はてなキーワード: プログラマとは
よく知らないんだけどプログラミング言語? ってやつかな
プログラマなら同意してくれると思うけど、Rust や Go で書ける時代にアセンブリや機械語を書く人間はいない、相当な趣味人とか特殊な例外だけだ。
お気の毒です。
イラストレーターで食える人は居なくなるだろう。
…
人工知能はスピードと品質の両面で人間のクリエイティビティを凌駕しつつある。
プログラマなら同意してくれると思うけど、Rust や Go で書ける時代にアセンブリや機械語を書く人間はいない、相当な趣味人とか特殊な例外だけだ。
…
どうすればいい? イラストを禁止するのは、俺がゲームを禁止された果てにゲームジャンキーになったのと同じように逆効果にしかならないだろうな…。
これは聞いたことがあります。確かに禁止するのはリバウンドを招くので良くはない。
毎回ゲームをプレイするたびに感想文を書かせるのが、ゲームをやめさせるのに効果的な方法らしいです。
おそらく、読書感想文さえ億劫な子どもにとって、いちいち文章を書く面倒くささは足枷になり、
慣れてくるとプレイ中に感想を考えながらゲームするようになるのでしょう。
そしてそれがパフィーマンスを損なうので、成長が止まり、飽きやすくなるのだと思います。
小説やアニメなどを友人にオススメされると逆に読みたくなくなってしまう現象があります。
「将来はイラストレーターになりたい」
らしい。
うわあああああああ………。
プログラマの俺としては、なんとか芽吹いた夢が若い内に摘まなきゃならない。
イラストレーターで食える人は居なくなるだろう。
本当の意味でのトッププロと、声や生活などを釣り餌にするアイドル絵師だけが生き残る。
あとは今のアニメの奴隷労働のようなレッドオーシャンの過酷さしか残らない。
人工知能はスピードと品質の両面で人間のクリエイティビティを凌駕しつつある。
プログラマなら同意してくれると思うけど、Rust や Go で書ける時代にアセンブリや機械語を書く人間はいない、相当な趣味人とか特殊な例外だけだ。
こんな事態になるとは思わなかった、こんな辛い役割を担いたくはなかった。
どうすればいい? イラストを禁止するのは、俺がゲームを禁止された果てにゲームジャンキーになったのと同じように逆効果にしかならないだろうな…。
家で仕事するのは嫌だから出社したいんだけど人の顔見ながら同じ空間で仕事するの嫌なんだよなー
ひと昔にアメリカで流行ってるっぽかったキュービクルみたいなのならギリ許容範囲。
日本で最近増えてきたシェアオフィス?コワーキングスペース?で個室になってるのは悪くないんだけど
いかんせん部屋が狭すぎる。6畳ぐらいの部屋だと僕は大変に嬉しい。
できることなら自宅から電車で20分ぐらいの場所にワンルームの部屋があってそこに出社して
オンラインで人と話しながら仕事をしたいんだけど、現時点で日本の会社で可能なんだろうか?
そっすね
動作として"入ってるデータのみ"を使った出力ならば、盛り込んだデータ数に関わらず「引用部分が従である」が成立しないので引用が成り立たないという話。
「学習モデル」って書き方は混乱するか。ここでは生成過程に注目していたので「モデルデータ」とかにしたほうが分かりやすいか。後で書くけど「すり替えて」はおらず「学習する段階の話」ではない
AIは新たに自分の頭で考えた要素を付け足さず、モデルデータから選んで切り貼りする以上の動作を行っていないので「著作物を引用した新たな著作物」とは言えず「転載物の集合体」として扱える(と考える)。モデルデータの中身が全部無断で使われた著作物なら、モデルデータの中身が6組なら無断転載6件、100億組なら無断転載100億件ってこと
なんで引用かそうでないかを考えたのかは「引用が成立するなら権利侵害ではない」は無断転載か検証するにあたりだいたい確認するから
多分「学習と引用をすり替えてる」前提に立ってこれを書いてて、かつ「AIの学習は人間の学習と同じ」にこちらが乗っかったからめちゃくちゃ面倒くさいことになってると思うので、もう「AIの指す"学習"と人間のやる勉強とかの学習は全く別」って観点で話進めるね
「著作物だけでイラストの描き方を学んだ」場合というかだいたいがそうだと思うが、絵の描き方を勉強する過程でサルまねやトレースを行う行為自体は著作権法では制限してない。トレパクとか模写自作発言とか無断転載(+自作発言)くらいの事態が起きたら著作者の権利を侵害した行為として評価がくだる
"画風パクり"が著作権含めどの権利を侵害してるのか?みたいな話は生成AI以前もたまにやってたが、だいたい特定の絵についてトレースや模写をしてなくて"参考にした画風の持ち主の名を騙っていない"ならとくに問題なしという結論が出たはず
じゃあ「生成AIは画風パクりだからセーフやろ」という話が上がってくると思うが、これは先に上げた「転載物の集合体」であることを考えれば"画風パクり"とは全く違うものであるので、画風という観点で判断してはいけない
AIに便宜上"学習"(Training)って言葉を使っているのでややこしいのであって、いわゆる学習モデルも実態は「入力パラメータ用ファイル集」なので"学習の成果"とは意味合いが違う
かなり前の方の増田でやった「学習モデルの再頒布禁止」という話については「生成AIを動かすために学習モデルを作る」ことは権利侵害にあたらないが「無断転載素材入り学習モデルの頒布」はガッツリ権利侵害だぞって話(これに"学習"って言葉つけないといけないからややこしい)
ただ生成AIのシステムもコンピュータープログラムである以上「プログラム動作時のデータ処理の流れを追うログ出力コードを盛り込むことは不可能」なんてことはない
だからそんなことできないの
まさかそちらから具体的なアルゴリズムの名前を出してくるとは思わなかった
ニューラルネットワーク(以下NN)の内部動作は、人間が指示を出してNNから返された出力を見て「どんな考え方したらこんなアイデア出てくるんだよ思考回路マジわからん」というのがだいたいなので、これも便宜上「ブラックボックスだね~」と言っているにすぎない
NNがたとえば古代アステカ文明の遺跡から発掘された謎の箱をパソコンに繋いだらAIになったとかいう代物なら間違いなくブラックボックスと呼んで差支えない
だが実態は"アルゴリズム"なので、NNはなんでも作れる不思議な箱ではなく、入力層・多層の中間層・出力層を設けた計算手順にすぎない。NNの参考書読んで人力で計算しても(時間かかるし高難易度関数のオンパレードだが)再現可能ではある
参考にしているStableDiffusionも動作原理もアーキテクチャも明らかなので、人間に再現不可能なブラックボックスではない。プログラムを実装してるのがエリートのプログラマであるってだけの人間だし
また一日が終わる。
社会人になって10数年、変わらぬ日々の繰り返しに、心は疲弊している。
必死に働き続けてきたが、このままでは未来に何が残るのか見えなくなってきた。
プログラマとしての仕事も鬱が深まるにつれて難しくなってきた。以前は楽しみながらコードを書いていたのに、今はまともに手が動かない。
画面に映る文字が、ただの記号にしか見えない日もある。自分のスキルに疑問を抱くようになり、ますます自己嫌悪に陥る。
鬱という闇は、徐々に私の全てを覆い尽くしていく。
朝、目覚めると、重い心が体を圧迫する。
ある日、心の絶望が溢れ出して突発的に自分を終わらせようとした。
でもそれは失敗に終わり、生き延びてしまった。その後の自分は生きることの重さと死ぬことの恐怖の間で揺れ動いている。
医師に言われた言葉が頭を離れない。「鬱は一生治らないかもしれない」。
この病は私の人生の一部になるのだろうか。その事実を受け入れるのはなかなか難しい。
この状態でプログラミングスキルを維持するのは難しく、かつて得意だったことが今では遠い夢のようだ。働き続ける意味を見出せず、ただ時が過ぎるのを待っている。
夜になると、心の中の暗闇が深まる。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。
明日に向かって何をすべきか答えは見つからない。不確かな未来に、僅かな希望を抱きつつ、眠りに落ちる。
これが私の現実。鬱という病に苛まれ、かつての自分を取り戻すことができないでいる。
何か変わる日は来るのだろうか。そんなことを考えながら、また一日が終わる。