はてなキーワード: どっちもどっちとは
「なぜ私に見せる」ってそりゃ「できれば乳揉みたい」って思ったからだろ。
「私がどういうリアクションとれば」ってそりゃ揉ませるか殴り倒すかどちらかだろ。
その男は前者に賭けて、お前さんの対応は後者だったと。それだけのことだろ?
お前さんは男が勝手に自分を性的ファンタジーの対象としたことにひどい怒りを覚えているが、
お前さんはお前さんで勝手に男を「気の置けない男友達」というファンタジーの対象として見てただろ。
二つの行為がどう違うのかオレにはよく分からんね。裏切り? そりゃ「お前さんの妄想していた関係」に対する裏切りに過ぎないだろ。男から見ればアンタの対応にだって十分「裏切られた気分」だろうさ。「友達関係という合意はあったはず」…そうかね。それはお前さんが勝手にそう思っていただけだろ。事実相手はそう思ってなかったわけだろ。この後相手は謝ってくるかもしれない。だがそれは、お前さんが思ってるような理由に基づく「謝罪」ではないことは確実だね。行き違いからくる受け取り方の違いでアンタが怒った=やり方まずかった、というだけの謝罪であって、それ以上ではないよ。本質的な部分への謝罪ではない…だって、本質的な部分では「どっちもどっち」なんだから、この話は。
つーわけで、言ってみればただそれだけの、夢見がちな男女二人による「よくある行き違い」から起きたいさかいに、全男性が巻き込まれるとかとても迷惑なんだけど?
間違いなく向うは向うで「思わせぶりなことばっかりして振り回して軽い冗談すら許さないで不機嫌とか、ほんと女って気まぐれ勝手で男心を理解もできない、サイテーな生き物だな!」とか思ってそうなわけだが、それこそそんな理屈で女全体をサイテー呼ばわりされたらアンタだってたまったものじゃないんじゃないかね。実に似た者同士の二人だよ。
とにかくそれ自体は同意できる論理を述べながらひたすら相手を罵倒し見下す意見を読むのに疲れた。
とにかく差別を批判したり人権を尊んだり正義を主張したりしながら異常なまでに攻撃的な口調で対象の死を望むがごとき意見を読むのに疲れた。
もちろんそれ以前から、人種差別主義者や民族差別主義者や性差別主義者や諸々のあれには疲れ切っているのだが、それの反対者に節度を求めるのは無理筋なのだろうか。
こんな感想は、よくある批判である「一方の側にだけ節度を求める不対称性」になってしまうのだろうか。
あるいはもっとよくある「どっちもどっち」論に堕しているのだろうか。
せめて、言いたくはないが「こちら側」は毅然としようよ、は無理筋なのだろうか。
「丁寧な言葉づかいで、相手を気遣いながら発信」するのがマナーである、とできないのだろうか。例えば具体的なひとりの人物への記述であるなら、その相手がいくら気に入らなくても最低限の倫理を守ったうえでの批判を加える、とするのが共通意識にはならないのか。
とにかく汚い言葉や悪い言葉で気分を害していく中傷好きの面々――はてブの常連にもちらほらいる――に対しては、その論理がいくら正しくても「とはいえその言葉遣いは悪い」となる方向にいかないのだろうか(念のため言うが、「言葉遣いが悪いからその論理も悪い」という方向へは明確にいくべきでないが)。
結婚おめでとう!
恋愛話をしないコミュニティでそういう話をしづらいのは分かる。
でも、ずっと隠していてその上で結婚すると報告して
手放しに祝ってもらえなかったからって傷つくのは虫がよすぎるんじゃないかな。
元々恋愛を中心に置いたコミュニティじゃないのに結婚報告がその日の話題の中心になるなんて無理では?
友達達は「ずっと黙ってたなんて…でも私たちに話しづらかったんだろうな」と思いやる気持ちが足りないし
あなたは「ずっと黙ってたのに突然心から祝うなんて難しいよな」と思いやる気持ちが足りない
どっちもどっちという印象を受けた。
影で少しは「ずっと黙ってたなんてひどいよね」って話が出てもおかしくないし
そういわれる覚悟が全然ないのは自分のことを客観的に見れてないのかなーと。
当人不在の時の陰口を本人に伝える必要なんてないし、正しい自分に酔うためにあなたは使われたとしか思えない。
なんでこの子こんなこと私に伝えてくるの?って気持ちになるような感受性を育てた方がいいと思う。
そのグループが腐女子であったかとか皆も言ってるけど本当に関係ない
きっとあなたも含めMちゃんのいうところの「幼稚な人」が集まってたんだよ。
この一件を経て、自分の思ってたこと等をもう一度振り返って
マジで悩んでいる。友人の女性は全て年上。当方は姉がいるってのもあると思うが、とにかく話が合う。上司も女性が多い環境だった。(それはそれで男女性差があるのでどっちがいいってのは無いが)
年下と何回も付き合うのだが、子供っぽさが耐え切れず、毎度すぐにお互い合わず分かれてしまう。何て言っているうちにもうアラフォーで、もう年上では子供を望めない歳になってきた。
有り体にもっと言うと
年上のいいところ
年上の悪いところ
・子供産めない。産んだりアダプションしても育てるが厳しいかも
どっちもどっちの味がある所
若い子でも話が合うのであれば一向にかまわないし、若い子ならではの若い子なりの良さもあるとは思うのだけど、向こう側が老成した意見などを言いがちな俺に拒否反応を示すことが多い。(なぜなら経験的に大抵の事の先が読めるので、彼女のやりたいことに全てに何かを言ってしまう)
思いわずらうことなく愉しく生きよを読んだ。女って怖い、結婚って地国だ、って思わせる一方で、生きていくことの困難さについて前向きに語っている小説だなって思った。
作家には独特の文体というか呼吸法みたいなのがあって、個人的に江國香織の小説はそれが顕著だと思う。漢字の開き方とか句読点の位置、文章構造とか好き嫌いがはっきり出そうなタイプ。
句読点の位置は好きな方の作家なんだけど、今作は主に序盤から中盤にかけて文章構造で首をひねる箇所があった。同じ台詞を二度三度、会話外の文章で繰り返したり、心理描写を深化させていく雰囲気を醸し出しながらも唐突に周囲の様子に視点が向かったりしてたのが気になった。もちろん二つとも狙っている効果が想像できなくはないのだけれど、流れるように読むことは難しくなるデメリットがあると思う。
内容に関して。一癖も二癖もある姉妹が描かれていて、辟易したり多少なりとも共感したりしながら読み進むことができた。個人的に三女がまだましかなって思う。依存気質じゃないビッチなんだけど、思考回路が一番理解しやすかった。次女はすっごい出来る女なんだけど、こと恋愛関係においては糞としか言いようが無い。熊木さんが本当に気の毒。この二人はどちらも手痛い失恋を経験するわけだけど、どこか清々しいラストになるのが面白いなって思った。長女は一番根はまともなのかもしれないけど、全体的に怖かった。モラハラ家庭って何もかも歪めてしまうのねって感じ。どっちもどっちなんて言葉じゃ片付けられないんだろうけど、結果的に夫婦双方でがっちり噛み合ってしまったモラルハラスメントって外部から精神構造を覗き見ると異常としか思えない状況なんだと思った。次女じゃないけど、心の底から長女と結婚相手の理屈に反吐が出そうになったもの。この作品に描かれているモラハラが全てではないんだろうけどさ。
三姉妹はそれぞれ生き方に信念のようなものを持っているんだけど、それがために生きることが難しくなっているってのが一つのキーワードとして設けられているような気がした。信念を持っていないために過酷な状況下に陥ってしまった人物として雪枝さんが描かれていたようにも読めたんだけど、信念持っていような持っていまいが、簡単にはいかないのが人生なんだって感じさせてくれる。何かしらの生きる指針を外部に求めるか内部に求めるかって話になるんだろうけど、どんなコンパスがどの方角を指していても、海原は荒れることもあるし穏やかなこともあるんだって。だからこそ、『思いわずらうことなく愉しく生きよ』なのかなって思うんだけど、そうするがために振り回される人も周囲にはいるわけで、なかなか上手くいかないもんだなあって読後感を持った。
作中では何とか順調に階段を登っている三女のカップルだけど、姉二人の失敗が表しているようにこれから先どんな未来が待っているかは不明なんだよね。そればかりか、ちょっと用意が周到すぎるような描写もあって不穏な影もちらちらしてる。それでも生きていくのだし、長女の先が見えない結婚生活も、次女の相手に甘えきった恋愛も、いろいろ変化しながら続いていくのだと思う。大変だけど、愉しく生きることができたらいいなあって、それが理想だよなあって思った。
某ドラッグストアのチェーン店でバイトをしているけど本当に頭のおかしい人間が多いと思う。
ある意味不健康な人ほど用がある施設なので仕方ないのかもしれないけど、理解できない人間が非常に多い。
よく居るのが医者が嫌いな老人。「あそこの医者はヤブ」「病院で出された薬は効かなかった、不味かった」から「効く薬くれ」
あるわけない。病院じゃないから検査もできない。薬剤師もいないし医者のほうが新断も正確だ。
なのにたかがバイトか、ちょっとした資格を持っているだけの店員の言うことは信じる。
イライラするので「この人は早く死にたいんだな」と思うようにしている。
次に服用方法が間違ってて薬物中毒な人間。危険ドラッグは禁止されているけど、合法の成分でも中毒っぽい人間。
30代くらいの人間にも多い。小児用シロップを大量に買っていく。
よく読め。1回1本飲む薬じゃない。蓋についてるカップで計量しろ。
他に注意喚起が必要な薬も、ちょっと説明すると「時間がない、もう知ってる」とかキレる。
冷凍食品やら洗剤やら電化製品が多少売ってるけど特に電化製品買いに来るやつは本当クソ。
「うちの家の電球とサイズ一緒ですか?消費電力はどれくらいですか?」知るわけねえだろ電機店行けよ。
たぶんこの辺の客は「お客様は神様」という気分が根っこにあるんだと思う。
病院に行けば待たされる。医者は知識量も豊富で、薬を飲み方まで指導する。飲まなかったら注意される。
電化製品買う客も、「電機店だと店員側がリードしているのが気に食わない」という人間も多いんじゃないか?
話を聞くのがめんどくさいだけかもしれないけど、根底には「自分が上に立ちたい」という気持ちがあると思う。
ドラッグストアは客商売だから客がいらないといった薬を売りつけることはない。内心はともかく見かけ上の立場は客>店員だ。
まぁここまで書いたけどドラッグストア側も水素水やコラーゲンとか怪しい健康食品も売ってるしどっちもどっちのような気がする。
と言われて「何を言ってるんだ。負の感情と向き合ってないのは規制賛成派だろ」と思った人は思い上がってるよ。
規制反対派が向き合ってるのは負の感情のうちの「人を殺してみたい」とか「幼い女の子とセックスしたい」とかそういう部分だけでしょ。
表現規制反対派はよく「ヘドが出るような下劣な表現でも他者の権利を尊重しない範囲でなら尊重されるべき」と言うけど、自由主義という観点からすると確かにその意見の方が”正しい”のかもしれない。
ただ一方で、「ある程度までなら『許してやって』もいいが、その限度を越えて力ずくで抹殺したいような意見・表現もある」というのも立派な(?)負の感情で、誰にでもあるものなんだよ。
そういう弾圧したいという負の感情に向き合わずに単に自由を主張するだけだから、規制に熱心に賛成しているわけでもないが熱心に反対しているわけでもない第三者からは、
『「自由は尊重されるべき」という社会の中で弾圧すべきという負の感情を主張している人たちが、
『子どもは性欲の対象ではない』という社会の中で子どもに性欲を抱く負の感情を主張している人たちに反発されているだけなんだな。
結局はどっちもどっちか」
と思われるだけなんだよ。もっと弾圧したいという負の感情とも向き合ってそれを発展的に解消させる方策を考えるべきなんじゃないの?