っていたのが、再び歩き出す気力になるのなら

不味いのは「いじめられっ子」がいじめられた過去に立ち止ったままになって

時間が動かなくなって社会的廃人となること。

いじめられた過去時間に閉じ込められて人生の時を止めてしまった子を今まで大勢見てきました

私は昔は「人間」として扱われていた「鬼」達にこう言いたい。

時間未来に向かって動き出すなら誰かを憎むエネルギーを利用してもいいと思う。

一生許さなくてもいいんだよ。同窓会なんて行かなくてもいい。誰かを激しく憎んでもいいんだよ。

学校に都合の良い良い子ちゃんでいる必要はない。「いじめられる側に問題は無い」

ただ自分の体や命に傷をつけないで、前を向いて再び息絶えるまで社会を歩み続けて。

それだけが「鬼」が「人間」に戻れる唯一の方法

2011-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20110624220056

この事件の被害者じゃなくて、ネット社会との唯一の絆になってる元いじめられっ子で心が壊れた人々に

「憎むな」とかそういう価値観押し付けない方がいいです

「彼らは憎める対象がいなくなったら、その憎しみの矛先が非力な過去自分自身に向かって心と体を自ら破壊してしまます

憎しみだって「生」に繋ぎ止めるパンでは得られない糧の一つです。「愛」だけでは人は救えません。

少なくとも無修正いじめ動画拡散してる間は、被害者に再び集団で暴力を奮うことはできないでしょう

同調圧力」によるいじめには「同調圧力」による抑止力が必要です

地域社会での評判がその鍵になります 

周辺地域中学生保護者ブログなどで「これはひどい」と感想を述べれば、いじめた側も地域社会に容認されないことだと認識しま

全員で動画サイトに顔出しして「ごめんなさい。もうしません」と謝れば「勇気を出して顔晒してまでして謝った」とすぐ収まる話でしょうけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20110624194400

幻想だね

学校に言ってもクラスを替えてくれるでもなし、相手を転校させてくれるでもなし

いじめ親は「子どものやることだから」「学校におまかせ」自分のしつけは棚上げ

いじめられっ子泣き寝入りで、「やりかえすのも悪い」と洗脳されているタイプ

いずれメンヘルになってひきこもりニートリスカ廃人非コミュ自殺街道まっしぐら

関の山

そして壊れた子ども達の末路を見たことがあるかい

卒業して新しい学校に移っても、他人に対する恐怖でクラスの中にいることさえ

耐えられなくなってしまった子ども

リストカット飛び降り自殺未遂を何度も繰り返す子ども

魂が壊れた人に「加害者人格の尊重」とか「加害者にワンモアチャンスを」とか

とても言えない

加害者には壊れた人の我慢と泣き寝入りを踏み台にした明るい未来があって、心が壊れた人には

暗い未来しかない

そういう状況から救われる心が壊れた人は周囲と運に恵まれた人だけ

私、彼らに「人を憎むな」とはとても言えない

今回のケースでいえば、加害者自身達最初からいじめ動画取る目的撮影して動画の中で名前を呼び合ってて

動画サイトにあげたのだからその責任自分達で被るべき

いじめられた子の顔はモザイクかけても、加害者自身達の顔は加工してまで保護すべきではない

未成年がどうのこうのいおうが被害者ネット動画にあげて笑い者にしたのは彼ら自身なのだから

加害者達の転校」or「皆で丸坊主&顔出し動画UPで一斉に謝る」が相応

全国のいじめられっ子はあの「いじめ動画」見て

集団でここまでされても学校は「悪ふざけ」で済まそうとしてしまうことに絶望したと思うよ

学校は助けてくれないって

2011-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20110413164047

「四民平等します!」って法律で決めて差別が無くなるかと言うと、無くならなかったよね。

クラスいじめられっ子を転校させればいじめが無くなるかっていうと、たぶん無くならないよね。

それでFAじゃないかな。

2011-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20110404200552

これは手垢のついた議論だけど、どこからを「いじめ」と呼ぶかによって、責任の所在も変わってくるわけで…

単なる「仲間ハズシ」自体をいじめと呼ぶなら「いじめられっ子に起因がある《場合もある》」と言えるだろうし(さもなければ、「仲間」の取捨選択は許されないということになる)

一方的な攻撃行動(ネグレクトを含む)を要件に含めるなら、それは「いじめっ子が悪い」と断じても構わないだろうし

いじめっこいじめられっこ

虐められる方が悪い、苛める方が悪いという言葉ばかりが使われるが。

いじめっ子が悪い《場合もある》」

いじめられっ子に起因がある《場合もある》」

訳であって、言い回しに断定を入れた方が議論にはなるけれども、結局は《場合もある》。

イジメは仲間ハズシから派生する。

何らかの理由で輪から外されること、外す際にその相手に苦痛精神的肉体的に与える事がイジメなら

「外された理由」が倫理道徳的に外した側外された側どちらに分があるかの状況で

上記の言葉が生まれた、という思考でおk

2011-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20110301043258

いじめられっ子同窓会来てるよ。いじめられっ子はいえ、友達がちゃんといて、孤立してないからだと思う。

逆に、当時を考えれば同窓会に来てもおかしくないはずの連中が来てなかったりもするな。

その理由は様々だろうけど、たとえば現状が腐ってるとか、地元同窓愛着がないとか、大方そんなところかね。

2011-02-21

レイプに限らず

レイプするのが悪いのは前提として被害女性も(以下被害者叩き)」

「強盗犯が犯罪者なのは前提として被害者も(以下被害者叩き)」

いじめをするのが悪いのは前提としていじめられっ子も(以下いじめられっ子叩きorいじめられっ子がなぜいじめられるかのウンチク)」

っていう言い分がかなり苦手。(犯人が悪いのは前提として~っていう書き方が嫌だ)

ただ納得出来る時もあるのでケースバイケースなのは否めない。

こういう被害者叩きに走る現象って心理学的に説明されてたりするのかな。

2011-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20110203223019

俺も小学生ときいじめられっ子だったけど、いじめっ子だった奴らは軒並み底辺に落ちたからどうでもいいっていうか最早興味無いな。

仮に今更謝られたとしても、アリンコが一生懸命頑張ってて微笑ましいなーくらいにしか思えない気がする。

まぁ別に許す必要はないんじゃね?

2010-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20101226021612

でもなぁ・・・団結というか友愛?をテーマした作品だって

僕のような『いじめられっ子』がみると みんなが団結して僕一人をいじめテーマ?と受け取らない事もない。

そうじゃないってわかるけど、 そういうふうに認識してまう。

それってさ、作者のせいじゃないよね。でも、そういう事もある。

あとは、そういう事じゃないんだって、いつかわかるって、信じるしか無いと思う。

2010-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20101210190223

ばーか

お前のほうが地雷だろ。

傍観含めりゃいじめた奴なんて国民の過半数以上回るだろ。何も社会問題化する程のもんじゃない。

人間はいじめて当たり前なの。

で、少数派であるいじめられっ子のぼくちゃんは帰ったらママに報告するのかなー?

2010-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20101208212227

あー、なんかいじめられっ子がついに憤慨していじめっ子に復讐のパンチを放とうとすると

どこからともなくやってきたいじめに関係ない奴が復讐のいじめられっ子を後ろからガッチリ羽交い絞めにして

「やめろ、やめるんだ、そういうことはやめるんだ!」ってやってる感じを思い起こした

一見すると中立っぽく、間に入って場を収拾つけてるような感じがするが、本当はその復讐は果たされるべきではなかったのか?

善意の中立者がやってることは全然中立じゃなく復讐の機会を無関係のものが奪ってるだけで、明らかにバランスを欠いているという感じ。

2010-12-05

いじめられっ子が「まだ負けてないやい!」と腕をグルグル振り回しているみたい

ネットの発言は人が見るのが前提、晒されるのがいやならネットに書くな」についてふと思ったんだが、それって町中のおしゃれなお兄ちゃんお姉ちゃん写真にとって勝手ブログに掲載して「ファッションは人が見るのが前提、晒されるのがいやなら街に出るな」って言われてるのと同じ気分になるよね

http://twitter.com/showgo/status/4885417383952384

showgotch そろそろ奴が現れる頃だ・・・ 2010/12/05

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/showgo/status/4885417383952384

一番釣りたかった人が釣れてたからいいか

http://twitter.com/showgo/status/11083574736330752

2010-11-26

いじめられっことして一言

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2010/11/post-e228.html

わが子がイジメられてるらしいと思った親が最初にしたこと

そして、「逃げろ」と伝える。ガッコの先生がいう「みんな仲良く」はウソだ、とハッキリ断言する。教室という小集団ですら、仲良くなれる人、そうでない人、どうしても避けたい人が出てくる。「避けたい人」とムリヤリ仲良くする必要もないし、反対に、嫌悪をあらわにしなくてもいい。「その人と仲良くすること」が精神的/肉体的に苦痛なのなら、あからさまじゃない程度に距離をおいてつきあえばよい、逃げればよい。この「つきあい方」「逃げ方」を学ぶのに絶好なのが、教室だ。

そう、「逃げて」いいの。大人同士だって一度こじれたらそう簡単に解決しない。距離を置くのが一番いい。

私は元いじめられっ子不登校児だけど、今は友達もいるし仕事もしてるしそれなりに幸せ

それって「不登校」という逃げを許されたから開かれた道なんだよね。

子供はそういうの分からないから親は是非教えてあげて欲しい

別に逃げたっていいんだよ。

2010-11-23

小学校の思い出

ぼくは学校がすきです。ともだちがいるし給食もおいしいのでたのしいです。でもひとつだけいやなことがあります。それはいじめです。

ぼくはいじめられたことはありませんが、3年生のとき、ともだちのたかはしくんがいじめられましたたかはしくんは学校に来なくなりました。ぼくはいまでも遊ぶけど、たかはしくんはがっこうの話をするとかなしそうな顔をします。だからぼくはいじめがきらいです。

4年生のとき、クラスメイトのおかだくんがいじめられていました。ぼくはいじめをやめさせようとしました。でもどうすることもできませんでした。いじめっ子のいわたくんに話しかけても話を聞いてもらえません。おまえもいじめてやるぞと言われるだけです。いじめを知っているクラスメイトに話しかけても同じでした。自分いじめは好きじゃないんだけど、つぎに自分いじめられるのが怖いから知らんぷりしなきゃいけないんだと言われました

おかだくんも学校にこなくなりましたいじめがはじまってから止めるのはむずかしいとぼくはわかったので、つぎのいじめられっ子が決まるまえになんとかしなくちゃと思いました。そんなとき社会の授業で国連のことを習いました。これだ!と思ったぼくはさっそくクラスメイトを説得しにまわりました

クラスメイトを説得してまわってから1ヶ月後。いじめっ子のいわたくんはまた誰かをいじめようとして、ターゲットをさがしはじめました。そしていわたくんは、ながたくんをいじめはじめました。でも今度はいままでとちがっていました。いわたくんがながたくんをいじめると、いわたくんの教科書ランドセルがかくされたり、いわたくんのつくえ落書きされるようになりました。やったやつだれだよ。おまえか。おまえか。いわたくんはまわりのクラスメイトにどなりました。でもみんな知らんぷりです。みんなもだれがやったのかなんて知らないんですから。

ぼくがみんなに説得したのはこういう内容です。みんなもいじめがきらいなら誰かがいじめられたらいじめっ子に仕返しをしようよ。それにこれに入れば自分いじめられたとき、みんながきみを助けてくれるんだよ。やることはかんたん。ぼくが今度、いじめ同盟に入ってるクラスメイトリストを持ってくるから、その子がいじめられたらいじめっ子に仕返しをするだけ。仕返しといっても本人にちょくせつやるわけじゃないか大丈夫だよ。本人がいないときにこっそりひとりでやるんだ。あとぼくに何か相談があるときもひとりっきりできてね。

みんな半信半ぎだったし、なかに同盟に入らないでようすを見るだけのクラスメイトもいたけど、いじめっ子のいわたくんがいじめられるようすを見てからは、じぶんも同盟にいれてもらおうといそいでやってきました同盟に入っていればみんながまもってくれるけど、同盟に入ってなければだれもまもってくれないのが、よくわかってたからです。

いわたくんは学校にこなくなりました。まずはじめに教科書をかくしたのはぼくだけど、それ以外のことは知りません。半信半ぎだった同盟が本当に実行されているのをみて、みんなすすんでいじめるようになりましたランドセルカッターでぼろぼろにしたり、机にマジックでわるぐち書いたり、体操服をトイレのべんきにつけこんだり。あのつよいいじめっ子自分の手でいじめることができるのがみんな楽しいようでした。

それからはいじめはありません。いじめっ子もいなくなりました。いたのは、こんなすばらしい同盟のわるぐちをいったわるいクラスメイトだけです。いじめかどうかを決めるのは同盟をつくったぼくです。みんなぼくにいじめかどうかを聞いてきます最初にきめたように相談するときもみんなひとりです。だから他のクラスメイトと一緒にぼくのわるぐちをいってたわるいクラスメイトもすぐにわかりました。そしてわるいクラスメイト学校にこなくなりましたいじめっ子も、わるいクラスメイトもいなくなって、クラス平和になりました。これがぼくの小学校の思い出です。

2010-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20101121041939

俺元いじめられっ子だけど、そういうメンタリティは無いと思うなあ。少なくとも自分では。

皆と同じとかどうでもいいし、普通なんてクソだと思ってるし。実際普通じゃない生き方してるし。

でも確かにいじめられた経験大人になってもずっとひきずってる人はいると思う。

その分かれ道はどこにあったんだろうか。

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