と言われて「何を言ってるんだ。負の感情と向き合ってないのは規制賛成派だろ」と思った人は思い上がってるよ。
規制反対派が向き合ってるのは負の感情のうちの「人を殺してみたい」とか「幼い女の子とセックスしたい」とかそういう部分だけでしょ。
表現規制反対派はよく「ヘドが出るような下劣な表現でも他者の権利を尊重しない範囲でなら尊重されるべき」と言うけど、自由主義という観点からすると確かにその意見の方が”正しい”のかもしれない。
ただ一方で、「ある程度までなら『許してやって』もいいが、その限度を越えて力ずくで抹殺したいような意見・表現もある」というのも立派な(?)負の感情で、誰にでもあるものなんだよ。
そういう弾圧したいという負の感情に向き合わずに単に自由を主張するだけだから、規制に熱心に賛成しているわけでもないが熱心に反対しているわけでもない第三者からは、
『「自由は尊重されるべき」という社会の中で弾圧すべきという負の感情を主張している人たちが、
『子どもは性欲の対象ではない』という社会の中で子どもに性欲を抱く負の感情を主張している人たちに反発されているだけなんだな。
結局はどっちもどっちか」
と思われるだけなんだよ。もっと弾圧したいという負の感情とも向き合ってそれを発展的に解消させる方策を考えるべきなんじゃないの?
向き合うってのがよくわからないんだけど ゾーニングしようとか 資本主義社会なのだから他者の権利を侵害しないかぎり欲望は認められるべきとか そういう主張や表現をするのは向き...