はてなキーワード: 小学校とは
以下は一例。
https://x.com/Nn5641356188827/status/1797811688814915745/photo/1
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実際に暴力を振るうまではいかずとも、徹底的に女性スペースから男児を排除する主張は
男児を産み育てる母親に「私らの許可無くみだりに外をうろつくな!」と主張しているかの様だ。
まるで、男児を産んだのは天罰であり大罪とでも言いたげだが、実際にその様な主張をする女性も少なくない。
性的なイタズラをされたとして、男児というまだ幼稚園~小学校低学年程度の子供に対し、大の大人が暴力を振るい、それを肯定する女性達。
試着室で着替えを覗かれた、急に触られたと主張して、オッサンが女児を殴ったとしよう。
完全に犯罪者のキチガイだと思うし、社会からも「子供に暴力を振るう最低の糞野郎」として糾弾され、逮捕されるだろう。
ただ、加害者が女性であるというだけで、大の大人が他人の子供に暴力を振るっても、罪にすら問われる事も無く、殆どの犯罪者女性及び犯罪者予備軍の女性が野放しになっているのが現状だ。
また、男児に加害性が強い女性は女性特有のセンシティブさが強いが故に、彼女らが語る「事実」がどこまで「真実」か分からない。
例えば男児に性的に接触された、という主張の真実は、たまたま歩いてきたり走ってきた男児がぶつかっただけかもしれない。
女性はセンシティブなので、急に接触してきた幼稚園~小学生低学年ぐらいの男児から「ぶつかりおじさん」の様な性的加害性を感じ取ったのかもしれない。
ただ男児を産んだというだけで、「男社会に与した原罪」と見知らぬ多数の女性達から呪われるだけでなく
男児に対し強烈な暴力を振るってくる加害女性が野放しで、ある日突然暴力を振るわれる危険性があり
その上自らの子に性犯罪者のレッテルを貼られる可能性すらあるのだ。
男児を忌み嫌う女性たちが増えたこの社会で、どうしたら安心して子作りが出来るのか。
私にはまったく分からない。
自分は女で、小学生のとき同級生の特定の二人の男子に6年間ゆるっといじめのようなことをされてた。いじめの「ような」というのは、その場に他の女子がいれば大抵庇ってもらえたし、私以外が言い返せば何故かノータイムで撤退していった。その二人以外の男子は加勢もしない代わりに止めもしない感じ。(そもそもその二人の男子も特に人望や力があるわけでもなかった。私もだけど。)
初めは一人で怒ったり言い返していたけど1反論すると待っていたとばかりに嬉しそうに内容に関係ない暴言が20倍くらいになって返ってくることの繰り返しだったから、反応を誘う初めのジャブ的な暴言に無視を決め込むことで省エネするようになった。
何かしたんじゃないかと自分でもよく考えていたけどそもそも何かするほど会話もしていなかった。低学年のころの私は人見知りで、特に仲のいい数人としか遊んだり密に会話したりしないタイプだった。だからブスであることや、どん臭さとかみなりのダサさなどで苛立たせていたのかもしれない。6年生の時、うちの一人から、たまたま二人きりのタイミングでまた暴言を浴びていた時、なぜそんなに絡むのか、私が悪いことをしたなら教えて欲しいと言ったことがある。正面から改まって理由を質問したのが初めてだったからか彼は面食らって「は?は?きっもw」のようなことを呟きながら狼狽えていた。それを遠くから見ていたもう一人のいじめっ子が近づいて「増田が〇〇に告白してるぞ」と大きい声で言いながらまた死ぬほど粘着してきて散々だった。
田舎で6年間ひとクラス持ち上がりだったうえに、家が同じ地区で親同士は婦人会で当然関わりがあって、功を奏さなかったパターンを考えると怯んで大人に相談することもできなかった。ほぼ周知の事実だったけど。今は言えばよかったなと思う。
中学3年のクラスで、そのいじめっこの一人の男子(狼狽えていた方)と席が前後になった時期があった。こちらからはノーアクションなのにほぼ毎日後ろからお経のように延々と暴言を吐かれていた。はたからみたら一切言い返さない私も相当異常で、自業自得に見えていたと思う。
ある日私の隣の席の、別の普段静かな男子が痺れを切らしたようにその暴言男子に「いい加減にしろよ」と強めに言ってくれたことがあった。 全然仲が良かったわけでもないから、私のためというより純粋に耳障りだったんだとは思う。私が言い返さないから止まらないし。実際は言い返しても止まるどころかエスカレートするんだけどそんなことは他の小学校出身の彼は知らないし。男子に援護されたことは初めてだったから驚いたしとても感動した。いじめっ子は驚いたのかその場での暴言はモニャモニャとフェードアウトした。しかし、非常に低レベルな話だけど、ここで感謝などを述べたら、それをネタにまた粘着され、しかも今度は怒ってくれたその人も巻き込む形になってしまうのが目に見えていた。人としてどうかと思うけど、そんなことされても巻き込んでおいて私は黙っているしかできないだろうとわかった。だから目も合わせず、自分の机を見つめながら「ごめん」と一言絞り出すの精一杯だった。
仏フィガロ紙
数週間前の医療制度に続き、今度は教育制度が英国のジェンダー問題に一石を投じようとしている。
木曜日に政府の公式サイトで発表された声明で、教育省は、性自認の概念を中等学校で教えないようにし、性教育のコースを9歳以下の生徒には与えないようにすることを望んでいる。これらの措置は、「デリケートなテーマに関する不適切な教育から子どもたちを守りたい」という政府の説明に基づいている。
性自認の問題に関して、政府の立場は、近年英国がこのテーマに関して取ってきた道とはまったく対照的である。「キャス・レビューに照らして」と政府文書は説明し、「学校はこのデリケートなテーマを教えるのに慎重なアプローチを採用することが重要であり、ジェンダーはスペクトラムであるという見解を含め、論争になっている見解を事実として提示しないことが重要である」と述べている。
この方向性を継続し、同省は最終的に、ジェンダー論はもはや小学校で教えるべきではなく、中等教育では生物学的な観点からアプローチすると発表した。「中等教育では、生徒たちは性的指向や性別適合などの特性について学ぶが、学校は性自認の概念を教えてはならない」。
トランス終了やね
「彼の行動を見てなにも言わない、黙認しているということはその行動をよしとしているということですね!!」
みたいな物言いをする人がいるから、俺はお前たちのクソつまらんミスにもいちいちツッコミを入れなくてはならなくなる
「電気つけっぱなしにするな」
「エアコン入れるの早いんじゃないのか」
「それ作業の順番違わない?」
俺もこんなクソつまらんこといちいち指摘したくねーよ
でもお前らみたいなアホが
「7歳が一人で入れるか?」っていうけど、8歳が1人で入れるなら7歳が1人で入れなくても7歳までで問題ないのでは。
ちなみに俺は7歳まで(小学2年生の誕生日前日まで)で良いと思ってる。
8歳以上(小学2年生の誕生日以降)は1人で入れる。小学校での集団生活で着替えを身につけてるからな。
学年ではなく年齢で分けるのは、8歳までは1年の成長の差が大きいから。2年生の4月1日は、7歳364日だったり7歳1日だったりするが、7歳1日で、しかも学年内では年下としてリーダーシップを任されにくい3月生まれまで一人にするのは憚られる。
早い女子の二次性徴が8歳から始まることからも、8歳から男女別というのが丁度良い。
いずれにしても、この議論は7歳なのか8歳なのか9歳なのか10歳なのか(あるいは学年なのか)という細かい議論こそが必要なのに、3歳児も10歳児も一緒くたにして可不可を論じるヒステリー女やアンチヒステリー女どもは頭が悪い。
小学校の時、体格だけはやたら良くて、授業とか
まあ、俺も何度か蹴られたりしたんだけど
入ったわけよ
その時、同じ私立に入ったやつが
それで同級生の私立の認識が=ヤバい奴の行く場所になってしまったわけ
んで、その暴力男は中学、高校では先輩を踏み台にしてたらしいんだけど
今は何してるか誰も知らない
検索しても出てこないし
それだけはわかる
「女が進学したから少子化が進んだ。女性の進学を禁止すれば少子化は改善する」という意見がミソジニストや保守からでるが
「女性の高学歴化は少子化には一切寄与してないどころかむしろ少子化の改善に寄与している」と証明されているんだわ
「中等教育が一般的になれば少子化になる」ってデータは別に提示されている
「男性が高学歴化、すなわち、中等教育(中学校以上の教育)を受けるようになったから少子化が進んだ」ってことなんだよね
実際戦後日本でも男性に中卒や高卒以上の学歴が増えるにつれて少子化が進んでいることはデータでも示されている
つまり女性は大卒や大学院卒以上の高学歴にして、社会の指導的な地位につけて、男性は進学を禁止して小学校を卒業したら土木作業員や農業、派遣等単純な肉体労働に従事させた方が少子化は改善するんだよね
少子化対策として
この逆(女性の進学を規制して家庭に入れて少子化を改善する)が主張されている
いったいなぜなんだ?
→両手にハサミを持って小学校を襲撃する女(令和)
お父さん、お母さんが楽器を弾けるなら、以下の文は、釈迦に説法、孔子に論語、ラフマニノフにソナチネ、パガニーニにクロイツェル。(後ろの2つは聞けるものなら聞いてみたい。)
ガチで音大目指すとかそういうのじゃなく。子供に楽器を習わせている一人の親として。自分は趣味で楽器が弾けるだけ。業界の人でもプロでもない。
子供がピアノとか弾けたらいいなとか、バイオリンっひけたらかっこいいなとか。そんな感じで子供(4歳くらいから小学生低学年まで)に楽器を習わせたいなと思っている親御さんへ。
習わせる覚悟は犬を飼うのと同じと思ってね。親が思う、「趣味程度で楽器が弾けるといいな」になるには、最低10年、だいたい15年くらいは習わないと、そうならないと思う。
犬と違って、途中で辞めることはできるけど。
子供が「ピアノやだー」っていってても、レッスンには毎週連れて行って、うちで弾き始めたら「うまくなったね」って言って、だらだら続けていれば、いずれ楽しく弾けるようにはなると思う。
自分の子供にはピアノを習わせてる。5年生(女)と2年生(男)だけど、一緒に習っているお友達がだんだん辞めるようになってきた。
特に小学校低学年でかなりの割合の子が辞めちゃう。3~5年くらい習ってたことになるんだけど、それだとたぶん、この先は趣味でもピアノは弾けないと思う。楽譜も読めないと思う。
すごく勿体ない。その時間、別の習い事をしていればとさえ思う。辞める理由は、練習しなくなったとか、お金がかかるからとか。
発表会でもうちの子より上手に弾いてたのに、と思うと、本当に勿体ない。
楽しく自分のペースで弾けるようになるには、中学終わるくらいや高校生までかかると思う。そこまで続けば、しばらく休んでも再開できるし(手は動かなくなってるが)、楽譜もそこそこ読める。
いわゆる才能があって、小学生の間に、上手に弾けて楽譜も読める子は、たぶん辞めたくないっていうし、先生も引き留めるから、大丈夫。この話の対象ではない。
子供に楽器を練習させるには親の協力も必要だ。鈍感力(できなくてあたりまえ。家ではほぼ騒音)と、共感力(できたときに褒めるだけ)、忍耐力(練習していないままでもレッスンには連れて行く。)が必要だ。
それに加えて、やっぱりお金。毎月最低1万円くらい×12ヶ月×12年。だいたい150万円くらい。楽器代や楽譜などの教材費は除いてそれくらいはかかる。
よく、ピアノは中古でも高いとか、バイオリンは買い換えが・・・、とかいうけど、長期にかかる月謝も高い。
塾や習い事が増えてきて、お金もかかるし取捨選択を迫られたときに、どうしても楽器は辞める方向になりがちだ。お金を出しているのが、楽器を弾かないお父さんだった場合は特に。
でもちょっとまってやって。ここで辞めたら無になる。ここは、投資で言う「コンコルド効果」をいい意味で考えよう。「ここまで払った投資が無駄になる。きっと上向くはずだ。」
自分は4歳から高2までバイオリンを習ってた。親は楽器は弾けない。
中学生、高校生の時はほとんど練習せずに週Ⅰレッスンだけ行ってた。だから、同じ先生に習ってた同じくらいの年の子より数段下手。ソロで人に聞かせるレベルではない。
でもね、楽譜みながら、一応音は拾えるし(拾えたからといって弾けるとは限らないが)、楽器は楽しい。
妻は中学か高校までピアノを習ってた。大学の軽音楽部で知り合って結婚した。そのとき僕はバイオリンではなくウッドベース弾いてたけど。
子供に楽器を習わせてるのは、ただ1つ、大人になって楽しみが増えるから。一人でも楽しいし、数人集まっても楽しい。
スポーツと違って、対戦相手もいらない上に、仲間がいればもっと楽しい。ケガもしないし、遭難もしない。超平和。
「こういんや?」
今日は小学生の参観日である。授業では国語辞典の使い方を教えており、子どもたちは楽しそうに大きな辞書をめくっている。
「「光」の文字を使う単語を探してみよう」というテーマで辞書をめくる子どもたち。早速「光陰矢の如し」をみつけたらしい生徒が、なぜか「こういんや!」とだけ答えたため、先生が意味を理解できなかったらしい。
生徒が開いたページを覗きこみ、漢字を確かめた先生は、もういちど「こういんや?」と首をかしげ、黒板に「光陰矢」と書いた。「ごとし」はどこにいったのだろう。もしかして「光陰矢の如し」をご存知ない??まさかね。きっと「光陰矢」という単語もあるのだろう。
次の生徒が手を挙げる。
「こうそく!」
にこっと笑って先生が却下する。多分生徒は「高速」でもなく「校則」でもなく、「光速」と答えたのでは?なぜ確認せずに却下する?
先生のさわやかな笑顔を眺めながら、ふと大学時代の友人達を思い出した。
私達は氷河期世代だ。田舎の国立大を出たくらいでは就職は困難を極めたし、教育学部の友人で、先生になれた子はただのひとりもいなかった。そもそも採用すらほとんどなかった。「先生になりたかった」って泣いてた子、何年も試験をチャレンジして講師を続けていた子、本当に先生になるのは狭き門で難しかった。
しかし、現在はうってかわっての教員不足。うちの小学校でも例に漏れず教員は全く足りていない。クラスに応じた教員が確保できず、先生がかけもちで対応していた時期まであった。きっとこれは罰なのだろう、教員の待遇を改善してこなかった罰。その罰は、我々でなく小学生の我が子達が現在進行形で背負っている。
「これ、せんせいこれ!これも!」
また「光」の付く単語をみつけたらしい男の子が辞書をひらいて単語を指差す。
「よし!それも「光」がつくな!」
先日、市民イベントや街中ポスターでガルクラ知った川崎民の話の続き。長くなったんで、その1
ブルーレイ付きってなってるやつを上から順に買ってしまったのでMVやアニメ見つつ「川崎とは」問題にふれてみたい。
いやびっくり。言われてみると1年前に出した1曲目は歌がだんだん聞こえなくなってて何を言ってるのかもわからなくなってるが、最近の歌はめっちゃ声量が出てるしパンチあるし、すごい。8話の迫力も凄いし、こんなゴリゴリっとした16歳を見たの坂本真綾以来じゃないか。オッサンのファンが一気に増えそう。
ガールズバンドクライ主題歌歌詞だが、固有名詞は一切出してないので「別に川崎を謳ったわけじゃないっすよ」と逃げる気まんまんという気はする。その腰砕けな態度の時点で劇中の仁菜ちゃんの体当たり性格とミスマッチではなかろうか。プロデューサーお前だぞお前。で、このガルクラを川崎とタイアップで作ってく企画については、音楽系の人たちの川崎いじりの流れを汲んでる気がする。
ちょっと前からフィクションで時々あったが、こっちの受け止め方としては「魔界都市新宿」とか馳星周の新宿とかと同じジャンルという受け止め方だった。新宿や渋谷がこすられ過ぎたんで川崎で新味を出してきたんだろうな、ぐらい。親戚のおばさんが町内を毎日掃除してゴミ出しの整理をしてるような町で陰鬱な国際犯罪が行われてたりするのはギャグですらあった。
ラッパーの人らが川崎をアイデンティティに押し出してったあたりで流れが変なほうに行ったなあ、という感じ。嘘はついてないけどフカシは相当してるよね、ぐらいの大げさアピールで、売り込むためなんだろうけど。最初は面白かったんだけど、ネタいじりが繰り返され、うざったくなってきた。
川崎が舞台でタイトルにクライがついてるので、たぶんガルクラと合わせて川崎クライシリーズとか言われるはず(言われない)。さておき上記のラッパーの人らの延長上みたいな川崎描写(原作デビルマンの最初のサバトシーンが川崎のそういう場所になってる)で、途中で行政区分川崎区の中でやたら悪魔が出現するというトンチキな描写が挿入される。周囲を山と海に囲まれた地方都市が舞台じゃねーんだぞ。まっ平で交通量も頻繁で交通手段も豊富な首都圏のど真ん中エリアで川崎区だけ悪魔が溢れてるってどういう描写だよ。湯浅政明の才能って実はイマイチではと疑った最初であった。
新宿、渋谷、池袋、上野といった都心部の繁華街のほうがよほどアレ。あるいは周囲の監視の目が光ってる閉塞した熊本よりはそりゃ川崎は住みやすいだろう。
一方で「関東周辺と比較した場合、社会人には住みやすいけど、子育てにはお勧めできない街」と思う。
熊本出身者が川崎の民度を下げてるなどと言われがちだが、川崎はそもそも上京してきた人たちの溜り場である。京浜工業地帯で働くために、あるいは都心に出勤するために、東北や甲信越、九州や沖縄、朝鮮半島やブラジル、ネパールやベトナムetc...から出てきた人たちが10年単位で住んでいる。ルパさんは南アジア系らしいが、20年前の話、京急駅前の立食そばで働いてたおばさんお姉さん曰くお父さんがグルカ兵だったそうだ。実家でも駅前で寝てたイラン難民を連れてきて住み込みで働いてもらっていた。
ヘイトスピーチビジネスの連中が川崎で活動してたが逮捕者を出すなどして現状では川崎での活動を縮小してる。最近になって埼玉で活動してるのはこっちを追い出された連中が居場所を探してあっちに食いついたのでは。
大田区蒲田と川崎区、多摩川河川敷の工業地帯の下町で条件は同じでも家賃が違う。羽田空港へのアクセスのせいもあるだろうが、似たような所得層の似たような街並みでも川崎のが安い。結果、都心で働く人、都心の学校に通う人が選びがちなのが川崎で、京浜工業地帯で働くために通勤で通ってくる人と人数的にも拮抗しており、両者はあんまり交わらない。東京の予備校に通う仁菜ちゃんに川崎市民意識があろうはずがないのだ。
これは異論あんまないかと。自称保守という名の全く保守する気がない利権屋集団がいまだ蛇蝎のごとく嫌う美濃部都政ってやつの遺産がデカいと思う。
川崎(川崎区、幸区など京浜工業地帯近辺)は伝統的に低所得層の町だったため進学率が低く、児童も、児童の親も、教師も、残念ながら外れを引く可能性がある。
具体例。80年代前半の川崎区内小学校、小6の頃だが、担任は児童をどなりつけ椅子を蹴り、男子児童は移動教室というとサボって校庭で遊びまわって、音楽の先生は毎週泣いていた。その騒いでる児童間でも権力闘争やってて先週までボス格だった子が学級会で子分格の子らから名指し批判され追い落とされたりと10年早い世紀末を演出していた。学級崩壊という言葉がメディアに出回るよりだいぶ早い時期の話である。昔の話だろと思うかもしれないが、それからおよそ十数年後に同じ学校の授業参観に参加させられる羽目になったところ、やはり教師は生徒をまともに見る気がなく野放しの児童がフリーダム。自分の時ほどではないが、たぶんあまり変わってない。
中学校事情は私立受験で都内に進学したので実情は知らないが、行くはずだった学区公立中で新任若手教師が生徒らに虐められ失踪、行方不明になったという新聞記事が地元欄に出たのが中3の頃。
自分もそうだが、結局のとこ横浜にも東京にも近く進学先を選びやすいので、そこそこの所得層は地元川崎での中高進学をあえて選ぶ必要がなく、余計にそうなりがちだったのかもしれない。
小学校行かなかった?
大変っす。
すっかり忘れてましてね。
もう週末に迫っちゃったんです。
本人は母が働いててほったらかしてるあいだにも、けなげに練習を一生懸命してるし。
偉いもんですよ。
習い事ってね最初の申し込みもだいたい、働く母にとっては大変なんですよ。
また別の日に申し込みに行って、口座の登録用紙を書いて、とかね。
フルで働いてる人間には2日間にわたって平日昼間が必要なんで、
過酷なんです。
結局ねこういうこと、男はようやらんのですよ。
うちは私が大黒柱なんです。夫が働かないので。
最初は少しは働いていたが、どんどん働かなくなった。
まあ昼間に在宅しててくれるので、保育園の送迎はやってもらって、
通院させたり、服や日用品を選んだりとか、そういうのは
ぜんぜんできない。だから私はとんでもなく忙しいです。
それはまたおいおい書くとしてそうそう、
そうやって、平日の昼間に2回かかってピアノ教室に申し込んだのが半年前。
そしたらやっぱりあるわけです。
発表会ってやつが。
本人に「参加したい?」ときいたら速攻で頷いたので、申し込みました。
ほらバレエとか、ママ友情報では「ひとり10万以上よ」っていうのは聞いてましたから。
何代が含まれてるのかはよく聞いてなかったけど、出演料が何万円かで、衣装代、花代とかも大きいみたいです。
おちおち習い事とか、情報なしには始めさせられない時代なんですよ。
でもまあピアノは参加費は1万円とかそんなもんだったし気楽だなあと思いつつ、
あとは本番にむけて練習がんばろうねーってのんきに構えていましたが
「靴は、おうちでの練習のときも、本番ではく靴をはきながらやってくださいね。」
そこで、はたと気づきました。
そうでした。
発表会といえば、
すっかり忘れていました。
何をしてるかっていうと、靴、靴下、ドレス、これを血眼になって探しています。
ネットで。
家族四人とも食べこぼしがついているか習字の墨がたれているか、
よれた服しかないわけです。
夫に至っては、かろうじて働いていたときの作業着ぐらいしか外出に来て行く服がありません。
おいおいおいとすると家族4人とももっと普通の服がいるのか??
まあそれは置いて、まず娘の衣装だ。
ネットで見ているだけで目が回りそうです。
そしてまたサイズ選びも難しいし。
だいたい、「お、これいいな」と思うとsold outばかりだよ!!!
まだ購入ボタンを押せておらず、
午後までかかりそうです。