はてなキーワード: 銃口とは
夜中に抱えるような悶々とした気持ちはスポーツなり自己表現なりで発散・昇華出来るのかもしれないけど、200km/hのスピードを感じたい気持ちは200km/hの風をこの身で受けなきゃ満たされない。淫語絶叫したい気持ちも淫語絶叫でしか発散し得ない。
原因不明の苛立ちや漠然とした焦燥を吐き出すワンノブゼムの銃口でなく、極めて明確な形で欲求が存在する。
でもやはりどんな衝動的な欲求も同じ燃料で燃えていて、同じ何かに向かって燃え上っている感じもする。
サッカーに打ち込むにせよ、キャンバスにぶち撒けるにせよ、ギターの音に乗せるにせよ、そういうのはいずれにしてもある程度の鍛錬をしなきゃ中々満足に出来もしない。
ある種のセオリーに則った細かな身体操作をある程度無意識に行えるレベルにまで持っていくまで鍛錬しなければ、頭の中を漂うモヤつきを満足に燃焼させられない。それが上手く行かないと、逆にフラストレーションすら溜まる。
そんなまどろっこしい真似よりも、叫んだり走ったりした方が手近に違いない。最もフィジカルで最もプリミティブというやつだ。
能力的には今すぐにでも出来るからこそ、それをしたいと思った時には、同時に確固たる欲求になっているのかもしれない。替えが効かない、効かせる必要もないのだから。
絶叫してえと思った時にはもう絶叫しねえと気が済まなくなってる。しかし集合住宅に住んでいて、そこを出ても逃げ場のない住宅街が延々と続くときたら、社会性がそれを躊躇させる。内発的には「恥」として、外発的にはまあ近所迷惑か何かとして。
実にもどかしい。
叫ばせてくれよマジで。絶叫してえだけなんだよこっちは。
どうにもままならないんで、絶叫は諦めて走り始めた。
青春アニメみたく衝動に身を任せて走ったら一瞬で心肺が限界になった。爽快感もない。
Youtubeで適切なフォームを調べて、スマートウォッチで適度なペースもキープする。衝動の湧かない日もコツコツ走る。少しずつ速さも距離も伸びていく。まだ心の荒ぶりに身を任せて走るには程遠いが。
時間の使い方が下手くそだとは思うが、壁打ちがてら1週間のスケジュールを書き起こしてみる。
平日は仕事に追われ、泥のように眠り、起きたら時間ギリギリで支度をして出社。休みの日は彼女と会う予定がほぼ毎週入っており、2日潰れることもしばしば。
仕事は属人性が高く有給はとてもじゃないけど使えない。入って半年経ってるからもらってはいる。
社内の雰囲気としては咎める人はいないが、有給使ってる人を聞いたことも見たこともない。
こんなことしてると年ばっかとってやりたいことやれないなあって最寄り駅に着く度思う。
大好きなバンドの曲を聴いて、ああ俺はロックンロールをやりたかったのかもなあと涙が出た。
それでも生活は続くし今のこの環境があってこそ大事な人と会えたり素敵な体験ができているのも事実。
この当たり前を持続するのも難しいけれど、同時に現状維持ではうだつが上がらないなと危機感を覚えている。
自分が40~50代になった時はきっと今より政治と経済は終わってるだろうし、自己防衛おじさんを地でやってる人も増えまくっているだろう。
ああ副業も考えているんだった。
生き急いでいるなあ、クラブ26に入りたいのかもな
でも実際カートはもう口ん中にショットガンの銃口突っ込んでるなあとか思う瞬間はある
嫌ではないが比べると相対的に己が低く見える
捨てたいな、つらくなるから
自衛隊弘前駐屯地の市中パレードが行われ、市民団体の皆さんと抗議のスタンディングを行いました。今回自衛隊員の行進の前を驚くことに米兵が10人くらい行進。まさしく日米統合指令体制をアピールしているのか!いずれにしても白昼堂々市民に銃口をむけてのパレードには怒りを感じます。
https://x.com/harumi_ando_jcp/status/1839863179402166340
人がある要素を嫌いになるとき、大抵は周りが言っていたらから、位、いわゆる偏見で、この場合は対話をすれば実際はそうではないと納得できる場合も多い。
でも、その先、その要素を持つ一部の人に傷つけられた経験、つまり、トラウマになってしまうと、その要素持ちの人間は敵だと心が反応してしまって、とても難しい。理性の話じゃないからだ。
でも、そんな傷つけられるような経験は、なかなか起きないはずだった。私達は人々と良くも悪くも話さなかった/話し合えなかったし、きっとそれはいい事だった。「見知らぬ人」には親切にして、「嫌いな同僚」とはお互い距離を保っていた。SNSが来るまでは。
インターネット、SNSという場は、大勢の人間が集まる場所だ。
大抵はみんな同じような集団で暮らしていて、それぞれの偏見を共有している。ここまでは現実と同じだけれど、SNSの世界では、声はどこまでも遠く早く届く。適切な距離がない。あなたと私は他人では居られない。嫌いな人と距離なんて取れなくて、体はもはやなく「男」「女」「貧乏人」「金持ち」というラベルのみが残っていてるのだから。
そして画面に突然現れたそいつは大声であなたを論っている。例えば、「男/女は最低のゴミクズだ!!」と
あなたは傷つき、言い返そうとするが理性で止める。しかし、優しいあなたに反して、脳はこの出来事から学びを得る「男/女は最低の奴だ!」と。
なお悪い事に。トラウマによって傷ついた人々は集まり、お互いを慰め合う。そして……こう叫ぶのだ「男/女は最低のゴミクズだ!」と。
トラウマが、狂気が伝染していく。誰しもが手に持った銃口を誰かに向けている。同じ苦しみを持った人間同士で殺し合い、同じ趣味を持った人間が罵り合い憎み合う。理性をもった優しい人々が、終わらない憎しみの連鎖で狂っていく。
恐ろしい。何が恐ろしいか。こう書いている私もこの連鎖の中にいることだ。
私も、憎くて憎くてしょうがないものがある。理性でいくら取り繕っても、傷ついた心は治らず、それどころか今日もインターネットを見て悪化してしまった。
些細な、本当に些細な事でも怒りが湧いてくる。その人と私は他人なのに。わかりあえなくても、友達にだってなれるのに。誰かを傷つけたくない。侵犯をしたくないんだ。
それと、もしも、あなたもトラウマに苦しんでいるのなら、どうか、癒えますように。幸福でありますように。見知らぬ私から、見知らぬあなたへ。
バカを一人雇ってしまっただけで、一生負債がつきまとうなんて。
就活シーズンのたびにトンボ鉛筆の話が再燃するのとか見ててもふと思ってしまう。
たった一人のバカを面接で弾けなかっただけのことなのに、どうして看板に一生取れないクソが塗りたくられてしまうんだろう。
社内教育でなんとかすればいい?
そんなの妄想だよ。
バカにつける薬はない。
バカの何が凄いって何をするのか誰にも見当がつかないことだ。
SNSでバズりたいからコンビニの冷凍ボックスに入り、寿司屋で醤油をペロペロする。
なんでもやりかねないバカに対して教育をしようとしても解決方法なんてない。
「お前はバカだからSNSをやるな。せめて本名を隠せ」ぐらいはアリかも知れない。
なぜならバカにはバカだって自覚がないから「アレはバカ向けの話だろ?賢い俺は大丈夫。むしろ一部のバカが下げたイメージを俺が回復させてやるから感謝しなよ」とSNSでバカ発言を繰り返すことだろう。
会社も学校も根本的に何も変わらず、バカがそこの看板に関わってしまった時点でもう取り返しのつかないことが起きるリスクがいつだってある。
偏差値が高いだけのバカがノリと勢いでレイプやドラッグ売買に手を出したせいでイメージがゴミになった学校がどれほどあるか。
でも学校の場合はある程度は周りも理解してくれるだろう、なぜならペーパーテストしかしてないから。
面接で相手のバカの頭のおかしさを見抜けなかったというミスだなんて世間は思わない。
真逆で「面接で相手したバカの頭のイカレ具合を、会社が求める人物像にピッタリだと思って採用したんだろう」と決めつけてくる。
差別的な人間を採用したら「会社の中に差別的な価値観があったから、差別的であることを評価したんだ」と世間は決めつけるんだ。
ありとあらゆるリスクを想定して、少しでもバカじゃなさそうな奴を選ぶしかない地獄のジジ抜きゲームなんだよ現代における採用活動は。
そして、そこにちょっと失敗しただけなのに、何故か「トンボ鉛筆という会社は驕り高ぶっている」とか「JAXAという組織はNASAと比べると精神年齢が大幅に低い」とか言われてしまう。
可哀想だよ。
本当に可愛そうだ。
悪いのはたった一人や二人のバカだけなのに。
まあ、自衛隊みたいに組織全体が本当にバカの集まりで、百人や千人では効かず上から下まで数十万単位で脳みそヤンキー高校じみたクソバカの群れになっている組織もあるが、あそこはもう本当に「そういう人達を集めたい」って組織なのでさもありなんだ。
戦場で他人のどたまをぶち抜いたり、民間人の中に紛れたスパイを見つけるために一人ずつ壁に手をつかせて銃口ちらつかせながら尋問できるような人間に、人権意識なんてあったらすぐ壊れちゃうもんな。
世の中にはそういう組織があるんだから、安心して面接ではバカを落として、最終的にそういう組織に流れてもらうのが適材適所なわけだよ。