はてなキーワード: 青二才とは
優勝 【悲報】青二才が岡田育に喧嘩を売るが軽くあしらわれ自滅する
https://anond.hatelabo.jp/20140704171301
人間はここまで情けないムーブができるのかという限界に挑んだ作品。全会一致で一位。
2位 いわゆる「みんなが大好き」が好きになれない
https://tm2501.com/entry/2015/04/30/193000
一行目のインパクトが凄くていまだに時々語りたくなる。二行目以降は読む価値がないという意味でもすごい。
3位 「娘の友達」というマンガが女子高生の皮を被った天使でおっさんを救済していく話でパない
https://togetter.com/li/1403314
読解力がないオタクの語るオタク語りはもはや完全に別作品になっていてたまに原作の面白さを越えることがある。その実例。作者にこの感想をぜひ読んでほしい。
4位 はてブオフに行ってきたけど…準強姦に加担させられた気分で不愉快でした
https://tm2501.com/entry/2014/07/13/130323
非リア充がリア充のサプライズ告白イベントに参加させられてムカつく、だったら共感を得られたのに「準強姦」と言い出してひんしゅくを買うその言語センスが凄い。俺が言われたら即名誉棄損で内容証明送る。およそ常人には到達しえない圧倒的な非モテ具合。普通の人間がこんなことを言ってたら「もうここで終わってもよい」という覚悟を感じるが本人は深く考えずにノリでこのワードをチョイスしているのがすごみを増している。
5位 野球の素振りの帰りに、警官20人と酔っぱらいに囲まれた話
https://togetter.com/li/1630899
一昨日スペースで友達とだべってたら5年ぶりくらいに青二才の話題が出てきた。青二才の書いてた記事で一番好きなやつ紹介しようぜって話になった。 俺の知らない記事の話も聞けてすごく有意義だった。
大学生になったばかりの若者が必ずする行いは「科学とはなにか」とググることだ。そして「反証可能性」「科学的方法」といったWikipediaの項目にたどり着く。もっと深く知りたいと思った人はさらなる文献を調べる。その知識に感化されすぎて、Twitterで非科学的な(と本人が思い込んでいる)言論を見つけるやいなや「お前たちの言っていることはエセ科学だ」と言い始める。
この段階を、科学のレベル1理解と仮に呼ぶしよう。確かに科学について全く興味のない、学んだことすらないというレベル0理解よりは進歩しているかもしれないがまだ「レベル1」である。
レベル2理解とはどういうものになるだろうか。私がそれについて見解を述べる前に「レベル1を超えるためには」という自問をしてみてもいいかもしれない。
私が思うに、レベル2とは「自然法則を発見しようとする態度」だ。どっかの自称サイエンティストは「汎化性能」とか「再現性」とかいうかもしれない。ただ、それらは「自然がどうなっているか」ということとは直接関係しているわけではない。単に、人間の仮説に対して統計というアプローチを採用しているだけだ。
科学に統計ではないアプローチがあるとすると何なのか。そこがレベル2に到達するための関門と自分は思っている。ショーン・キャロル教授は「宇宙とは、ヒルベルト空間におけるベクトルである」という仮説を述べている。それではこの仮説はどこから来たのか。それは、エヴェレット解釈がオッカムの剃刀的に機能し、コペンハーゲン解釈よりも仮定がシンプルであることから来ている。何かを統計的に判断するよりも前の段階で、まだ人間が発見していない自然法則を見つけるためには仮説そのものを見つけるセンスが要るのだ。
そのような仮説の多くは数理理論から来ている。「物理学者は数学と現実を混同している」と揶揄する人もいるが、私が今書いているような自然言語よりも数学のほうが簡単だ。賢いから数学を使うのではなく、我々人間が愚かだから、数学を使わなければまともな仮説が見つからないのだ。
つまりレベル2理解とは、数理モデル化によって、まだ見つかっていない自然法則に関する仮説を見つけることだと私は考える。物理学の数理モデルは機械学習モデルとは少し違う。機械学習モデルの目的は予測だけだが、物理学上の数理モデルは現象を理解することに焦点がある。ひも理論が「我々の宇宙の物理定数の値がなぜこうなっているのかわからないから、あらゆる定数値が可能だと仮定してみよう」といって、10^500ものバリエーションの宇宙が可能であることを数理的に示しているが、このような「理論から演繹的に見つかった仮説」というのは汎化性能のことを目指したのではない。
そういう仮説に対して「反証不可能だからエセ科学だ」と言う人もいるが、なぜ「反証不可能」だとわかったのだろうか。「数理的にこういう仮説が演繹された。将来的にそれが観測されるかもしれない」という想像力さえあれば、彼はレベル1理解を脱出することができただろう。「科学とエセ科学の境界」というものについて科学者ですら認識が異なるというのに、何がエセ科学であるのかについて100%の確信を持っているというのは、ケツの青い証拠である。
しかし悲しきかな、そのようなケツの青い青二才、つまりレベル1理解のほうが圧倒的多数であり、またレベル0理解はその人数を超えている。レベル1理解の者(IQに喩えるなら100の者)から見れば、レベル0とレベル2は両方とも馬鹿に見えるものだから、境目なく「エセ科学」と言って弾圧をし始める。
「その仮説を俺は疑っている」「その仮説は反証された」「その仮説は反証不可能である」「その仮説が反証可能なのかどうなのかはわからない」「その仮説は、特定の仮定から数学的に演繹された」ということを少なくとも区別したほうがよい。間違っても「その仮説はなんとなくエセ科学っぽい胡散臭さを感じるから弾圧しよう」などという非科学的な態度は取らないほうが良いだろう。
書こうと思ってたこと考えてたらこれが思い浮かんだのでタイトルにしました。
中学はとっくに卒業した年齢ですが、まだ青二才だと言われる年齢あたりです。だから一種の厨二病みたいなものかもしれません。
特に劇的な悲劇も成功もある訳ではないです。暇つぶしにでもしてください。
私はありがたい事に恵まれた家庭に生まれ、友人で居てくれる子もいて、勉強も特に苦労したことはなく、周りから見たら幸せに生きていると評されるような人生です。このような環境の人ごまんといると思いますし、だからこそ同じようなことを思っていても周りに理解されず相談できなかったと言う人、いるんじゃないでしょうか。そういう人たちに「わかる〜」と言って貰えば幸いです。合わなそうな人はここでやめてください。
(あと結論は最後に書いているのでなんだったらそこまで読み飛ばしてください)
幼少期、少し厳しいくらいの教育的な保護者と軽いいじめにあったことがきっかけで、私は自分の感情が分からなくなりました。環境的にどちらからも逃げることができず、私が行ったのは「これらの事情全てを肯定的に受け止める」ということです。私はいじめっ子のことを「唯一無二の親友」だと思い、家は「私のことを考えて将来を導いてくれているのだ」と心から思っていました。親友からひどく叱責された時も「私のことを考えて言ってくれているのだ」と思い込みました。保護者が面談で「(私)はこのような職業が気になっているようで〜」と言ったときに一蹴してやったと本人から聞いた時も「まあ今好きなことをやらせてもらっているんだからそういうものなのだろう」と思い込みました。
恐らくこのような思考は間違っていると思います。今は間違いだなと思えるようになりました。
ですが親友は今でも親友ですし、順調に保護者の言っていた通りの人生を歩んでいますし、一応は今の状態に納得しています。今では親友は割とまともになって、私の悲しい時は寄り添ってくれて泣いてくれたり、保護者も「別に好きな職に就けばいい」と言ってくれました。
今私は2人に対してどう思えばいいか分かりません。まともになってきたとはいえ、昔のトラウマでキツく詰め寄られると何も言えなくなってしまいますし、本当に将来に納得できているのか分かりませんし、心の底から大好きだとは全く言えません。でも感謝したいこともたくさんあります。
このような幼少期でしたので、私は「他人のために生きる」というのが板に着くようになりました。最初は普通にいじめられたくなかったからです。辛いから。
対面している人が何を望んでいるかを常に考えて動きました。そのとき、「自分の気持ちにウソをつかない」ということを常に意識しました。相手に合わせて意見を変えていたらそれはそれで敵を作ります。
このような状態でしたので、自己主張をできていないと言う訳ではありません。感情がないと言う訳ではありません。ただ、相手によって自分の出す感情は出して、これは友達には合わないなと言う意見は言わないというコミュニケーションの取り方をしていました。
だから、「好き」のような肯定的な感情がよく分からないことがあります。いじめっ子も環境に適応できるように強く思い込めば好きな友達になるので私に嫌いなものはありません。全部が全部好きです。それを対人の時は相手に合わせて出したり引っ込めたりするだけです。
それが10年ほど続きました。友人に初めてこのことを相談したのですが、「好きなものがなんで好きか分からないなんて当たり前じゃない?」と言われました。違うんだよな、と思いました。私はこの環境で生存するために強く強く思い込んだ結果、人を好きになり職に関連する学習内容を好きになりました。それは胸を張って好きだと言えません。でも私にはそれしかありません。
仲良くしてくれる友人たちは、自分の好きなものや嫌いなものがハッキリしています。自分の意見もハッキリしています。とても尊敬しています。私には全くできそうにないので
結論としては単純に「ある程度幸せだけど小さい頃自分の意見を捻じ曲げたせいで今の感情全てに自信が持てない」というものです。このような悩みを持つ人、きっといっぱいいると思います。そして相談もできていないと思います。だってその相談できる人を心からそうだって思えていないから(さっきの相談話も例え話などばかりで要領を得ないものをしてしまったよなと今では反省しています。でもそれが限界でした)
友人たちが大好きです。でも自信を持てません。
いつのまにか10数年経ち、小さい子供だった私は気づいたら成人年齢を超えていました。世間的には大人と言われますでしょうが、自分のこの人格は幼少期からずっと成長していません。外面だけしか成長していないので。
私も関心を寄せていたのだが、cinefuk氏のコメントが気になった。
書店で『18禁売り場』が実質「男性向けポルノ」売り場になっていて、女性の居場所がない問題。女性向けポルノは「成年向けではない」という体裁にしないと、店頭に出荷できない。レズビアン雑誌とかどうしてるのかな
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718579217484716610/comment/cinefuk
これには驚いた。cinefuk氏は常日頃が批判していた「表現の自由戦士」と同じ発言をしていたからだ。
アニメにしか登場しない「やたら権限と権力を握る生徒会」もはやフィクションと現実の境目がわからなくなってしまった青二才。現実社会に出て人と会話しない、ネット人格になってしまった哀れな人間の末路
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718124608374304674/comment/cinefuk
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/washburn1975/status/1514173583857451011
yas-mal 「どんな生活してきたらこうなるんだろう」…自分とは無関係な人のことのはずなのに、何故か心がえぐられる。
sophizm やめてさしあげて
quick_past いまだにスカートめくりの経験から卒業できないお子様かよ>三沢 小学生の頃からよほど周囲にツッコミ入れられるようなおいたばっかしてたんじゃね
cinefuk アニメにしか登場しない「やたら権限と権力を握る生徒会」もはやフィクションと現実の境目がわからなくなってしまった青二才。現実社会に出て人と会話しない、ネット人格になってしまった哀れな人間の末路
white_rose ありそう
これが本人まとめなのが恐ろしい。「月曜日のたわわ」擁護するオタクはこの人と同類ということでOK?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718473927379105186/comment/usi4444
「この論を支持する奴はこの人と同類ということでOK?」なら分かる。
「以前から青二才を支持する奴はこの人と同類ということでOK?」も、まあ分からないでもない。青二才を以前から支持している人間がいるかどうかはともかく。
だが、「 「月曜日のたわわ」擁護するオタクはこの人と同類ということでOK?」は、論理が破綻している。
「月曜日のたわわ」を擁護する人間がオタクと決めつけているのも、この人の認知の限界を示しているが、まあいい。
ブコメ見れば分かるが、青二才なんてどの陣営からも「こっち来んな」扱いされている奴をもって、
「月曜日のたわわ」を擁護する人間全体を代表させて「同類」とくくるのは、ただただあきれるほかない。
園子温の性加害をもって、
「安倍を非難する奴はこの人(園子温)と同類ということでOK?」
となじるのと同じだぞ?
お前は反安倍だと思うが、お前は園子温と同類の性加害者ということでOKなんだな?いいのかそれで?
あと、このコメントに☆付けている奴も何なの?園子温と同類の性加害者なの?