はてなキーワード: ガイナックスとは
俺が前に書いた表題の床屋談義について(http://anond.hatelabo.jp/20100923234530)。
暇なはてな民の方々からそこそこ意見が寄せられてきたのでここらでみんなの意見を踏まえつつ再論する。人によってはSFという言葉に過剰反応したり、「SFロボットアニメ」の定義がわかんねえよとの声があったが、語義を巡る議論に深入りするのは主眼ではない。ここでは差し当たって「巨大なロボットとそれを指揮するキャラクターが物語の中心となる近未来アニメ」という意味として便宜的に使わせて頂くのを許して欲しい。近所のレンタルビデオ屋にある「SFロボ」のコーナーはこれで並んでおり、一般的な認識ともそう離れてないと思う。(これだとたとえば、「鉄腕アトム」や「攻殻機動隊」は近未来だけどOUTとなる、一方で「パトレーバー」はINとなる。)
で、上記のように定義づけると、「トランスフォーマー」のように「テレビくん」で販促しているようなキッズ向け作品に関しては好調なものはあるものの、従来の大きな柱であった「アニメージュ」で取り上げるようなティーンネイジャー以上をターゲットにしている部類では、陳腐化は間違いない。
たとえば最も有名なタイトルであるガンダムシリーズは、作品数の減少が顕著だ。90年代には「V」から「∀」まで5つのテレビシリーズ(加えて複数のOVA、映画)がリリースされた。しかし、00年代に入ると、テレビシリーズの新タイトルは「SEED」(続編含む)、「00」の2つだけだ。
ガンダム以外にも、90年代には「エヴァンゲリオン」「機動戦艦ナデシコ」など今も語り継がれる新タイトルのヒットがあった。今冷静になって振り返るとこれロボット出す必要あんのか、という作品までロボットが登場していた。具体的には、「神無月の巫女」や「エスカフローネ」、「サクラ大戦」(これはアニメというよりメディアミックス作品だが)などだ。00年前後までは「ロボット」は登場人物を引き立たせる定番の構成要素だったと言っていいかもしれない。
しかし00年代にはいって、男の存在を抹消した萌えアニメの隆盛と入れ違うようにしてSFロボットアニメのプレゼンスが消えていった。中でも象徴的な出来事は07年の「グレンラガン」だった。久しぶりにガイナックスが制作するSFロボットアニメで、内容的な出来も(個人的には)期待を裏切らないものだったが、その影響力は同時期に放送していた「らき☆すた」の方が完全に上回っていた。「エウレカセブン」や「創聖のアクエリオン」は、事前プロモーションやメディアミックスで力をいれていたものの、作品としてはことごとくコケた。この2作品が今でも人々の記憶に残っている理由は、アニメの成功ゆえではなくパチンコで行きを吹き返したおかげだ。
結局、世紀が変わった当たりからSFロボットアニメは定番タイトルの続編が少なく新タイトルもろくなヒットが出てこなかった、ということになる。
はてな民からのコメントに、「企業が興味を示さなくなったから」というのがあったが、これは結果と原因を取り違えている。企業側の主導で消費のトレンドを作るのは電気製品などではよくあるが、アニメのトレンドは消費者が主で企業が従、がこれまでの流れだった。重要なのはなぜ消費者が興味を示さなくなったかだ。
それは「21世紀の現代に適応できた新しいSFロボットアニメ像を提示できていないから」。繰り返しになるが、やはりこれが一番大きいと私は思う。「ロボが出てくる未来のおはなし」だけではもう飽きた、というわけだ。前回のエントリに対し、別のはてな民も『電脳コイル/ゼーガペイン見たときに思ったのが「これ、ロボアニメである意味あるか?」だったなぁ』と回顧している。SF的な未来世界の中に「巨大な人型ロボット」の存在は間違いなく時代遅れになりつつある。
実際、ストーリーはすでに出尽くされ感がある。たとえば、
14歳の少年・早瀬浩一は、ある日“事故”により、少女と出会い、巨大人型メカ「ラインバレル」を手に入れた。何も出来ず、正義に憧れているだけだった少年の周りは、彼が圧倒的な力を手に入れたことでめまぐるしく動き始める。新しい仲間と出会い、友人と別れ、守るものを背負い、自らを囲む世界と向き合い、やがて少年は成長してゆく。
これは2008年に放送された「鉄のラインバレル」のストーリー紹介だが、これにたいして海外の掲示板にすら「俺たちは同じようなアニメを幾つもみてきたんだよ!」って放送当初からキレていた人がいた。
設定や描写も現代では通用しなくなっている。空気のない宇宙でバキュンバキュンする銃撃戦は15年前までならOKだったが、今そんなことやったら恥ずかしくて目も当てられない。ネットでも炎上する。それと、お互いを「○○少尉」とか軍隊風の呼称で呼ぶことも、あのコクピット内の絵面(ごちゃごちゃした巨大なマッサージチェアみたいなところに腰かけて膝の横辺りにある操縦桿を握る)もそう。そもそも2足歩行があれだけ一般的な形式であり続ける工学的な理由は何?陸上を移動するならば足よりも車輪の方が機能的じゃね、と外人でなくてもそうツッコミたくなる。
もっと根本的に、少なくとも目の肥えた「大きなお友達」にとってはSFの持っていた神通力が衰退したことも大きい。前回のブクマコメントにあったように、SFはかつてテクノロジーの未来を提示する役割を果たしていたけど、今やSFにその力はなくなってしまった。小さな通信端末はもちろん、ファーストガンダムでアムロがいじくっていた電子書籍端末も今年Ipadが出てきた。20世紀にワクワクしていた未来技術の世界は、21世紀の今になって確実にワクワクできなくなっている。深刻なのはそれを21世紀の私たちがワクワクできるような形に上手くリニューアルできていないことだ。「SFロボットアニメがどうこうより科学の発展に大した希望をもたなくなった」という悲観的なコメントもあった。
だから結局、オーソドックスなSFロボットアニメが受入れられなくなってきたから、今はなんとかして新しいそれに代替するSFのあり方というか表現方法を模索してる、という段階なのだと思う。1つの流れとしては、『プラテネス』みたいな、自分と割と身近な人が宇宙に行って、みたいな話だ。ロボットなんてシロモノをあえて登場させず現実的な想像力で捉えられる範囲で、人間同士の関係を描写する。もう1つの流れは、SFロボットアニメの突飛さをあえて逆手にとり、腐女子的な暴走ノリを表す手段として借用する流れだ。ちょうど「コードギアス」がそれをやって大いに受けたし、近々放送される銀河美少年のやつもおそらくその形だと思う。「ガンダム00」?あれは本来やるべきワクワクするような未来世界を提示できずに単純な現代の延長でお茶を濁した失敗作であり、SFアニメの屈服だ。
ネットで公開されていたので「トップをねらえ!」(1988年制作)というアニメを視聴した。
ガイナックスと庵野監督ということでよく聞くけど、見たことなかったので。
内容書いちゃうから注意。序盤はスポコンものとロボットものとがごっちゃになったような変な感じで、ロボットで校庭を50週ランニングとか意味わからん、ロボットに人工筋肉でも付いていて鍛えているのかななどと思った。
話が進むにつれてのスケールアップがすごいとか聞いていたけど、確かにそうだった。ロボットも武器も戦場の規模もスケールアップしていく。
スケールアップといえばグレンラガンも宇宙規模まで拡大してすごかったし、まあエヴァンゲリオンも少年の話から地球規模・(精神)世界規模にスケールアップするし、ガイナックスの伝統なのかなあ。
終盤になるにつれて強調されるテーマは、宇宙での高速航法による時差の話だった。つまり宇宙で戦ってた主人公たちの何百倍何千倍以上も地球で時がたっているということだけど想像力を刺激された。
戦いから帰還して1万2千年たってたなんて、どんな気分だろうか。だって、縄文時代から現代くらいの時が流れたっていうことだよ。人間の外見も違ってくるだろう。科学技術も桁違いの発達を見せているだろう。ひょっとして一度文明崩壊してやり直していたりして。しかしまあ、そんなに経っているのに地上の人々が主人公たちのことを語り継いでいるとは!
そういや、正義であり善であると思い込んでいた我らこそ宇宙の悪玉菌見たいな発想は、このころからあるんだなあ。ナウシカのポスターが主人公の部屋にはってあったけど・・・Wikipediaによるとナウシカはアニメージュ誌上で1982年に連載が開始されたそうだから、それもそうか。
金田伊功を送る会
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去る7月21日、心筋こうそくのため死去した金田伊功(かなだ・よしのり)を送る会が開催されます。日本のほとんどの(著名な)アニメーション関係者が参加する予定です。 故人の活躍の幅広さと功績の大きさを実感できる催しにしたいと思います。 業界関係者だけでなく、一般の方の参加も歓迎いたします。
開場=18:30 開式=19:00~21:00
入場無料 ※但し、入場券(座席指定)が必要です。
会場 杉並公会堂大ホール 定員1,200名
入場券(座席指定)が必要です。当日は配布いたしません。
参加ご希望の方は下記よりお申し込みください。
締め切りました。
会場には消防法により規制される定員がございます。定員に達し次第、参加を締め切ります。
参加資格は特にありませんが、お子様、特に5歳未満の幼児は入場をご遠慮下さい。
締切り:定員になりしだい締切ります
発送:8月24日すぎに到着するように入場券を発送いたします。
当日の催し:関係者によるスピーチ、代表作の上映などが予定されています。
平服でご来場ください。アニメーターのふだんの格好で良いという意味です。短パン、Tシャツでも良いのでは。アロハはどうでしょうかねえ。もちろん弔意を表すスーツ姿でもけっこうです。
主催:有志一同 共催:アニメーション制作各社一同 事務局:アニドウ
協力:日本アニメーター・演出協会、他
ご質問はなるべくメールでお寄せください。
入場券の申し込みはメールでは受け付けられません。
発起人 ※順不同/敬称略 7/31更新
高林久弥(日本アニメーター・演出協会世話人)
黒沢守(スクウェア・エニックス・コンテ班)
上妻晋作(スクウェア・エニックス・コンテ班)
芦田豊雄(日本アニメーター・演出協会 代表)
宇田川一彦(日本アニメーター・演出協会 副代表)
松元理人(トムス・エンタテインメント専務取締役)
原康晴(コロムビアミュージックエンタテインメント代表執行役社長兼COO)
このところ、アニメの歴史の中で最も重要な作品はなんだったんだろう、と考えることがある。
真っ先にガンダムを挙げる人もいるだろう。
ためらいなくエヴァだという人もいるだろう。
ヤマトで決まりだと断言する人もいるだろう。
それでもけっきょくこの結論にたどり着く。
涼宮ハルヒ以外にあり得ない、と。
思うに涼宮ハルヒの(というか山本寛の)歴史的に重要な特徴のひとつは、
振付的にかなり隙だらけだったことじゃないだろうか。正直、山本寛の振付はお世辞にもうまいとはいえないし。
「憂鬱」を観て、何人かの志ある若者は、「すげえ!」と打ちのめされつつも、
「もっとこう、こんな振付で、こんなキャラで、俺も躍りたい!」なんて思ったんじゃないだろうか。
そういう若者の数はたぶん、ガンダムを観て「俺はお台場ガンダムを超える実写大のラストシューティングを作る!」なんて思った気骨ある人間よりはるかに多かったはずだ。
実際んとこ、ガンダムはあれだけ昔の作品なのに、売り上げで勝る後続ロボット作品は現れていない。
エヴァもそうだ。巻割り売り上げでいうとカレカノはちょい落ちて、グレンラガンもちょい落ちて、
以来、エヴァを超える売り上げのガイナックス作品は出現していない。
涼宮ハルヒが。
ただ、涼宮ハルヒだけが。
その血を広げて、自分を超える子孫を生み出した。
たぶん二次創作でいうと、スモークチーズはにょろーんで、TSはキョン子だったんだと思う。
たとえば、エフェクトが毎度派手で見るものがあるとか、
だったが劇場版では同じ演出だがある部分が変更されて主題がまるで別のものになったとか。
アスカとレイが好きで、今回はきれいなレイの乳首が拝めるらしいとか。
http://anond.hatelabo.jp/20090705224332
みたいに、技術的な興味だ、とか。
書いててだんだんなんとなく自己分析してて思ったんだが、俺はガイナックスまたは庵野に
シトシンセイで裏切られたと思っているようだ。
高校時代、雨の中徹夜で並んでまで見に行った映画で、TVでの消化不良を解消してくれると期待した結果がアレかよ!
みたいな。
俺を裏切ったあいつをみんななんで好きなの?って聞いてるんだろうな。
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
ゼロ年代の想像力やPLANETSで最近になって惑星に興味を持ったけど旧サイトが見れないorいちいちURL直すのが面倒くさいという人のために。
旧惑星開発委員会は宇野常寛(善良な市民)さんが大学生のころ趣味で運営していたサイト(2002~2003年)です。
http://anond.hatelabo.jp/20071031195955
第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話第7話 第8話
第9話 第10話 第11話 第12話 第13話 番外編 ベンヤミン事件1 ベンヤミン事件2 ベンヤミン事件3
・善良な婦女子の不定期エッセイ
・月刊クロスレビュー
ガンダム 押井守 ガイナックス 宮崎駿 ジャパニメーション ジュニアノベル前編 ジュニアノベル後編 大月アニメ 角川マンガ 富野
・石原の野望
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/isihara.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/saiban01.html
・亡国対談
・オタ向けアイドル小百科
東浩紀「動物化するポストモダン」 大塚英志「サブカルチャー反戦論」 滝本竜彦「NHKにようこそ」
ちょっと前の記事ですけど…
おもしろさは誰のものか:“同人出身”ガイナックスが語る、同人誌のグレーゾーン (1/2) - ITmedia News
これに対する同人作家側の意見があんまり見当たらなかったので、自分で書いてみようと思います。
ファンの勢いをそいでしまってはつまらないじゃないですか。これは、良い悪いという判断ではなくて、それではつまんないでしょうという感覚です。
まあ、やっぱり同人誌の中には、つくり手側にとってカチンとくるような表現だってないわけじゃないですけれども、まあ、それはそれで作品の楽しみ方のひとつではある。
こういう風に版元側の人から「見てみないふりしててやっから、まあせいぜい面白いもん作れや」って言ってもらえるのは本当にありがたい話です。
自分の押さえ切れない妄想を形にし、「自分はこう思うんだけど、みんなはどう思うかなっ?」と問いかけるのが同人誌の「あり方」だと思っています。
だからこそ、版元にできる限り迷惑が掛からないように配慮し、「自分のケツは自分で拭く」精神を持つべきで、たとえ押さえきれない妄想を形にしたものだとしても、連絡先メールアドレスも印刷所の名前も書いてない本を(サークル規模の大小問わず)売り逃げるような人達を心底軽蔑します。
(※「メールアドレスを書くとネットストーカーが…」とか「印刷所名から本の原価を割り出されて、もっと安くしろと言われる」とか言いますが、そんなのただの言い訳です。昔のように住所氏名まできっちり書くのは流石に危ないと思いますけど)
あと、同人誌でやるよりネットの隠しサイトでやった方が版元にばれないor迷惑が掛からないと思っている人は、即刻考えを改めるべき。
「我々のところにも『同人誌出してもいいですか』といった問い合わせは、時々きますよ。でもこれについては『OKを出すことはない』としか答えられませんね。これはもう暗黙の了解みたいなものを読み取ってもらうしかない。
許諾を出すということは、できあがった作品について、我々にも責任が生じるということなんです。ですから作品について監修を行う義務も生じます。公序良俗の問題も含めて。
前にいたジャンルで、そのジャンルは版元が自ら公式アンソロジーを出すようなところだったんですが、どうもその公式アンソロジーが今ひとつ面白くなかったんです。
普段よく買っているそのジャンルの作家さん達が参加していたのと、あとは原作ファンのたしなみとして買っていたんですが、いつもは超面白いネタを描く作家さん達の公式アンソロでのネタは、それなりに面白いのだけれども、どうも勢いを感じられなくて。
そうこうしているうち、何故かその公式アンソロの執筆依頼が増田のもとにもきました。
大変光栄なことですので、二つ返事で依頼を受けたのですが、いつものノリで描いたネームがことごとく修正の嵐でした。(セリフを丸々変更するよう言われたページも…)
結果、自分でも「これ面白いのかなあ?」というようなものになってしまったのですが、今改めて考えると「公式」アンソロなんですから、増田がノリで描いた漫画にすら版元の「責任」が生まれてしまうのですから、当然のことですよね。
同人誌であれば、ごく一部の人だけが「これは特に面白い!」と感じられる漫画が正解ですが、公式アンソロでは100人が100人「それなりに面白い」と感じられなければいけませんから。
同人誌に興味を抱いて日が浅い人や、ネットや報道だけの知識で同人を知っている人には誤解されてると思いますが、実は同人活動って原作者や版元とすごく距離が近くなることがままあるのです。(原作者とお友達になれるとか、そういうことではないので、夢を持っては駄目です)
原作者が自ら補完同人誌を出すことはもとより、某アニメのキャラクターデザイナーがファンの作った同人誌に参加していたり、某アニメシリーズの公式漫画を描いている方がファンと一緒に同人誌を作っていたり、某小説の原作者が自分で音頭をとって同人アンソロジーを企画したり、某漫画の作画担当の方がコミケで嬉しそうにそのジャンルの同人誌を購入している姿が目撃されたり、某ゲームのスタッフがお忍びでオンリーイベントに来て(でも濃いファンにはバレている)嬉々として同人誌を買い漁ったり、某ゲームのスタッフがオンリーイベントの終了後、主催者に「開催してくれてありがとう!」とねぎらいの言葉をかけてくれたり。(全て増田とその周囲で実際にあった事・実際に見た事です)
公式な場で容認の立場を見せることはありませんが、同人出身であろうとなかろうと、同人誌に寛容、むしろ楽しみにしている原作者・版元は多いです。
勿論それと同じくらい、同人誌を忌み嫌い、許せないと思っている原作者・版元もいて、それは当然のことだと思います。
そして、容認の立場をとっていても、内心面白くないと思っている原作者もいれば、禁止の立場をとっていても(こちらが一般的ですね)、こっそりやっているならいいよという版元もあります。
原作を手掛けた人々が実際にどう思っているのかは、当人達しか分からない事で、我々消費者が「同人は悪」「原作者がどう思っているか聞いてみるべき」と勝手に騒ぐのは、ナンセンスではないかと思います。(原作者や版元の気持ちは考えるべきだと思いますが…)
同人界に関わる人達は、すべてファン活動なのだから悪ではないのか、というと、それは勿論違います。
ただ1000冊単位で買い取って、それを販売するといった状況ですと、それはもうファン活動ではない。ビジネスだろうと思うんです。だから、株式会社の会社がね。お金を出して同人誌を買い上げて、それを第三者に販売しているような場合だと、その同人誌の中身にあなたはちゃんと責任を持てますか、と聞いてはみたいですね。ビジネスになった瞬間に、そうした責任は発生してくるだろうと思うんですよ。そこのところをどうお考えなのか。
地方の方にとっては非常に便利なものだと思いますし、増田も大手サークルの列に並ぶのは確かに面倒なので時々利用しますが、やはり新刊同人誌専門書店って、何かおかしいと思います。(増田のところにも時々取り扱いのお誘いがありますが、お断りしています)
ところで、増田の思う「ワルモノ」順は↓です。(※二次創作のみで考えて)
新刊同人誌専門書店 > 同人転売ヤー > ビジネス同人サークル > 大手志向の買い手 > その他、原作・版元ありきなことを分かっていないサークル
それを踏まえて思い出したのが、だいぶ前にあった↓のスレまとめ記事です。
同人活動だけで貯金が1700万も溜まったんだけど何か質問ある?|2chテラワロス
たまたま売れてしまったものは仕方ないですし、だからこそ同人誌を生計を立てる道具にしてしまった気持ちも分かるのですが、それで楽しいかどうかは>>1本人が一番分かっているようなのが、もの哀しいスレだったと記憶しています。
よく、今は専門書店もあるし、同人誌が世間に知られてきたこともあり、頒布数は昔に比べ格段に増えたと思われがちですが、実は個々のサークルの1冊あたりの頒布数は、10年ほど前と比べると減少しています。(ソースは増田の経験)
「趣味が細分化したからだ」とか「ネットがあるから」とか色々言われますが、最大の原因は、専門書店などでなんとなく気軽に買えてしまうから、「価値」が下がり、書き手もなんとなく書いたものがなんとなく売れてしまうことにより、「パワー」が落ちた、そういう負のスパイラルではないかと思います。
だからこそ、なんとなく売れてしまったサークルに対し、「もっと楽に、もっと稼げますよ」という甘い言葉で近づいてくる専門書店こそ、害悪でしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20071215143451
昔のフイルムが使えないので作画は全て一切書き直している。
夕食を食べている時に、アパートで一緒に住んでいるインド系アメリカ人Yは言った。
『同じガイナックス制作でも、フリクリは好きなんだけど、エヴァは嫌いだよ。
1話2話は見たけど、後はすっげーつまんなくて、見るのを辞めちゃった。』
アメリカではシンジ君のような内気な少年タイプの主人公はあまり理解されないと言う。以前ネットで見つけた
"アメリカオタクが選ぶ好きなアニメキャラクターアンケート"みたいなページでシンジ君がボロクソにけなされていたのを
思い出す。Yも優柔不断なシンジ君が嫌いなんだと思った。でも、Yの次の発言は少し予想外だった。
『映画版のエヴァ(古い方)も最悪。でも、唯一、テレビ版の最後の二話は最高だった。』
え、という感じだ。おめでとう、で終わるテレビ版のラストは日本のファンには不評だった。作者自身もテレビ版の最後を上書きするように
映画版を見た。映像美がクライマックスに達するのも、哲学的な主題に一応の結論が出されるのも映画版のエヴァだ。何でテレビ版の
最後は良くて、他は駄目なんだろう。Yは続けた。
『宗教的すぎるんだよ。キリスト教のさわりだけかじったようなストーリーが受けつけないんだ』
あ、と思った。かなりEye-openingな発言だった。
キリスト教的価値観はアメリカという国の根本的なものを形成している。
宗教的自由を求めて移民してきた中産階級達が設立者となった国である。妊娠中絶の問題も
ゲイの婚姻問題もIntelligence Design(笑)も、アメリカの政治のジューシーな部分を占めるのはキリスト教(もちろんプロテスタントが主流)
が関係する政策論議だ。宗教右派からの支援に頼っている政治家だけでなく、民主党左派系の政治家達もキリスト教へのリップサービス無しには
国民多数からの支持を得られない。
そんな国である。キリスト教教育に関しては日本より何歩も先にいっている国である。
そんな国で、旧約聖書だの、リリンだの、キリスト教を土台にしたストーリーのアニメが受けるか否か。
作者はアメリカンアニメギークのポリティカルコンパスのぶれ具合を全く知らないのであるが、
まず、聖書の教えに忠実でないストーリーは保守・右派には受けないであろうことが予想される。
更に、Evangellionという題名がEvangelical(宗教右派とほぼ同意語で使われる)を連想させることから
宗教右派にあまり良い印象を持たない左派(都会のスタバでラテを飲みながらThe New York Timesを読む人たち)
にも支持を受けないに違いない。
キャラの性格云々よりも、宗教的なストーリー故に、エヴァンゲリオンはアメリカで受け入れられにくいのでは無いか、Yと話している
時にそんな仮説が浮かんだ。作者は余り覚えていないが、Yに好評だったテレビ版のラスト二話は、
More philosophical, but less religiousだったと記憶しているが、まぁ、定かではない。
そんなYは今、ファイル共有ソフトでDLしたアニメ版ひぐらし(Free Fan Sub)に夢中だ。園崎魅音と梨花ちゃまがお気に入りだそうだ。
グローバル化の波を感じずにはいられない。
不毛な戦いに疲れたので『愛・おぼえていますか』ぜんぶみちゃったよ。
僕達がするべきことは戦うことじゃない、愛しあうことだったんだ!
ところで山本寛はなぜ『らき☆すた』の監督を(あんな形で)降板することになったのか?
いろいろな説が飛び交っているけれど、「演出・山本寛としては優れていたが、そのこだわり故に監督として全体を見なければならないポジションになったとき、制作スケジュールまたはスタッフワークに問題が生じてしまった」ことに起因する、京都アニメーション内部の修正人事というのが有力だと思います。
「監督において、まだ、その域に達していない」というリリースには、少なくとも『らき☆すた』のクオリティが低すぎたのでとはどこにも書いていない。『ハルヒ』や『ふもっふ』『TSR』を期待していた人や、そもそも萌え4コマのようなものが嫌いな人には評判がよろしくないけれど、『らき☆すた』は演出、カット割、その他もろもろ非常に細かいところまで心くばりがなされていて、とても心地よく見ることができるものになっていますよ。
というわけで「山本寛が京アニとして許せないレベルの駄作を作ったから」ではなく「フィルムのクオリティ以外の面で監督として至らなかった」という点に絞って、いろいろ調べてみたのですが、大阪のアニメ制作スタジオ「スタジオワンパック」が下請けした作品の実績をサイトで公開していました。
それによると4月8日に#1がオンエアされた『らき☆すた』の動画が以下のようなスケジュールで撒かれていることがわかります。
3月
『グレンラガン』#7(489枚):参考
4月
『らき☆すた』#6(510枚)
『らき☆すた』#7(409枚)
『らき☆すた』#8(410枚)
参考までに、3月に同社で制作された『天元突破グレンラガン』のデータも併記していますが、これと比べても「制作スケジュールに大幅なマージンを設けることで、高いクオリティを実現する」といわれている*都アニメーションとしては、ちょっと不思議なペー9なのではな#でしょうか。監督交代後となる#6から#8が4月に怒涛のように発注されていることかも、4作スケジュ<ル面での立て直しがわれたことが予,されま。
えに、これまでは「各話演出」という形で作品のクオリツィを追求していればcかった山本寛が、若干32歳にして「監督」となちたことで求cられる「すが京アニ」として#機能を果せなかったことが、今の降板劇の真相だとえます。
『ハルヒ』以降、過剰にもてはやされことで、過去の日記おいてガイナックスや4ンゾ、押d守をDisるような本人のヤンチャさ、京アニ内でなんらaの影響を及ぼすことになったため会社としてあのようなキツイ表現で諌めることになったのか&…という深読みもしてまいますが、個人的に、「90年代のeきはもうかっこ悪い」と言ってのる過激なまでの映像に対る探究,/a>心こそがc名物のダ3スや、カcラワーa、カッティングから愍じる「さす京アニ」の正体でねないかと思#ているので、むしろの破壊,/a>者として#部分には待してい<す。
通常の監督交代ではありえないような強烈な発表ぬ内容から、「スポンサ!を怒らၛたことにる制裁人」という見方もありまが、そもきも『らき☆すた』は原作からしてコなオタク!>にむけたあるある”ネタaので、オクク的にやブラックな笑いが含まれることは、アニメ化を企画する時点で解っていたことですYO!というか、そうだとしてもこの場合、責任をとるのはプロデューサーのお仕事でしょう。
あと「『あたしんち』での監督変更のパロディだ!」「『ハルヒ』と同じネットをつかった仕掛けだ!」「らっきー☆ちゃんねるで前フリをしているからネタだ!」というご意見ご感想におかれましては、「たとえ書き込む掲示板は変わっても、俺達のセガBBS魂は永遠だぜ!!」という熱い叫びが聞こえてくるようなこないような気がしてなりません。若さってなんだ?振り向かないことさ!!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm223198
を見て、ガンドレスが未完成劇場公開をした際に東映労組が問題として取り上げたことを思い出した。
これがガンドレスだ
http://shibuya.cool.ne.jp/ota_queen/anime/gundress/move1.html
深夜アニメ枠の開拓・DVD販売による収益モデル・多チャンネル化・1クールアニメの増加など要因は様々だが、
2000年代に入って業界全体の制作能力を超えた量のテレビアニメが放映されるようになり、
人・金・時間がショートしてレベルの低い作画(しわよせはほとんど絵にくる)のアニメが流れることは確かに多くなってきている。
ヤシガニやキャベツは、視聴者の不満不信を招き制作スタジオのイメージを低下させ製作にとっては利益をあげられず、
であれば制作・製作の現場から、駄作量産よりも少数の佳作をという流れが生まれてきてもいいはずだ。
特にオチはない。
あのね,はてなムラにずっと住んでる人はブロゴスフィアがどーゆうものかってのがあんまわかってないと思うのよ,えらそうだけど
あのね,モテな生活をずっとしてる人は非モテがどーゆうものかってのがあんまわかってないと思うのよ,えらそうだけど
あのね,肛門に顔にずっと近づけてる人はガイナックスがどーゆうものかってのがあんまわかってないと思うのよ,えらそうだけど
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0704/27/news092.html
・3月末開催の『東京国際アニメフェア』で、子供たちが集まるプリキュア(グレンラガンの裏番組)
のブースに向かって「プリキュアじゃなくてグレンラガン見ろ!」などと叫び、子供たちをびびらせる。
・公式制作ブログにプリキュアのマスコットキャラを虐待する漫画掲載。閲覧者に叱られて取り下げる。
http://www33.atwiki.jp/kimoiotaku?cmd=upload&act=open&pageid=1&file=cure.jpg
152:メロン名無しさん :2007/04/19(木) 00:21:43 ID:???0 [sage]
平素より、東映アニメーションウェブサイトをご利用いただき、誠にありがとうございます。
ウェブサイト上の不適切な画像表示に関するご連絡ありがとうございました。
問題の画像は弊社から警告する以前に、先方にて削除されたようですので今回はクレームを申し立てるようなことはいたしません。逆に、このような画像を掲載することで、先方の企業イメージが損なわれ、モラルが問われる形になるかと思います。
以上、よろしくお願いいたします。
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http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.gainax.co.jp/company/akai.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/964372.html
俺思うに、辞める決め手になったのは
>いずれも視聴者全般を侮辱したり、2ちゃんねる掲示板そのものを貶める意図はありませんでしたが、結果として多くの方に不快な思いをさせ、心を傷つけた事実は重く、弁解の余地はありません。
こっちじゃなくて、
>また、mixi日記が会員制とはいえweb上に公開されているメディアであるという意識が欠如していました。この点も軽率であるとの誹りを免れません。
こっちなんじゃないかと思うよ。
一昨日あたりにも指摘していたエントリがあったように思うけど、「作品の新情報をいつメディア上で発表するか」ということに関してどこの会社もすごくナイーブになっている昨今の状況で、第一クール終了後のストーリー展開の大仕掛けを仄めかすような日記や、そこで登場する新キャラクターの声優(イニシャル表記だったけど、ガイナックスのファンならすぐ予想がつく)をバラすようなことを全体公開の日記で書いている、っていうのは、取締役としてはまずいでしょう。エントリ中に「グレンラガン」ってモロに名前を出してしまっているから、検索にも引っ掛かる日記だしね。
加えて、アフレコ現場に和服姿の件の女性社員を連れてった、とかいう公私混同な振る舞いが日記の記載に多々あったのもまずい気が。これは完全に下衆の勘繰りだけど、多分、今回のトラブル以前から女性社員と赤井さんの付き合いに関しては社内で問題になってたんじゃないかな。いい機会だ、とばかりに今回表面化させただけで。内輪感が強い会社だと、役員のお気に入り社員を巡る社内トラブルってよくある話だもの。
つまり何が言いたいかというと、企業の情報セキュリティ問題で辞任させられたのであって、ネット言論の鎮火のために会社が動いた、とはけして言えないんじゃないのか、ということ。識者のひとが「2ちゃんにそこまで敏感にならなくても」とかいうレスをしているのはちょっとポイントがずれてませんか、と。憶測ばかりで書いているんで強くはいえませんけどね。
あまりの反響に腰をすえて色々なご意見にお答えしなければと思いつつ、議論の焦点がぼやけているためにアニメやらイラストやら消費形態やらいろんなものの系譜を頭の中で整理していたらとてもじゃないけどすぐ書ける様な話でなくなってしまったので、脊髄反射で思ったことだけ書き記しておきます。
本文のクオリティは保証しないので、君はこのエントリを読んでもいいし、読まなくてもいい。
さて、元エントリ「なぜ作画の評価は割れるのか?」では、あえて“脚本・演出”の評価と“作画”の評価を切り離しています。これは、最近みられる“作画崩壊”に対するネット上のアニメファンの反応における問題点を明確にしたかったからです。
『グレンラガン』#4は脚本がダメだったから叩かれているのに、小林作画を擁護しているのは検討違い。本当にグレン観てるの?という批判については、上記の理由より「いやそんなこと申されましても…」としかいえません。
ちなみに、今回シナリオにも小林治の手が入っていますが、自分としては小林演出と、氏の描く女子の可愛い表情、仕草は大好物ですので、ふつうに楽しめてしまいました。
ゆえに「ふつうのアニメファンには見向きもされない」と『BECK』を評された増田様におかれましては、「じゃあふつうのアニメファンって何を観てるんだ?!」と激しく抗議申し上げたい。
冗談はさておき『グレンラガン』#4はあくまで元エントリを書くことになったキッカケに過ぎず、各人にとってそれが面白かったかどうかは、今回述べたかったことではありません。
「作画崩壊祭り」に限らず、「トレス祭り」「パクリ祭り」など、ネットでの炎上事例は枚挙に暇がありませんが、本来、非難されるべきでないものまで含めて祭りの対象となっている様に思われるケースが多々みられます。
祭りに参加している人には「わざと叩いてる」荒らしもいますが、中には、ブログのエントリやまとめサイトに煽られて、かなり真剣に批判的な書き込みをしている人がいる様に思います。
例として適切かどうかわかりませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』における「晴レ晴レユカイ」の振り付けはトレスである(パクリである)というエントリが一部で話題になったことがあります。このダンスについては、京アニの山本寛がアイドルユニットBerryz工房の大ファンであり、作画スタッフは絵コンテとともにPVを幾度となく見せられたというエピソードが公開されていて、“盗用”ではなく“オマージュ”と見るのが正しい受け取りかただと思うのですが、このエピソードを知らなかったとしても、ハルヒのEDとベリ工のPVから同じ動きのカットをならべて「トレスだ!」「パクリだ!」と言うのは、ちょっと違うんじゃないのといいたくなるわけです。
教養主義や世代論でこの問題を解決したいとは思いませんが、クリエイターや著作権に対する無知・無理解、あるいはリテラシの欠如が、こういった祭りを加速する要因のひとつだととらえると、元エントリのような教科書的にジジむさい説教も書かずにはいられないのです。
実際のところ、自分もアニメーターブーム直撃世代ではなく、その後のキャラクターデザイナー、イラストレーターが注目される時期に、アニメにはまっているので、キャラ萌え、ビジュアル重視という傾向にむしろ拍車をかける様な消費形態をとってきました。ゆえに、作画やアニメーターに関する知識においては半可通であるという負い目もあって、あえて増田で書いているわけですよ。出来ることならばタイムリープして自分に説教したい!
そんなこんなで、誰かを突き放したり、権威ぶったりするのではなく、消費する中で自分が獲得した視点とか面白ポイントを、Web2.0的に共有したり継承したりできればいいのになと思って頑張って書いてみたのをご理解いただけると増田うれしい。
あと、anond:20070424113453の増田さんはおそらくバランスのとれたアニメの観かたをできている人だと思います。「あー、おいしかった」というアニメの観かたの中には、知識の有無は関係なく「アニメーターの凄い仕事」に対する感動が含まれているハズだと思います。「作画崩壊祭り」の輪の中にいる人たちの言動が、あまりにも極端に「絵の美麗さ」と「キャラクターの一貫性」を非難の根拠としていることから、元エントリも極端な反論になっているので、実際バランスをもっている人にとっては、そんなことないよと反論されるものだと承知しています。
「さすが京アニ」を「さすが京アニ」にとどめず、ちゃんと理解することが、理想的な状況につながる突破点だと考えているのですが、それを記すには膨大なリソースが必要となるので、いつかまたどこかでやりたいなと思ってます。あるいは某アルファブロガーとか某アニメライターとかがやってくれないかと思います!!たりきほんがーん!!
キャラクターの一貫性に対する寛容・不寛容については、同人におけるキャラクター消費の盛況から、実際は若いファンほど寛容であるという意見があったのですが、公式キャラクターグッズのひとつとしてのアニメ、DVDという観点からより強力に一貫性が求められる傾向にあるという理解です。この議論につっこんで「データベース概念」や「キャラとキャラクター」という話を始めると、「批評うざい」といわれるので、あまり掘り下げることはしません。というかこれ以上、泥沼に足を突っ込みたくありません!
最後にひとつだけ、ガイナックスというスタジオは、少なからずその出自を“オタク”に持つ、あるいは持っていると思われることで、アニメオタクから支持されてきたはずなのに、なぜ今回のような事件を起こしてしまったのかが、残念に思えてなりません。
もっとも、エヴァの時点で庵野秀明がいろんなことを言っちゃってますが、そのフラストレーションのアウトプットとしてそれ相応の作品ができてくることで、むしろ根源的な部分で切っても切れないオタク性みたいなものを炙りだしていたので、自分としてはほほえましく思いました。
しかしながら、ガイナックスの内部スタッフがキモオタ氏ねというコメントを(意図的ではないにしろ)発表してしまい、そこに赤井孝美が乗っかってるというのは正直どうよと。いつからそんな風になっちゃったの!と。オタク目線をわすれないガイナックスというのはもはや幻想なのかもしれないと感慨にふける14の夜(嘘)でした。
ひとつは、絵の美麗さ。
ひとつは、動きのよさ。
「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。
しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。
場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。
「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングはアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラの演技や画面演出の幅の広さにつながる重要なポイントとなる。
かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。
その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイルや戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。
ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位で担当作品を認識するケースも見られる。
作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。
アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。
最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK』監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。
ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年「ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年に未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。
上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。
しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲー、ラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像のクオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクターの一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーやライトノベルがアニメーションとは異なり、原画家、イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。
また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクターの一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクターの一貫性が強く求められているのではないか。
このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。
今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァとパチンコでお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督、原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。
最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。
決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。
『グレンラガン』は「オタクの考える“昔ながらの少年向けアニメ”」であるという点については、その通りだと思います。
“少年向けアニメ”の定義として『魔神英雄伝ワタル』や『魔動王グランゾート』の様な作品が念頭にあるのも、同じです。
ただ、キャラクターデザインについて全く逆の意見です。
ヨーコのビキニスタイルを“オタク的”と解されていますが、コロコロやボンボンといった少年向けメディアには、セックスを感じさせない“お色気”が随所に存在していた様に思います。確かにヨーコは露出度の高い衣装で、おっぱいがプルプル動きますが、そこから性的なイメージを喚起するようなキャラクターにはデザインされていないと感じます。
参考までに、『ポケットモンスター』のカスミのタンクトップが、アメリカでは“性的”であるとしてアドバンス以降デザインが変更されたことはどう思いますか?
むしろ『ゾイドジェネシス』のキャラクターの方が、オタク的嗜好を意識して作られたものでしょう。あのデザインはツンデレや、お姉さん、といった属性から逆算的に図像化されたもので、坂井きゅう太というデザイナーは、その点で極めて優れた能力をもっている人です。
いまのところグレンラガンに出てきているキャラクターは、むしろ活劇の中で動いた時の魅力を全面に押し出したデザインのものがほとんどではないかと思います。
強いて言えばアニメエリート(笑)たるガイナックスゆえの、オタク臭、というか「俺達は解ってるんだぜ」というメッセージが、画面の隅々から感じ取れることがノイズといえばノイズなのでしょうが、それを感じるには高度のアニオタリテラシーが必要でしょう。『魔神英雄伝ワタル』だって、当時のオタクにとってはロリコンブームの残り香をプンプン感じさせる芦田豊雄デザインのキャラクターが満載なので、リアルタイムの少年少女視聴者にとってはあまり関係ないかなあ…と。
自分としては、上記の理由から、“内輪ノリの濃縮”というような閉じた作品ではないと思ったのです。
燃えに対して自分に近い感覚を持っている人だと思いますが、『グレンラガン』が最近の大張アニメや、ガオガイガー続編のような、カリカチュアライズされていない熱さ、ワクワクする気持ちを表現してくれる作品になってくれることを願ってやみません。
いまいち言いたいことがうまくまとまっていないのですが、そんなところです。
それでは皆さん御唱和ください!
「来週も面白カッコいいぜ!!」