はてなキーワード: 宇治とは
「宇治は京都じゃない」とは言ってない。京都市と京都府とかその辺りが全部「京都」でまとめられてるけど、自分の育った「京都」と感覚的には違うよね(くどいけど、いい悪いの話じゃないよ)という話をしたかっただけ。だから、狭義の京都(他の人から借りた表現)とか微妙な言い方をせざるを得なかったわけで。
なんかもうそもそも「京都府」っていう名前にしたのがダメだったのではって思えてきた。
例えば明石は神戸ではない!って言っても、まあ確かに神戸市ではないよな、としかならない。
他のツリーでもあったけど、宇治と京都市中心からの距離は大体同じな枚方市を京都とは違う地域とみなしても、実際大阪府なので問題視はされない。
切り取り方に悪意があるだけ。東京は数キロ離れただけで、街ごとの文化の違いが明確にあって、イメージをつけやすい。新宿なんて駅周辺だけで都庁、新宿三丁目、歌舞伎町と異世界になるレベル。
ブコメのこれは完全に正しいと思う。
でもだからこそ、同じようなことを京都で言うと侮蔑と言われるってのが京都にも東京にも詳しくない民からしたら単純によくわからない、ってなるんだよな、と。
シンプルに宇治が知名度高く、京都府であるということが変に知れ渡ってるってのが絡んでそうだなあと
こういう話で(例えば)長岡京市は京都市内とは事情が違って~みたいな話は聞いたことがない気がする。
京都ぐらいの都市にもなれば周辺の市がベッドタウンとして中心市街地とは事情が違う地域になるのはある程度仕方ない部分があるんだけど
名所旧跡や抹茶で有名な宇治すら立地的にそうなってしまったが故の不幸というかなんというか
八幡市とかも距離的には同じぐらいで石清水八幡宮という大きな名所があるのに特に言及されないってのもなんかそれだけ宇治が特別なんだろうなと。
宇治、京都から地理的には近いけど交通の便はわりと不便なので心理的距離がある。
単純に、宇治って隣の市だし京都市内とはそら違うでしょぐらいしか思ってなかったけど
なんかそんなすごいとんでもない扱いになるのかこれ
四条河原町と宇治は違う地域やな、ってのが選民意識にあたるのなら
梅田と大阪府の郊外某都市は違う地域だって言うのもなんかあかんかったりするんやろか
てかよく考えてみると宇治に匹敵する観光的な知名度のある市が大阪ではあんまり思い浮かばないな
たまに「大阪大学のある地域は大阪の中心部とはまた異なる地域であり・・」的な説明は聞くことがあるし
このあたりが怒られれそうなやつなんかな
横浜の人「鶴見?そんなんやばい地域じゃん、山手の俺様とはぜんぜん違うね!」
地方民ワイ「横浜市内でもそんな扱いなのか、横浜って怖いなあ」
地方民ワイ「えええ……普通に首都圏だしあんたの方が時間がかかったのに…」
横浜の人「宇治だって同じ京都府なのに洛中とは景色が違うなどと言い出すのは選民意識!!!」
地方民ワイ「」
え、これ「宇治は京都じゃない」というための書き込みですよね?読み返しました?「宇治は京都じゃない」って書きたくてたまらないのに批判されて困ってると言う内容だよね
いきなり「狭義の京都」とか言い出すのずるくない?狭く取れば除外されるものも出てくるわな。トートロジーやな。問題となってるのはなぜ京都を狭く取りたがるのかと言うところだと思うんだけど。
>三浦は横浜じゃないでしょくらいのニュアンスだよ(一応、両方訪れたことはある)。京都市と宇治市は別の自治体で違う街と言っても伝わらんかな?
三浦と横浜の例えで匹敵するのは「滋賀は京都じゃない」くらいかなあ。滋賀が嫌なら高槻とか守口とか。滋賀も高槻も守口も京都府内ですらないじゃんってことなら亀岡とか?始めから比べる必要もないくらい別と認識されているもの。
あと肌感覚の違いを言ってたはずなのに自治体が違うという話にすり替えるのやめてくれない?
>他府県の人が宇治を京都と言ってても別にいちいち気にしないし、
>言ってきた相手に「宇治は京都じゃない」なんて面倒くさいことは言わんけど
言われてないのにわざわざ書いてましたよね?
>「三浦と横浜はイコールじゃないと思うんだけど」くらいの肌感をネットの片隅に書くことすら差別とか言われたら、もうどうすりゃいいのよ。
ちなみに普通の人は三浦は横浜じゃないみたいなことはいちいち書こうとも思わないし、そもそもそんなこと思いもしない。まあ三浦は横浜ですなんて言う人がいないからだと思うけど
まあ不幸なのは市と府がどっちも京都を名乗ってるとこやね。誰かが書いてたけど山城県にしとけばややこしくならなかったかもだね。
元増田だけど、宇治は京都じゃないというつもりはないよ。つーても、行ったことが無い街について語りようがないわけでさ。肌感覚でいう「狭義の京都」とはなんか違うとは思うけど、そこにだって別に特別な含みはないよ。この喩えが適切か自信ないけど、「横浜」と「神奈川県」と「三浦」があって、三浦も横浜も神奈川県だけど、三浦は横浜じゃないでしょくらいのニュアンスだよ(一応、両方訪れたことはある)。京都市と宇治市は別の自治体で違う街と言っても伝わらんかな?
他府県の人が宇治を京都と言ってても別にいちいち気にしないし、言ってきた相手に「宇治は京都じゃない」なんて面倒くさいことは言わんけど、「三浦と横浜はイコールじゃないと思うんだけど」くらいの肌感をネットの片隅に書くことすら差別とか言われたら、もうどうすりゃいいのよ。
ちょっと通りを超えると幹線道路をトラックがビュンビュン走ってロードサイド型の大型店舗が並んでる、そういう日本のどこにでもあるような田舎街になる。
よくやり玉にあがる宇治界隈とか普通に別途観光地があるって空気でしか無かったし、
嵐山とか大原とか伏見とかも程度の違いはあるのかもしれないけどそういう感じの地域では?
確かにまあ洛中とそれ以外で景色がぜんぜん違うんだろうってのは朧げにはわかるし、同じ文化の地域だと無理やりみなすのが悪いのは理解するけど
マジで同感
「あら、これはあんたさんのことをおもて言ってることどす」って笑い流すご器量はありまへんのや?なんつってな
俺の周りにも笑いの通じない大阪人だっていたよ?でも、パブリックイメージかわんないから。テメーとその半径2mが違うからってイメージ否定出来ると思うなって。
元々、ネットネタとしての京都人いじりは大概うんざりしてたんだよね。もちろん、県民ネタはある種テンプレ化したやり取りを楽しむって側面もあるから一概に悪いとは言えないけど、ネット上の京都人ミームは特に性格上の「悪い点」にフォーカスして弄るのが多すぎる。年配のごくごく一部でやる人がいるかもしれない(俺は遭遇したことないけども)ぶぶ漬け伝説やら、やっぱり一度も聞いたことがないピアノ上手ならはったなあとか。それでもネタならいいんだけど、花街関連のツイートでついでとばかりに京都人叩きまで始める「性格悪い」ツイートを多数見てで吐き気がする。京都人に差別的な発言を平気でする人がどの口で人権を語れるのか。ちなみに、本題じゃないけど、舞妓さんとどうこうは大抵の京都人は興味もないし体験もしたこともなかろう(俺も別に特に興味なかった)ってのが正直な実感。さすがに高級キャバクラ的な側面はあるよねってくらいのことは皆肌感で知ってるし、だからこそ行く人も多くないから実態もあんまり知らないのだけど。
もちろん、京都人だって人間だから、性格悪い人もいい人もいるし、婉曲に言う人もストレートに言う人もいる。地域や生まれによってドロドロした内面を持っている人だっている。でも、それは日本人全体で色々な人がいるのと同じ話でしかない。なんでこう京都人を特別攻撃したがる怨念深い人がいるのか。京都人が~とネットで叩いている人の方が「よっぽど」地域差別主義者で陰険で性格悪いじゃんかと思う。
京都が好きな京都っ子の一人として言いたいんだけど、京都に居て「嫌味な人」に出会ったのなら、それは「その人が嫌味」なのであって、別に京都人が総じて嫌味なわけでもない。逆に素直に言ってくれる人に出会っても「京都人「でも」こういう人がいるんだ」じゃなくて、単にその人が素直なだけなんだよ。地域バイアスというか、ネット上の真偽定かならぬ情報が広まって都市伝説を一部事実と思っちゃう人がいるのは仕方ないけど、自分たちが地域で人を差別するという陰湿なことをしているのはそろそろ気づいて欲しい。
その上で、あえて「京都人」なるものを語るなら、一つにはいわゆる洛中・洛外みたいな区別はある。ただ、昔(肌感では70 overくらいでそう思ってる人はたまにいる)ならいざ知らず、現代っ子(俺は30台だけど)だと、北は北大路通、南は八条通(京都駅)まで(東西は人によって見解が異なると思う)、それより北とか南になると「単に風景が違う」からなんとなく「別の区画」って認知してるだけ(同高出身の友人と以前に語ったんだけど、思春期に洛中とか洛外とかいう意識はなかったけど、「風景が違う」ことは同じように認識してた)。あとは市内中心部(たとえば二条駅近く)とかはアクセスがいいから「便利だなー」って意味で「羨ましいなー」みたいな会話が繰り広げられることはあるけど、基本的にはそれだけ。地域でマウント取り合ってるとかそういう深読みしてる人もネットにいるんだなと思うけど、それはその人が日常的にマウント取りあってる性格悪い人なんじゃないかと思う。
京都市以外は京都と認めないみたいなお話もあれは外の人から見た偏見であって、単純に「市内」と「それ以外の京都府」だと風景が違い過ぎるから同じに見られないというだけ。東京都でわかりやすいように言うと、23区とそれ以外をなんとなく地理感覚として区別するだけの話かな。たとえば、宇治は行政区画上は「京都府」だけど一度も行ったことがなくて、そこにある風景が肌感としてわからない。宇治出身の人に、「宇治てどんなとこです」と聞いたら「過疎化してますねー」とかえってきたことがあるんだけど「なるほど、宇治は過疎化してるのかー」と思うだけで、そもそも宇治の風景を知らないから語りようがないんよ。これが、市外の人からすると「見下されてる」という思い込みにつながるんだろうなとも感じるけど。
あとまあ、日本有数の観光地だけあって、コロナ禍前は観光客多すぎてうんざりみたいな地元話はあるけど、こういうのもどこにでもある話よね。でも、別にそれは陰湿であるとかそういう話ではなくて、地元で観光業に関わる人でなければ、人増えすぎて日常生活が阻害されるからしんどいってだけの話でしかないんよ。
洛中に住んでるとかドヤ顔でいう人は(リアルではまず見ないけど)どうもネットの一部には棲息してるのは確かだけど、リアルでそんな時代錯誤なふるまいを取る人に遭遇したら間違いなく仲間内では「やな感じの人だよねー」って話になるよ。結局、京都人といっても現代日本に住んでるし、しかも比較的都市部だから大枠では現代日本人だし、嫌味な人に遭遇したらそら嫌味だなって感想にしかならない。
もう一つだけ、京都人、特にいわゆる洛中区画に居る人の特殊性が一つあって。いわゆる洛中って地域として超狭いから、そこに住んでるだけで「お互い結構ご近所にいる」って感覚なのよね。だから、その地域にある地名とかは一発でお互いに通じるし、京都の外でその辺の人に会ったら「ご近所さんだな」という感覚にもなる。だから、その地域にいる人ならすぐ通じる話とかあって内輪で盛り上がる習性は少なからずあるのは間違いない。この辺とかも、外から見ると「洛中出身の人が外の人にマウント取ってる」みたいな感覚になるのかもしれないけど、もう端的に言って誤解。もしマウント取ってる人がいたら、やっぱり「あの人やな感じよねー」となるだけよ。
ちなみに、個人的なエピソードを語ると、俺はチェーン店より個人経営の飲食店が好きでよく行くんだけど、基本的には美味しかったら、素直に「このカレーとっても美味しかったです。また来ますね」みたいに褒めた方が喜ばれるし、嫌味に取る人なんぞ遭遇したことがない。というか、そう素直に褒めるだけで、次から顔覚えてて挨拶してくれるいい店主が多いくらい。一方、京都市内ってとにかく狭いから周りに迷惑かけないようにマナーに敏感な人は(これは偏見じゃなくて)多くて、周囲の人に迷惑をかけないように張り紙してる人とか多いけどね。地方都市の割に「狭いところに多くの人が住んでいる」故に神経質だったり繊細な人が多いのは京都人に多い気質かもしれない。
京都人を差別的に見ている人に、「京都人といっても普通の現代日本人だよ」という感じが少しでも届けばと思ってちょっと書いてみることにした。
追記:
洛中洛外の差別意識を自覚してないとか、宇治を差別してるとかいう人がいて、なんで普通に読んでくれないんだろうなと悲しくなるよ。
東京(墨田区)に一時期住んでたから、別の地域でわかるように書くと、亀戸と錦糸町は駅としては隣接してるけど駅付近の雰囲気は違うなーと思ったことはあるわけだ。たとえば、亀戸はやっぱ年配の方が多い気がするなーとか、遊べるところは少なめだなとか、街としてはおとなしめだなとか。一方、錦糸町はより栄えてて、駅北は家族連れ多くて全然雰囲気違うなーとか。そういう感覚で「いわゆる」洛中と洛外の雰囲気の違いはあるなと感じるというお話。亀戸の人はどうだとか錦糸町の人はどうだとか論じたらダメだけど、街としての違いを論じたら差別とかいうのは暴論もいいとこでしょうに。