はてなキーワード: 国立競技場とは
ロゴや国立競技場のゴタゴタから小山田圭吾の件に至るまで東京五輪はコロナを差し引いても異常に杜撰でお粗末なことになっているけど、これは関係者が利権に群がって「この程度でいいだろう」と舐め切った結果なのだろうか。それとも今の日本が本気で全力でやってもこの程度しかできないくらい国力が弱り切ってるだけなんだろうか。
何となく、「今の日本の国力がこの程度」という方が正しい気がする。誰も悪意なくやってもこんな結果になってしまうほど落ちぶれてるような気がしている。たぶん日本はこの先も衰退し続けるから、コロナ禍が解決してももう二度と五輪を開催できなくなるだろう。
近い将来、日本が完全に貧困国になった時に「日本は昔、五輪を開催できるくらい豊かな国だった」という思い出話をするための大会なのかもしれない。それなら最後に派手な葬式をあげたいという気持ちにもなる。
東京オリンピックの開催を僕はそれなりに楽しみにしていた。
2013年に2020年夏、東京でのオリンピック開催が決まったとき、その時は余り感慨は無かった。アルゼンチンから流れてきていた当時の首相の安倍、都知事の猪瀬、滝川クリステルの喜びようはなんとなく空騒ぎのような気がして直視できないような気がした。7年後の出来事が決まる。それが自分の住む街で行われるとはいえ7年先はやはり未来で、しばらくはオリンピックの事は心の辺鄙な片隅に置かれた。
そうは言っても東京の街は少しづつ変わって行った。旧国立競技場は柵に覆われてあっけなく解体され、看板には多言語の表示が増えていった。公式ロゴや新国立競技場をめぐるゴタゴタは日本のシステムやリーダーシップへの既視感的な幻滅とうんざりとした気持ちを新たにさせたけど、自分の中のオリンピックそのものの大まかなポジティブさには余り影響を与えなかったように思う。
1964年のことはもちろん知らないし、その時みたいに無邪気な美しい未来を思い浮かべることはできなかったと思うけど、イギリス人の友人が話していたロンドンオリンピックの時の街の高揚感を東京が感じるための準備は少しづつ工事現場の柵の向こうで進んでいるような気がしていた。
2019年の冬ごろ、用事があって神宮外苑に頻繁に行くことがあった。新国立競技場はほとんど出来上がってきていて柵の向こうのスタジアムは少し安普請にも見えたけど、少し空いたゲートの隙間から見えた芝生は緑で冬の午後の太陽に照らされていた。新国立競技場の他もすっかり模様替えしていくのかと思っていた外苑周りは思いのほか手をつけそうな感じではなく、古びた案内板は昭和の雰囲気もまだ保っていた。
東京の街のそこここに掲げられた(今も掲げられている)TOKYO2020の旗は、みんなが満足するわけではないけど、少なくともいっときの楽しみを持てる未来への予告のようでもあり、それを一緒に収めた街の写真は数年後になったら目が覚めて忘れてしまった夢を思い出すきっかけになるんじゃないかと思えた。
2020年はコロナウイルスで塗り込められた。当然のようにオリンピックの開催は誰にも望まれず、翌年への延期となった。その時でも翌年になったらこれまでのようなオリンピックが開催できると思った人はほとんどいなかっただろう。街にかかったTOKYO2020の旗は街灯にぶら下げられたまま古びていった。
そしてオリンピックの開会式まで一ヶ月も無くなった今日この文章を書いている。
オリンピックはおそらく予定通り開催されて、おそらく観客を少し入れることになるだろう。海外からの観客はほぼゼロだけどメディアにうつされる競技はそれなりに競技者たちの努力を伝えて、見ているものを感動させることもあるだろう。
でもそれが東京で開催されているということを住人として嬉しく感じられることはほとんどないだろう。本当だったら一生に一度あるかないかのような自分の街でオリンピックが開催されるという経験は、オリンピックのの抜け殻のようなイベントの開催に代替されて失われてしまった。
競技者の方の思いはあるだろうけど、僕は本当の正真正銘のオリンピックを東京で体験したかった。普段冴えない街並みがその時だけでも晴れやかに彩られて、少しの間は将来の不安なんかも忘れてスポーツに心を奪われたかった。たとえそれに多額の税金が注ぎ込まれていても、それが誰かの懐を膨らましたとしても、そして祭りの後に思ったような経済的皮算用が実現しなかったとしても、それは受け入れることができると思っていた。
あと三週間もすればオリンピックのニュースとコロナウイルスの感染状況のニュースが同時に語られる。どちらにより時間が割かれるようになるのかはわからない。ただそこにあるオリンピックは僕が体験したかったオリンピックではないし、僕が本当に見たかったオリンピックが自分の住む東京で開催されることはもうない。
社長は65歳以下なので正規のルートではなく、セレブ人脈で融通してもらったようだ。
やっぱりそういうのがあるんだな。この世は金だよ。
で、思ったんだけど、今のうちにワクチン接種して、それでガラガラに空いてるオリンピックを観に行くんだろう。
2019年の抽選の時は流石のセレブ人脈を駆使してもチケットが取れなかったそうだから、ラッキーだと思ってるんだろうな。
アルコールもOKになったみたいだし、国立競技場でスパークリングワインで乾杯でもするんだろう。
なんとなく、なんで菅首相があんなに叩かれても平然としていられるのかわかった気がした。
自分にとって利益のある人とだけ親しく、そうでない下々の者は関係なく。
8年前。オリンピックに限らずスポーツイベントには特に興味もなかったが「どうしても東京でオリンピックをやりたい」という人がいるんなら、オリンピックくらいやればいいじゃないかくらいに思ってた。
それからの準備期間。税金なんてどうせ誰かにとっての無駄遣い。インバウンドでもなんでも、景気がよくなる方向に使えばよし(だから国立競技場はもっとしっかり作って欲しかった)
東京では外国人観光客を受け入れるためにいろんなものがアップデートされて、もちろん失われたものもあるにせよ、これがオリンピックを開催するということなのかとちょっと楽しかった。
そしていま。このグダグダがすごい2021。オリンピックを、本当に、最高の形で、開催したいのであれば、もう少しやり方がありそうなもんだ。延期が決まってからだって1年もあったし、2年延ばしてもよかったという話だって(完全に後出しだけど)出てきた。いまはもうとにかく「この夏、東京でオリンピックをやりました」という事実だけが欲しいというようにしか見えない現状。
タイトルは純粋な疑問なので結論はありません。誰か教えてくれ。
(まあ自分が例え話を理解できない人を馬鹿だなと思っているだけなので、因果が逆ではある。)
例え話について、そこ本質?みたいな相違点を指摘する見当違いなコメントをする人をまま見かける。
メタとして敢えて例え話をすると、リンゴもバナナも甘いって発言に対して、「色違いますよね」とか「リンゴはバラ科でバナナはバショウ科で全然違いますよ」とか、まあ確かにそうなんだけど、そもそもそんな話してなくない?みたいな相違点を突っ込んでしまう人がよくいる。後者に関してはバナナよりナシの方がよかったのかもしれないけど、いやそこすげ替えても、論旨変わらんやんみたいな。
おそらく、彼らは筆者が何に注目して例えているかを理解していない。そもそも、あらゆる点が合致するような例えなんて存在しない。存在するとしたらそれは単なる類義語だ。そしてそれを理解してい彼らは、存在しない“理想の例え話”を求めて、筆者が例えが下手だと攻める。そしてほぼ例外なく、より優れた例え話を提示することはできない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210508032456 からいくつか取り上げてみる。
書くまでもないことだとは思うが、アスリートと平社員の類似点としては、「何かを中止する決定権がない」というところが大きいだろう。
トップコメからしてまずあれ。ブクマカにまともな読解力持った人いないのか?
emiladamas 平社員が国立競技場からメッセージを送るかという気もするけど https://mainichi.jp/articles/20210312/k00/00m/050/169000c それはさておき心底オリンピックしたい人を心底会社に行きたくないはずの平社員に例えられても感はある
まず、平社員が心底会社に行きたくないと思っているのが頭が悪い。あなたが会社嫌いなのはわかったから一般化するな。
まあ、そこはどうでもいいのだが、対象を心底希望しているかどうかはこの例え話の本質ではない。それとも彼は、「平社員」ではなく、「会社の事業がとても大好きな会社員」で例えていたら満足するのだろうか?
getcha 平社員に例えるのがおかしいのよね。無料コンドームを配布する仕事のイベントないでしょ。五輪は他の競技大会と比べても特殊なんよね。
無料コンドームとかどうでもいいやろ。脳内で「無料コンドームを配布する仕事をする会社員」だと思っとけ。
あと「特殊」とか言えば、論破した気になっているのもありがち。どんなに特殊だろうが、論旨に関係なければ無視していい。「こういう点で特殊だから〜だからこのような例えはできない」って論がないと無意味。場合によっては、リンゴとバナナの甘さの話をしているときに、「リンゴは聖書では重要な果物で…」くらいの特殊性訴えてるのと変わらんぞ。
take-it こういう奴出ると思った。この平社員の「会社」は海外から選手だけでも9万人近く受け入れようとしてるのを、何故か前提としてすっ飛ばしてる。ただの社員とは違う。五輪は今絶対にすべきことか?https://bit.ly/3nW9Q6y
会社員の例えなのに、所属会社の性質を気にしている(出されていない情報はワイルドカードだと思うべき)ので、やはり例え話を理解できていない。
ついでに、「五輪は今絶対にすべきことか?」みたいな関係ないコメントを書いてしまうのも頭の悪さを示している。オリンピックの是非はともかく、要するに選手にボイコットを要望するのがどうなのという話が理解できていないことがよくわかる。
susahadeth52623 ろくに給与も出ない裏方の五輪従事者やボランティアを平社員に置き換えるならまだ分かるが、五輪代表選手は少なくとも企業広報の顔ぐらいの地位にはいるだろ。平どころか主役だぞ。
「富士フィルム CMに出ている研究員(あれまだやってる?)」で例えたら満足か?
主役かどうかが関係ないのが理解できていない。小学校の劇の主役は劇を中止させられますか?
給料とかもどう論旨に関わるんですかね?