はてなキーワード: 工業デザインとは
最近Twitterで「リクルートプロダクトデザイン室」とかいう広告が流れてくる。最初はリクルートが商品のデザインでも始めたのかと思ったけど、この室はリクルートの各種サービス=プロダクトを総合的にディレクションしていく=デザイン、な部署ということらしい。
あのさあ。
「プロダクトデザイン」って言葉は長い間工業デザイン(インダストリアルデザイン)という意味で用いられてきたわけですよ。工業デザインの分野で日本で一番の多摩美もずーっと「生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻」でやってきてるわけ。それを、「最近サービスのことを”プロダクト”て呼ぶのがいけてるよね → それを担当してる俺らってプロダクトデザイナーじゃね ドヤ」って感じで俺らはプロダクトデザイン室でございって言い出してるの、気持ち悪すぎるわ。学問の軽視。工業デザインの伝統への挑発。これこそ文化の盗用だと思うんだけど、まあ完全なる社会悪であるリクルートのことだからなんの罪悪感もないんでしょうね。
有休だし世間での知財への関心が(一時的に)高まっているし、せっかくだし書いてみる。
ただ知財業界は案外狭く、ちょっとした事で身バレする可能性も孕んでるので、増田は過去に特許事務所で勤務していた者、ぐらいで済ませたい。
言うても匿名増田でそれを証明する方法もないので、怪文書やチラシぐらいに読んでくれればそれでよい。
※一般論として話をしているので、例の代理人特許事務所がこうであるという意味では決してないのでご注意。
知財権の出願権利化で出願人が支払う金額は多額になるが、それが全部弁理士の手元に残る訳ではなく、
出願人が支払う金額の中には、【特許庁に納める費用+代理人手数料(+外国案件であれば現地代理人のフィー等)】が含まれる。
ざっくりというと、この「代理人手数料」が特許事務所としての主な収入になる。
資格を用いて独占業務である「出願人の代理」という専門的なサービスを提供する対価であり、
慈善事業ではないので、これを頂かないことにはビジネスとして成立しない。
(現在は共通の料金表みたいなものは廃止されているので、『特許事務所 料金』とかでググっていろいろ見て欲しい。事務所によって幅がある。)
という流れがあり、それぞれの段階で代理人手数料・成功謝金をクライアントからいただく。
また成立した権利の更新維持業務は、定期的にお金が入ってくる大事な領域であり、
特許事務所のビジネスは、フロービジネスでもあるがストックビジネスでもある。
(訴訟をガンガン受任したりコンサルティング業務や顧問契約を結んだりしてるとまた違うが、その点は今回は触れない)
そして特定のクライアントの案件を受任すると、企業としては関連する案件を同じところにお願いしようとするインセンティブが働くので
安定して経営している事務所は出願件数の多い大企業や、安定して仕事をくれる企業をクライアントとして抱えていることが多い。
あくまで個人の印象なので、「違う」という人はいくらでもいるだろうが、
商標業務のキツいところは、価格競争に晒されやすいというところだ。
特許であれば化学、機械、電気電子、通信…といった各分野の事業会社・アカデミア等で研究開発実務をやっていた人が転身することが多く、
意匠であれば美術・デザイン系のバックグラウンドを持った人が適正があるとされる。
(現に、特許庁の意匠審査官は美大・芸大や工業デザインの学部等から主に採用される)
一方で、商標の場合は(ディスる意図はないが)今別に炎上している中卒弁理士(本当かどうかは知らん)を自称する人のように
何か学問的なバックグラウンドが必要かというと、必ずしもそうではない。
https://www.jpaa.or.jp/patent-attorney/howto/
そのため「特定の業界に精通している」や「サブカルに強い」などの属性や業界知識等で勝負はあるが、
基本的に弁理士の専門性によって差別化をすることが比較的難しく、
また手続の難易度的に(質は別として)やろうと思えば出願人自身で手続できないこともないので
十分なコネクションを持っている大手・中堅以外の、特に新興事務所では価格競争に走る者が増えているのが現状。
(もちろん、日本屈指の高難度の弁理士試験に合格することで法律知識は担保されているし、
豊富な業務経験・実績を積んでいる弁理士・特許事務所に対しては当然ながら引き合いは多い)
加えて、商標業務は案件1件あたりで頂けるフィーが特許に比べて全体的に少ない。
最近はネットのHPや検索広告からの流入で新興事務所でも仕事を取りにいける環境があるが、
そういった事務所の広告では「成果報酬制」や「格安」等の宣伝文句が目立つ。
ということは、特許より単価の低い商標で利益を上げるには多くの案件をこなしていく必要があり、
皆さんがイメージするような一つ一つの案件をじっくり、といった対応は難しい環境にある。
「もっとじっくり調べろよボケ」「ググった程度で判断してんじゃねえよカス」という意見はもっともだが、
先行登録商標の調査等もあり、周知性の判断根拠を探すだけにそれほど時間をかけている訳にもいかないし、
下記でも書くが本件は周知性がないと判断されてしまっても仕方ない事情もある。
(「識別力のない商標」など、拒絶理由で打てるものはあるとは思うけど…)
特許庁も代理人もみんな違う人間なので、森羅万象に詳しいことを要求するのは酷だし、
ある一定レベル以上のことに関しては出願人クライアントの意見を信じるしかない部分もある。
そのために業界特有の特殊事情などは「情報提供制度/公告・異議申立制度」で汲み取る制度になっているのだから。
結論:「ゆっくり茶番劇」の件に関しては、代理人や特許庁を責めないでほしい。
リリースを見る限りは通常の業務で要求される注意を払って代理されていたと感じる。
これも誤解が多く出回っているので、ここで併せて説明しておきたい。
周知性というのも、一般の皆さんがイメージしているレベルよりかなり高いレベルが求められる。
(例えば東京のお店が売ってる物の名前であったら、単一市町村内でも単一都道府県内だけでもなく、
インターネット社会になってそういった部分の考え方が複雑にはなっているが、
いずれにしても1つのコンテンツコミュニティの中で有名であっただけでは十分に周知と言えるかというと苦しい。
また、実際に証明する際も、商品販売の実績やパンフレット配布数、広告宣伝実績、テレビ露出度、
場合によっては需要者へのアンケート(野良署名活動じゃなく、出願人が主張したい内容と合うように作成したもの)等も駆使して、
いかに幅広い需要者(消費者だけでなく取引者も含む)の間で幅広く認知されていたかを立証する(ただ、それでも認められない事が本当に多い…)ので、
数万件程度の検索ヒット数や関連動画の再生数だけで周知性を主張することはほぼ不可能といえる。
『どれだけ検索でヒットしたり動画が回っていたとしても、結局限られた属性と人数しか知らないのであればそれは周知と呼べない』
ふむふむ 好きとか嫌いといった感情の起伏を( ? )な価値基準で良しとしたり悪しとしたりするのはやめておけということだな
その結果は価値基準である( ? )が流動的だったり不安定だったり他人との共有や理解が簡単ではないからだろうな
無意味に足掻いて周囲を泡立てるのはたしかに何にしても見ていて心地の良いものではないな
たしかに端的にそうとしか表現の方法をもたない人間からはそういう意見がきているな 本当にとは真にダサいとか本当のデザインという基準からなのか
それは最初の( ? )ではないのか?
何理論において何学説において ダサいは本当ではない デザインが悪いは本当かどうか という言及に至るのか 本当にそうなのか とは?
「ダサい」といっているのは実際(本当・真に)は「ダサくない」ということになってしまうのか? それは( ? )に至ってしまう導入だよな・・・ 心配だ
「エッジがきいてない(風景と同調して取得したい一番大事な情報(金額)の認識に直接的でない)」とか
「デザインが悪い(肖像画の人物特徴として髪型や顔のパーツや衣服が印象に残りにくい)」だとしたら
( ? )のデザイン理論における真のカッコイイ本当のデザインはそこなど取るに足らない もっと大切な目標があるということなのだろうか
は? 良し悪しで語ってる・・・?
いや良し悪し は良いのだろう 良し悪しで好き嫌い だからな・・・
好きとも嫌いとも言ってないよな・・・
好きか嫌いかで それが良いか悪いかというのも 好きとも嫌いとも言ってないからな・・・
セーフだろう
その良し悪しで語ってる「良し」としているのは何なのだ?
とりあえず 優れている は解らないけれども 好きとも嫌いとも言ってはいない セーフだ
いや知らん わからん 目的が違いすぎて「ピグミーマーモセットはエゾシカとは違う」と言われても そうだ としか言えない・・・
「そうだ!」と言わせるためか そうなのか?
最新のサービスがそこにつまっているぞということか 前述をただ置き換えているだけだが お金は未来をひらく そうだ たしかにそうだ
お金がひらく未来と デザインの先進性とかけているのか それはまったく機能と視覚効果に関連はなく 無関係だが 大喜利的にはつながってる
その単純な理由がまったくわからん 逆説的につなぐことで「こんな簡単なこともわからないのか?」という文脈にしているのか?
工業デザインは機能性ありきなのでお札は四角くて紙だ それ以上のなにを求めるのだ単純に 理由として ということなのか?
たぶん古いファッションや演技の方法や工業製品の外装などは流行でないからダサイ(その時点において機能的に直観的でない)とは言えるそれか?
自動車が円盤の形をしているなどダサい(現在においては走行機能とおよそ関係ない形状をしている)とか
ロボットがもっさりしてダサい(およそ人の機能を果たすべき機械が人の形をしていない)など
「時間を経てダサイ」はある
しかしファッションは一巡りしてきたり 半世紀以上のおさがりがカッコよかったりもする
家電も機能とおよそ関係ない形状が「(ダサさが)かっこいい」場合もある 装飾としての無意味さが機能についているという点においてだ
工業製品もおおよそ機械プロセスはかわらないだろうけれども結局商品のバリューを高める「外装(無意味な部分)」の刷新である部分はあるので
機械の役割自体が劣化しない限りデザインの「一周まわってダサい」はそう多くはない気がするが・・・ それは素人考えからだろうな
なつかしいレトロなお札は「ダサくてデザインがいまいち」なのだろうな
聖徳太子の絵だったり500円札だったり 小判だったり和同開珎などはダサいのだろう あんなのお金として使うのは恥ずかしいな
・・・いや充分かもしれん ダサくないきがするが・・・ それは俺のデザインセンスが素人で一般人だから デザインを学んだものからいえばわかってないのだろうな
デザインを学ぶと好きか嫌いかで良し悪しを判断しないのだな なるほど
・・・いや一般人の知識がない人間でもそうでなくても それは一概にいえなくないか?
自分の生活をデザインしているという意味では一般人もデザイナな気がするが その良し悪しは好き嫌いで決めてる気がするが・・・
デザイナーもいかに嫌われようと醜いと蔑まされようとも ダサい悪いといわれようとも 良し悪しのために仕事をするのか・・・
タイトルの「好き嫌いを良し悪しで語るのはやめておけ」つまり良し悪しで好きや嫌いというのはちょっとまて というのは
もしかして「良し悪し」とは一見して一般人には理解しがたいが本当の( ? )や真の( ? )には意味や価値があり
それを知らずに直観的に「好き嫌い」というべきではない 嫌いといっているそれにも重要な機能がある ということなのだろうか・・・?
いやまて 良し悪し という機能的な価値ではなくて 個人の趣向の違いである好き嫌いで評価をしてる と言ってないか・・・?
個人の好きとか嫌いという感情は個人の生活デザインにおいて積極的に取り入れたいか 積極的に排除したいか それを基軸にしてるのでは?
それが良くないんだよな
実際ダサくて使いにくいものを作ることで そのデザインとしての効果が産まれうるってこともあるってことだよな?
たとえばダサくて恥ずかしいから現金もったら使いたくなくなる ついため込んでしまう 見たくもないからすぐ銀行にいれてしまう
それを意図してるとかいうデザイナーの思惑が あったりするってことだよな?
個人の感情としてダサイやとかデザインが悪いという感情の隆起は デザインされたものだ ということなのだろうか・・・
そうだな・・・
確かに個人が意見を代表者としてではなく発言する場合は全て個人の意見であり好き嫌いだよな・・・
あえてあなたは何の代表ですかと聞かないことには そりゃそうだよな・・・
個人が個人のライフデザインをするにあたっての監督は個人であるので 個人の用途においては 好き嫌いを表明しても そのデザインで機能的な良し悪しを語ってもよいのではないか・・・?
デザイナーはその個人の行動を誘導するために 貯めたり使うのをためらったりという動作をすることを予見してのデザインをしているわけなので 個人がそうするそう思うという感想を述べるのは
デザインどおりだったかどうかの答え合わせができる瞬間なのであったほうがよいのではないのか・・・?
デザイナーはもうすでに最初からそんなことはわかっているから答えなど合わせる必要もないし使用されてる現場をみる必要もないし 予見ができているので結果をしる必要さえないのか・・・?
おまえら操られてるぞ と
( ? )に入るのは 自分だった ダサいと批評して檻に入れていたのは 自分自身だと そういうことだったのか だったのか・・・?
新紙幣の話を見ていると、デザインなんか習ったこともないような人がデザインにケチを付けていて、見てられないなって思います。
ケチを付けている人の意見を見ると、ダサいとかデザインが悪いという意見を言っているのだけど、それ、本当にそうでしょうか?
デザインを一通り学んだ自分にしてみると、新紙幣は別にデザインが悪いということはないです。
むしろ、デザイン性のみで言えば非常に優れていて、今までの紙幣の中で一番といってもいいです。
視認性、可読性、誘目性、レイアウト、どれをとっても一番優れてるんじゃないかな。
そもそも、紙幣のデザインというのは例えば家電や車と違って、計画的陳腐化をすべきものではありません。
つまり、これから流行るであろうデザインで、過去のデザインを陳腐化させることはしないという意味です。
理由は単純で、そもそも購買を煽る必要がないものということと、そのデザインを使用する期間が他の工業デザインと異なってはるかに長いという理由からです。
そうなると、例えば流行にのったデザインを取り入れすぎてしまうと、20年後にはものすごいダサいデザインになってしまいます。
で、何が言いたいのかというと、デザインが悪い、ダサいって言っている人は、要するに良し悪しではなくて好き嫌いを言っているわけです。
そういう意見表明をすることは全く悪いことではないのですが、それはあくまで個人の好き嫌いの話であって、デザインの良し悪しとしてデザインそのものを批判すべきではないわけですよね。
新紙幣の優れているところは、実に近代的なデザインフォントを取り入れたにも関わらず、20年後に世の中のデザインの流行が大きく変わっても、決して陳腐に見えないであろうことが予想できることです。
なぜそう感じられるかというと、見た目のデザインよりも視認性や可読性という機能性が優先されていることがデザインから伝わってくるからなんですよね。
この紙幣を見て、数字がアンバランスといっている人は、ただ見慣れていないだけですよ。
さて、それをもって新紙幣のデザインが劣っている理由を、どなたか好き嫌いなしのデザイン性の話で語っていただくことはできますでしょうか。
できないなら、今後新紙幣のデザインについてコメントをするときは、良し悪しではなくて個人の好みの問題として語るようにしましょう。
これはわたしからの、あなたが人前で恥をかいてしまわないための忠告です。
あと先に釘を刺しておきますが、まさか流行りのデザインを取り入れて10年単位でデザインを変えろなんて言い出さないでくださいね。
新紙幣を取り入れるということは、紙幣のデザイン以外にも世の中にある紙幣を読み込む機械すべてに新機能を付け加えるということを意味するので、死ぬほどコストが動きます。
そんなこと10年単位でやられたら回り回って個人にめちゃくちゃ負担がかかることは言うまでもないですよね。
あんな中途半端な金額の紙幣が使われなくなることなんて誰もが予想できていたことだったのに。どんだけの金額ドブに捨てたと思ってんだ。クソが。
別に知らないから言ってるわけじゃないし、教養がないって煽りはボキャブラリーなさすぎ
建築家の領域でエンジニアの領域を超えるのは工業デザインと、せいぜい都市計画くらいまで
同じ土木建築分野でも橋の設計者は、設計もデザインも両方やるけど芸術家とよばれることはほとんどない
建築がある種の芸術性を持っていることは否定しないけど、公共施設において税金から多額の設計費を払うほどの効用があるのかい?
国立競技場のデザイナー選定騒動はばかばかしいものだったし、都庁だっていまさらあれを芸術だといって愛でる人や、優れたデザインによって都民のシンボルになっていると主張する人はほとんどいるまい
https://twitter.com/yonemitsu/status/1278132426615611392
・まず脳内でルールブックだけができた状態→アイデアの独占権はだれも絶対に保護しない。できるなら「あの映画はオレが5歳のときに見た夢として独占権がある」っていいだすやつが続々出てくる悪夢だからね。
・「保護してほしい、金がいらなくても敬意だけでもほしい」のならその国の政府に法的根拠を出させる努力が大前提。いら●とやさんのような善意の(業界にとっては悪夢の)フリー素材多いから。医者だって敬意もらうのに医師法つくってニセ医者や占い師や瀉血師から自分たちを守ったでしょ。
・ちなみにゲームとおなじくらい独占権がない(敬意ごと搾取され放題)のがJ系タレント。自分の顔写真さえ自由にできない。これも肖像権の法的根拠が相当薄いからだ。写真著作権のほうが強すぎる。あともとめる敬意の幅がひろすぎまとめきれなさすぎてまだしばらく法制化できないだろう。
・で、ゲームメーカーは敬意をもとめるなら戦わないといけない。そしてどのルール(=ゲーム)で戦うかを決めないといけない。
・新しいことを考えた努力(=アイデアの新しさ)とを盾にするのなら産業4法が強い。中国産類似ゲームも輸入できなくなる。
・自然法則を利用して新しい思想をつくったらゲームへの敬意を特許権で守れるが、ゲームてのはたいてい人的ルールである。知恵の輪特許も日本基準だとヤバい。(例外はビデオゲームの、描画処理速度・品質の向上や、つかいやすいUIの実現など純粋に技術的な部分はガンガン特許になってる)
・新しい美的センスを加えたデザイン(工業デザイン)は意匠権でまもれるので、カードが独自デザインなら守れるが、デザインを買えた派生ゲームまでは防止できない。(画面デザインこっち)
・商標権はタイトルやマークを守る。「はぁっていうゲーム」というフレーズだけをロゴ化して守る。響きが似ていても守れるし万が一新しくなくても使用が盛んならどうにかなる。
・次に強いのが著作権法。一番独占しづらいが求めるものに一番近くはある。「改変権」や「著作人格権」を侵害されたと訴えればおそらく現状のままでも勝てる。ルールブックの記述が特に特徴としてみとめやすいだろう。ただし教育で無料で転用していいときめてあるのも著作権。よくよめばその場合も人格権は移転されないとか教科書の場合補償金払うとかいろいろかいてあるから一番最初につつくべきはそこなんだろう。無駄になっても。
・ところではぁっていうアイデアは本当に新しいのか。演劇学校だのガラスの仮面だのですでに演じ分けとして訓練をやっていたのでは? 自然発生的にカードにしていたかも。最初にいった「●●という映画のあらすじは僕が5歳のときに夢でみたもので」という後出しジャンケン妄想やろうと同じ論理を振りかざしてないか?
・新しく作られるゲームの中にも特許でまもれる、意匠でまもれる、商標でまもれるもの、いろいろある。アイデアの塊だろうということは部外者からも想像がつくが、苦労した新しさがどこにあるかがゲームによって全く違うので一様なアドバイスは専門家でもむずかしい。本歌取りの関係もいりくんでいるだろう。リバーシとオセロとか(知るヒトぞ知るが外部からみたら同じもの)。それは自分たちでボードゲーム・カードゲームのメーカーとして業界内の整理たとえば標準化や許諾ルートづくり、勉強会や共同登録会といった努力をしたりして世間に要求していくべきだとおもう。薄い本みたいに!薄い本みたいに!赤松健みたいに!あるいはボドゲカドゲ版JASRACだのをつくるとしたらなにが足りないか考えればわかりやすいかもしれない。
一番たりないのは「一発屋」でおわらないだけの君たちメーカーの遵法意識だとおもうよ。許諾もしてないのにパクり類似ゲームがでても訴えないで悲しいですっていっておわるじゃん。悲しいですじゃねえだろがよ。もっとひどいと不勉強だから知りませんでしたって有名ゲームとおなじルールで盤面だけちょこっとおしゃれにしたのを美術系の若いヒトがつくってくるとか。それ「悲しみ」で押しつぶすの?乱戦たのしい?どこまではなれればようやく古典と違うと認めるのか、とか、似ていることはわかった上でどういうライセンス手続きをとれば古典と似ていても市場に出して売っていいか、といったことをしっかりきめないで市場判定にまかせるからそういうことになる。
「ツイッターで流したお願い」を教育者なり中国人なり外国のマネっ子メーカーが守ってくれるとおもったら大間違いだからね
法的根拠を揃えた上でどんどん訴えて(侵害警告書と請求書くらいは出して)いこ
http://anond.hatelabo.jp/20160820004448
手堅く食っていきたいなら工業デザインやってるとこなどに絞られるし
金もべらぼうにかかるし課題がマジクソきついしで正直おすすめできない
金遣いがおかしい連中しか回りにいなかったせいもあると思うので
(オタクはそもそも金遣いがおかしい、グッズを好む層は特にそうで、
金遣いが今のままだといくら稼いでも稼いだ以上に浪費するのがオチ
ぶっちゃけあの金の使い方は一生治らないような気もするけど
とっとと地方公務員あたりにでもなって同僚と手弁当ランチでもしてればワンチャン……
なさそうだなあ………
グッズ大量買いするような子で賢く立ち回れるようになった子、いままで見たことないしな……
難しいな