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はてなキーワード: 低所得とは

2021-05-05

anond:20210505103243

差別って結局は制度問題なんよ。具体的な例を出せ、っていうのは具体的な制度問題点を指摘しろってこと。ネットの言説”のみ”をあげて「これが差別だ」と言われても「ひどい人たちがいるもんですね」で終了よ。たとえば独身男性が既婚男性より有意に昇進などで壁があるとか、既婚者だけ税金優遇されてるとか、低所得独身男性(これは女性もだけど)に負担の大きい国民年金国民保険料問題とか、根幹は「夫婦子供という形の家庭のみを想定した日本税金社会保障制度問題」なんで、そこを変えるように働きかけるのが早いと思うのよね。制度だけでなく独身低所得男性への蔑視が耐えられないのであれば社会的多様性インクルーシネスを支持していくしかないでしょう。そういうわけで、弱者男性が”差別”されない社会を作りたいなら、フェミニストやLGBTQとも共闘していくのが近道と思われます

2021-05-04

低所得男性が友人関係を維持できない理由

男の友人は相談乗るフリしてマウント取ってくるので同級生と会いたくなくなるんだよね

anond:20210504101423

だって女は低所得でも障害持ちでも結婚しまくってるじゃん

統計的にも明らかに有意差出てるし性犯罪女性問題として語られやすいのと同じでしょ

2021-05-02

弱者男性って

弱者男性非モテ男性達は女性をずっとブスとかババアとか中古とかマンさんとか言ってて、結婚負債からするやつは愚かまで言ってたのに、ここになって急に自分達は弱者って主張し始めたの何?

中高年になって1人が寂しくなってきたのかな。

結婚なんてしたら嫁にオタク趣味取り上げられて、家族サービス休日が終わる。そんなつまらない人生なんて選ばない。これからオタク友達と一緒にオタクとして生きていくのが正義って話だったよね。

それが低所得から結婚もできず、彼女すらできずセックスできない俺たちは弱者だって言われても「ほーん」としか思えないと言うか、それこそあなた達の大好きな「自己責任」では?と思う。

散々小馬鹿にしてた女性に今から向き合ってもらえると思うの虫が良すぎ。あまつさえ救ってなんてよく言えるなと。

女性にも感情とかプライドとか、バカにされてるって気がつく知性はあるから。そこわかってるのかな。

2021-04-30

低所得イケメンだけど

おそらく弱者男性から仲間に入れてもらえない気がする。

そもそも上方婚とか下方婚とかを、男女どっちも所得だけで考えるからおかしなことになるのでは?

女は高所得を望んで、男は若さを望んでるんでしょ?

てことは女にとっての下方婚低所得男性との結婚になるけど、男にとっての下方婚低所得女性じゃなくて若くない女性との結婚になるよな?

格差が開くのを防ぐって目的なら、的外れであるのは認める。

でも下方婚の話を見てると「低所得女性は高所得男性に拾われるのに、低所得男性が高所得女性に拾われないのは不平等」みたいな事を言ってる印象を受けるからそもそも一般的に男女で結婚優先順位が違うからじゃね?と思った。

たまたま男は相手所得より若さを優先し、若い女性は低所得場合が多いので、結果的低所得女性を選ぶだけだと思うが。

異論は認める、どうぞ。

anond:20210429213658

unakowa 辛いはわかるけど、社会がどうしたら弱者男性を救済できると思う?男女共通低所得対策コミュ障支援以外は、弱者男性自身の考え方や行動を変えるしかないのでは?女が悪いとか甘えたこと言われても困るのよ。

2021-04-29

anond:20210429122335

今の若い男性の3割以上は専業主夫パート主夫願望があると言われているからね。

女性側が、それらの男性要望をかなえる流れにならないと、非婚化はますます進むんじゃないの?

もちろん低所得女性対象外なので、心配いらない。

anond:20210429135410

所得だけの話で言うなら社会進出の差・賃金格差で同等階層の女はすべて下方なんだから「あてがってた」わけではないよね

しろブサイク低所得の男にも女があてがわれていたというのが正しい

anond:20210429123309

じゃあ、昔ながらのステレオタイプ結婚って、男を低所得女にあてがってるってことになるな

2021-04-26

anond:20210426204752

女性下方婚するようになることがジェンダーギャップ指数上昇のカギだってことですね。

ちゃん低所得男性主夫として、男性女性を支える社会を受け入れること。これが重要。まさに弱者男性が主張してることだ。(ジェンダーギャップ指数意味ある数字だとすれば、だけど)

2021-04-19

お前らは本当の非モテをなめている

https://anond.hatelabo.jp/20201119191213

これって別にモテない非モテだと言っているだけで自分の事を低所得だとも言ってないし弱者男性だとも言ってないし界隈で語られる

いわゆる”弱者男性”のぼんやりとした定義にも掠らないと思うんだけど弱者男性だと認識している人がおおいのはなぜ?(もちろんそうである可能性はあるけど)

anond:20210418234710

統計上、男の低所得以下はほぼ確実に結婚できないけど、

女は無職でも低所得とそう変わらない確率結婚できてるじゃん。

2021-04-10

anond:20210410114537

冗談はさておき実際にTwitterで猛っている「弱者男性」は低所得であろうと養う妻子ない分だけ金も時間も十分あり、だからこそTwitterで猛っていられるのだよな

2021-04-09

anond:20210409213525

女医生涯未婚率ってここ数年低下傾向にあるのはなんでなんだろう。

低所得男の未婚の増加とセットなんだろうね。

まり下方婚増田が言うように下方婚してない仮説が成り立ちそう。

anond:20210406000445

良い分類と整理だと思う。

弱者男性問題は、議論が深まり社会認識がされていくことを期待する。

だが、今、はてぶで吹き上がっているのは「弱者男性問題ではなく「強者ではない男性問題

たとえ社会成功を収め、人間関係に恵まれていても、その自意識自分弱者であるという意識があれば弱者男性になれてしまうのだ。

強者ではない男性問題当事者の不満をブコメを参考に分類した。

1.強者男性比較して金や女を得られていない不満

2.恋愛強者または高所得の女の方が社会弱者とされることへの不満

3.強者男性恋愛強者または高所得女に比べ、社会的な承認が得られていない不満

1は、自由競争を基本原理とする資本主義社会を前提にすれば、女はともかく、金は仕方がないのだ。

(女の問題は3で後述する。)

この社会で「人権」として認められるのは「健康文化的な最低限の生活」までで、俺の知っている強者男性と同じだけよこせといっても認められない。

この不満を解消したいなら、資本主義否定し新たな社会主義革命を目指すしかない。

(一方、伝統的な社会主義国でもこの不満は解決しないことは歴史証明しており、新たな社会主義でも同様だろうという私見を持ってはいる。)

2だが、そもそも特定属性」を持つ個人を、その属性理由冷遇することを差別といい、被差別属性を持つもの社会弱者である

元増田が整理したように「強者ではない男性」の属性特定不可能なので、「強者ではない男性」全体を被差別集団には認められない。

一方、女性は、女性であるという属性理由に、入試問題セクハラ問題などの冷遇を受けていることが明らかになっている。

いや、自分貧困属性があるという「強者ではない男性」には、「貧困属性は男女問わない。貧困男性貧困女性は等しく扱う」という回答になる。

恋愛については3で後述する)

男性属性強者)  ー 女性属性弱者

所得属性強者) ー 低所得属性弱者) ※男女問わず

3だが。

社会承認尊敬、周囲から愛情好意。異性から恋愛感情といった物は、社会資産として分配出来ない。

社会は各々人権を持つ個人集合体で、各個人自分幸福人生を追求する権利がある。

人権の衝突と主張をする増田もあったが、異性を女と固定して男への世話役要求するのなら、そもそも衝突ではなく一方的な女の幸福追求権の侵害だ。

金がないからといって泥棒していいわけではない。

かつ、社会でうまく他者と関われない個人はいるが、その属性は男女を問わない。また、男だから、女より社会承認や異性から愛情が多く必要だという事実はない。

対人スキルが平均より著しく低い個人に対し、社会的な支援は用意されるべきだが、それは、対人スキルトレーニングといったものになるだろう。

以上、自分の「強者ではない男性問題について理解は整理出来たが、それを記載することは控える。

anond:20210409103210

自殺率平等になってないかリーチしてないのは確かだよ

リーチさせるには女のように低所得でも結婚できるようにするしかないんじゃないか

2021-04-08

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性って誰?

最近よく目にするけど弱者男性って誰?どういう人?

無職低所得の人?非モテの人?KKO?こどおじ?30過ぎても童貞の人?

なんか、女あてがえ論とか、弱者男性は男社会価値観が原因とか、いろいろ見るけど結局なにが「弱者男性」なのか全くわからないんだが。

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