はてなキーワード: 大日本帝国とは
https://apeman.hatenablog.com/entry/2022/04/26/150727
「今回の事態は、大日本帝国がイタリアやドイツと軍事同盟を結んで侵略戦争を引き起こした、という国際的には常識中の常識である認識を表向き受け入れるフリをすることすら 今の日本政府には難しくなってしまっている 」
これってあまりにも実際の反発の声を聞いていない歪曲だよね
殆どの人は「そこは昭和天皇ではなく東條か近衛だろ、あるいはムッソリーニじゃなくてイタリア国王にしろ」と言っているのであって
「大日本帝国がイタリアやドイツと軍事同盟を結んで侵略戦争を引き起こした、という国際的には常識中の常識である認識」を受け入れていない人なんて殆どいない
https://apeman.hatenablog.com/entry/2022/04/26/150727
何かこの件については左翼の側のレッテル貼りが酷くてそっちに対して反論したくなるな
誰が国家の代表者として語られるべきかというのはあくまで解釈の問題であって
南京大虐殺否定論や従軍慰安婦否定論のように、事実そのものを否定したがる歴史修正主義とは全然違うでしょう
私は戦前の大日本帝国は紛れもなく帝国主義の侵略国家でファシズム国家だったと思うし、大日本帝国という国をナチスドイツやファシストイタリアと並べる事には何ら不満はない
でもその場合昭和天皇の位置はムッソリーニではなくイタリア国王だろうと言っているだけ
そして天皇制は廃止すべきだと思っているがそれはあくまで今後憲法改正して実現すべき事であって、過去を変える事は出来ないでしょう
東京裁判史観の元で昭和天皇が無罪とされて象徴天皇にそのままスライドしたという過去を否定してヒトラーやムッソリーニと並べる事の方がよっぽど歴史修正主義的だと思う
昭和天皇の方の写真はウクライナの方も下げたんだし、向こうにとってもそれが正しい認識だって事でいいじゃんとしか思わないんだが。
それはそうだけど、大事なのは「自分たち」が誰を指しているかなんだよね
いまのウクライナの戦中の大日本帝国も「自分たち」は政府とか元首周辺を指していて、犠牲になる国民は含まれてないんだよね。そりゃ犠牲者に同情はするんだろうけど政府の利益のために犠牲を押し付けるわけでね。
これは国民主権国家がすることではなく、民主的制度に支えられた全体主義国家の姿なんだよな。国民主権国家と定義されるには、普通選挙で政権を決めるだけでなく、政府は主権者たる国民に奉仕することを最優先するって枠組みも必須なんだよ。
「大日本帝国と日本国は断絶している」というのは到底事実とは言えないが
その建前を建前として通すためには戦後も天皇の座に有り続けた裕仁をファシズムの象徴として扱ってはいけないのでは?
(事実としてどうであったかは別として)悪いのは軍部の暴走、天皇も一般の日本国民もある意味では被害者、とする事で「手打ち」にしたのが東京裁判史観であって
大日本帝国と日本国とは同じだ…で、大日本帝国の象徴として昭和天皇の写真を使う
大日本帝国と日本国とは別物だ…で、大日本帝国の象徴としては東条英機なり何なりの写真を使う、
というのが首尾一貫した感覚だと思うんだけど
寧ろ左翼の人達が天皇裕仁をヒトラーやムッソリーニと並べる事に違和感を覚えない方が不思議なんだよなあ
じゃあ日本国が敗戦後も40年以上天皇の地位に居座らせておいた事を何だと思ってんの?
昭和天皇という存在をヒトラーやムッソリーニ同列に扱って絶対悪の独裁者として否定するなら
それって「戦後民主主義の否定」で「象徴天皇制を定めた日本国憲法の否定」になるし
「日本人自身の手で新しい憲法を作り出そう」という動きに繋がるだろうし
で、現在それをやろうとしたら政府与党である自由民主党の作った「新しい憲法案」がそのまま新憲法になる可能性が極めて高いんだよね
「今の日本国は大日本帝国とは違うんです」という建前を用いるならば尚更、ヒトラーやムッソリーニの位置に裕仁を置いては駄目だろう
ウクライナの公式ツイッターアカウントが昭和天皇をヒトラー、ムッソリーニと並べてファシズムの象徴にした動画をアップしたとかで随分と炎上している。
これについてはやはり保守層から相当の反発が出ているが、一方で海外における平均的昭和天皇像というのはやはり「枢軸国の三人の指導者のひとり」というものだ。
「ウクライナ人はそんな反日的な認識なのか」とか言っている人がかなりいたんだけども、これについてはどの国でもそうだよ。よその国に行ってそこの博物館で二次大戦のパートを見てみれば、たいていはヒトラームッソリーニヒロヒトと仲良く並んでる。
・大日本帝国はまあ控えめに言っても軍国主義、ファシズムの国家だった
・日本の首相は当時からコロコロ変わる一方で昭和天皇はずっと在位していたのでシンボルにピッタリだった
問題となるのは3つ目のポイントで、当時の日本からしてヒトラーやムッソリーニと昭和天皇を並べたポスターやらを作ったりしているし、「帝国日本の指導者の天皇」というビジョンをプロパガンダで演出し続けたのは他ならない日本である。
そりゃ現実的に昭和天皇がどれくらい戦争指導に関与したか?についてはすでに相当研究があり、「基本的にはそこまでの影響力はなく、せいぜい戦争「幇助」くらいの影響力」とみるのが妥当なところだろうが、そんなことを海外が斟酌してくれるわけないわな。
向こうからしてみれば「お前ら戦後日本は大日本帝国とは違う国だよってさんざんアピールして今までやってきたんじゃん。なんでキレてんの……?」みたいな感じだろう。
という言葉を河瀨直美監督の東大入学式の祝辞を読んで思い出した。ナチスの将校にも、大日本帝国の兵士にも、自分たちの行為を正当化する「内在的論理」があった。
だからこそ、それを悪魔化して切り捨てることなく、真摯に分析して、過ちを繰り返さないために再び社会に包摂していくというプロセスが必要になる。
ロシアという国もいずれは国際社会に復帰し、そのようにして再統合される日が来るだろう。
しかし、彼らの主張を他の正義と同じ水準に並べることには慎重でなければならない。なぜならそれは彼らの蛮行を正当化する主張に力を与える行為に他ならないからだ。
河瀨監督の真意はともかく、その語りの重心が「悪魔化された対象の包摂」よりも「ロシアの蛮行の不用意な相対化」に傾いていることは否定しがたい。
ひとりの宗教家の「あれらの国の名前を言わへんようにしとんや」という遠回しな言葉を引用するとき、「ロシア」「ウクライナ」という具体的な国名があえて補われている。
そして「その国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら」と相対化を試み、「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」とダメ押しが加えられている。
が、「ものの本質」が何なのかという具体的な説明はなされないまま、語りは「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです」という一般論的な自省へと流れていく。
ここで分かるのは、「ロシア」と「ウクライナ」は一見するとまったく具体的な固有名詞のようだが、このテキストでは単に「同じ水準で対立する2つの正義」という抽象化されたアイコンにすぎないということだ。そしてそのような使われ方によって、両者の「正義」の対立が同水準であることが暗示されてしまっている。
また、ロシア悪玉論を揺さぶるオルタナティブな視座として提示されているらしい「それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」という問いかけは、実のところは開戦当初から繰り返しメディアに登場してきたものだ。
これもまた「ロシアを悪とする議論はこのような基本的な問いかけすら踏まえていない」という誤った矮小化を導きかねないものだと思う。
河瀨監督がミスリーディングを意図したとは思わない。だが、このウクライナ問題の扱われ方は、同じ祝辞の中で語られる「たった一つの窓から見える光景を深く考察すれば、世界に通用する真理に到達できる」という世界観の限界をまざまざと示している。
「拷問を行っているのはただのロシア人だからやはりロシアは滅びるべき」
この論理を認めるなら、大日本帝国時代に、日本国内のみならず、中国、朝鮮半島、台湾、仏領インドシナ、シンガポールなどで、民間人に対して、拷問・虐殺をやりまくっていた日本軍・憲兵・特高は「ただの日本人」だから、日本ごと滅びるべきって結論になるぞ
拷問・虐殺を行った本人、指示した人物、忖度でやらせた政府&軍幹部に対する裁判と政体の転換は必要だとは思うが
戦争を起こしたのはプーチンだが、拷問を行っているのはただのロシア人だからやはりロシアは滅びるべきではないか...
https://b.hatena.ne.jp/entry/4717654395633664514/comment/sisijumi