はてなキーワード: 理系とは
慣習ってところに今回の議論の溝を感じるような気がする。
いわゆる理系は言葉の定義の話をしたいわけじゃなくて工学的に今回の件を紐解くと中止であると言っていて、
あまり工学的な内容を理解する気が無い人が失敗と主張してるんじゃ無いかな。
例えば、電子レンジやwifiで使われているマイクロ波は使いようによって人体に悪影響がある。そこで、電子レンジを改造する危険な使い方をして事故った人が出てきて電子レンジは危険という風に報道されたとする。
広い見方によってはこの事故は電子レンジ危険である一例と見る事ができるかもしれない。そして、危険だと世間に定義されてしまった電子レンジは販売が中止されてしまうかもしれない。
ただ、工学的な視点で紐解くと電子レンジはそもそも危険なマイクロ波を何重もの安全装置で囲って使えるようにしていて電子レンジが危険という報道は短絡的すぎて少しおかしいという事になると思う。
理系は内容についてよく理解した上で本質的にその言葉が当てはまるか議論したいわけなんだけど、今回は安全工学と言う理系でもしっかり理解している人が少ない説明するのが難しい所が焦点になってしまっていて一般の人の理解を得られていない感じなのではと思う
実家太い家に生まれたなら小学校からダブルスクールでインターナショナル行きつつSAPIX行って、英語と数学先取りして、御三家から東大余裕で行けるのに、エスカレーターで慶應卒って死にたくならんのかな?
俺が増田なら中学で「このままじゃ私大!やばい!人生終わる!」ってなって勉強ガチって大学は外部受験して国立行くけどな。塾行くための金や参考書代ならいくらでもあるだろうし。
私大の時点で国立卒の女の子に相手にされないのに、その上文系となると私立理系の女の子にも相手にされない。私文が大卒の女の子と結婚しようと思ったら相当選択肢が減る。慶應幼稚舎行かせるって一種虐待だよな。
これ。
だからこそ貴重な人的資源である理系エンジニアには純粋に技術的な部分に集中してもらって
人との摩擦は心の存在しない ChatGPT に緩衝してもらうのを主張してます。
「今回の打ち上げは失敗」と認めるかと迫られただけで、なんで当事者じゃない人たちまで自信をなくしてくじけそうになってんの?
心が弱すぎない?
もう、文系だけの街を作ってそこに住みたい
これは持論なんだけど、理系の人達って、専門分野を考えるのに脳のリソースのほとんどを割いていて、EQ とか感情方面が限定的になってるんだと思う。
だから強くエモーションを揺さぶられると論理がバグるしメタ認知もおろそかになる。論文の発表会では他の研究室の先生に「素人質問ですが…」って切り出されただけで何も言えんくなってトラウマになるらしい。
「中止」の方がニュアンスとしてより厳密なのは、誰も疑ってないよね
広義の失敗
一般的には失敗
「今回の」! 打ち上げは! 失敗
「今回の発射は失敗ですよね?」「いや中止だ」
いやだから中止なのは失敗ではない理由にならないってば。中止であると同時に失敗でもありうるじゃん
中止
失敗
原因究明と調整を終えれば直ぐに次回チャレンジする予定なのは誰も彼も理解してる
分からないのは、なぜ「今回の打ち上げは」失敗にさえ、コメントの人たちが一丸となってゴリ押しを通そうとしてるのか、だ。理系だったら論理的に反論できるはずでしょう? 「今回の打ち上げは」失敗になり得ない論理が「中止だから」はおかしいと思う
失敗は成功のもとと発言した大臣は謝罪に追い込まれ、失敗を認めさせようとする人を説得する記事が大人気になり、今度は文系のジャーナリストの女性を集団リンチし始めた
私には子どもみたいに駄々をこねて言葉遊びしてるのは理系の人たちの方に見える
彼らの視点では核融合炉のもんじゅとかも失敗じゃなくて中止になるんだろうな。アベノマスクも失敗じゃなくて配布中止だし、第二次世界大戦だって日本の技術発展につながったんだから成功になるんだろう
はぁ…………(ため息)
はてなの理系さん達は賢いなあって尊敬してたんだけど、ショックだ
追記・
もし自信をなくして
くじけそうになったら
いいことだけ
いいことだけ
思い出せ
生活を支えてるはずの理系の人たちが、たった一言の「失敗」指摘で、ポジティブシンキングと偽った心理学の「否認」に集団罹患するのは不安でしょうがないって言ってるのよ
「今回の打ち上げは失敗」と認めるかと迫られただけで、なんで当事者じゃない人たちまで自信をなくしてくじけそうになってんの?
心が弱すぎない?
もう、文系だけの街を作ってそこに住みたい
追記・
本件、「文系」と「理系」の根本的な思考様式の違いに起因するディスコミュニケーションなので、知識の多寡や党派性の問題よりも多分根が深い
雑に言うと、何か物事が上手くいかなかったときに、文系は「責任」を追及したがり、理系は「原因」を追及したがる
責任を追及するには何より「失敗」であることが大前提なので、文系はまず最初に失敗か否かの白黒が付いていないと気持ち悪い。これはなにも悪意の思考ではなく、責任追及主義で物事を捉える場合、先々の改善のためにまず失敗を認める必要があるとする江川氏の見解は正しい
一方、理系は逆に白黒が付いている方が気持ち悪く、「大成功と大失敗の間のグラデーションのどこか」と言われると落ち着く。原因を追及する上で成功か失敗かはどうでも良く、むしろどちらかに決め付けることで追及の視野が狭まる事が怖い(別の言い方をすると、原因追及フェイズから責任追及フェイズに移ってしまう事が怖い)
なので、理系が「失敗」論に反対するときの気持ちは「失敗と決め付けると問題解決の妨げになるからニュートラルな言葉を使ってくれ」という感じなのだけど、これを文系が傍から見ると「あいつら失敗も認めないなんて問題解決する気あんのか?」となり、お互いに相手が問題に正面から向き合ってないように見えてる
責任追及論者と原因追及論者のディスコミュニケーションは本件だけでなく社会に散在してる。解決は難しいけど、お互いに「違う文化圏の住人なんだな」と認識することで無闇に憤りを感じることは減ると思うよ
ここは自分も気になっているところで、宇宙業界に縁のない一般人目線からすると引っかかる所かもしれないなと思う。ロケットの打ち上げ成功/失敗の定義は無事に宇宙空間に到達して、積荷である衛星が無事に軌道投入できたかで判断するのが世界的な常識だ。H3の前身であるH-IIAでも、SpaceXのFalcon9でもロシアのソユーズでもこの基準は変わらない。(打ち上げ成功率が積荷となる衛星の保険料にも影響出るので基準は開発国やロケットの種別で恣意的に変えることはできない)
この辺の話でエンジニアがやたら噛みつくなという印象を持つ人もいるかもしれないが、なんていうか「かけ算順序問題」で理系出身者が絶対に納得しないのと同じで、定義が異なるものを分かりやすさや印象ベースのお気持ちでゴリ押しすることに対して、科学者•技術者としての職業倫理的に許し難いという根本的な嫌悪感があるのだ。製造業だと製品の仕様書で適切な用語が使えなければプロジェクトは上手くいかないわけなので当然と言えば当然の話である。エンジニア達がこの問題に烈火の如く怒っている原因はここにあるわけなんですよ。
技術関係の仕事をしている人って、世間の無理解、特にマスコミ関係の扱いにフラストレーションを抱えてるん人って本当に多いと思うね。
WBCの日本代表メンバー発表の記者会見の場に野球のルールを知りませんっていう記者は絶対に送らないと思うんですよ。だけど、ノーベル賞受賞者とか宇宙開発関連だと平気で無知でリスペクトの無い記者を送り込んでしまう。
だから誤報を伝えたくない慎重な人ほどマスコミへの信頼が低くて、ちょっと前に話題になってたゲラチェック問題にしても意図が捻じ曲がらないかすごく気を使うことになってるんだと思うんです。
H3ロケット打ち上げ時の記者会見に出席していた共同通信の鎮目宰司記者の発言が炎上している。
増田は宇宙産業にも少しかかわりのある電機業界のエンジニアなので、周りの知人の反応も避難一色なのだが、はてなのブコメやTwitter の反応を読んでいると擁護派も一定数いるように見える。
「旧日本軍が敗北を転進と言い換えて現実から目をそらしたようなものじゃないか?」、「言葉遊びをしてMRJのようにプロジェクトの問題があっても見て見ぬふりをしているのではないか?」という辺りが主な擁護派の論調だろうか?
こういう意見にまじめに向き合わないのは、業界を少し知る人間として不誠実かなと思うので、なぜここまで炎上しているのかについて少し見解を書きたい。
捨て台詞として自分の意見を押し付けるのが社会常識としてあり得ないレベルで失礼だということ。WBCの日本代表メンバー発表の記者会見の場を想像してみてほしい。
取材に来た記者が、「代表選手が30人いて、どうしてピッチャーが15人もいるんですか?一般の草野球チームなら5人で十分です」なんて事を繰り返し言ったら、今回のH3どころじゃないレベルでスポーツ新聞やネットで叩かれまくるのは容易に想像つくだろうし、一般に共感されている部分である。
ここは宇宙業界に縁のない一般人目線からすると引っかかる所かもしれない。ロケットの打ち上げ成功/失敗の定義はロケットが宇宙空間に到達して、積荷を無事に届けられたかどうかというところで判断する。H3の全身であるH-IIAでも、SpaceXのFalcon9でもロシアのソユーズでもこの基準は変わらない。
(打ち上げ成功率が積荷となる衛星の保険料にも影響出るので基準は開発国やロケットの種別で恣意的に変えることはできない)
この辺の話でエンジニアがやたら噛みつくなという印象を持つ人もいるかもしれないが、なんていうか「かけ算順序問題」で理系出身者が絶対に納得しないのと同じで、定義が異なるものを分かりやすさや印象ベースのお気持ちでゴリ押しすることに対して、科学者•技術者としての職業倫理的に許し難いという根本的な嫌悪感があるのだ。
製造業だと製品の仕様書で適切な用語が使えなければプロジェクトは上手くいかないわけなので当然と言えば当然の話である。エンジニア達がこの問題に烈火の如く怒っている原因はここにあるわけなんですよ。
技術関係の仕事をしている人って、世間の無理解、特にマスコミ関係の扱いにフラストレーションを抱えてるん人って本当に多いと思うね。
WBCの日本代表メンバー発表の記者会見の場に野球のルールを知りませんっていう記者は絶対に送らないと思うんですよ。だけど、ノーベル賞受賞者とか宇宙開発関連だと平気で無知でリスペクトの無い記者を送り込んでしまう。
だから誤報を伝えたくない慎重な人ほどマスコミへの信頼が低くて、ちょっと前に話題になってたゲラチェック問題にしても意図が捻じ曲がらないかすごく気を使うことになってるんだと思うんです。
理系の友だちに、「最近、アドラー心理学を勉強してる。すごく良い」と何かのついでに話したら、距離を置かれるようになり最終的に縁を切られた。
え、なんで?と思ってたけど、アドラー心理学って「自己啓発の源流」とか言われてて、一部の人からは新興宗教やカルト宗教なみに嫌われているらしいとわかった。
真面目な話
https://anond.hatelabo.jp/20230215180746#
の返しをしてくるこいつはおそらく数学ができる人間側に帰属意識を持ってるはずだ。
それに対して
https://anond.hatelabo.jp/20230215181123#
はむしろ理系でもこの点では同じぐらいの可能性で知識を持ってると言っている。ヨイショしてるわけだ。
それなのにまぜっかえして反論を続けるのは自分で自分を否定してるようなもの。もっと大きな論理を見据えて戦ってるのかもしれないが、それは(数学が出来る人と丸山を知ってる人の対立構造であることが真か否か)どっちであろうとそいつには関係ないことのはず。
二頭を追う者一頭も得ず。なんでそこまでこだわるのか理解できないってわけだ。