はてなキーワード: 京浜工業地帯とは
全裸中年男性が「プリコジンに日本に亡命して川崎産業道路沿いで駐車場の広いラーメン屋を経営してほしい」というネタツイを書いていた
これが、どこをこすりたいのかよくわからない
基本前提として京浜工業地帯を通ってる産業道路の川崎市エリアに「駐車場の広いラーメン店」は存在しない。
産業道路に面した広い駐車場なんて、基本的にコンビニだけである。
駐車場付きコンビニは盛況だが、コンビニは本部が店舗運営を搾取することで強引になりたたせてるだけである。
すごく頭をひねるなら、
ワグネルのトップで財産有り余ってるであろうプリコジンなら高い地価をものともせず広い土地を確保し採算度外視でラーメン屋を作っても潰れない、
という意味で書いたのかもしれない。
しかし、そこまでして広い駐車場を確保したとして、それって需要あるのだろうか。
郊外幹線道路沿いの駐車場付きのラーメン屋って、周囲が自動車社会エリアだから成立している。
川崎は自動車社会じゃない(バス社会にして自転車社会だ)し、産業道路は基本的に道が混んでて遠路からスムーズに移動できるエリアでもない。
川崎のラーメン屋は基本的にチャリでいくか、路駐で済ませるとこなのだ。
どうも、需給の観点から「プリコジンよ産業道路にラーメン屋を作ってくれ」と言いたいわけではなさそうである。
とすると、「プリコジンはラーメン屋のおやじが似合ってる」「プリコジンは川崎の産業道路沿いが似合ってる」という漠然とした連想からの発言だろうか。
なんとなくだが、こっちのほうがありそうである。
川崎は最近やたら犯罪都市みたいな扱いされてるが、町工場のおやじこそプリコジンみたいなオッサンはいるかもしれないが、
犯罪サイドで連想するヤクザや若い入れ墨連中のイメージと、プリコジンではだいぶ違う。
川崎のヤクザは最近は経済ヤクザだし(地上げやマンション管理組合乗っ取りやってる)、ラップやったりダンスやったりする若い連中は普通に若い。
あんなプリコジンみたいな強面ハゲで犯罪やってる感じは全然しない。
ときどき見かけるラーメン屋の経営者にしても、年齢は中年まで、スタイル的には半端に若い、イキってそうなイメージであって、プリコジン顔じゃねえだろ、と思う。
そして川崎は町工場がどんどん減っていて、プリコジン親父みたいな人たちはもう居場所がないと想定されるんである。
まとめると、全裸中年男性は川崎を何だと思ってるんだ、という話である。
川崎弄りは総じて、こういうふうに上手くないイジリが多い気がする。
川崎市民の私はよく、横浜市民の人の川崎や他の市を馬鹿にしてくる感じを不愉快に思っています。
川崎「川崎に住んでいて、神奈川って立地がいいなと良くおもうんだよね~。東京に出やすいでしょ。」
横浜「いやw川崎は神奈川だと認めないしwww横浜だけでしょw神奈川県ってwwwww」
川崎「…川崎って京浜工業地帯があるでしょ。横浜と比べたらそういう意味で経済力があるんだからせめて川崎も神奈川県に含めようよ…」
横浜「いやwww横浜だけでしょwwwマジレス乙www」
川崎「ああ・・・あとさ、鎌倉も歴史があるんだから含めてあげたらどうかな・・・」
横浜「歴史とかwww過去を振り返らないしwww」
川崎「」
…いつも思っていて言わないけど「お前が横浜という訳じゃないのによく川崎などを馬鹿にできるな」と思うのです。「いつからお前は横浜代表だったよ」とか、「お前自身が横浜というわけでもないのに『神奈川県は横浜だけ』とか偉そうに抜かしやがって!!神奈川県から川崎を取ったら結構悲惨になるとか知らないで何言ってんだこいつ」とか考えています。川崎が東京に編入したら東京の独走を加速させるのではないのかなとも思える程には・・・
正直言えば、横浜市民の上流意識(笑)も分かりますよ。あの人たちの「横浜に住んでいるからオシャレっぽい」と思っているのは私だって横浜市民ならばなるかもしれませんし・・・選民意識があるのか知らないけど、妙に地元の話題になると偉そうですし。高い土地代払ってまで横浜市民で有り続けたいと思えるプライドの高さには頭が上がりません。脱帽します。
でも、私が個人的に思っているのは横浜市民ドヤはいいけど、他の市に住んでいる人たちに対して「お前ら他の市だからださ~い」というのは筋違いな気がしてならないのです。横浜市民の歪んだ横浜愛をこちらに向けないでくれということです。君たちだけで終わらせろと考えています。元を正せば同じ神奈川県民なんだし、大きく見れば同じ日本人なんだし、だから横浜市民がほかの市民に対して差別的な発言をするのは空気が淀むからやめろと思うのです。横浜がパリほどオシャレ都市であるわけじゃねえだろと、日本にある地点で何となくだせえよって・・・
私は1979年生まれ。東北の田舎で育った。小学生中学生の頃の社会の授業。
京浜工業地帯、阪神工業地帯などが説明された。そのときは地帯は地域よりも広くて、京浜がとてもえらい、その程度に感じていた。
☆
塾講師の話も記憶には多いから、全く気合の入った教師ばかりでもなかったと思うが、その誇らしさよ、誇る気持ちがなくとも
何らの負い目も拠りどころとしての象徴のかけらも認識できない、だがそれがゆえに、今を生きる社会人となったこの私にとって
羨望ではないにしろ追憶と忘却のもやもやに消えていく、その自然なたたずまいにこそ、昭和がバブルが、高度経済成長があったと思えば
こそ、やはり今の世の中はものづくりというものに自信を失い、拠りどころとしようとする抵抗の心が感じ取れるので、そうであっても
やはり当時が満ち足りているわけではなく、足りないものへの憧れやあせり、欲するという心そのものはひとの命をゆがめているのに関わらず、それはほぼあまねく同世代の病気なので、世代論へと還元されていく、その繰り返しの続き続けて終わらないことよ。