はてなキーワード: 神経系とは
酒はおそろしい毒。ドラッグ。犯罪と事故を呼び起こす社会の癌。
年末年始や歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。
飲み会などにおける上の立場からのパワハラ・アルハラ・飲酒強要での健康被害、死亡事故も問題視されている。
酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。
「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号。
そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。
その先の小腸や大腸も以下同文、消化器系は漏れなく壊滅。
アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくりで脳卒中の最大要因。
「休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。
最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合は慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。
そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系。
飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。
慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。
さらに膵臓のランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。
もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。
それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズや肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、
酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。
さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人や強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、
昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ。
まさに百害あって一利なし。
万病の素。
あらゆる悪の根源。
経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔のドラッグ。
それが酒。
今日もリアルで尊敬のかけらも受けてないだろう増田のようなアルハラ中高年が
最近知ったとあるはてなーさんの、書くものが素敵だなあと思い、さかのぼって読んでいたその方のポストやその他から、いくつか思うところがあった。
あまり他人には話していないことなので、anonymousで書く。
わたしには両親と弟がいる。
母はわたしが生まれた直後から精神分裂症を患っていた。(あえて精神分裂症と書く。このころはそう呼びつけていたので)
小学校低学年までは、母との生活は(今にして思えば)まったく筋が通らないことばかりで、いつも、なぜここで怒られるのだろう?とか、なぜ今日はあんなにものすごく褒められたのだろう、とか、謎ばかりだった。
生育環境が特殊だったせいも幾分かはあるのだろうが、わたしはとにかく人と違ったことをしたがる子どもだった。それが物事を杓子定規に進めたがる母の気にいらなかったらしく、なにか思いついて喜び勇んでぶちあげると、必ずひどくしかられた。10歳くらいまでは、ひきずりまわされて力のかぎり叩かれたこともよくあった。もちろん、アザが残ったり傷ができたり骨が折れたりする程ではない。ひどい折檻程度だった。
わたしがラッキーだったのは、平均的女児よりも身体の成長が速く、小学校高学年の時には母とほぼ同じ体格になっていたことだ。身体的暴力は、この時点でほとんど無くなった。家には、父が母の病気を理解するために買った精神病関連の書籍があり、木村敏や小此木啓吾やユング、フロイトなどを読みはじめたのもこの頃からだった。
さらについていたのは、父がいたことだ。父は、自分の仕事を本当に愛していて、いつでもわたしのそばにいて全面的に護るというようなことはなかったが、常識的な会話ができる人間がこの世にちゃんと居るということを示してくれていた。そして人と違ったことをしたがるわたしの話しを聞いてくれて援助してくれ、ときには叱ってたしなめ、穏かに見守ってくれていた。
そして、これもついていたからだと思うが、普通の生活を営む程度の収入がある家庭だったので、家事全般がほとんどできない母ではあったが食べ物には困らなかったし、そうとう不衛生だったが病気にかかるほどではなかった。
食い意地が張っている子どもでもあったので、まともなウマいものが食べたくて、本を見ながら料理も自分である程度やるようになっていた。
とにかく、生命力が強かったのだと、今にして思う。
ここにいては生きていくのは非常に困難だと、小学校高学年で思ったわたしは、とにかく遠くへ離れるべく寮のある学校を受験しまくったのだが、高校卒業までは家から通うこと、という父の方針で、18歳まで実家で暮すことになる。
ところで、弟は、わたしほど離脱しようとする力が無かった。
母は弟をとても大切にしていた。大切にされすぎて、彼は何かを失なってしまったのかもしれない。
わたしが自分のことで精一杯の間、だんだん彼は社会(小学校や中学校だが)との折り合いをつけられずに時を過ごし、中三で精神分裂症を発症した。
家は、この時から、構成人員の半分が常人、半分が精神分裂症患者、となった。
家に帰れば戦場であり(後年、映画「死の棘」を見た時、実に的を射ている表現が多くて驚いた)、学校では思春期らしい悩みと葛藤を抱えて足掻き、それなりに忙しい日々を過した後、大学に入り、一人暮しをはじめる。
その後は、主に自分自身との戦いだったが、ほんとうにいろいろあった。
ただ、わたしには帰る家がない。お金はいくらかは融通してもらえるかもしれないが、自分で自分のメシを獲ってこなければ、生きていけない。そう思って、とにかく稼ぐことだけは途絶えないよう必死になっていた。
母が統合失調症(この頃、病の呼び名が変わる)なのは述べたが、叔父も同じ病であり、母の実家はとある新興宗教に全資産を入れあげていたという、ココロの弱い血筋であった。
血筋という言い方をするとオカルトめいて解決不能な雰囲気が漂うが、単に神経系と内分泌系の一部が弱い体質が遺伝しているだけなのだと、今では思える。
わたし自身について言えば、体質が遺伝しているので、危機的状況に陥るといまだにマイナートランキライザーが手放せない。症状が投薬で緩和されることを学習して以来、困ったらかかりつけの医師を訪れて、状況を説明して投薬してもらうことにしている。
こんな風になんとか曲りながらも人生と折り合いをつけていたのだが、わたしはずっと母が許せなかった。母には、「母」であって欲しかった。ドラマに出てきそうな、心優しく、あるいは通俗的で、あるいは自己中心的だが、少くとも夜中にカーペットを切り刻み出したりしないような。
母が「こうして欲しい」「こうでなくてはダメだ」と言うことは絶対だと思っていたので、それがひどく間違っていたり、わたしを苦しめるようなことであった時に、わたしはどうしていいかわからなくなっていた。そして、そんなことを言う母を、許せない、という思いを募らせ続けていたのだ。
電話をすれば必ず口論になり、長い間顔を合わせることはなかった。
時は経つ。
数年前に、一人の男性と出会い、わたしたちは結婚することになった。
結婚の予定を報告をする時に、相手のご両親に、わたしの母と弟の話をしたのだが、そこで相手のお父さんが言ってくださった一言がある。
「病気なのだから、しかたないね」
そう言われて、初めて気がついた。
母は病気なのだ。病気なのだから、間違ったことを言ったり行なったりするのは仕方がないことなのだ。
そして、わたしは曲りなりにも自分でエサを獲ってきて寝場所を確保できるくらいには育ち、一応社会と渡りあって生きている。
わたしの望むような「母」ではないかもしれないが、彼女なりにわたしのことを思っていることも、やっとそのとき腑におちた。
では、間違ったことを言われた時には、「それは間違いだよ」と、きちんと話してあげれば良いのだ。それが、人間同士というものなのだ、きっと。
そうして、わたしは今、母に向って、「そんなこと言うもんじゃないよ」と、きちんと話ができる。
会うと、ひとつひとつわたしの装いや様子についてヒステリックになる彼女に対して、説明もできるし、「ひとに何かを言う時ははそういう風に言うと失礼なんだよ」と、言ってあげられる。
驚くべきことに、そう言うと母は、「そうかねえ」と、聞いてくれるようになった。どうせまたしばらくしたら、同じことを彼女は言うのだが、それでもその時は返事をしてくれる。
弟のことは、まったく何も解決していないが、彼は彼で生きていくのに困らないよう、両親が整えてくれている。
前からそうだったが、最近はより一層、わたしは自分自身の生育歴を振りかえる時、アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」を思い出す。
小さいころはわからなかったけど、家族が数名病気にかかっているというだけで、別にどうということはないのだ。
ここまで至るのに、ずいぶんいろんな人に助けてもらった、底抜けに楽天家の夫や夫のご両親もそうだ。
苦しいかもしれないけど、一人じゃない。
そしていつか必ず、なんとかなる。
あなたにそれを伝えたい。
伝わらなくてもいい。
でももし、自分のことを独りだと思ってしまっているなら、近くまで行くから、ガードレールに座りながらアニメやマンガやブンガクやロックの話をして、一緒にこの夜を生きのびよう。
ブクマが20もついたので続き.
細胞骨格というと,モーターの役割つまり骨格筋における化学エネルギーの運動エネルギーの変換を取り持つアクチンミオシンすべり説が有名だけれど,細胞骨格はどうやら細胞生理において輸送作用をもち重要な機能を持つらしい.この辺を拡散モデルとの対比の分子モーターモデルで説明するのはちょっと理系のカップルならではかな.次元が減るのと熱物理化学的な親和性のための吸着力で輸送が可能になるというお話.細胞外骨格や結合基質もつながる.
結合組織は単に体の支持・結合に役立つだけではなく免疫・情報伝達・熱と物質の輸送等さまざまな機能がある.膠原病から反対に考えてみると普段の結合組織は発生と同様に機能が生理的に制御されている.
で,発生.発生はもう受精卵がヒトになるというので面白いこと請け合い.ちょっと妊娠の話とか混ぜて彼女の考え方を聞いてみてもよいかも,・・・,ではなくてモルフォゲンモデルという古典的な制御のモデルだけでなく最新のモデルの話もあわせて,アポトーシスの話や系統発生繰り返し説にふれてみるとよいかも.発生と完全に地続きのはなしになる.内部状態と環境とが幹細胞の分裂とできた細胞の分化とにかかわってくるんだ.
人間の器官レベルの制御機構は神経系と内分泌系が担っていて,後者の支配を前者が受け持つから神経系―受容効果系は人間の重要な部分.基本的には前者が高コストだから後者の低コストの制御も合わせて使うと考えればよい.糖の出し入れをいちいち神経で支配していたらエネルギーがかかりすぎる.
んで,システムズバイオロジーやさきほどの細胞間情報伝達のつながりで,ある細胞につきそこへの全入力(エネルギー(物質・輻射)・エントロピー・テンパラチャー)と全出力と全内部統合演算とを想定するモデルを考えられるから,細胞の出入力と内部統合につきシステムを建設することが多細胞でも重要なんだなどと自分の扱う細胞のシステム生物学の宣伝をしてみる.
単細胞でも人間でも何でもよいのだけれど,先ほどと同じで出入力と統合あるいは受容統合効果で考えることは同じ.で,感覚器からの情報を統合して,記憶などとも統合し出力をすることを考えるのだけれどこれがしこたま難しい.単細胞生物でも走性に記憶バイアスがかかることなんかが知られているけれど,ブラックボックスとして考えたくなる.強いて僕が考えていることはある入力に大しては特異的に発現しやすい出力があるということから統合のあり方を考えていくのと,神経の機能回路モデルを数学的に建設していくのと,があるけど全然専門外.恋した僕の気持ちも僕にはわからない.
地表(海含む)では重力が卓越していて生物や多くの物質は地表に束縛される.そこで単細胞生物と同様に生態系は多くのコンポーネントがあるシステムだと考えることができる.そのサブシステムとしては大陸・海洋・気象・太陽系との関係なんかがある.ある個体や生物種・生物群の動態は細胞内における細胞小器官の動態に似ているかな.どちらもシステム特性を規定しているのは物理法則だという点は共通.
ダーウィンはすごく頭がよかった.で『The Origin of Species by Means of Natural Selection: The Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life』(1st,1859)のなかで
The slightest advantage in one being, at any age or during any season, over those with which it comes into competition, or better adaptation in however slight a degree to the surrounding physical conditions, will turn the balance.
という一節がある.(個体に変異が起こりその)性質がほんの少しでも有利なら生態系のバランスを変化さす,と括弧内をつけくわえてみると,変異と自然選択のモデルが考えられる.たとえば点変異がDNAにおこって対照状態で細胞生理の変化を定量的に計測ないしシミュレートするモデルとか.
僕の興味はというと数理モデルを物理法則のもとに組み立て細胞の制御システムモデルをリバースエンジニアリング的に,帰納することにあるんだよと再び告白.
承前:http://anond.hatelabo.jp/20091005002132
思考するってことが分からない。
なに、思考って。意味分からん。
考えるってなに。頭使うってどういうこと。勉強って、頭使ってるの?
疑問を持つことは思考の一端なんだろうか。感情を抱くこともそうなんだろうか。
感覚も?
脳が全てを処理しているのならば、全て思考の一端ではあるのだろうか。
考えることってなにって考えている現象が、なにをしているのかが分からない。
悩むことは思考なの?
表層に現れない思考があったとして、それを知覚できなかったらその人は思考してないのだろうか。
結局はその人の尺度によるのかな。
全部全部、例えば思考だけじゃなくて、感情とか感覚とか、何から何まで結局はその人の尺度が決めるのかな。
でも、社会的に慄然と存在している亡霊のような価値観があって、それと尺度が合わなくて悩む人が居るんじゃないのかな。
社会ってなんなの? 共有されてる正義って? 普遍的なものってなんなのさ。
亡霊みたいな価値観が私たちを縛っている。括っている。
私という枠が在って、それとはべつに半透明な社会的枠が在って、私から見た誰かという価値観はもしかすると社会的な枠みたいに半透明になっているのかもしれない。
または、私が認識しなかった誰かならば、その姿すら見えずに、社会的な価値観のあやふやな縁取りの一端になっているのかもしれない。
手を伸ばしても、私は社会という半透明な価値観に触れられないし、私という価値観ですら掴めない。
でも、そこにあることだけは明確に分かっていて、窮屈に感じたり、外に出たいと思うこともあるのだけれど、どうにもできなくて。
なにこれ。なんなのさ。
よく分からない思考というものがまとまらない。
でも、と考える。まとめた思考と、まとまらない思考とは別物なんじゃないかって。
気にも留めないような小さな歪かもしれないけれど、絶対に違っている。
二つは合同じゃない。相似じゃない。
名前と記号と対象についての話。対象と名前は、実質的にはイコールじゃないと思うんです。
で、結局何が言いたいんだ。吐き出すことは思考なのか。整理できているのか。表層には現れていないぞ。どうなってるんだ。
おい、コラ頭。もしくは私という自我。認識器官さんよ。答えてはくれませんかね。私は頭が悪いのですよ。分からないことが多すぎるんですよ。
だから、少しくらい答えてくれたっていいじゃないか。ヒントをくれたっていいじゃないか、馬鹿野郎。
『思考するってことが分からない。』
神経系に刺激が走ることなのでは?
でも、だとしてもそれで思考しているということが分からん。というか、思考というものが分からん。あるいは、電気信号と思考とが結びつかない。
そして、結局思考ということが分からん。
辞書を引けという人が居る。でも、それだとちょっと違うからダメなんだ。固定されてしまうから。
なのに調べて、結果なにを疑問に思っていたのかを忘れてしまった。もう嫌だ。納得できたってことなんだろうか。
現存する言葉を超えた思考はできないんだろうか。それは最早妄想と呼ばれてしまうことなのだろうか。
よく分からない。理解ができない。
私の転職を期に相手は仕事を辞め、ひとつの住居に越してきて生活したが、一ヶ月で破綻した。
要因は私の側にも相手の側にもあるのだが、考えてみようと思う。
まず私の側。転職したはよかったが、やはり環境の変化は大きかった。
しかも配属先がカットオーバー前のテストを行っているプロジェクトだった。
当然のように激務。電車で帰れないこともしばしば。(帰れてるだけマシと普通に言い返される業界ではあるが)
もっと仕事的に落ち着いてから引越しも同居もすべきだったんだろう。
些細なことがどんどんストレスになって、最終的にはノイローゼになってしまった。
じっとしていても顔の一部がぴくぴく動いて止まらなかったり、頭痛がしたりした。
相手がうつ気味だったので、しばらく仕事を休んでのんびり家事でもやってくれれば治るだろうなどと思っていたが、あまあまだった。
収入的には激務だったこともあり、何も問題はなかったがいかんせん私の疲れが全く取れなかった。
最終的には会社にいて「家に帰りたくねー」とまで思うようになった。することがなくなっても会社にい続けて、しょうがないから帰るか、という日もあった。
相手はいわゆる工場勤めの派遣社員で、うつ病を患っていたがその兆候は付き合っていた頃からあった。
今にして思うと、相手は今まで垣間見ることも無かった男並みに稼ぐ総合職OLとの格差というものをまざまざと見せ付けられ、付き合っている時から次第にダメージを受けていったのだろうと思う。
相手は会社の寮だったため、家賃が安く、一ヶ月に自由になるお金こそあまり二人の差は無いように見えたが、年収は数十万円(私が激務時と比較すれば100万円くらい)の差はあった。
だがそれは仕方の無いことだ。
私は高校を卒業し専門学校に入り、国家資格を取るべく頑張って勉強し国家資格を取り、会社に就職した。私が19歳とか20歳とか、電話帳くらいの分厚さの資格の過去問題を解いている年齢の時、相手は勤めたばかりの会社を自分の意思で辞め、その後フリーターか無職を自ら望んでしていたのだ。
底辺の処遇に嘆く人には、限りなく運が悪いという人も中にはいるのだろうと思うが、自ら望んでそうなった者に誰が同情の気持ちを寄せるだろうか。
とはいえ、好きになった人のため、私は仕事が多少忙しかろうが、相手が家事を全てやってくれるのだからばりばり頑張っていこうと決めていた。
だが現実はそんなに甘くは無かった。
基本的に、役目を預けた以上、裁量の権限も全て預けたつもりに私はなっていた。分からないことは聞いてくれればいいのだが、基本的には全て自分で考えて実行してくれればいいのだと思っていた。
だが、工場のラインという、「決められたことだけをする」仕事をしてきている人間に「自分で考えて問題を解決する」ということがとても難しいことなのだということに私は最後の最後になってやっと思い知らされたのだった。
お弁当の具を何にするか、朝食に何を食べたいかまで質問攻めにあう毎日を過ごし、さんざストレスを被った後で。
何をすべきか考えるところも含めてあなたの仕事なのですよ、という感じだ。だが相手はそれができない。しかも昼食を考えるのも面倒らしく、インスタント食品で済ます。私はそれは体によくないから、弁当を二人分作って自分も昼に弁当を食べろといった。だがそれはついに実行されることはなかった。何故そうしなかったのか、理由は聞いてない。あるいはできなかったのか、でも私のお弁当は作ってくれていたのだ。
この、お昼にインスタント食品を食べてすごすという生活は後々相手の体に影響を及ぼすことになってしまった。
お仕事お疲れ様もそこそこに何をすべきか聞かれる毎日に、私はまいってしまった。細かく指示を出そうとしたが、ひとつ言ってもそれもろくに遂行されないという状況に、ほとほとまいってしまった。
さらに悪かったことに、相手は相当に口が達者だった。
できないくせに口だけは立つのだ。これがさらに私の怒りを加速させた。
何もできない、稼ぐこともできないうつ病持ちの癖に、という罵倒を腹の中に持つようになるのにはさほど時間もかからなかった。うつ病(=何もできない病気)のくせにどうしてこれだけガンガン言う気になるんだよ、とも思った。(うつ病=何もできない病気、というわけではない、ということは後で自分もうつになり分かることになるのだが)
できないことはしょうがない。
ましてや、相手はうつ病なのだ。
そこを考慮できなくなっている私ももはや、まともな精神状態とはいえなかった。
また住んだ部屋も家賃をケチったせいか、隣の住人がとてもうるさく、それもストレスの元となった。
慣れない環境での激務、気を使う人間関係で疲れきって家に帰ると毎晩のようにケンカする。そんな日々が続き、もう駄目だと思った私は荷物をまとめて都内の漫画喫茶に逃げた。
そこからウィークリーマンションの予約をし、そこから会社に通った。
定期もないので、3,000円のパスモのオートチャージが週1ペースでされていった。ウィークリーマンションは一週間で数万円を費やす。カードの請求額など見たくも無かった。
結局のところ一ヶ月間、あちこちのウィークリーマンションを転々とし、一度は家に戻った。
だが相手のうつ病からくる死ぬ死ぬ攻撃(言うだけ言って実際は死ななかったのだが。というか行動的に私へのあてつけに近かった)にもあい、家に警察が来る騒ぎ(近所の人が呼んだらしい。っていうか私が近所の人だったら怖くて同じことをしたと思う)にまでなり、私はあんたのママじゃない、というところにまで考えが至った私は再び家を出て、今度は実家に身を寄せた。(実家は都内なので会社に通うのは容易かった)
そしてそこから部屋を探し、相手が家にいないところを見計らって荷物を取りにいったりして、最終的には引っ越した。
荷物は時間がなかったので、必要なものしか持ち出せなかった。結構持っていた本や漫画は全て置いてきた。結局は相手がブックオフなどで処分し、売上を自分の懐に入れたようだが。
気づいた頃にウィークリーマンションの請求が来て、ん十万などとても払えないので全てリボ払いに変更した。普段絶対リボ払いなど使わないのだが、この時だけは助かったと思ってしまった。相当な手数料を払ったことを考えると、たぶん消費者金融で借金したのとたいして変わらないのだろうと思うが。
ということで、相手とその家で生活したのは正味一ヶ月くらいだった。
部屋への引越し代、敷金・礼金・家具代、これら全てを私が払っていたがおよそ100万くらいだった。
一緒に住む為に揃えた家具は、買ったときの100分の1くらいの値段でリサイクルショップに引き取ってもらった。新古品といってもいいくらい状態がよかった。
その家具を一緒に買いに言った時のことで私がよく覚えていることがひとつだけある。相手がその時にこう言ったのだ。
「俺、勝ち組」
私はその言葉の意味をもっと深く考えるべきだったのだろう。その家具を買うお金を払ったのは私であり、相手ではない。勝ち組といえる根拠のお金を稼ぎ出しているのは私であって、相手ではないのだ。
100万をドブに捨てたのだという思いと、親ですら「そんなに簡単に一緒に住んだりするから」と同情してくれないことから、つまり私が馬鹿だったのだという結論に至り、私はだんだん精神を病んでいった。
先に書いた、自立神経系がおかしいと思われる症状が現れだした。
その後、うつ病の相手は地方の実家に引っ越した。もう相手にはそうするしか手段が残されていなかったのだ。職も、貯金もないのだから。
私はというと精神科の診療を受け、薬を飲み始めた。薬がないと、全く眠れないまでになっていたのだ。
引っ越すタイミングで定期預金を崩して現金を得て、リボ払いも全て精算した。
今月は、ちょうど私が転職をした一年後になる。一年前の今月、私は今の会社に通い始めたのだ。
そして一年前の5月、私はうつ病の元派遣社員と同居生活を始めたのだ。
そしてその一ヵ月後、「俺を捨てるのか」などと罵倒してくる相手の顔も見たくないと思い、逃げ出すことになったのだ。
同居していた時よりもずっと長く今の家で生活していることになる。というか、あの一ヶ月は幻のようなものとすら思えてくる。
相手とはもう連絡を取っていないが、ネットでどのような生活を送っているかはある程度見ることができるので、暇潰しに見たりしている。
意地が悪いが、どうせ就職できないだろうと思ってみたら案の定できていないのでざまあみろとか思っている。そして、口ばかり達者なのも相変わらず変わっていないようだ
人はそう簡単には変われない。
だからたぶん、私はこれから先、誰かと生活することはもうないのだろうとも思う。
調べようとしていますが神経系というのは電気信号が非常に微弱で,しかも直接針を刺すことはできるんですがいったんは切断しないといけないので本来の状態か調べるのはとても難しいんですね。外的に非浸襲でやってみようということなども行われているんですが,どうしても心理物理実験になってしまうので正当性を調べるのは難しいです。
ただ,神経の伝達速度はわかっているので太さに対して一定の神経伝達物質が等確率で移動すると考えるなら,太い方がたくさんの神経伝達物質が移動するということにはなります。
しかし,そもそも脳梁の働きが何かというのもはっきりとは分かっていません。解剖によってそれが存在していると確かめるのはできるんですが,生きてる状態での計測は難しいためです。生体計測はほんと難しいんですよね…なのでどの増田だかが出してきたソースははっきり言って無意味以外の何物でもなく,どちらかというとトンデモにあたると思います。全く違うとも断言できませんけれども,おそらくそういう違いがあるというのは心理物理実験での結果でしょうから,実験そのものがバイアスがかかっている場合は結果にも影響があります。そもそも心理物理実験の結果というのはいかにようにも見えるというものなのでこれもまた…。