とにかくそれ自体は同意できる論理を述べながらひたすら相手を罵倒し見下す意見を読むのに疲れた。
とにかく差別を批判したり人権を尊んだり正義を主張したりしながら異常なまでに攻撃的な口調で対象の死を望むがごとき意見を読むのに疲れた。
もちろんそれ以前から、人種差別主義者や民族差別主義者や性差別主義者や諸々のあれには疲れ切っているのだが、それの反対者に節度を求めるのは無理筋なのだろうか。
こんな感想は、よくある批判である「一方の側にだけ節度を求める不対称性」になってしまうのだろうか。
あるいはもっとよくある「どっちもどっち」論に堕しているのだろうか。
せめて、言いたくはないが「こちら側」は毅然としようよ、は無理筋なのだろうか。
「丁寧な言葉づかいで、相手を気遣いながら発信」するのがマナーである、とできないのだろうか。例えば具体的なひとりの人物への記述であるなら、その相手がいくら気に入らなくても最低限の倫理を守ったうえでの批判を加える、とするのが共通意識にはならないのか。
とにかく汚い言葉や悪い言葉で気分を害していく中傷好きの面々――はてブの常連にもちらほらいる――に対しては、その論理がいくら正しくても「とはいえその言葉遣いは悪い」となる方向にいかないのだろうか(念のため言うが、「言葉遣いが悪いからその論理も悪い」という方向へは明確にいくべきでないが)。