はてなキーワード: 考える人とは
究極理論がわからない現状、もし仮に「我々の世界が不安定な真空にいる」ことを仮定すれば
相応のエネルギーを加えて真の真空に落とす(相転移させる)ことで物理法則が変更されるという
人為的ネオエクスデス「うちゅうの ほうそくが みだれる!」 ができますね。
イメージ的には過冷却です。すでに相転移が起きているのに気がつかないで元の真空にとどまっています。ちょっと突くと一瞬で凍ります。
現に、新しい加速器が作られる度になんかスゲェ無理矢理な模型を作って「加速器のせいで世界が滅びる!」系の論文がarXivに投稿されたりします。意外と増田と同じことを考える人がいるんですね。ただしこれらの論文は一瞬で否定されます。なぜならば、加速器で作るビームなんかよりも中性子星ガンマ線バーストのほうがよほど強いからです。宇宙強い。人類の技術は弱い。驕るなよ人類。
前から不思議だったけど、これらの法則って経験から導き出されたものであって、その法則がどうやって存在してるかは不明なんだよな
以下、意味は取らなくて良いので流れと単語だけ拾ってください:
たとえばエネルギーの保存は時間方向の並進対称性、運動量保存則は空間方向の並進対称性から、角運動保存則は回転対称性から導き出されるといえるでしょう。
(相対論的には時間と空間は同時に取り扱うのですがちょっと難しくなるので簡易な書き方をしています)
時空の対称性が決まる → ラグランジアンが決まる → オイラーラグランジュの方程式(運動方程式)
ここまでよんだ?
なら次は、ランダウ・リフシッツ「力学」の最初の20ページくらい読んでください。
前提知識は微積分です。ここまで読めば上の文章はだいたい理解できるかと思います。
そして次にあなたはこう思うでしょう
「最小作用の原理っていったいなんなんだ? 世界はなぜこんな原理に従う?」
そう思ったなら次は量子力学です。JJサクライ「現代の量子力学」の経路積分のページまで読み進めましょう。
ここまでくれば霧が晴れるように見通せるようになるはずです。
物理理論とは何であるかが把握できるかと思います。ここから先はご自由に。
なお、JJサクライは物理科ではちょっと ’進んだ’ 内容とされています。普通は2冊目に読む本ですね。が、ハテナーにとってはむしろ読みやすい本かと思います。だってどうせ君ら情報系でしょ?なんかプログラムとか書ける人たちでしょ??なら、ブラケット表記の方が慣れていると思うんですよ。たぶん見ればわかるよ。
割と真面目に考えてみた
アメリカ国内の政治分断は極めて大きくなっている。これほど分断が激しいと左から右あるいは右から左への移動は少ないと思われる。
バイデン/トランプを支持していたけど今はもう支持できないと考える人たちは不投票へ流れる割合が多くなるのではないだろうか。
バイデンは年齢と体力的な問題、移民問題、ウクライナ問題がトランプは議会襲撃の法的道義的責任の問題で前回よりも支持者を減らすと思う。
そうすると共和党支持者と民主党支持者の数比べになり人口動態的に民主党が有利になってくる。
共和党支持者のメインであるwaspの比率は年を経るごとに小さくなって、逆に民主党支持者が多い非白人は多くなっていく。
特に共和党の牙城であったテキサス州とフロリダ州では民主党支持者の移住が増えていて都市部では民主党が逆転している場所さえある。
何か不都合や被害が起きた時、「どうすれば回避できたか」ばかり考える人が居る
もちろん人間としてはこういう思考がある人の方が生き残りやすいのだろう
ただ、これは賢い人がやれば再発防止になるのだが、凡人がやると安易な「誰が悪いか」論に終止してしまう
「お前が◯◯だからだ」と叱咤してしまう(なんと本人には悪気がない)
これが最も多いパターンだと思う
「この人に性的被害をうけた」という発言は相手の名誉を簡単に毀損することができるから
これは他の事象でも起こる
例えば会社でAさんが「Bさんに嫌がらせをされたから解雇して欲しい」
と言われた場合に、Aさんの主張を鵜呑みにするかどうかは慎重になるだろう
これも似た例
一旦「被害者が言ってることは本当か?」という疑惑を投げかけるのだが
それが批判と捉えられているケース
※ゲーム本編はやってないし今の状態ではやる気もないので以下は全てキャラデザの話をしている
アルセウスをやってて、「こうしたら面白いけど、ゲーフリは絶対そうしないよな」を作ってきた感じがある。
そういうゲームをゼロから作るのは難しいだろうなと思っていたが、キャラデザを丸パクリするという手があったとは。
有象無象のポケモン「ぽい」ゲームより悪質なのは、開発者がポケモンを知っていることを明言した上で、法的に問題ないとわざわざ言っているところ。
開発側は確実にポケモンを意識していて、かつ訴えられないギリギリのラインを守ってる。
たとえば、ポケモンの画像を横に2つ置いて、混ぜながら描いたように見える。絵は上手いけど独創性のない素人デザイナーには簡単な仕事だろう。
そりゃそうしたら考える手間と予算を減らせるし、勝手に炎上して宣伝になるし、新しいパクリ元はこれからどんどんゲーフリが考えてくれるし、本当に賢くて最低だよ。
というか「〇〇に似ている」ってクリエイターとして一番嫌な言葉だと思うんだけど、この仕事したデザイナーにはプライドがないんだろうか?
任天堂が何も言わないから白って考える人がいるらしいが、この程度の類似でイチ企業がなんか言うわけない(任天堂とゲーフリと株ポケの区別もつかない子供にはわからんと思うが)。
だからおれたちは法律の範囲内でパルワールドの悪口を言うことしかできない。他人が守ってきたデザインとブランドにただ乗りして儲けることが法律で制限できないのが悔しくてたまらない。ポケモンの制作サイドの人も傷ついたりやりにくくなったりするんじゃないか心配だ。せめて、デザイン以外が面白ければなんでもいいのか、一歩立ち止まって考えてくれる人が1人でも増えてほしい。
できればゲームの根幹がふつうに面白くなくなって静かに鎮火してほしい。でもここまで儲けたら無理だろうな。儲けた分でまともなデザイナーを雇い、本当にいいゲームに進化したとしても、その足元には他人のデザインが踏みつけられていると思うとやっぱりプレイできない。
何度もあちこちで書いてるけど大箱埋めるアイドルのライブ行って思ったことと似てる
増田と似た(似てはないかも)思考で、人気アイドル推すより、同程度に好きな人気微妙アイドル推すほうを選んでた
選択権があるという驕りやら、コスパ(席の近さ、覚えてもらいやすさ)が良い、単純に小さな現場の雰囲気のほうが好き
など理由は他にもさまざま
で、たまに大人気アイドルの数万人埋めたり埋まらなかったりするライブにも誘われたり暇だったりしていったのだけど、
凄い区切りのライブの時に、いろんな理由つけていかないオタクの割合が増えればこの景色が見れなかったんだと思って
それ以来、区切りにライブには行くようにしてる。単純に久しぶりだと楽しいのと、昔のオタクに偶然会えたりするのと、後々マウント取るためと
という話はあんまり繋がってなく、それでも寄付とかもそうで、と続けるんだけど、
Aがβだけ支援するのはαに悪い(とか何とか理由つけて)と支援せず
2対2ではなくABCD……Z と αβγ……ω で考えると、どこかで取りこぼしや重複が起き、救われないものも出てくるだろうが
それでもなにもしないよりはいい
今目につくことに支援するという流れが出来ていないと、自分が目についても支援されないという風潮になる
なので、自然災害のピンポイントでもいいし、難病で海外で手術の子供でも犬猫でもなんでもよいので個々が目について救いたいところに寄付したらよいなどと
そのために節約とかまでする必要はないが、節約したとしてその帳尻は内部留保溜めてる企業とかぜいたく品扱ってるまあ経営に問題の無い企業やお店に行くだけだろう
電気代とか節約したり、酒や馬鹿カロリー飯を控えると節約行為自体がプラスにもなるし
もちろん、寄付とか嫌いなおっさんが、地元の飲み屋で飲み歩き、スナックやらラウンジのねーちゃんに金払うのもそれはそれでよい
で、どうしても救えないところが出てくるので、そこは(ある程度)お国でなんとかしましょうと
残酷なことだけど、国の制度では救いきれず(そこを拾いだすと莫大なコストがかかってしまう)、さらに募金も集まらない、みたいなケースも残って当然
寄付募って生きながらえるなんてあさましいと考える人間、そういう親元に生まれてある意味であがいてもらえずに見捨てられた形になる難病の子供も居ても仕方ない
言葉の綾かもしれないけど「ロックダウンは何も効果がない」は違うでしょ。
1. ロックダウンしようがしまいが、感染者数はまったく変わらない
2. 全員が家に閉じこもれば当然効果は高いが、現実にはそうはいかないので残念ながら効果が薄い
3. ロックダウンしなくてもほとんどの人は感染を恐れて出歩かないので、敢えて自由を制限するのは法的・人権的な問題のほうが大きい
1.を信じてるならそれはもう陰謀論レベルで、意見の一致は見ないだろう。
2.ならまだ理解できるが、ロックダウンしてもなお入院満床になってそのせいで死者が出たとすれば、ロックダウンしなければずっと多くの死者を出すことになる。
3.ならわかる。特にコロナ禍初期の日本では、効果の大小で言えばそうかもしれないね。それでも、「ロックダウンは何も効果がない」というのは違う。
(追記)
4. ロックダウン自体に効果はあるが、経済的損失と天秤にかければ、やるべきでない
というのも、理解できる。元増田が引用したアメリカの記事もそういう意味だろう。これは価値観の問題なので、そう考える人が多いなら、似たような感染症がまた来たときに教訓が活かされるかもしれないね。
「ゲームなんてしている暇があったら……」「漫画ばっかり読んで……」と、子どもがエンタメに触れることに対してやたら反対して話そうとしますが、私はあまりそんなことはありません。じゃあ勉強しなくて遊んでてもいいのか、というと、そういうわけでもない。
今どき「ゲームなんてしている暇があったら……」 「漫画ばっかり読んで……」なんていってる化石みたいな教育ママおりゅ?
あと、なんでこれ父親出てこないんだ。
私は、ゲームや漫画を、勉強と対極にあるものだとは考えていない、ということです。
「ゲームばっかりしていないで、ちゃんと仕事をしろ!」「漫画ばかり読んでいないで、単語の一つでも覚えなさい!」などと言いますが、
ゲームメーカーで働いている人はゲームで仕事をしていますし、「漫画で覚える英単語」のような漫画もあるわけです。
そういうものを分断して考える人は結局、「勉強とは何か」「仕事とは何か」という定義が全然できていない人だから、
そんな人がこうしなさいと指導したところで、大した力にはならないのです。
あまり漫画を買わない私は、いくつかの作品だけは買い揃えていて、小学生の長男や次男がよく読んでいるので、教育ママ気質のうちの妻が、「漫画ばかり読むな!」と言いました。
そして、うちの妻がどこからか「現役東大生たちが受験以前に読んでた本」みたいなムックを取り寄せてきて、子どもに読ませようとしました。
するとそこには、『三国志』『ブラック・ジャック』『はたらく細胞』『キングダム』など、子どもたちの読んでいた私の漫画は、全て挙げられていたのです。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
書き出しからしてすでにマウントしたい気持ちはわかるけどこの一文いる?
どうしてこれだけ露骨にマウントしてるのに、さらにこの一文を書いてしまうのか。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
この一文を書きたい気持ちが抑えられない人、本当にキングダムとか三国志読んでる?
キングダムせっかく読んでも全く学べてないですよね。
こういう人がマンガ語るのやめてもらっていいですか。
教育ママよりこのマウント癖の強い親父のほうが絶対悪影響だぞ。
この親父、子供が活躍したら「でも俺のほうがすごい」「俺の子供の頃は」ってマウントがやめられないマウント中毒じゃん。
うげえええええええええええゲロ吐きそう。
世間とか妻に対するマウントすごくて笑う。こういう感じでマンガ語る人たちって「大半のマンガはカス」って思ってそうで反吐が出るわ。
手塚治虫のマンガだけはOKっていってるポリコレと似た香りがする。
「ゲームはダメ。それなら映画を観なさい」などという価値観の親の中も、結局映画館に連れて行ってスーパーマリオの映画なんか観せていたり。
「テレビより小説を読みなさい」と言ってもその小説がドラマ化になって観せていいのかどうか迷ったり。
自分が勝手にジャンルを分断すると、そういうチグハグなことが起こります。
「○○○はダメ」「○○○はやらない」「○○○には興味ない」
と、多くの人が何らかのジャンルをばっさり切り捨てて近づかないようにします。
しかし、世の中はそういうジャンルなど関係なしに融合や影響を繰り返して、どんどん進化していっています。
自分は離れているつもりでも、案外自分に関わっていることもあれば、意外な恩恵を受けていることもあります。
そういう時に、「拒絶していたから理解がない」という状況は、視野を狭くして、自分たちの可能性を封じ込めてしまいます。
ジャンル分けをして良し悪しを決めるのではなくそこから有用なものを探してみる、有益なものを抽出してみる、という意識のほうがいいのです。
脳内で上質を知る男のネスカフェゴールドブレンドのCMソング流して絶頂しながら文章書いてそう。
きっと出会うたびに自分の服装とか小物についてうんちく語るやつだ。
ほああああああああああ!
マジレスしてみる
個人の感情に任せた場合に、大型犬よりポメラニアンの方が寄付が集まりやすいという前提は正しいと思う。
ポイントとなるのは、寄付が集まりやすい順番に救済されていった結果、最終的には大型犬を含むすべての苦しんでいる対象が最低限必要な水準に至るまで救済を充足できると寄付する人間が信じているか、だと思う。
つまり「順番に多少の前後はあれど、ポメラニアンが救済されれば次には中型犬、大型犬に同情が集まるようになり、結果としてすべての犬が救済されるはず」と信じている人にとっては、とにかく目についた可哀想な犬に寄付を行うのは、(最善ではないにしても)概ね正義にもとる行為ではないと思われる。
一方、諸々の理由により救済が大型犬に行き渡ることはないと考える人ならば、寄付を正義にもとる行為だと感じる傾向が強くなるだろう。
救済が大型犬に行き渡らないと感じる要因としては、
・救済に充てられる全体のリソースが明らかに不足していると感じられる場合
などが考えられる。
そして、この中でより考え方の違いが出やすいのは後者の「救済されたと見なす水準が高い場合」ではないかと思われる。
救済を急迫した危機からの脱却(必要最低限の状態の確保)のためだと考えている人ならば「とにかく今、危機的状況にある人には手当り次第に支援を行うことで、世の中から危機的状況にある人をゼロにすることができる」というロジックは比較的すんなり受け入れられるものだと思うが、救済を可哀想な要因の完全な排除(対象の状態を世の中の平均水準まで押し上げること)だと考えている人ならば「そんなリソースあるわけ無いじゃん→個人の感情で救われるやつを選別するのか?」と感じるのも自然だろう。
ニュースだと一時的な出稼ぎバイトみたいなやつらしか特集されてないけど、
俺と友人らの体感値だけでも相当。
会社辞めた後に出るからデータでは顕在化されてないのかもしれないけど、
動きも早いんだと思う。
みんな選挙にも行かず
退職届出すみたいに
急に覚悟決めていなくなる
どれだけひきとめても遅い
優秀な人がいなくなって、
未来はどうなるんだろう
あと地味にまわりの女性で
稼ぐ女性は家事育児分担しても嫌な顔しない人がいいんだよな当たり前だけど。
まだそんないないかもしれないけど、これは嘘じゃない。
めっちゃ優秀だなって思ってた仲間や友人が次から次へといなくなってるんだ。
まじでやばいぞ、このままだと。
気づいた時には致命的に税金足りなくなるぞ、岸田。