はてなキーワード: マスメディアとは
円高とデフレ。
これがあるから若者の給料は上がらず、国の借金は相対的に増え続け、景気は悪くなり続ける。
なのに、円高もデフレも何も有効な対策を打たないまま、財務省は野田総理をマリオネットのようにコントロールし、消費税の増税を実施しようとしている。借金の実高も、消費の冷え込みも承知の上で、それでも増税をするんだ。なぜ? 貯金も財産もない若者には「死ね」と言われているようにしか聞こえない。
けれど、きっと財務省や日銀のえらい人は、そんな素朴な疑問に対しても、僕の想像もつかないような専門用語で、哀れむように、蔑むように、理路整然と解説して「だからインフレターゲット政策は誤りなのですよ。私たちの啓蒙が足りませんでしたかねえ」というような顔をするのだろう。いや、彼らにそんな暇はない。どうせ説明を求めても「愚民に説明しても無駄だ」くらいの心持でいるのだろう。
そして、今の円高とデフレを放置している理由は、僕の理解を正直超えている。財政なんちゃら学的に見て、それが妥当だからなのか?
それとも、インフレが暴走することで、査定が下がることを恐れているのか?
デフレ政策を維持し続けてきた大蔵日銀OBのメンツを守りたいからなのか?
デフレによって、相対的に自分の給与や退職金、天下り先で手に入る金を維持増加させたいのか?
デフレによって、天下り先が維持される原因が生じ、それこそが彼らにとっての利益なのか?
全くわからない。だが、物心ついたときから、デフレと不況と、財務官僚に国民の声なんか届かないという無力感に、影に日向に僕はさいなまれ続けてきた。
そして、財務官僚は増税反対論を敷くマスメディアや論客に、税務調査で脅しを掛けるという。
権力を使ってまで、若者の雇用を間接的に殺してまで、増税がしたいのか。
この構造は、霞ヶ関の奥の院、密儀の神殿で、長老の如き老人たちの手で行われており、所詮、僕のような若い庶民には、何の異議申し立てをしても無駄なのだろう。
そして、無理に騒ぐ人間には、権力を使って合法的に圧殺するのだろう。そして、彼らは若者の声を「愚民どもが扇動されているな」とあざ笑いながら、政治家を言いくるめ、マスメディアを脅して、増税を押し通し、不景気を招くのだろう。そして彼らは、天下り先で高い給与と退職金を得て、仕事のない若者を横目に「努力が足りない」と呆れながら、安楽な余生を過ごすのだろう。
この20年、好景気とやらを殆ど見たことのないまま、どこかの頭のいい老人たちの手によって、僕らは翻弄されてきた。それに異議申し立てをする能力も手段もないまま。
ハシズムが勃興する理由の一つは、この学習性無力感を癒す可能性が僅かでも感じられたからだろうと僕は思う。頭のいい大学のセンセイなんかは「それはナチスやファシスタ党の勃興と同じ理由だ、眼を覚ましなさい」とご丁寧に忠告してくれるのだろう。
でも、もう遅い。この国に刻み込まれた、学習的無力感の反動が、これから荒れ狂うだろう。暖かい場所で、オーソリティと給与を得てきた大学のセンセイの言葉は、実にむなしく響くよ。
そう、2chだとネットしなければいいけど、ネット外の学校や職場だとカースト関係から反抗することも逃れられもしないという問題もあるね
2chなら「実名」知られてなければ、せいぜい「クラスタ」叩きが関の山だし一見言葉に力は宿らないように見えるけど
「クラスタ」レベルのdisでも何度もあちこちで繰り返されれば、根が素直な人は真に受けて少しずつ「自分には生きてる価値が無い」とだんだん思い込んでしまう これが「薄い呪い」 過去の日記を読む限りでは増田にいる何人かはこの「呪い」にかかっているかも知れない
一人一回でもみんな&マスメディアがdisった「無能」というレッテルが社会的に認知されて言葉に力が宿り「呪い」が発動して
首相を精神的に追い詰めたのが、安部元首相の時に起きたことだと思う
それと大量に同じ言葉や情報を流しつづければ2chでも簡単な「呪い」は効くよ
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
普通でない女性が普通を騙る事でどれだけの普通の女性が抑圧されたか。世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。言葉の暴力である。破壊行為である。普通罪である。これはパワーハラスメントなのだ。抑圧なのだ。力による支配なのだ。普通ではない人間が普通を騙る事で、本来普通であったはずの人達は劣等感と敗北を植え付けられて洞窟の中へと逃げ込んでゆく。
ああ、よくぞ言ってくれた。本当に、本当に、よくぞ言ってくれた。
世の中で「優れている」とされているものに負けても、人はさほど傷つかない。
しかし「普通」とされている基準に満たないことには人は傷つく。
「身長185cmに満たないからパリコレの男性モデルになるのは厳しいね」と言われても傷つかないが、
「日本人の平均身長は172cmなんだけど、あなたはそれに満たないからチビだね」と言われるのは不愉快なものだ。
「ただしイケメンに限る」場で排斥されるのは傷つかないが、
「ただしフツメン以上に限る」場で排斥されるのは傷つく。
"お前は普通未満だ"というメッセージをぶつけられたときに人は傷つくのだ。
普通を定義するということは、その基準に満たない人々に"普通未満"というメッセージをぶつけているのと同じだ。
では、ここで言う「普通の女子大生」は、自分を普通というカテゴリに置くことによって、
自らを普通と定義することで、勝利を実感することが目的なのだろうか?
私は違うのではないかと感じている。
世間で早稲田は有名大学のうちに入る。「普通」ではない。優れていると言えるだろう。
見渡す限り早稲田の学生、という状況で日々講義を受けているのだ。
早稲田よりも偏差値の高い大学に進学した高校時代の友達なども居るだろう。
彼女たちにとっては、東大京大一橋大…などが「良い大学」であり、マーチ未満は「不可視」なのだ。
男子大学生5人のグループがあったとして、4人はフツメン以上の彼女持ちコミュ充、
1人だけがいない歴=年齢のコミュ障キモメンだとしたら、そのグループは上手く行くだろうか?
"持つ者"側の4人が"持たざる者"側の1人に気を使って摩耗するか、"持たざる者"が"持つ者"をひがんで卑屈になるか、"持つ者"が"持たざる者"をバカにして苛めるか。
友情を維持する上で障害になるトラブルが無駄に起きやすくなるだろう。
だから似たようなスペック、境遇の人間ばかりが友達グループとしてつるむ傾向が生まれるのだ。
似たような体格、似たような髪型、似たような木こりファッションに身を包んだ男子学生が、
似たようなノリで居酒屋で騒いでいるのはあまりにも見慣れた光景だし、
女子学生集団やOL集団の服装・メイク・基本的なルックスレベルの均質化され具合はおそろしいほどだ。
育ちも同じである。年収2000万の父親と教育熱心な母親に育てられ、家族で海外旅行に行くのが当たり前と思ってきた人々と、
水商売の母親と酒を飲んで暴れる父親に育てられた人々とでは、話が合わないのだ。無駄な軋轢を生むのだ。
しかし、坂口さんの関わっている女子のグループが、坂口さんと同等かそれ以上のルックスを持つ女性ばかりだとしたら?
底辺の人間が感じる「普通」と、素養や運に恵まれた人間が感じる「普通」との間に、
大きなギャップがあることを可視化してしまう暴力的なツールである。
底辺の頭と底辺の容姿を持って生まれた人間が、似たような底辺とつるみ、
似たような底辺と結婚して底辺の再生産を続ける、そんな彼らの自己認識は「普通」であった。
視界に入るのが底辺ばかりなのだから、そうなるのも当たり前である。
そして恵まれた頭や容姿を持ち、親や親戚や友達も恵まれた者ばかりの環境で育った人間は、
自らの優れた点を奢り高ぶることなく、自分は「普通」だと認識して生きていったのだ。
自分とは違った常識を持つコミュニティの存在を発見しやすくなる。
ダルビッシュが贅沢な暮らしをしていることが窺えるツイートをしたことに対して、
オッサンが執拗に絡んでケチをつけたことがあったが、これはインターネットが生んだ軋轢である。
インターネットが無く、優れた人間の私生活がわからない時代であったなら、
このよくわからないオッサンは"持つ者"の恵まれた暮らしを発見することがそもそもなかったであろうし、
「昔のインターネットはオタク・非モテ・コミュ障にとって救いだった」という意見があるだろう。
それは昔のインターネットが本当の意味でグローバルではなかったということだ。
昔のインターネットコミュニティには、ほとんどオタクしかいなかった。
「開通作業が面倒」「接続料金が高い」「遅い」「見たいコンテンツが無い」などの要因がボトルネックとなって、
一般人の参入が妨げられ、オタク以外がふるいにかけられた世界になっていたのだ。
そこはオタクが圧倒的な多数派であり、オタクが常識をつくっている世界だった。
「インターネットでの普通」は、「オタクにとっての普通」と同義語であり、
一生独身、アニメ・マンガ・ゲーム好き、インドア、非モテ、童貞、服はダサい、髪型は床屋、
しかしインターネットというものは、一般人をも飲み込んでいく。
mixiでリア充を取り込み、モバゲーで情弱、ニコニコで"オタDQN"層、Facebookやtwitterで"意識の高い"層を取り込んだ結果、
これからネットを使いこなす老人が増えれば、「若者のもの」でもなくなる。
インターネット上の人口構成がリアルの人口構成とさらに近づいてゆき、
あらゆる世界、あらゆるグループ・組織に所属する人間がインターネットに参加するようになる。
そして全日本人の認める「普通」のスペック、「普通」の生き方というものが、インターネットによって広く知らしめられる。
弱者ばかりが集うコミュニティで独自の「普通」基準を制定し、「普通」を充たしている気になっていた人間たちに、それは暴力的に襲い掛かる。
初期のインターネットと現在のインターネットは全くの別物である。
前者は弱者に優しい逃げ場所であり、後者は「グローバル化された普通」という圧力によって、弱者を容赦無く叩きのめす残酷な場である。
大半の女の話は本当につまらない。それは聞く女にとってもそうだ。
サービス精神がまるでない。人を楽しませよう、喜ばせようという気が無い。話したい話しかしない。
話が面白い人が人に話をする目的が「人を楽しませ、面白い(funnyでもinterestingでもいい)人だと思われるため」なのに対し、
女は排泄のように話をする人間が多い。スイーツ女子のランチタイムなど糞の投げ合いである。
アルファブロガーやらアルファツイッタラーやら職業ライター辺りには、そんな女がゴロゴロ居るだろう。
でもリアルでエンカウントする確率は異常に少ない。男と比べると、話の面白い女は圧倒的に少ない。
大半の男は話を聞くのがドヘタクソだ。コミュニケーションの目的が「承認を得ること」であるため、
人の話を聞いているとムズムズと「自分の優れている部分」を相手にアピールしたくなり、
無用なアドバイスなどを延々と繰り広げて相手の排泄を妨害することになる。
男をクソの投げ合いの関係に持ち込むことを諦めた女は、「せめて面白い話してサービスしろよ」と考える。
女が話のつまらない男をボロクソに言うのはそのためだ。
ようするに「話聞くのヘタクソな上に、自分の話もつまらないとかお前なんなの?生きる価値あんの?」ってこと。
まあ、男のサービスも無償ではなく、対価が欲しくてやっているわけで。
目的は、男から「あいつはマジ面白い」という評価・承認を得ること。
女からは(男として)好かれる・承認されること、さらに言うとセックスということになる。
芸人がドブサイクでも、売れないド貧乏でも経験人数はやたらあったりするのはそういうことなのだろう。
全身全霊でサービスして楽しい時間を作ってくれた男に、対価として体を提供する女が居るってことだ。
しかしあらゆる面白さは、マスメディアやインターネットの登場によって、「本人から切り出された」。
本人の持つ面白さが、ブログ記事なり面白動画なりツイートという形でコンテンツ化される。
視聴者にとって生産者はどうでもいい。手元に野菜が届けばいいように、手元に面白コンテンツが届けばいいのである。
AVや女神板は女が自ら自分をコンテンツ化し己の体を不要にする行為で、
それによって「女性本体」の値段と需要は暴落したなどと言われているが、
「男性本体」の値段も同じことである。男性本体が生み出す面白コンテンツが遠くに居ながらにして手に入るなら、それでいいのだ。
むしろ「これだけサービスしてやったんだからヤラせろ」が無い分、遠くの面白人間の方が好ましい。
そうなると「本体」の価値を上げるにはどうすればいいのか?この講義は次回に続きます。やっぱ続かない。それぞれ考えろ。
追記:私は女です。
いつまでも作者に絡んだり嫉妬の声ばかりあげていてもしょうがない。
そもそも作者がアレで作品もアレなのにこんだけ売れてるんだから
「出版とは作者だけじゃない奥深い世界なのだな」「別の人が頑張ったんだな」と考えるのが普通の人の思考。
http://adv.asahi.com/modules/feature/index.php/content0362.html
ちょうど当社で、ドラッカー生誕100周年のキャンペーンを展開し始めた時期でした。
刊行の半年ほど前から、ユニクロの柳井正社長がテレビでドラッカーを好きだと発言されたり、糸井重里氏が自身のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」でドラッカーについて語られたりと、著名人を中心にドラッカー評が相次ぎ、社会的な関心が高まっていたことがあります。日本の企業経営や政治に「マネジメント」という意識が求められていると感じる人が増えていたのではないでしょうか。また、ドラッカーの言葉にはどこか人を励ますあたたかさがあり、不況で元気のない時代に受け入れられやすかった
――編集面で工夫したことは。
加藤氏 ドラッカー本というと、これまでは企業経営者に支持される傾向にありましたが、同書は、本の帯に「家庭、学校、会社、NPO… 人が集まっているすべての組織に役立つ本」とあるように、万人にわかりやすい内容なので、思いきって表紙を「萌(も)え系」のイラストにし、ビジネス書の売り場に並べたときの違和感をねらいました。
そもそも表紙を萌えにしたのは岩崎さんの意向というわけではない。
編集部や営業現場で使っていた「もしドラ」という「公式略称」も発信し、対話促進に努めました。ツイッターには発売直後から「表紙にびっくり!」「書名に驚いた」「ほんとにダイヤモンド社の本?」といったコメントが続々と寄せられました。ただ、ツイッター上の盛り上がりは新しいネタがなければ半日程度でおさまってしまうので、編集部や宣伝部の人間でマメにフォローをし、公式ウェブサイトにリンクを張ったり、新聞広告の感想を募ったり、書店店頭やユーチューブで流している公式PVに誘導したりと、火に薪をくべるように情報を提供し続けました。
この時期にしてはかなり精力的な取り組みが行われている。
ネット上のクチコミの広がりがヒットの要因の一つであることは間違いありませんが、これらはすぐに通り過ぎてしまう情報です。今年2月頃から売り上げがさらにグンと伸びたのは、メディアの影響がかなり大きかったですね。
ネットで盛り上げてテレビや新聞といったマスメディアにつなげる。ネットの力を過大評価しない。
――主な購買層は。
加藤氏 当初はビジネス書の読者層、20~30代男性が中心でしたが、青春感動物語としての認知が高まるにつれ女性にも読者層が広がり、現在は男性55%、女性45%という比率です。また、全体の16%が50代以上の男性で、以前からドラッカー本を愛読していた人、昔読んで途中で挫折した人、気になっていてずっと手にしていなかった人などにも支持されています。
そもそもなんでこんな本がヒットするかというと、それだけ社会に多くの問題があるのだということであり、
この本について語るなら、そういうところを話ししようぜ。
http://www.economist.com/node/16481583
Women remain an underused asset: only 61% of them work, their average income is less than half that of men and they occupy barely 1% of boardroom seats. If Drucker, with the help of a headstrong teenager, can posthumously change that, it would be his greatest gift to Japan.
日本では61%の女性しか働いておらず、平均給料は男性の半分以下で、女性役員は1%しかいない日本において、これをドラッカーが変えることができたら、日本にとって大きな贈り物になるだろう
もしドラはともかく、「マネジメントは学ぶことができる技術であり、それを学んだものであれば、男でも女でも関係ない」というメッセージを重視して、偉そうにふんぞり返ってる男共の根拠のない優位性をそげぶしていくことが必要であると思う。
ところで。
無料で高品質の記事を提供し続け、日経新聞にも嫉妬される素晴らしいメディアによると、
もしドラはドラッカー協会の会長にも評価され、アメリカでも翻訳されて出版されるはずだったはずなんですが
その後どうなってるんでしょうかね?どこかもたついているんですか?
信用されるのは、その人の実績や肩書。
仮に実名でも「日本太郎」とか書いたところで意味は無いし、まったく無名の奴が顔出ししても、知られてなければ何も保証しない。
きちんと裏を取る情報ソースと認識されていて、かつ提供者の秘匿が法で保障されてるからね。
今となっては・・・・だけど。
零細はてな民の私ではリンクを貼らせて貰うのも憚られるChikirin様がデモについて言及しており↓
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20111018
少し読ませて頂いて思ったことがあったのでチラシの裏をここに吐き出させて頂きます。
以下本文
そしてソレについてチラホラと話を聞くにこんな感じ
↓
「中東はいいんです大義があったし進展があったから。だけど先進国の連中テメーは駄目だ」
世界最大の富の分配機能であるウォール街を襲って自分たちの富が後進国に分配されるのを止めようとしている。
だけど、それってなんか大雑把すぎる。
イギリス人のは貧困層が馬鹿をやっていたほうが得になる仕組みをつくって固定させてしまった愚かさとかあるらしい、
日本のはマスメディアのクロスオーナーシップやら独占体制によって歪んだ政治やなんやらがフラストレーションになっているのもある
アメリカなんかはもっと悲惨で医療体制が末期的で州によってデフォルト寸前で失業保険が出なかったり、格差以前の問題があったり
デモのテーマに引きづられて隠れてしまった本質的にどうにかしないといけないしどうにかできそうな問題が世界に理解されていない問題があるきがする。
デモってものはそもそも頭の良い人が先頭にたってテーマを取捨選択できるような性質がないのだから、
そういう頭の悪いメインテーマを否定するよりもその鬱憤のもとになっている根本原因を理解してあげようとする努力を世界の人々はしたほうがもしかしたらいいのかもしれない。
そこはそもそも注目しても仕方ないと思う今日この頃
以上
ここまで読んだ暇な奴
あんた良い人
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1109/29/news007.html
ビジネス手法に問題のある企業が大手マスメディアの幹部を豪華な接待に誘って口封じを行っていたというお話。
なるほど、政治家に政治献金で、官僚機構に天下りで、利益供与を行って自己保身を図るようにマスメディアに対しても幹部への接待という利益供与の手法があるって訳だ。
さて、これら(含む、第四の)権力層に貸しを作って自己利益を図る方法のコストがどの程度かというと、天下りを受け入れたところで一人一億程度、政治献金はせいぜい一千万、ごっつぁん記者もせいぜい数千万台前半だろう。
で、それに伴う見返りはどうか?
天下りを定常的に受け入れ続けた東京電力は未だに健在だ。ごっつぁん記者をマスコミ各社に増やしまくる事で広告費と同等、いやコストパフォーマンスを考えれば広告費引っ込める脅しよりも強力なメリットが働く。ま、政治献金に関しては「払うことで口利きしてもらえる」よりも「払わないと仕事が来ない」って保険的ケースもあるようだが。小沢とか。
何が言いたいかというと、こうした権力層へ利益供与を行って便宜を暗に要求する行為が、倫理性はさておき、経済的には極めて合理的な行為である事が伺える。広告費の数パーセントのカネで、お目こぼしが買えるなら安いものだ。
まあ、中国じゃあ地方政府にまで袖の下を通さないと工場の建設許可さえ下りないっていうし、アジアに於ける腐敗の典型を、日本もまた、辿ってますよってことがよく判りますね。
気づいたら、はてブやまとめサイト系で創価批判的なものをみかけなくなっている。
信念を持って、なんなら己の人生をかけて、世の不公平やら不正やらを正そうと活動している人はいるんだろう。
マスメディアでは伝えられない真実が、ネット上で叫ばれていることもあるんだろう。
でも、マスメディアでもネットでも結局は“仕掛け人”が存在しているんじゃないか、と最近思う。
ある種の“祭り”状態を誘導することは可能。
そういう流れに、あえて乗って遊んであげている人もいれば、
気づかずに乗せられちゃっている人もいる。
この人達の存在は重要ではあるが、所詮は利用される側にしかなれない人達だ。
おもちゃに飽きたら、放り出して新しいおもちゃに飛びつけばいい、と考えれば
優位に立っているような気もするけど、
やっぱり立場的には劣勢だと思える。
仮に、この利用されちゃう人々の半数が“仕掛け人”側に回ったとしたら…。
世の中はどう変わるのかな。
3.11以降、僕は東北の野菜を食べることが出来なくなってしまった。スーパーで安い、と思って手にとっても「宮城県産」やらの表記があると慌てて陳列棚に戻してしまう。結構そういう人も多いんじゃないかと思う。なぜだろう?
多くの人は何より素朴に「気持ち悪い」と感じるからだと思う。ただ漠然と怖い、と感じているんだと思う。「そういうバカが風評被害を起こすのだ」という人もいるかもしれないけど、小さな子供を抱える主婦に同じ事を言えるだろうか。言えるならばどういう根拠で言えるだろうか。いろいろ考えてみたけど、今ひとつ良い回答を僕は思いつかなかった。(この問題は合理的に納得出来るか、ということではなく、誰もが安心出来るかがポイントになっていることを断っておく。ちなみに僕は消費者は三秒で安全性を示されなければ安心できないと考えている。)
「気持ち悪い」の正体って何だろう。この問題を考えない限り、消費者は安心感を得ることも出来ないし、生産者から見た風評被害を抑えることもできないと思う。
それは大事故の後にも関わらず流通のシステムが変わらない(変わったか分からない)ことに対する漠然とした不安感なんだと思う。
これほどまでに言論空間を通して(最近はテレビでも)「東北の野菜は危ない」という議論が展開されているのに、マスメディアや小売業者も「風評被害を起こさないように」と報道し、「がんばろう東北フェア」みたいなキャンペーンをやるばかりで、以前と全く変わらず「宮城県産」のラベルを貼っている。その行為の不透明さに消費者は怯えているんじゃないだろうか。汚染食材が出回った、という情報が日常的に飛び交う中、どうして消費者は安心して消費できるっていうんだろう。
いま消費者は安心して消費するための明確な方針を失ってしまっているように思える。
今までは「日本国産」の野菜ならまぁ大丈夫だろう、という信頼に基づいて野菜を消費することができた。もちろんこれは、言論空間での知見をマスメディアが拡大した、「国産対非国産」、「農薬対無農薬」みたいなわかりやすい安全確認コードのもとに成り立っていた。
しかし、現在ではマスメディアが「汚染食材流出」「風評被害に負けるな東北」といった矛盾するようなメッセージを流している。これでは消費者は安心して消費することが出来ず、結果として風評被害を招いてしまうのも仕方が無いだろう。
この状況を打開するためには、問題である「流通のシステムが変わらない(変わったか分からない)ことに対する漠然とした不安感」を解消する必要があるのではないか。
もちろんマスコミはジャーナリズムとしての責務がある。安心させるために「汚染食材流出」を隠すなどといった行為はできないし、するべきでもない。
ならば出来ることは「流通の透明化」だけだと僕は思う。「こんな検査をしています」「放射能OK!」みたいなのを一発で示すステッカーを国や小売店が発行して製品に貼りつければいいじゃないか。「生産者の顔が見える○○」なんてできるくらいなんだから、そのくらい朝飯前のはずでしょう?どうしてやってくれないんだろう。そんなことをしたら何も売れなくなるくらい悪いの、なんて想像もしたくなってしまう。僕は東北出身で親戚も友人もたくさん東北にいる。もし状況がそれほど悪いなら教えて欲しいし、そうじゃないんなら宮城県産の野菜を買いたいのに…
小売店でも国でもいいので何とかしてください。
韓流とアニメとアイドル(笑)系J-POPって、売り方に共通点ができてしまって。
共通点は固定ファンが一定数いて、そのコアな層の金払いが(このご時世にしては相対的に)いいこと。他にも似たようなジャンルは存在するけどとりあえずこの3つだけで話をする。
マーケティングのどこが似ているか?たとえば、「同じ映画を同一人物が複数回見ると特典がつく」というようなシステムは、韓流系映画とアニメ映画以外ではほとんどみかけない(これらのジャンルでも少数派だけど、ほかは絶対もっと少ないってば)。「何度でも見るような客がいる」からなされるのは明らか。
DVDやCDに特典をつけることで売り上げを確保する手法も重要。初回特典重要。普通の映画とかでもそれなりにあるけどさー、ひとりで二枚でも三枚でも買わせることすらやるのは、ねぇ(AKBほど極端な例はさすがに他では知らんけど、ローソンのアニメ系タイアップじゃあペットボトル箱買いネタはあったよね。実話かネタ画像か知らんけど)。
アニメのうち、特に深夜アニメは、作る側としては通常TV放送ではむしろ金を払って放送しているので赤字。キャンペーンとして放送して、あとから回収する。韓流TVドラマについてコンテンツが安いとか安くないとか諸説流れていて、まぁ作品によってもちろん値段は違うわけですが、レンタルビデオ店やセルビデオとの関連を考えれば深夜アニメのそれとの共通点も見えてくるでしょう(似たような現象で映画でもマイナー系では映画館では赤字になることが分かっていても宣伝効果等を考えてDVDセールスのために上映することもある)。日本のTVドラマで同じだけDVD/BDが売れる作品ってそんなにないですよ(もちろん、売れてる作品はちゃんと熟れてる)。作品数でいえば日本よりアメリカものの方がむしろ売れてるんじゃないかな(周辺グッズ収入は、調べてないけど多分アメリカものより韓流ものの方が売れてるだろうから、やはりTV放送を中心とした売上構造という意味では売る方が頼りたくなる構図は存在してしまっている。コンテンツの品質を放送側がどう思っているかとか無関係なところでも)。まぁ、韓流系のTVドラマとかは売上のピークは過ぎてるので、本来なら減っていくのは時間の問題のはずだけど(細かいことを言うと、韓国側が売れなくなった時にたたき売りになったら買われるとか、抱き合わせ商法的売買とかが入ったりすると、そんなにきれいに減少しないのだけど)、これは相対的なものなので、他に代わりになるコンテンツが出てこないことには時期は正直予想困難。
まー、どっちにしろ、それがすべてではないけど、「コンテンツが商売になりづらい時代の商法として儲かるものは使っている」という側面は確実にあるので、今後のマスメディアやこのてのコンテンツがどうなるか正直自分には予想はできないけど、短期的にはちゃんと作り手に金を流さないで「韓流流すな」つって変わると思うメンタリティが理解できない。
ちなみに、「韓流専門番組は以外の番組にまで韓国ネタが出てくるのがごり押し」とかいう別っぽい意見もみかけるけど、上記の話との結びつきは明確だし、そもそも韓国旅行者数ってこの10年以上みてもそこそこの人数なのでネタとしてほしい人が一定数いるのは明らかで「仕掛け人」「ごり押し」が「なければ」…「減った」可能性はあるかもしれんけど、全部「ねつ造」で説明できるというのはちょっとね。
右の活動にはキチガイカルトがすり寄ってきて、左の活動には赤い奴らがすり寄ってくる、ってのはまあ風物詩だね。
牛耳るというのがどの程度を指しているかはともかく、大広告主なんでかなり「強い配慮」が働いてるのは間違いないでしょ。
それと、山本太郎はただの厄介払い、ドラゴンはただの馬鹿として、鉢呂はさすがに刺されたと言わざるを得ない。「放射能」発言の第一報がその場にいなかったフジテレビで他社も伝聞報道、記者に囲まれての発言だったはずなのに誰が聞いたのか分からんとか有りえなさすぎる。ま、もっとも刺させたのが原発筋なのかどうかは分からんがね。
俺は原発村でも反原発でもない(広義の脱原発派ではある)けど、正直こういう「子供の危険が危ない!」系が一番バカだと思うけどな。キチガイとまでは言わないけど。
デモとか参加する前にきちんと勉強してきちんと情報を仕入れるべきだよ。科学的なやつをね。根本的に何が危なくて何が危なくないのか分かってないと思う。先日の放射性ヨウ素騒動でも吹き上がってたクチじゃね?
警察の人と悶着起こして「警察のすさまじい暴力!不当逮捕!(キリッ)」とかいう
(原発反対自体が左翼とか反社会系の危ない人みたいに思われるので物凄くやめて欲しい。)
とか真顔で言い出す人。
(デモにも居たけど、そういうのはせめて個人の時に発言して欲しい。
純粋に不安に思ったお母さんとかもちゃんと、たくさん居るんだよ。
でもそういう純粋に原発に反対したい人達はデモとかに不慣れなので、
変に場慣れしたキチガイによってキチガイじみた別の運動に一方的に利用されてる。
これが本当に腹立たしい。
おまわりさんと揉み合いしたり
どーでもいい陰謀論喚いたりするためにデモに参加した人ばっかりじゃないんだよ。
雰囲気も居る場所も別れてたし。