はてなキーワード: 地縁とは
サンプル数が少ないので、傾向といえるかどうか微妙なところですが、ここ20年から30年の間にできた新興住宅地でのお葬式について書いてみます。
このパターンが多いです。地縁が強いわけでもないので、町内会レベルだと町内会長さんがあとでその事実を知ってお参りにくるくらいの付き合いなのかもしれません。
家族と身近な親族のみで行うと、お香典のやり取りも省略され、見栄とは無縁の葬儀になります。
大きな花輪が出ることもないですし、広めの葬儀場でポツンとみたいなイメージになります。
子供の会社関係者や子供の友人には知らせずにそっとしておく傾向があるのではないかと思います。この対応で参列者はほとんどいなくなります。
80歳以上の高齢者の場合、友人や元会社の知り合い、兄弟がすでに他界していることが多いです。なくなった故人は、そのような人たちの葬儀にはいったのに、自身が亡くなったときには、関係者は身内のみしか生き残っていないことがありえます。
となると、葬儀に参列するのは主に子供と孫ということがこれから時代、増えていくのではないでしょうか。
地縁が残っている農村くらいになってしまったかもしれません。自宅の広間と仏間をぶち抜いて葬儀をするとなると、いろいろと人手がいります。
そのような互助ができる素地がないと難しいでしょう。
かつて地縁があった商店街では、店を閉めてしまい、それだけの盛大な葬儀を出す余裕がないと思います。現役の会社経営者のような人たちはまた別でしょう。
周囲のカップル及び自分はほとんどがネットで知り合って付き合ってるという文化圏の人間だけど、趣味があまり一般的じゃない、もしくは一般的であっても熱中度が高い者同士であるという共通点がある。
わざわざネットで出会いを探そうとしてるわけではないけど、職場や学校には共通の趣味を持ってる人がそんなにいないのでネットで同好の士を探す→共通の趣味で一緒に盛り上がることができると親しみを感じやすいので交際に発展しやすいだけだよ。
地縁・環境に縛られないと年齢差があっても知り合う可能性が高くなるから、地縁ベースに比べて年齢差カップルの比率が高くなるというのは確かだろうけど、年齢差がある相手を探したいからネットで知り合ってる訳ではない。
全て因果関係が逆。
なんでわざわざ「交際相手を探すために……」みたいな発想になるのか分かんないけど、身近に趣味の合う人が見つかりやすい人にとっては、趣味について語り合う相手を探すのに一手間かけるっていうこと自体が想像できないんだろうな。
そこまで手間をかける気になるのは交際相手を探すためぐらいだよねって思ってるんだろうけど、それ以前に共通の話題で盛り上がれる友人を作りたいだけでも、ネットを使わないとなかなか見つからないという人種もいるのです。
注目を浴びている?のかよくわからないが、今日は夕張市長選の投開票日。
各候補者への個人的な印象を書いてみる。
郵政選挙と呼ばれた第44回衆議院議員総選挙で地縁のない北海道10区から刺客として出馬。だが刺客の役割を果すこともなく、かろうじて比例で当選。
翌第45回衆議院議員総選挙では比例で優遇されず大差で敗北。結局1期で終わる。
いったいこの人が議員として何をしたのか、まったくもって不明。
市職員や一般市民と対立しゴタゴタを起こすようなタイプに見受けられ、有権者としてはダメ元・発狂覚悟での投票が必要。
これでも候補者の中では一番まともな印象を受ける。
若さ故に、年長者を尊重しつつ、自分の意見を申し述べることが出来そうな予感あり。こっちこちに凝り固まったジジイよりはマシ。
東京都の支援協力をどれだけ受けることが出来るか現段階では未知数だが、東京都と言うコネを持っているだけ有望。
何が出来るのかよくわからないオバさん、単なる地元のど素人、普段何をしているのかわからない選挙マニアの3人と比較すれば、
同じように見えてこない若者ではあるが、まだ若いだけ望みがあるような気がするなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110329#p1
まあ、これは医療という立場から踏まえた合理的な考え方に基づくものだから、差別をすべきではないというのは正しいかと思う。
トリアージは差別になるだろうか、と言えば、私は差別になると考える。合理的差別だ。
救うべきものと救えないものを分類し、スクリーニングにかけるということで、より多くの命を救えるのだから、これはやむを得ない。記事も、「不要な」と前置きしてスクリーニングを否定していることを読めば、必要なスクリーニングはあるという考えが見えてくるだろう。勘違いしてはいけないのが「スクリーニングすべてが不要」ではないということだ。そこを誤解しているブコメが幾つか見られる。
「差別を許容することによって自分が差別される側に立たされるリスク」とは、差別の語の前に不要な、を補うのが望ましい。しかしながら、合理的差別のそれも、こうしたリスクを孕んでいることは疑いない。言ってしまえば戦争状態である。
「差別を許容してはならないのは、そのとき差別される人のためだけではなく、自分のためでもある。」というのは、「もし自分が差別される立場に立つ可能性」を踏まえてのものである。そうしたことを慮って差別しないこと、即ち賢い人であるというのは、恣意的な操作ではないだろうか。
また、これすらも医療の立場からの提言であり、一般的な差別全般に対しての言ではないということも注意したい。
さて、記事自体からの引用はさておき、これから差別全体について、合理非合理を交えた私なりの考え方を該当ブコメからの引用を取りつつ述べることにしたい。
Apeman 「しかし、差別を正当化する代償は安くないと私は考える」 構造的な差別についてはマジョリティにとってその代償が極めて安くすむのがこの社会の問題。
構造的な差別、というのがいかなる差別に当たるのか私は誤解しているかもしれないが、ここでは社会的差別ということに換言したい。
つまり社会構成員としての人間が、構成する社会から言わば「空気」のようにのしかかるものだ。例えば、容姿差別、性差別、学歴差別、年齢差別がこれに当たる。
今四項の差別を例示したが、前二つは先天的なもの、学歴差別は後天的な物、年齢差別は漸進的なものである。社会的に合理性をもって正当化されるのは後ろ二者で、前二者についての差別も深刻ではあるが、後者ほど合理的ではなく、日進月歩で改善も見られる。とはいえ、まだまだなのが現状だ。後者に至っては、半ば当たり前というか、「しかたがない」というような意見を耳にする。特に、企業の採用活動などを見るにつけ、それは顕著である。また、学歴差別、年齢差別のメタなものとして「知能差別」が挙げられよう。つまり、「バカは黙れ」「老害はとっとと死ね」の類である。はてなでもここらへんの差別には寛容で、ブコメでは毎日のようにバカに対する差別で賑わっている。
ここに見られるのは慣習的な使い方の「自己責任」が背景にあると思う。性差別などは先天的なものであり、それを打破するのも頷けるが、学歴差別は言ってしまえば「努力の結果」による側面が評価されがちで、できなかったのは本人のせいだ、と抑圧される。簡単な例としては、新年の銀座の福袋を確実に欲しいなら、朝来るのではなく前日前々日から並べば良い、手に入れられなかったのはそういう努力を怠ったからだ、というわけだ。他にも花見の場所取りなども似たようなものだ。要は、ある集団に序列を与えて、その上にいる人ほど大きな恩恵を与えるべき、ということである。これは、集団の下の方への保障の仕方によっては「逆差別」と言われることもあり、非常に難しい問題である。
Sinraptor 差別, 原発, 災害 今後汚染地域に住む人々が、結婚差別などにさらされることも考えられ、些細な事項であっても差別は許容しないという姿勢が必要だと思う。
まったくもってその通りであるが、これは地域差別の問題にも直結している。つまり差別する側が地縁を事由に差別される可能性は体感的に低いのである。
だいたいの人間は相手に見られたとき、悪くても「何処の馬の骨」で、評価はゼロが最低なのだ。しかし、地域が被差別になるとこのゼロがマイナスになる。非合理的な差別はだいたいが不安感情に由来する。正負の乗算が負になるように、相対的に自分が上だと分かってしまうと、それより下のものを「穢れ」として退けたくなるものなのだ。だからこそ差別をしないというのは理性的なものだし、差別をするのは本能に因るし、だから一部のはてなーは例外なく知能差別を(ry
uchya_x しかし、ここは再三差別発言を繰り返している人物が首都の知事に三度も選出されている国でもある。今度も当選するようならどうすればいいのやら。 2011/03/29
これは実はなかなか面白いもので、差別をする人の中にも「政策の支持を得るもの(優れているわけではない)」とそうでないものの二者がいて、石原慎太郎というのはこの前者に価するのではないかと考えている。つまり、差別はするけど仕事はする人として評価されているのだと思う。
リヒャルト・ワーグナーという作曲家がいるのはご存知だと思う。彼の音楽は世界で評価されているが、彼の人間性はあまり「できた」ものではなく、そこはwikipediaでも見てもらえればいいが、今でもワーグナーを支持すること、演奏することがタブーな国もあるのだ。仕事の出来と人間性に相関があるわけでもないので、いい仕事はいい仕事で評価されれば良いのだが、世の中にはそれすら禁忌なところもある。清廉潔白であるなら望ましいが、万人が聖人というわけでもないし、聖人なら仕事ができるという話でもない。
ちなみに私自身は、前都知事選では政策において石原より秀でたものはいなかったと思っている。浅野史郎はちょっといただけない(これはあくまで私の価値観だし、東京にいないので関係もないのだが)
parallel-world 社会, 差別, 医療, 災害 差別する者は損得計算のできない者だと考えている。 2011/03/29
全称的にそう言い切れるとは思わないが、一部の差別主義者は権力を得るに連れて差別思想を暴露する傾向にあるように思う。つまり、権力の高みに登るに連れて「ちょっと落ちただけでは死なない」ように思い、ネット普及前までは特に深く糾弾されるようなこともなかった。今では「バカの可視化」としてそういう発言も多くに共有されるようになり、発言リスクも高まったように思うが、それ自体は化粧のようなもので、内心に差別心を抱く人が減るという話でもないことは心したい。
概括すれば、人間というのは不完全なのだから、差別心を持つ事自体を止めることは不可能である。私たちのこの「差別をしない、あるいはするな」というのは翻ってみれば「不謹慎」と同種の圧力を産む。そしてそれは正義の刃として受け止められる。
差別については、突き進めば個々人の心がけにしかなりえないだろう。それを享受するメリットを限りなく最大化し、多くの人間がみずから進んで、快く、差別をしないよう心がける環境を醸成するのが、最善であると私は思う。
7大コネ
コネの代表格。最近ではホワイト度が高い会社ほど、使えないコネ。むしろ嫌われるコネになりつつある(使えない所もかなり多い)。但し、とにかく信用第一、安全第一な業界の場合は超鉄板。例えば、覚せい剤を取り扱う業務や、検査関係の業務の場合は、安全第一で人材を求める傾向がある為。コネというよりも五人組的な縛りを期待されている。入社後はコネに縛られる事が多くなる。転勤など断りにくい状態になる。
工場の周辺の住人などが、工場側の近隣対策的なことで採用される。工場としては障害者雇用と並び頭の痛い話。又、騒音や異臭などで周辺自治会や自治体との間の協定などで決まっていたりする場合も。他に、高卒では入社出来ない会社でも、地元高校の成績TOPだけが入れたりする場合もある。このコネが地域にオープンになっている場合は問題は無いが、特定の親族だけが利益を得たり、特定の人物の紹介状が必須だったりといったダークな一面もある。入社後もコネの威光は強い。
教授の一声で決まるプラチナコネ。OBからホンネを聞き出せていれば最強。教授の人間性によっては、たんに不人気企業への人身売買となる場合もあるので注意。入社後はコネに縛られる事は無いが、困った先輩や後輩がいると同一視されがち。
知人系(たんなる知り合い):
血縁には劣るものの、紹介者のパワーによっては影響力が大きいコネ。紹介者のパワーに左右されるので、最悪、コネでゲタを履いていたと思っていたら、毒物を背負わされている場合もあるので注意。入社後は、コネに縛られやすい。
入社希望の会社の内情を細かく知っている、もしくはそこの社員が、面接に有利に働く情報をくれる。例えば、英語をしゃべれます。というだけでなく、通販で細かい仕様を打ち合わせて、自分用にカスタマイズした機械(ラジコン)を輸入したが、希望のものと違ったので、電話でクレームを入れた後、返品の手続きを進めた。というエピソードを入れろだとか、顧客に接する時の心構えとして、社内で口酸っぱく言われている事を、ちょっと言い換えた形で、自分も心がけているようにしているだとか、人事部がどういう人材を求めているかは掴めないまでも、会社の中で求められる理想像のようなものを提供してくれる。面接でかなりリードできる。
コネというと何だかズルい響きがあるが、ようは人脈ということ。
企業は、学歴や成績は書類で解る。しかし、人間性、性格、信頼度などは面接で見るしかない。しかしコネがあれば、コネを通す人間の面接に合格しているのと同じ事。その人間の保証が付いた状態であれば、成績なんぞ多少悪くても問題無い。
中国人は血縁の結束力は強いが、他に対しては出し抜くことばかり考えているという。その源流はどこにあるのでしょうか?中国文明のなんで?
中国人の身内での結束力と、身内や親しい人以外に対しての割り切り、非情さ。その性質を巡って中国人に対する評価が、大きく分かれているように思います。
それを解く鍵・キーワードは、「幇」(“パン”または“ほう”)という言葉にあるようです。
縦軸(血縁のつながり)として父系集団としての「宗族」があり。
横軸として仲間や連帯の契りを結んだ「幇」がある。
宗族についてはとりあえず、 「中国社会の基本構造:宗族と祖先崇拝・儒教」を参照してほしい。ここでは、主に「幇」について調べてみたい。
みなさん「幇」ってご存知でしょうか?僕なんかどうも青幇・紅幇なんかの秘密結社?とかを思い出してしまうのですが、どうも中国人至るところ「幇」ありという感じらしい。
華僑は「幇(パン)」という同郷同胞の連帯組織を作り、相互扶助を行う。
「幇(パン)」には次の2種類ある。
・郷幇(きょうばん)……籍貫(しゃくかん)(=出身地)に基づく地縁的集団。会館(同業・同郷・同族者らが集会用に異郷に建てた施設)、義塚または義山(共同墓地)、学校、病院などを建て、相互扶助を行う。 主な郷幇は、福建幇、潮州幇、客家幇、広東幇など。
・・・地域生活や仕事の共同組織としてかなり生活に根をおろしている様子がうかがえます。
★では「幇」のつながりとは、具体的にどんなものなのだろう?小室直樹先生によれば、中国人の「すべての人間関係」という集合を考えると、この集合のなかにごく一部の「幇」という部分集合をつくると、すべての人間関係は、「幇」とそれ以外に分けられるという。
さて「幇」と「幇以外の人間関係」の違いとは――。
ちがうのちがわないのって、根本的に違う。天地雲壌の違いである。幇内の人間関係たるや盟友も盟友、絶対的盟友である。死なばもろともである。勿論、いくら借金したって証文などごうりも必要としないことは言うまでもない。
典型的な「幇」の結びつきの例として、三国志の三人の結びつきについて述べている。
劉備、関羽、張飛、の三人は、以前からずっと見知っていた訳ではないし、血を分けた兄弟でもない。しかし、ひとたび桃園で義盟を結ぶや、実の兄弟なんかとは桁違いに固い契りの義兄弟となって、ここに劉備・関羽・張飛の三人幇、三人組みが成立する。
こうなってしまったら最後、彼ら三人のあいだの契りがいかに固いものか。
彼ら三人のあいだでは、利害、争いから完全に自由であり、絶対に信頼でき、完全に理解しあい、そして生死を共にする。まことにそのとおり。一点の疑点もない。これが幇(幇会(パンフェ))内の人間関係である。
なんと、生死まで共にする関係。確かに日本ではこんな例は聞いたことがない。
では幇外に対してはどうなる?
幇内の人間関係は、まことに生死をともにするものである。では、幇外の人間関係は、どういうことになるのだろうか。
ひとことでこれを言うと――。
何をしてもよろしい。窃取強盗ほしいまま。略奪、強姦、虐殺・・・・何をやっても少しもかまわない。いや、かまわないどころではない。それが論理であり、それが道徳である。・・・・・
よく知られているところでは、かっての古代ベドウィンの民。砂漠の流浪民なのだがチャンスがあれば、隊商でも村落でも、ほしいままに略奪し、虐殺し・・・。こんなこと、古代ベドウィンの倫理・道徳では、少しも不倫でも非道でもない。全くもって、倫理的・道徳的な行いそのもの。
中国の「幇」は血縁以外の人々が、独自の強力な規範と仲間意識をもって、“義”で結ばれた男集団を形成していることが特徴だ。
起源として考えられるのは、ベドウィンの例に見られるような、父系集団の強力な自集団正当化の観念を、仲間世界まで応用して横軸となしたことではないだろうか。だから、他集団に対しては容赦なく略奪・強姦okになる。(日本で言えば、“盟友の誓い”とか近いかも。どちらかというとヤクザの規範に近い。)
これが、冒頭の疑問“身内に対しては結束力がつよいが、外に対しては出し抜く”という日本人の中国人評となる。彼らの集団規範からすれば、ごく当然の行為なのだ。
従って単純に中国人は、個人主義が強いなどとは言えない。「宗族」と「幇」は、ある意味強烈な集団主義だ。ただ、日本や欧米には存在していない点が分かりにくいのだろう。
(by Hiroshi)
8月18日11:50
コメントありがとうございます。一部修正しました。
なんとかはなりますよね。建設的な心配をしながらやっていこうと思います。
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来年から東京で就職することが決まった、学生最後のお盆。実家に帰って考えたこと。
この時代、地方(北陸の片田舎)には仕事が無い。いや無くはないが、大学院まで出てやる仕事は非常に少ない。
なにしろ2ch上の地元就職偏差値なるものを見ると1位が県庁なのだ。県庁は大事な仕事ではあるが、あんな閉鎖的・官僚的な仕事は先がない。もちろん就職に関して偏差値などという概念は重要じゃないだろう、見栄でしかない。ただ、見栄というのを否定する人が多いけれど大事なものである、ぼくは人並みに見栄っ張りだ。ほかにも中小の優れた技術を持つメーカーがあっても、大手メーカーの下請けであったりと、鶏口というよりはむしろ牛後に近い。さらに景気も悪い。自分で仕事をできるだけの度胸も能力も資金もない、市場も限られている。
というわけで大半の人間は勤務地が東京か大阪に本社がある会社に就職する。
昨今の就職難を見ていると内定がもらえるというのはとてもありがたいことで、一部の人間を除いて選ぶ余地も少ないし文句を言う筋合いはない。
この時世、大企業でも終身雇用の安定など望めないが、スキルや経験を身につけ、当面食べていくためには大企業はそこそこの選択だと思う。ここは異論がたくさんあると思うが、本稿の趣旨と違うので省略。
さて、東京で就職するとどうなるか、エンジニアの薄給と、東京での高い生活費、教育費により、子育てをするなら共働きが必須だ。転勤については覚悟しているけど、フクザツになるので本稿では踏み込まない。また子育てをしないならば専業主婦を養う意味は薄い。恋愛でいいじゃん。もうひとつ終身雇用が望めない現在、リスクヘッジとしての共働きは重要だとも思っている。
類は友を呼ぶ、という経験則により、僕はおそらく東京生まれ東京育ちの洗練された女性とは結婚できないだろう。印象でしかないが、怖い。引け目を感じる。もし、万が一結婚できるとしたら地方出身の子な気がする。できれば同郷だといいな、とは思うがさして重要ではない。
仮に地元以外が同じ条件の女性がいたら同郷を選ぶというていどの意味。むしろ同郷という縁は話のきっかけになりやすく、つながりやすい、というのはあるだろう。
一度、整理してみる。
ここまでの論理は恣意的なものも多いが、これを一つの前提として扱っていただければ幸いである。
ここで、親戚や地域のコミュニティと無縁の東京で、果たして共働き子育てが可能なのか、という問題が浮かび上がる。
保育園の入園待ち、子どもの世話、特に急病時の対応、急な残業、出張などさまざまな問題がある。そして、聞くところによるとどうやら日本の企業の多くはこうした対応のために職場にフルタイムでいられないことを好ましく思っていないようだ。
私の両親も共働きであり、手間をかけさせた。しかし、たいていの場合は保育園、土日に仕事が入っているときは1kmほど離れたところに住んでいた祖母が預かってくれた。友人宅でご飯をいただくこともあった。血縁・地縁のコミュニティニ育てられたと言ってもいいだろう。
こうした支援を得られずに、共働き核家族で子育てできるのだろうか。見知らぬ街で頼れる人もいず、やっていけるのだろうか。最近は育児支援の草の根NPOや地域の互助コミュニティなども生まれているようだが、いかんせん規模が小さい。
国や企業の問題と言うより日本の文化の問題だと思う。まあ、文句を言うのはたやすいけれど、文化を変えたり、あらがうことはとても難しい。
このままでは子育てや将来に大きな不安を抱えたまま社会人になることになる。社会に出れば視野も広がり解決策も見えてくるかも知れないが、当面の不安を解消したい。
実際にこのような状況に直面している方はどうしているのだろうか。
もしなにか経験談やアイデアがあればぜひシェアして欲しい。そう思って初めて増田に生意気な文章を書いてみた(取らぬ狸の皮算用であり非リアの妄想なのだと思うけれど・・・)。
一般的な問題と個人的な課題を混同した散漫な文章失礼しました。
結婚という今回の趣旨において集団の同調圧力が低くなっているという点には心底同意するが
最近もてはやされている婚活(まあ、これは少ないだろうが)の他にも、例えば入試や就活なんてのは今後も無くならないだろ。
個人を圧してるってのは先に進んだ人間が後進を人生の既定路線から逸れないようにやっているのであって、当事者にとって悪意はないし、既定路線から逸れている人間にはこれまたそれを矯正してやろうと集団で炎上させるだろ。
あなたは減ってきてるというが、私はあなたが、集団のカタチは地縁社会が崩壊した時点で企業にそれが移り、そして終身雇用が崩壊し、それ以降モラルや思想信条というメタなムラが形成されつつある日本の今に無頓着であるように思う。
元増田です。
トラバありがとう。
いえいえ、そんなことないですwww。
農民、農民。すごい農民。
直系じゃないし。
ただ、江戸時代くらいの先祖のお墓は残ってたりして、古くからその土地にはいました。
根本的には命の繋がりなんだろうけど、見えやすい象徴として姓というのはあるのかなぁ。
まあ、農民なんだから、明治くらいに適当につけてもらったものなんだろうけど。
じゃあなんだといわれれば、繋がりへの思いということかな。
自分は、自由になりたいと思ってないんだろうね。
繫がりたい、繋げたいと思ってるんだと思う。
自分が生まれ育った場所、そして自分に命をつないでくれた人が生まれ育った場所は簡単に捨てれないと思っている。
そこを失うことを考えると本当に辛いんだよね。
ま、上手く答えになってないけど、”古い人間”ってことじゃないかwww。
だから、今の考えは、夫婦が別姓であるのはかまわないが、子供は自分の姓以外は認められないという結論かなー。
押し付けることになるだろうね。
自分の考えを。
めんどくせー。
増田たった一人の体験からそこまで一般化するのもね…
現状では公立とはいっても東部にも小石川のように中高一貫校が存在していて公立に進学するにしても入試をうけるし、そうでない公立でも上野中学のように非常に学力レベルの高い学校も存在する。
一方で偏差値50を切るような私立中学(私立中学というのは基本的に高校よりも偏差値が5~10ほど低く算出される)ではいじめもリスカも妊娠も結構聞くし、ヤクやってるかもってやつもいる。地方だと公立に行って問題起こすようなのが、下手に親が金持ってるせいで私立に行ってしまう。金を持ってるだけに悪い大人に搾取されていても気づいてないことも結構ある。それを止めろというのは難しいのは確かなんだけどね。
つまり東京では私立、公立(あるいは国立)という区分ではなく、どの学校に行くか、どの地域に住むか、の方がたぶんパラメータとしてでかい。
古くからの下町の公立はそれほど荒れていない(そして多くの下町は東部にある)。ずっと何代にもわたって住んでて、町内会なんかも強いから変なことをするとそこらじゅうのおやじに雷を落とされるような下町は本当に安定している。
比較的新しく富裕者層があまりいない地区の公立は割と荒れている。これから数年後に危なくなるかもしれないのは南砂町あたりかな。今すごい勢いで子供が増えてるから。
まぁこれは東京に限った話ではなく、ニュータウンの学校というのは荒れるものなのだ。東京は刺激が多いからいろんな種類の悪があるけど(ただし中高生がSEXできるような人目を避けられる場所は少ない)、地方は遊ぶところがないから暴走行為するかかつあげするかSEXするしかないっていう違いがあるくらい。地縁がなくコミュニティの結びつきが弱いところでは監視の目も弱いからそうなってしまうのは仕方がないといえば仕方がないことなんだろうね。
日本の総選挙は阿波踊りのように泡の類だが、アフガニスタン大統領選挙は世界の運命を左右する軍事的要素が含まれる
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▲開票が長引き、結果はまだ見えてこない
アフガニスタンではハミド・カルザイ大統領再選を目指す選挙が8月20日に終わったものの、爾後十日たっても開票に手間取っている。出てくる数字は有権者総数より多く、不正投票がまかり通ったことは明らかである。「なかには午前六時前に六千人の有権者が並んだところもあるが、その前に、すでに投票箱はカルザイに◎をつけた用紙があふれ出ていた」(英誌エコノミスト、8月29日号)。
選挙妨害の挙に出たタリバンは選挙前夜にもカブールで爆弾テロ、カルザイに投票した者は指を切り落とすと脅迫を続けた。二重投票を防ぐため投票が済んだ人の指にインクをつけるがカルザイに投じたかどうかは分からない。識字率10%の田舎でも選挙参加を呼びかけ、41人が立候補した。全土七千箇所に予定されていた投票所は治安の関係で6200ケ所に設置が削減され、しかもカンダハルあたりでは投票率が25%に達しなかった。およそ十七万人は投票に行く場所がなかった。
投票日は全土でテロ事件がおこり、国防省はテロが135件、死者26名と発表した。カルザイ大統領はパシュトン族だが、おなじ基盤からガニ元財務相が立候補しており、知識人らの支持をえた。かれは米軍の駐留に期限をもうけよ、と主張した。
最大のライバルであるアブドラ・アブドラ前外相はタジク人の混血。都市部の中間層に人気がある。かれはカルザイ一味の不正投票の証拠があると主張している。もうひとりの有力候補はヘクマチアル派のハザラ人で、貧困層からの支持がある。
カルザイ派の副大統領候補マハマド・カシム・ファヒムは「麻薬の密輸ビジネスに手を染めている男」とヘラルド・トリビューン(8月28日付け)に論評が出た。しかしそんなことアフガニスタンでは常識、いまさら何を、という印象である。ファヒム将軍はこれまでもアフガニスタン国防相のポストにあり、カルザイが勝てば(たぶん勝つだろう)副大統領になる。
米国は前から傀儡だった筈のカルザイが独自路線を強めつつ、一方ではネポティズム(地縁血縁中軸主義)による汚職と腐敗が目に余り、不満を爆発させてきた。
援助物資は横流しされ、米軍のあたえた武器は闇に流れてテロリストの手にも渡り、西側の資金援助は軍閥を肥やし、収拾の付かない状態を生み出した。同時にタリバン側も「みかじめ料」という別の税金。さらには恐喝、強奪、誘拐を生業として、政府予算に匹敵するほどの収入があり、武器を調達できる。
こうしたことを予測できなかったのは米国の誤算である。それはたぶんに米国のアフガニスタン戦略そのもの誤謬によるのだが、ジョセフ・バイデン副大統領が昨年の米国大統領選挙中にマスコミ演出のためカブールを訪問して「腐敗はなんとかならないのか」とカルザイに詰め寄った。「我が国には汚職はない」と開き直られ、激怒したバイデン(当時は上院議員だった)は夕食会を席を蹴って中座した。
オバマ政権はひそかにカルザイに対してファヒム将軍とコンビを組んでの選挙戦をやめるように説得した。ヒラリー国務長官がカブールを訪問したおりもカルザイ大統領と会見し、「あなたの信用に傷が付き、アフガンを支援する同盟国に不信が広がるから、あの男と組むのは辞めるべきだ」と説得したが、無駄だった。
ファヒム将軍の影響力はカルザイ体制のすみずみに及んでおり、麻薬、武器の横流し、不法行為の黒幕でもあり、ほかの軍閥や地方の豪族、ボスさえもが他の人間を副大統領にすると既得権益が失われることを懼れている。だからカルザイは不人気で国民の大多数を占めるパシュトン出身であるにも関わらず、少数派タジク人の大統領候補に急追を許したのだ。
米国は不快感をあらわすためにファヒムが訪米する折はヴィザを発給しないと表明しており、制裁を仄めかす。かつてタリバン退治で空爆をおこない地上戦では「北部同盟」のマスード司令官の強力な後継者として米国との同盟者だったファヒムを、そう簡単に追い払うと「北部同盟」は米国から離反してゆくだろう。
▲西側の資金援助はこうして闇に消えた
短絡的判断を回避し、ブッシュ政権ではファヒムを泳がせた。ちょうどソ連がアフガニスタン侵略したおりに米国は北部同盟をテコ入れしパキスタン経由で武器を与え、しかもCIAに関係したオサマ・ビン・ラディンを同盟者とする愚をおかした。同様にタリバンを追放してカルザイ傀儡政権をカブールに打ち立て、米国はファヒムに強力な支援をなした。
財政的にも数千万ドルがキャッシュで渡されたと言われ、アフガニスタンの治安維持部隊を創設するに当たっては訓練のために武器を供与し、そして追加の資金援助をなした。武器は闇に流れ、麻薬取引は米軍の介入前の水準に戻り、資金は米国の意図した目的のためには使われなかった。
ファヒム将軍は麻薬ビジネスの影の元締めだった。にもかかわらずCIAはブッシュ前政権に対してファヒム罷免を進言しなかったのも、カルザイ政権を維持させるという大局的な目標に合致し、カルザイにとってもまた南部パシュトン族だけの政権では片肺飛行と言われかねず、北部同盟の票をまとめるためにはファヒムと組まざるを得なかった。
ドスタム将軍はウズベク人軍閥のボスだが、度重なる腐敗と虐殺事件に関与して、にらまれ、トルコへ亡命した。ところがカルザイはドスタムに対しても帰国を促し「閣僚ポストを用意している」とオファーしたことがわかり、これもまた米国が苛立っている。
つまり米国はアフガニスタンをどう扱うか。タリバンを退治し、テロリストを追い出す戦闘だったのに、いつの間にか戦争目的の基本に疑惑が生じている。
どうするのか。ファヒムをカルザイ政権から切り離すのか、カルザイそのものの続投を認めないのか。
いまのカブールは外国軍の駐留によって辛うじて治安は保たれているものの、自爆テロ、ロケット弾、爆弾テロが頻繁に起こり、一方カブールを離れると選挙どころではない。ではタリバンに司令中枢があるのかと言えば、地域軍閥がそれぞれ米英軍にテロを仕掛け、おもに無辜の民を巻き添えにしたテロを続行し、ちょっとでも政府よりの姿勢をみせた市民を暗殺し、或いはリンチによって首を切りおとすという残酷な方法で、見せしめの処刑を行っている。要するにアフガニスタンは無政府状態である。
大統領選挙などやっても意味はない。カルザイの本心はとうに米国から離れており、多くの軍閥と組んで事実上の連立政権を維持しているに過ぎない。これが投票箱民主主義の実態である。
にも関わらずオバマ政権はアフガニスタンは必要な戦争、兵力増強路線を変えておらず、六万の兵力を年内に六万八千に増やす。米国内はすでに厭戦気分でベトナム戦争ほどの反戦左翼運動は起きていないが、世論調査によればアフガニスタンにおける駐留に賛成とする米国民は過半数を割り込んでいる。
オバマがアフガニスタンの継続を唱える限りオバマ支持の民主党はアフガニスタン介入を支持し、ブッシュの始めたイラク戦争は不支持である。これが米国政治の問題だ。しかも「タリバンは軍事訓練が行き届き、組織的行動に統制がとれており、その強さはいまや米海兵隊なみである」(タイム、9月7日号)。
都会の方が、幅広い人に出会える。
様々な食べ物がたくさんあって、毎日毎日食べても食べきれない。
ケーキといっても山のような種類があるから、
東京にいると、たくさんの人に出会えるのはいいんですが、
何か「おいしい」「楽しい」人ばかりでバランスが悪かった気がします。
「だめ、この人とは絶対合わない」という人とつきあわなくても
生きていける世界でした。
敬遠していたような人たちとも一緒に何かをしなければなりません。
苦労することも多いんですが、
こういった人たちもじっくりと話してみると
深みのある生活をしているし、決してつまらない人たちではありませんでした。
幅広くつきあえる(つきあわざるを得ない)ことで、
社会にはどんな人たちがいて、
どんな思いで日々暮らしているのかが分かったことです。
そういう今の私から見ると、都会はとてもすごいところだけど
バランスが悪いところがあるように思えます。
ラディカルでエネルギッシュで新しいものを次々に
生み出していく反面、ともすれば
とんでもない方向に暴走していくのではないかと危惧しています。
最初の例に戻れば、日々の食事を任せるなら
以下のような現実を押さえた上で、議論すべきかもね。
http://digest2chnewsplus.blog59.fc2.com/blog-entry-5258.html
【国際】中国人の密入国が深刻化…僅かな情けをかけたばかりに、違法民のたまり場になってしまう店も - スペイン
1: @胸のときめきφ ★ 2009/04/17(金) 16:33:50 ???0 BE:2
中国新聞社によると、スペインの華字サイト「欧浪網」はこのほど、中国から多数の
現地のある中国系住民によれば、違法にスペインへ入国し、身分証がなく仕事も見つからない
中国人がスペイン各地でホームレスとなっているほか、食事と住む場所を求めて
バレンシアのある店では、突然60歳前後の男が店内に入ってきて、「給料は要らないから
雇ってほしい。食事と住むところだけ与えてもらえれば良い」と店主に懇願。店主が拒絶しても、
男は正規の身分もなく、地縁も血縁もないため行く当てもないと食い下がったが、
結局、別の店へと去っていった。また、ある中国系住民が経営するバーに至っては、
わずかに情けをかけたのをきっかけに、違法移民の“たまり場”状態になってしまった。
報道によると、彼らの多くは中国東北部の出身で、船が補給のため入港した隙を狙って
船を下りて上陸し、スペインの内陸部へと分散しているのだという。
+*+ レコードチャイナ 2009/04/17[16:31] +*+*
スケール違うかもだけど、自分のことと異様にかぶっててびっくりした。いわゆる元GIDってヤツで、生まれた時は男とかいう扱いだったけれど、今はふつーの女としてふつーの生活してます。
名前とか戸籍とか、まぁ帰化に比べたら全然楽だと思うけど、手続きめんどくさかった。ちんこ取るのもそれなりに大変だったけど、あんなの手術だからお金貯めて我慢してれば終わる。世の中的なことの方がずっと面倒だった。がんばって学校出てるのに卒業証明書も「卒業時で」とか言われるし(戸籍変わったの卒業後だったから)、普通でも新卒ってのが重要な世の中なのに、一回過去を消すともうほんと世の中冷たかった。地縁・血縁もゼロになるし。根性で這い上がって、人並なポジションで仕事できるようになって、今めちゃくちゃ幸せやわ。
こんなのと比べられたらムカつくかもしれないけれど、面倒にめげず帰化がんばってちょ。
埋没いいよ。世の中に埋もれるって最高だよ。普通が一番だよ。
地縁、血縁、親の七光り、それに頼らずに生きていきたいって思う。
広い意味で地縁に入るかどうかわからんけど、学校つながりというのも嫌だ。
本人と顔見知りならとにかく、同じ出身校というだけでつながりあうというのが理解できない。
学歴を否定するわけじゃない。
そりゃあ東大京大が頭いいんですね、受験勉強頑張りましたねくらいにプラスに評価されるのは理解できる。
でも自分と同じ出身校ってだけで仲良くしたくなったりはしない。
でも、やっぱりこういう呪縛から逃げて生きるのは難しい。
それらに頼らずに生きるためには、まずはお金、それと自分で切り開いたコネクションなんだろうけども、まったく知らない土地で、自分で切り開いたコネクションと自分で貯めた資金だけで起業するのって難しいと思う。
ちいさな蕎麦屋でもはじめるにしても、500万から1000万くらいは必要だと思う。
こう書くと、ITならほとんど初期投資なしで始められるよ!とかくるけど、言いたいのは、一般論として商売を始めるにはゼロが7つ近くお金が必要だということ。
院卒でもうすぐ社会人満3年。
27歳男。
ようやく400万貯めた。
20代で1000万は難しい。
でも、実際は400万でも恵まれてるほうだと思う。
一年目は生活するだけで一杯一杯、二年目で貯金する余裕はできたものの車を買ってまた振り出しに戻り、三年目車のローンは終えたけど、次は結婚資金を貯めなくちゃ。
っていう話が多い気がする。
20代前半で自分の店を持ってる人たちってすごいなぁって尊敬してるけど、全く親に頼らずに成しえた人ってどれほどいるんだろう。
これってかなりの額だと思う。
普通こんなに貯められなそうだが、生命保険1000万×父母なら2000万、そんなもんなのか?
平均値じゃなくて中央値の話しろよって突っ込みはおいておいて、とかく、親がいるというだけでこんだけ得が出てくるわけだ。
生まれたからには、食うために生きるんじゃなく、生きるために食う人生をおくりたい。
親に恵まれなければ、さっき言ったみたいに車のローンに追われ、結婚資金として吸い上げられ、教育資金として吸い上げられ。マイホーム購入資金として吸い上げられ、食うために働くしかないじゃないか。
お金貯めよう。
学生時代は社会で役立つかどうかとはまったく別として人間としての深みを追求しなければならない。
って風潮がある。
「産学協同路線=日帝=悪」とされて叩かれた時代があったから。
でも、企業側評価するのは「学問」よりも「コミュニケーション能力」
学問が細分化、専門化しすぎてて、学問で面接にきた人間ついて評価するなんて無理だ。
何年も積み上げてきたものを無視されて、たった数十分の面接で、集団ディスカッションで判断される。
地縁、血縁、産学の癒着、産官の癒着、叩かれるけど、それにとってかわるものが「コミュニケーション能力」ってのはおかしい。
結局のところ、日本の指導的ポジションにいる老人達は円環的時間のなかに子どもを閉じ込めて、自分達の予期可能な範囲のことしか出来ない人々だけを生産したいってこと?
イノベーションとか口先だけだよね。社会を変革できるような人材、したいような人材は、叩き潰したいと思ってるんじゃないかというか。もちろん、子どもの親は、彼ら老人より若いので老人達とは考えが違うので、信用されていないし、決定権も奪われている。「モンスターペアレンツ」って、要はそういうことだ。親としての当然の権限・権利行使にはモンスターのレッテル。
梅田もっちーとか、エンタメとしては読まれても、あそこで肯定されているような人材がうまれやすい環境作り、なんて話は、フルボッコで否定だよね。うちの会社も、もっちーを社内講演に呼ばなくなったな。もっちーから切った可能性もあるが、どうも会社的にああいう話は禁句になったっぽい。一次元の価値観の中で、ある層以上は官僚か大企業サイコー、地方では地方公務員か教員、これ。そこからこぼれそうな人達は、それなりに。さらに下に非正規雇用。「けものみち」なんてものは、あってはならない。あったら生コン流し込んでおけ。「学習の高速道路」?日本にあるのはアメリカのフリーウェイじゃなくて、料金所がたくさんある有料道路。そして、学歴という通行許可証を集めないと、通ったことにはならない。
そして、ネットのコミュニティ、なんてものからは子どもを切り離せ!!!という大合唱。もちろん、大人になっても、ネットのコミュニティに参加しない、参加しても二次的、というのがいいこととされている。コミュニケーションは、地縁・血縁・学閥・職縁つながり。結婚はもちろん、そういう縁つながりの見合いが恋愛結婚より格上、ネット恋愛とかは論外、という価値観。
それで、どう世の中みんなが食っていけるのか、よく分からんけどさ、経済のパイを増やすよりも、そういう序列と秩序の維持のほうが上、という空気が、最近満ち満ちているように感じる。