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はてなキーワード: 太田出版とは

2015-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20150618173511

じゃあ、出版社として当たり前のことをアタリマエにやったって感じ?

自分としては、採算が取れる限りにおいて、出版したい人は誰でもどんな内容でも出版するのが出版社役割なんじゃないかと思うんだよ。

や、もちろん採算の取れないものも出してもいいけど、企業として「採算が取れないから」等の自社の利益以外の理由出版を拒むのは、

なんつーか、出版社としての分を超えた行為のような気がして仕方がないんですよ。

太田出版なんて、もともとそういう汚れ仕事専門の会社だし、印象がこれ以上悪くなることもないんだから別にいいんじゃね?と思ってた。

2015-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20150618170309

簡単なこった。

落ちた太田出版の評判を元に戻すなら、ラノベ新人賞でも設けてニート君らを大量に踊らせてあげればよい。

賞金200万+アニメ化つき、審査員は今をときめく○○先生、表紙は有名漫画家の○○先生、みたいにやってごらんさいな。

たぶん一瞬で太田出版擁護派が現れます。やらないのはこの本屋さんが頭が堅いせいなんでしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20150618151838

今回の場合はさ、一応結果的にだけど、太田出版が「サカキバラの主張する権利」を守ったわけじゃん。

そのこと自体に対する「よくやった!」的なポジティブ評価はないの?

http://anond.hatelabo.jp/20150617202323

この場合太田出版サカキバラが主張する権利を守り、

お前らは「太田出版サカキバラが主張する権利を守った」ことを批難しているわけ?

なんだかなぁ

2015-06-17

未成年犯罪者の手記の出版を阻止したことがある身として絶歌に思う事

平成代表する未成年犯罪者サカキバラが手記を出版した事が波紋を広げている。

 

本当に大昔の話で恐縮なんだけど、殺人を犯した元未成年出所した後に手記を出そうとして、自分が勤めていた出版社コンタクトを取って来た事がある。もちろん本人が直接ではなくて代理人経由で。本人の名前も顔もわからないし、ただ彼が犯した罪だけは知っていた。世間的にサカキバラほどのセンセーショナルさは無いせよ、自分と同世代人間がこんなことをするんだと当時衝撃を受けたのを覚えている。

 

未成年犯罪者の手記ってのはあまり出版界でも例が無くて、出せば相当売れるのは間違いなかった。

うちは小規模な出版社なのでもし数万部売れればそれはもうありがたいっちゃありがたいし、20万部でも売れれば数年は社長資金繰りに追われなくて済むんじゃないかってぐらいの大ヒット。日本バブルで浮かれる時代はまだ遠い先の話で、当時の小さい出版社は、まさに爪に火をともすようなギリギリの状態でなんとか生き残ってるような有様だったように思う。事実、うちの会社もちょいちょい給料の遅配があって、そろそろヤバいんじゃないかって社員同士でも囁かれてた。

 

そんな時に、出せば数万分は確定するような美味しい出版物の話が舞い込んできたんだから社内を二分して大論争に発展した。

ここで当時の社長っていうか創業者だけど彼の偉いなあと今でも思うところは、零細出版社経営者としては当然出版したいのは山々、しか判断自分以外の社員全員の多数決に委ねたってところだ。「こういう話が来ているけれど大変デリケートな話なので、皆さんの判断に委ねます」と一言だけ朝礼で言って、結局議論には全く関わらなかった。

 

そこから約一ヶ月、社内を二分して大激論が交わされた。社長が朝礼で「この件に関しては先輩後輩上司などの立場は無くして、出版に関わる一人の人間として対等な立場議論してください」と釘を刺してくれたお陰で、当時下っ端だった自分も遠慮なく発言することができた。こうやってキーボードを叩きながら社長の言動を思い返してちょっと涙が出て来る。天国で元気にやってますか?

 

出版賛成派の理屈は大まかに以下の二通り。

  • 世間ほとんど公開されない少年犯罪者の言動を伝える事に意義があるのではないか
  • うちの経営状況をみんな知っているだろう、これは起死回生の一発になる

 

自分も属していた反対派の反論は以下。

 

 

結末はどうなったかタイトルの通り、出版しないという結論に至った。多数決はなんと全員が出版反対だった。無記名で紙に賛成反対と書く投票形式だったから他の人の目を気にして反対にしたとかじゃない。賛成派も反対派もみんな納得して一つの結論に至った希有な例だったように思う。零細とはい出版人としてのプライドがそうさせたんじゃないだろうか。

絶歌を出版した太田出版の言い分がサイトに上がっていた。白々しいし、軽薄だ。ここで私が声を大にして言いたい事は、中小出版社が口にする「出版する事に意義がある」という決まり文句ウソってことだ。そんなもの存在しない。

 

彼らにとって、10万部という数字は涎が出る凄まじい数字だし、つまりそれ以上でもそれ以下でも無い。出せば売れるのが間違いない話が舞い込んできた、出版は確定、さあどういう理屈を後付けしよう。そんだけのこと。言論の意義とか大仰なことは単なる化粧だ。本音はそこじゃない。売れるから出す。出す事によって起る諸々の波紋はオタクさんたちで解決してくださいねっていう無責任な態度にしか過ぎない。

繰り返すけれど、太田出版未成年犯罪者の手記を世に出すことが社会的な意義があるなんてこれっぽっちも思ってない。そこは断言できる。遺族が何を思おうと、サカキバラを神格化する精神破綻寸前の今10代の少年少女にどれだけの悪影響を与え居ようと知ったことじゃない。売れる。だから出す。それだけ。 

 

僕らの例はたまたま阻止できた。でも本当にたまたまだと思う。もっと経営が苦しくて、そして社長独断するような人であれば間違いなく出版されてただろう。

 

この話に特にオチは無い。私の意見特に無い。以前あったことをありのままに書いただけの話。読んだ人がどう思うかは貴方に委ねます

『絶歌』の出版について

サカキバラ自身に対する反応はともかく、太田出版に対しては「オマエの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」の類似案件なんじゃないの?

2015-06-16

ワナビー

ワナビー極致サカキバラ。

注目されたい、ビッグになりたい、何者かになりたい

それを人殺しでねえ……

太田出版はその手助けをねえ……

ふぅん。ふぅぅぅーん。

2015-06-12

酒鬼薔薇の本

レイプ魔が犯行ビデオ売って金稼ぐのと変わらん

一番ゲスいのは犯罪者を利用して儲ける太田出版だけど

まぁ資本主義社会じゃ儲かりゃ何してもいいんだろう

酒鬼薔薇コピー本にして手売りすりゃピンハネなしで丸儲けなのに

直筆サイン付けて売ればプレミア付きそう

2015-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20150611192553

え?俺は太田出版から出すっていうのにすごく納得したんだけど。

完全自殺マニュアル会社でしょ?

サカキバラの手記を出すのにこれ以上ふさわしい会社ってなくない?

http://anond.hatelabo.jp/20150611173115

だってフツーの冴えないオッサン(≒ネットユーザの大半)が太田出版

生活苦しいんで本出して10万部刷って印税ください」って言って通るわけないじゃん?

いい子ぶりたい人は「犯罪加害者にも出版の自由はある」とか優等生みたいなこと言うけど、

フツーの冴えないオッサンにはそんな権利は実質存在しない。

でもあの元少年にはその権利がある。

そりゃ「なんで犯罪者特権があるんだ!」って叩かれるよな。

酒鬼薔薇基地外だし、ヨメも大概だろう。


しか出版社は、そうはいかないだろう。

社会的に大きな事件だった。

その犯人の手記を発売し、主張を社会に流布し、金を儲けさせ、金を儲けた。

その一連の事象説明責任はあるだろう。


酒鬼薔薇と嫁は、まったく他人ごとのようなキレイ事の思い出話で、

金を儲けて、マンションの頭金にでもする気かもしれないが、世間はそうは許さない。


本当に懺悔気持ちがあれば、補償にまわすだろう。

出版社社会の公器として責任を果たせ。

出版社利益から、遺族に補償に回せ。


直接の遺族でなくても、怒りはある。

義憤社会正義は、まだある。

少なくとも太田出版は、社会の疑問に答える義務がある。

太田出版

『絶歌』を出す太田出版って結構大手だよね。

好きな漫画かなりあるからショックだわ。

絶歌。

神戸連続殺傷事件加害者酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aの手記。

遺族感情を踏みにじる内容だとして、遺族側はなぜか出版差し止めを求めているそうだが、書店での売れ行きは好調だという。

かくいう僕も読んでみたいと思っている。

殺人犯しか書けない、生々しい物語が綴られているかと思うと、食指は止まらない。

手段としての殺人ではなく、あくま殺人のものを主目的とした殺人

僕のように、殺人願望を抱えながら実行に移さなかった者と、実行に移してしまったモノとではどう違うのか。

興味は尽きない。

終わったことをウダウダと言う遺族の言うことな無視して、

太田出版強気姿勢を貫いて欲しい。

2015-03-15

自殺出来なかった

自分自身能力の無さとかメンタルの弱さで周りに迷惑を掛けまくっているのできっぱり死んでしまった方が良いなと思い、遺書を書いて実家を出た。

最後の晩餐にはラーメンが良いと思い、いつもは二郎系ばっかり行くのだが幸楽苑に行った。極旨醤油を頼んだが400円ならもっと美味い所があるなという感想だった。

衝動的な行動だったので、コンセントを結んでバッグの中に入れては来たが他に何も準備していなかったという事に飯を食ってから気が付いた。

完全自殺マニュアルは前から気になっていたし参考になるかもしれないと思い、色んな本屋を探してみたが何処にも無かった。同じ太田出版から出ている似たような話題の本はあったので読んでみたが、自殺に掛かる金の話しかなくどうでも良かった。

最終的にはやむを得ずネット情報を元にする事にした。

誰もいない田舎死にたいと思い、電車で移動していたのだが、地元高校生の姿を見て余所者が彼らに迷惑を掛ける訳にはいかないなと思い、戻ることにした。

そんな訳で某駅のトイレに着いた。が、綺麗なのは良いけれども赤外線センサーが身体に反応してしまうので非常に怪しまやすい。色々探し回って和式トイレが良いなと思った(この時点で別駅にいる)。

さて、いよいよ現世ともおさらばだと思ったのだが、どうも上手く締まらない。長さを調節したりして頑張っていたのだが、結局頸動脈圧迫まで行かなかった。ベルトで自分の首を締めた時は上手くトベたんだが。

長い間トイレに篭っていると怪しまれるかもしれないのでやむを得ずトイレを出た。

この時点で死ぬ気が大分失せてしまった。もっと手軽に死ねると思っていたので甘さを実感した。どうしようもなく彷徨っていたが、しょうがないので本屋に行って時間を潰そうと思い、適当新書を手に取った。科学読本のような物だったが、存外面白かった。

かつては俺にも大学研究したい事があったのを思い出した。もう一度追いかけてみたくなった。全く身勝手である

結局のところ今の俺は親の穀潰ししかないのだから早死するに越した事はない。それにもう一度自分無能力に裏切られるだけだろう。それが分かっていながらのうのうと生きようとする自分は本当にクソ人間だ。

ただ今は自殺活力が失われてどうしようもなくなってしまった。生きたくねえっつってんだろ、頼むから現世に希望なんか持たせないで自殺させて欲しい

2012-07-06

私がオタキングexを辞めた理由 その2

http://anond.hatelabo.jp/20120706010047

の続き。

-----

私がオタキングexを辞めた理由 その2 岡田斗司夫人格

岡田斗司夫は「面白い人」かもしれないが、「いい人」では断じてない。

過去の著作やイベントに参加してきてそれは知っていたが、それでも敢えて私はオタキングexに入った。本人が言うとおり、exというシステムを立ち上げたが最後、後戻りは極めて難しい。なので、自分はそれなりにファンをやってきたこともあって、そうした酔狂に付き合ってみようと考えた。

ところが2010年3月オタキングexに入ったとき、驚いたと同時に「これはまずい」と思ったことがある。岡田斗司夫の旧知の編集者exほとんど入っていなかったのだ。厳密には一人だけいたが、彼は12万円も払わず個人的な事情もあって、除籍扱い、つまり「いなかったこと」にされてしまっている。

それ以外の編集者もいたが、付き合いが短い人ばかりだ。ダイヤモンド社編集者2人はex設立前の取材で意気投合して入社したことになっているが、バベルの塔にもほとんど書き込みをせず、2年目は当然ながら契約更新しなかった。今のところプロ編集者exに在籍しているのは1人だ。

最大のヒット作である、「いつまでもデブと思うなよ」を担当した新潮社出版プロデューサーは?あるいは過去に本を色々出した太田出版は?マンガ夜話アニメ夜話をあれだけやったNHKは?12万円は負担かもしれないが、1万円で済むクラウドシティなら自主的に入ってもいいはずだ。今ならメディア関係者はタダだ。

これについてはバベルの塔内で本人に問い詰めたことがある。「クラウドシティ編集者とか入ってないじゃないか」と。本人は「これから新しく仕事をするマガジンハウス幻冬舎の人などは入る(入っている)」と言ったが、私が言いたかったのは「なぜ、過去仕事をしてきた人が入っていないの?」だ。実際、クラウドシティには未だに新潮社の人、あるいは「遺言」の筑摩書房の人も入っていないはずだ。

さらに付け加えると、現在、対外的な露出で一番重要仕事であるはずの、週刊アスキー朝日新聞担当者クラウドシティに入っていない(ニコニコ動画担当者は入っているが、やりとりはex担当者と先方とでやりとりしており、クラウドシティには「いるだけ」だ)。

仕事クラウドシティ市民が見える形にガラス張りにするという原則があるはずなのだが、それが徹底されていない。ただ、これは本筋ではないのでいいとする。今までと仕事のやり方や接し方が変わることを考えたら、誘わない方が面倒は少ないので。

問題は先方を誘わないことではない。「何で向こうから自主的に入ってこないのか?」だ。

今後の付き合いということを考えたら、編集者にとっても岡田斗司夫と何らかのつながりを持っておいたほうがメリットはあるはずなのに、新規で本を出す出版社以外に、手を挙げてクラウドシティに入ってくる人は一人もいない。

なぜか。その理由は簡単だ、岡田斗司夫が「面倒なヤツ」で、積極的には付き合いたくない「イヤなヤツ」だから

器が狭くこらえ性がないのに、他人が自分に対して寛容であることは当然だと考え、人には耐えることを強要する。自分には甘く、他人に厳しい。過去の言動を見る限り、言っていることは面白くても人生目標たりうる人物には到底なりえないし、仕事以外では積極的には付き合いたくない。

昨年から、(表向きは)クラウドシティ経由でしか仕事を受けつけないようにしたことで、さらに面倒な人になってしまった。ギャラがタダでも「仕事はタダで引き受けます、でも、やりたいことしかやらないし、そのためにはこのやり方でないとイヤだ」、と言われたら、掲載についてポリシーを持っているところほど交渉の余地は少ないし、一緒に仕事をしたいと思う人はいなくなる。

大体、小額であっても、原稿料なり出演料を払うのは、最終的な責任編集権・編成権は掲載・出演させる媒体にあることを明確にするためでもあったりする。ギャラを一切もらいません、というのは相手がそうした責任を負えない存在になりますと宣言されることで、相手からすれば困ることだ。

こうして岡田斗司夫は自らメディアにおいて出演が望まれざる人物になっている。自分の考え方をより広めるために始めた団体なのに、その対象を狭めているのはどうなのか。

個人的に失望したのが、2011年8月関西定例会で本人が「この組織は誰も仕事しなくても、あるいは残らなくても、私さえ残ればいい。だから、私の目的を達成するための近道はみんなが文字起こしをやることだ」と言ったことだ。

ある目的があって、志半ばで倒れるのは仕方がないかもしれないが、堂々と「お前ら捨て駒になれよ」と言われるのはたまったものではない。

また、イベントなどレジュメがある話を文字データ化するのは意味があるだろう。でも当時、本人は本人が話した他愛のない話を含めた全ての音声を記録した上で、文字データ化しろ、と言った。そこにかかるムダな労力についても、「お前らに仕事をする権利を与えよう」とでも言わんばかりだった。

出版社編集者はこうしてできあがった膨大な文字データ社員と一緒に拾集めれば書籍になる、とも本気で信じていた。音声データを文字化すると同時に何がそこに書かれているかを整理する方針も決めていないにも関わらず。

こうした言動が示しているように、岡田斗司夫は人を使い捨てすることに全く躊躇がない上、自分はそうする権利があるとも考えているし、実際オタキングexもそういう仕組みになってしまった。

岡田斗司夫自分友達はいなくて、仲間はいるというのが口癖だが、私は「仲間」すらいないと認識している。いるのは自分にとって「都合がいい人」と「そうでない人」。あるいは「仲間」=「自分にとって都合がいい人」。そう考えると、岡田斗司夫の行動原理は分かりやすい。

これらは全てDAICONフィルムガイナックス時代から繰り返してきたことなのだろうが、齢50を過ぎてなお、過去とやってきたことから変わっていない。

本人からすれば「ずっと同じ人と何かを継続していくのが苦手なんだ」と言うのかもしれないが、そうやってその都度仕事相手やファンを切り捨ててきたことで自らの評価を下げ続けてきたことは理解していないのだろうか。あるいは、もうすでに新しいファン・読者層を開拓する余地は少なく、新規開拓=レッド・オーシャンだということも。

信じられないことに、こんな人がこれから「いい人戦略」の本の著者になろうとしている。本人が「イヤなヤツ」だからいい人戦略を採ろうとしているにしても、exクラウドシティでとっている行動はその戦略からはほど遠い。しかもその本は本人の講演を社員文字起こしして、社員執筆するものだったりする。そうした本に説得力はあるのだろうか。

そして何より、本を出す出版社の方々はこうした事情をご存じなのだろうか。

続く。

2012-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20120318151021

フランス書院のような

>誰でも釣られるような話題

 

これはフランス書院作家に対して失礼だ。

増田を適切に表現するとしたら、たとえばこうだ。

 

太田出版のような

誰でも釣れそうな話題

2008-07-08

猿ベージ

http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法岩波書店

アレント全体主義起源みすず書房

ウィトゲンシュタイン哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎『風土』岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル『白鯨』

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心』

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様』

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械』

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成『雪国』

折口信夫死者の書

太宰治『斜陽』

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥『小説神髄』

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎『日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神

吉本隆明『転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20080313030006

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル『精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義の精神』岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー『精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット『政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波書店

アレント全体主義の起源』みすず書房

ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン『精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像の共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎風土岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル白鯨

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル『嘔吐』

ジュネ『泥棒日記』

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集』

ベルダーリン『ヘルダーリン詩集』

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集』

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集』

ツェランツェラン詩集』

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ文学空間』

日本文学

二葉亭四迷『浮雲』

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村『破戒』

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房『砂の女』

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集』

吉岡実吉岡実詩集』

坪内逍遥小説神髄』

北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神』

吉本隆明転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2006-12-17

AKIBA FUTURE -オタサイト秋葉原

はじめに

秋葉原現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェアコンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェアハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。

この記事は、秋葉原歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。

1 電脳都市秋葉原誕生

電気屋街としての秋葉原歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前秋葉原にも山際電気現在ヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生ラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。

この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野新橋渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原国鉄都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。

その後、GHQにより道路拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器テレビ冷蔵庫洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原電脳街となるのである。

2 オタク層の流入??趣都の誕生

秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタク聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。

秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌アニメグッズ、ガレージキットフィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原移転するまで吉祥寺渋谷新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャーショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。

3 社会最適化されたオタク??個のオタクから公のオタク

批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメ物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語メッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生ミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。

東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語アニメにおけるキャラクターロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」

この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティコミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクター好み、そうしたキャラクターが登場するアニメゲームガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術進化趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。

オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。

しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。

秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタク情報家電親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブパソ通などで、一部のオタクBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチ趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。

「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。

4 個の聖地秋葉原??インタラクティブ都市としての発展

秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバbloghttp://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在秋葉原オタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。

高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在秋葉原は評価されるべきだろう。

参考文献

「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹

http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm

秋葉原歴史

http://www.akiba.or.jp/history/index.html

オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php

伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

秋葉原におけるメイド喫茶コスプレ喫茶歴史

http://sotokanda.net/his_cafe.html

註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。

コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博

カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介

動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 幻冬舎 著者:森川嘉一郎

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