自殺しない限りは外的要因で人は死ぬだろう。あと病気や寿命で。生き続けること自体は自分でどうにかできることじゃない。だったら生き続けることはただの現象なんだから。
他人と比べて価値があるか無いかってのは「地震と竜巻のどちらがより害なのか」って話とあまりかわらない。だったらそこで自分を追い込む必要もない。ただそこに在るというだけ。
世の中の人は、なんで、自分は生き続けるに値するって思えるんだろう。それとも、そんなことをそもそも考えもしないのだろうか。
仕事がうまくできない日は、仕事さえも満足にできないならとっとと死ねよと自分に言う自分が居て、そうだよねと思う自分も居て。
そんなことを考えて生きる気力を削ぐことをするぐらいだったら、できなかったことが少しでもできるようになるように前向きに努力する方に気力を使えばいいのに。
そういう前向き方向に気力を使っていないこと自体が、生き続けることに相応しくない人であるということを明確に示している、って思ったりして、自分がどんどんダメになる方向に追い込み続けてしまうことから抜けられないのは何故なんでしょう。
無根拠に、生きていても良いと思える方法はあるんでしょうか。
その深まった30人との愛情はそれだけ深まったのにどこ行ったんだよ
それがですね
家制度を復活させて戦国武将の嫁入りみたいにする(未就労の学生と学生が結婚、妊娠出産子育てをできるようにする)か
高卒でも専門学校進学率が高いので、今の若者は大体20歳から22歳で就職するんですけど
22~25歳くらいの彼らと16歳の少女の出会いの場って少ないです。
数年花嫁修業して同級生と結婚ってのも、経済的に厳しい可能性がある。
というわけで、現行の家族制度を維持するなら、5歳ほど年齢が離れた男女を結びつけるシステムが必要なのです。
あと、女性の就労を禁止してしまうと、今非正規雇用の女性がやってる仕事の労働力をどうするか、という問題や、専業主婦を養えない男性は結婚出来ないという問題が発生するので
最初女性の大学進学を禁止してたんですけど、世界を見ると優秀な女性の研究者もいるわけで、そういう人を埋もれさせることになる。
ので大学進学を禁止しない代わりに、(社会制度によるものか、生物的な差なのかは不明ですが)男女平均の能力差がある数学などを「必須」とすることで、女性の大学進学率が余り高くならないようにしてます。
この時期になると福袋商戦が話題になる。
自分も各ショップが出しているオンラインストアで福袋を買おうと思い、発売開始時刻に備えて待機していた。
発売開始と同時にお気に入りのショップの福袋を買おうと購入ボタンを押す、と売り切れ表示が。
この間約1秒。そう、発売開始1秒未満で全て売り切れたのだ。
チクショーと思いつつ、どういう層が同じ福袋を狙っていたのかとネットで色々と調べてみた。
2ちゃんの掲示板なんかを覗いてみると、転売ヤーがいるわいるわ。
どの袋が倍の価格で転売出来るだの、この袋は専売品だと判明したからキャンセルしたいだの。
「買えなかったやつざまあwwww3倍の価格で売ってやるから楽しみにしとけ」
「専用品かよー転売で利益だせないじゃねーか、5個もポチったのに」みたいな
もうね、こちとら1年間楽しみにしてたんだ、転売ヤー氏ねよと。
俺はこういうものをオクで買わないようにしてる。なぜならこういう輩を増幅させるだけだから。
今年の正月、俺は好きなショップの福袋を買おうと早朝からデパートの前に並んでいた。
その後ろに男が2人来た。暇だったからそいつらの話に聞き耳を立てていると、どうやら2人ともどこかの転売ヤーに雇われているらしい。
軽い自己紹介から始まり、自分の担当はどのショップで、あなたはどこですか?みたいな。
そうこうしているうちに開店。同時に店員さんがトラブル防止のため、整列を促す、が後ろのやつらはその静止を振り切り一目散へ売場へ。
並んでいる人たちがはねとばされ、列が乱れる、が時既に遅し。我先にと他のやつらも続いて行き、現場はごっちゃごちゃ。
自分も急いで続いたが結局お目当てのものはそいつらに買われてしまった。
ボロボロになりながら帰ろうかと思ってふと周りを見ると、メンズの売り場なのにやけに家族連れっぽいのが多い。
でも着ている服を見るとどうも怪しい。どうみても貧乏一家という感じだ。
そこでさりげなく近づいてみると、ショップリストと転売価格みたいなものが書いてあるメモを持っている。
こいつも転売ヤーかよ、と思いつつ後ろに続くようにして外に出ると、その一家は少し離れた所で待機していたある男のワゴン車の元に行った。
そこで見た光景は、その福袋を手渡してお小遣いを受け取っている状況だった。おそらく一家4人で5〜6万くらいだろうか。
この状況を見て心底転売ヤー氏ねと思うと同時に、それに手を貸す人たちも憐れに思った。
人を押し倒してまで金が欲しいのか、と。
ディストピアでいいなら、昔みたいに女性は16になったら嫁に行く、進学、社会進出なんてもってのほか、ってすれば、自然と子どもは増えると思うけどなー。
まず鎖国。
で
・大学進学制限(試験を厳しくする。私学の最低レベルを国公立くらいに。あるいはレベルの低い私学を廃止してしまう。「理数が全くできないのにとりあえず大学へ行く」を減らす。社会へ出る年齢を早める)
・今大卒募集している職種の一部(大部分になると思うけど)を高卒に解放。
・18歳以上の子無し独身男女への経済的ペナルティ(財源。学生は免除)
・子有り夫婦、シングルファザー・マザー(離別・死別含む。養子もOK、にすると男女間の不公平とか、中絶を減らせるかなと)への経済的優遇措置
・18歳まで子どもを育てた↑への報奨金。(年金と同じく育てた期間に応じて)
・妊婦寮制度。独身女性とか、経済的に厳しいカップルの女性側の衣食住をある程度保証。肉体に支障のない軽労働に従事してもらう。男性側に一人暮らしできるだけの経済的余裕があれば、子どもを持つことができる。
・国家によるお見合い(政策の肝。経済的ペナルティがきついが、相手が見つからないという人を結びつける。夫婦間の約束事は書類で交わす。いわば夫(妻)という仕事に就いてもらう)
・児童養護施設の充実。
・女性は60歳、男性は65歳からの無条件選挙権剥奪("子どもが作れない年齢"ではなく"育てられない年齢"で設定)
・年金の廃止(財源)
・一夫多妻制の解禁
このくらいかなあ。
ほんとはスパルタみたく(想像)国家が全部子どもを引き取って、育てるのがいいんだと思うんだけど。
・タダで子どもが産める
・独身でも産める、育てられる。
・産めなくても育てれば優遇される
ずっと、早く死ねよと思っていた猫が、めでたく死んだ。およそ一月前の事になる。
一年ばかり吐いてばかりいた。書類、絨毯、洗濯物など何でも汚染されるため、当然そのような部屋には出入り禁止だ。
気がつけばガリガリに痩せていた。まぁ高齢猫が毎日ゲロってれば当然だろう・・・。
それなりに過ごしていたのが突如ヨロけ出した。トイレに行こうとして、トイレが見えらお漏らしするようになった。
水を飲んでは吐いて漏らす。何も食べない。それ以外はずっと寝ていて、時々鳴き声を上げた。
その都度「もういいだろう、早く死になさい。もう十分に生きただろう」と声をかけた。
ささっと死んで良かった。長く苦しんだところでお互い救われないだけなのだから。
猫の死体もまた寝ているだけに見えて、いつも通りだなと思った。
生まれてすぐ捨てられて死ぬ予定だったのだから、17年も余分に生きたことになる。
以上、とりとめもなく書いた。
せいぜい私の記憶にその姿が遺されただけで、猫の生死に意味などないだろう。
ただ、時折心が微かにさざ波だつだけである。
初めてちゃんと振られた二十代前半って陳腐だ。
喪失感について何か書こうかと思った。
痛みを知るということ、感情の激発と時間の経過が大事だということ、宗教というものの存在理由、それが年を取るということだってこと・・・
結局は冗長で陳腐な言葉しか浮かばず、まとめ切れなくて何も書かなかった。
それとともに
老いたペットとどう向き合うか
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131214/k10013833111000.html
のエントリだ。
認知症だと体は健康なので、問題は相当長続きするだろう。犬のように鳴き声が問題となる動物だと悲惨だ。
夜中に起こされたら、日中、運転手のような職種だと文字通り致命的な事も有り得るだろう。周囲の目もある。
それに比べたら、明らかな異常を来してわずか一週間で逝った猫を思うと、本当に静かで、平和に逝ったものだと思った。
この2つのエントリが合わさって、さざ波が立ち、これを書くに至った。
ここで吐き出して、見返しもせずに終わって良かったのだが、何だかんだで未練なのだろう。
このエントリへのブコメ等を見て、書きたいことが増えていくのだ。
それをもう少しだけ、書き増やしてみる。
ネズミが捨てられている、と思った。私の知っている猫ではなかったが、よく見るとどうやら猫らしかった。
暖かい季節とはいえ、このまま死ぬしかないだろう・・・私には飼えないことも、最後まで面倒を見きれないこともわきまえていた。
現在の法律はそれに呼応するかのように厳格化している(上記NHKニュース参照)。
そのブコメに書こうかとも思ったが、法律もまた、見殺しにするか保健所へ連絡して殺すのが正しい身の処し方だ、と言っているように思えた。
が、彼女はわきまえていなかった。私は彼女に対して、後先考えぬ思慮の浅さと、命を前に何も顧みない優しさを思った。
兄弟は里親に出し、一匹が私の手のひらの中で死に、残ったのが掲題の猫だ。
それから10年弱して彼女と結婚するのだが、家を探すのに猫は足枷だった。
同じ条件で、家賃が一万円違う。が、10年もいれば猫も家族の一員だ・・・已むを得ない。
ここまでがよくある猫のいる家の話である。
しかし、疎ましくなる。
猫に噛み癖があり、感染症の原因となる可能性もある。
当然、猫は敵のように看做された。寝室などは厳重に出入り禁止となった。
とはいえ、子どもに分別がついてくると落ち着き、この子が物心がつくまでこの猫は生きているかな、という話になっていった。
猫というのは元々よく吐く生き物なのだが、その頃には徐々に回数が増えてきていた。
平均寿命も過ぎ、運動量も明らかに減っていた。夏でも膝に乗るようになった。
吐くこと自体は慣れてしまっていたが、この一年ばかり吐いてばかりいて、その痩せ方にギクリとし、覚悟もした。
不幸にして死んだのではない。死ぬべくして死んだのだから。思えば偶然によって随分と生きた。
元々膝の上に乗っていても気づかない事があるほど気配のない生き物だから、何が変わったという気もしない。
ただ、探してもいないだけである。
スーパーなどで会計するとき、かわいくて若い女の子のレジにかならず並ぶことにしている。ババアや兄ちゃんのレジがすいていても俺はかわいくて若い女の子のレジに並ぶ。男として当然の選択だ。
そしてお釣りを受け取るとき、その女の子の手が自然におれの手に触れることがある。その瞬間、ああ生きててよかったとこころから思える。幸せってこんな簡単なことなんだ。
勘違いしないでほしい。おれは女の子の手を故意に握りしめたりはしない(それではセクハラだ)。あくまで自然におれの指先と彼女の指先が触れ合ってしまうだけのことなのだ。これはお釣りの受け渡しの際にはよくある日常的な光景だ。事件性はまったくない。みんなも経験あるだろ?
おれはなるべく気持ち悪い格好をしてそういったかわいくて若い女の子の手に触れたいと思っている。おれのことを気持ち悪いと思いながらも顔にはその気持ちを出してはいけないというしょうもないプロ意識と戦っている女の子なんていじらしいじゃないか。そして絶対にこの男に触られたくないと思っていたら、お釣りの受け渡しのときに間違って手がそっと一瞬だけ触れてしまう。おれの前立腺がびくっとする。女の子はそれでもありがとうございましたとおれに言わなければならない。お礼を言いたいのはこちらなのに。屈辱がかわいい女の子をなめつくす。アタシガナンデコンナヤツニ……
しかしいつでも成功するわけじゃない。まったくおれの指先に触れることなく、小銭を紙幣に乗せてうまく落としてくることがある。そのときの敗北感ははんぱじゃない。頼む、だれかおれを人間扱いしてくれ……
まっとうな批判は褒めるよりはるかに難しい(より深く読まなきゃいけないし、批判が正当かどうか検証しなけりゃならない)けど、殴るのは誰かが殴ってるの見て同じことすればいいんだし。
うんこに含まれる細菌が、直腸内の肛門付近にある穴(汗腺のなごりで行き止まりの袋状)に入って化膿した状態を痔ろうといいます。
最悪お尻の穴が二つになります。(直腸内の穴が貫通する)
また、切れ痔で怖いのは穴が切れることではなくその傷口から細菌に感染して化膿することです。
傷の痛みより、傷口が化膿している痛みのほうが痛いです。
どちらにせよ、痔になったら固いトイレットペーパーは使用せず(なすりつけることになる)
ウォシュレットで洗い流す→ペーパーでこすらず水分をとる
今アベンヌのスプレー使ってるんだけど、何で日本の水詰めたスプレーって売ってないんだろうね。
アベンヌのような「ただの水(温泉水)」をプレ化粧水として使う感じじゃなくて
保湿成分とか植物エキスとか入ってる「本当の化粧水」なんだよね。
そうじゃなくて水の入ったスプレーが欲しい。もうこの際精製水でもいいですよ。
有名な温泉地は硫黄泉が多い気がするから、温泉水は避けるとして
水の美味しい地域の水をスプレー缶に詰めて売れば売れると思うんですよ。
なんで実現しないかっていうと、自分でプッシュ式のスプレーボトルに詰めたほうが早し安いこと(霧は細かくないけど)
「自分で詰めるのは面倒だけど、水をプレ化粧水にしたい人」の需要があまり見込めないこと
缶なので重量があって、輸送費が高くつき、実現しても「国内採取、生産」としてのコスト削減分を相殺してしまって値頃感が出ないこと
かなあ。と。
あの缶スプレーのシュー!って感じが好きなので。
ポンプ加圧式のオイルスプレーに1日分を詰めて使うのが一番近いんでしょうかね。