はてなキーワード: 自民党とは
立憲は当時から存在した政党でも当時の流れをくむ政党でもないだろ
今回の件は待った無関係だし、共産党は実際の行政に関わった訳でもないのにあやまったからもういい
「自分達に有利な政策を取るなら投票する」ってオタク達が送り出したのが山田太郎と赤松健一。
山田太郎はチンポ不祥事で失墜したし、赤松健一は自分の利権づくりに必死で、
自身が立ち上げたマンガ図書館Zがカード決済会社に圧力に屈することすら傍観し、
生成AIを危惧するクリエイターを小馬鹿にするような姿勢を見せて信用を失った。
現在の国会で選択的夫婦別姓と同性婚に反対しているのは自民党だけ
どういうことか
選択的夫婦別姓と同性婚に賛成することで票と金が増えないならやる意味がない
選択的夫婦別姓と同性婚を投票行動を決める重要な政策として位置づけている人は、そもそも野党を支持していることが推測される
自民党が選択的夫婦別姓と同性婚に賛成したとして、その人たちは自民党に投票してくれるのか?
恐らくしないだろう
逆に選択的夫婦別姓と同性婚に反対する立場で自民党に投票してきた人の票は失いかねない
つまり自民党にとって選択的夫婦別姓と同性婚に賛成することは票を減らしても増やすことはない、全く利益にならない行動になる
なので、もし選択的夫婦別姓と同性婚をなんとしても実現したいって人たちは、「賛成したら自民党に投票する」ってアプローチを取ったほうが実現の可能性は高まると思う
自民党があれだけ多方面でやらかしてるのに、堂々と自民党の支援を受けるようなのが候補にいる時点で大概な「この期」だよ。あんなもん世論が圧力をかけて出馬を辞退させてしかるべきだったんだよ。候補の選択肢に入る時点で狂ってる。
どっかのパワハラ市長とか、もう一生コメンテーターやってていいから、二度と政界復帰なんかしないでほしい
気に食わない奴叩いてくれるからってパワハラ気質見逃しちゃダメなんだわ
もうDBSレベルでビシッとやんなきゃ
これ総裁選への出馬を念頭に入れて、安倍さんの「こんな人たちに負けるわけにはいかない」の真似したんだろうけど役者も環境も違い過ぎるって。ご自身が自民党支持層からすら嫌われていて、自民党への逆風も強い今、全盛期の安倍さんの真似しても受け入れられる訳ないでしょ。そんな程度の空気読み能力で総理大臣を目指すとかちゃんちゃらおかしくてへそでティーがボイルしますわ。
確かに過去の共産主義国家は大体失敗しているけど、人権意識が高い民主主義の先進国の結構な割合が移民政策の失敗と少子高齢化で破綻している。
少数の思想エリートによる独裁をベースに、国家運営に支障をきたさない範囲で現代的な人権意識や権利意識を「国家が授けてやる」ってスタイルの新共産主義の是非を議論してもいいんじゃないかと思った。
「それなら自民党に白紙委任して、自民草案の改憲を通せばほぼそれに近い形になるんじゃない?」って考えが頭によぎって、改憲絶対反対平和憲法絶対死守の自分の思想と矛盾してしまう。
普通、あの規模のレベルの会社がこれだけの不祥事を起こせば、経営陣による謝罪会見とマスコミによる吊し上げ、そして荒ぶる世論を鎮める為に経営陣を人身御供にしますって話になってるはず。
でも角川に対してもニコニコに対してもそのような動きが出ないってことは、何かしらの忖度があるってのが見え見えで嫌な感じ。そりゃ自民党とオトモダチで出版や流通も牛耳ってるとなれば、誰だって手を出したくないんだろうけどさ、それにしてももうちょっとポーズだけでも取れよ。
はー、死ねばいいのに。
現代の日本社会は有能なやつが能力に見合った報酬を得られる、能力と対価の交換が非常に効率的な社会になってるから、有能なやつがデモや一揆する下級側の組織に入って利益を得ることがない
なぜなら優秀なやつは稼ぐチャンスが豊富で稼ぐ手段も複数から自由に選べるから上級になりやすい
社会を変える力のある規模の組織的大規模デモや一揆は、優秀なやつが組織の下級側に燻ってる構造じゃないと起きない
優秀なやつは自力で成り上がるチャンスが一昔前に比べて爆発的に増えてるから下級で燻りづらい
一昔前は出身や学歴、人種、階級による差別が強く、優秀な人間が下層で燻る可能性が低くなく、知能が高くて優秀な下級が団結して社会変革を起こすことは可能だったが、
国境がほぼなくなり情報も海外から得られて移動の自由も保証された現代では、優秀な人間が上層に階級移動し、無能が下層に下落する社会効率が非常に高くなった。
なので社会を変えるような大規模デモは組織されない。何故なら、大規模組織を維持運営できるような有能は既に起業していたりして対価を得ることができる世の中になっているからだ。
そして無能は団結できないし、大規模組織を維持運営することはできない。無能が何百万人何千万人いても、彼らは団結できないし組織をつくることはできない。
だから自民党は下野しないし、多数決で議員が選出される議会政治で圧倒的多数の経済弱者が主導権を得ることができず、圧倒的少数の強者に主導権を渡しているのだ
正解は
「製作者に金をもたらす」
だ。
この問題が解けるかどうかは資本主義、経済、社会といったことが分かっているかどうかで決まる。
解けなくても恥じ入ることではない。
今の日本における教育はこれらを全くもってまともに教えてくれる気がない。
「金を払う」ということを単に「自分の財布から金がなくなる」以外のモノとして認識できる機会を与えてはくれないのだ。
文化祭でお店ごっこをしようが、同人誌即売会で活動費を補填して貰おうが、「金を払う」「金を受け取る」ということの本質を学ぶのは難しい。
実際に商売をやってみてようやく分かる機会が与えられる。
機会が与えられるだけであって、結局は理解できないひとも大勢いる。
従業員として働いていると、店のレジにいくら入ったかなんてのは閉店時に差し引きがズレなければどうでもいいことになる。
営業や経理をやっていてさえ、なんとなく数字が増えたらボーナスが増えるかも知れないぐらいの距離感にしか感じられないだろう。
資本主義社会において金を得るとは「その活動を続ける権利を与えられる」ということだ。
金は他のなにかに変換可能だが、その中でも最も重要な要素が「生活や職場環境を維持するコストを支払える」という部分だ。
あらゆる商売はどこかで金の帳尻を合わせなければ続けていくことが出来ない。
たとえば株式投資の儲けを食いつぶしながら趣味の店を続けている人がいて、会社規模でそれをやっているような所さえある。
誰かに金を払うというのは「貴方はこれを続けてもいいですよ」と伝えるに等しいことだ。
自分の望んだようなコンテンツがこの世界に生み出された時、それを味わう時間が自分になくても「これを生み出してくれてありがとう。これからも頑張ってほしい」と思ったなら、金を払うべきだ。
直接寄付すればいいという話ではない。
正当な対価という形で相手に金を払うのだ。
この「積むかも知れないけど、とりあえず相手に感謝を伝えるためにも、金だけはまず払っておく」というのは資本主義における基本的な行動原理だ。
これを理解できないままで資本主義を生きるのはただただ辛いだろう。
金は払えばなくなってしまうという認識の中で、日々生活費を稼ぎ、株価の暴落に怯えながら投資活動をするのでは、賽の河原のように日々を感じるだろう。
自分が誰かに払った金が、自分の望む方向へと社会をまわしていると感じることが出来れば、稼いだ額と出ていった額が同じであっても未来を信じられるはずだ。
だからこそ、「この金はきっと無駄に使われる」と感じながら払う税金があんなにも苦しいのだ。
たとえば「俺が払った税金もどうせふるさと納税団体に流れるだけで終わるんだろうな。自民党のお友達が肥えていくだけじゃね―か」と思うと、あまりにも税金を払うことは虚しい。