はてなキーワード: 藤井とは
死んだように寝た。
渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
第81期名人戦七番勝負第5局。18時53分、藤井聡太竜王が決め手となる一手を放つと、名人・渡辺明はすぐさま頭を下げ、駒を投じた。この瞬間、名人戦七番勝負が決着。藤井は名人位を奪取し、史上最年少名人、そして七冠を達成した。一方の渡辺は、唯一のタイトルだった名人を失冠。2004年以来、約18年半ぶりに無冠へと転落した。
重苦しい沈黙が対局室を支配した後、対局者へのインタビューが行われた。まずは勝者の藤井。いつもどおり、慎重に、丁寧に言葉が紡がれていく。一方、座して待つのは渡辺。藤井へのインタビューがひとしきり終わった後、ようやくマイクは向けられた。この将棋のこと、名人失冠のこと、そして無冠のこと。待ち続けた後に投げかけられる問いは、どこまでも厳しく、容赦がない。それでも渡辺は、こちらもいつもどおり、きっぱりと、はっきりと言葉を発していた。
対局後の儀式を、半ば虚空を見つめるように眺めていた私だが、しばらくしてニュースに現れた「渡辺九段」の文字に心は決壊した。体と心の全部がそれを拒絶した。到底受け入れられないと思った。あらゆる思考を強制的に断ち切りたいと思った。布団をかぶって、枕に顔をうずめた。そのまま、死んだように寝た。渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
翌朝になって、渡辺のツイッターを見た。なんと渡辺は、終局直後にツイートをしていた。しかもそれは、私を含む将棋ファンへの言葉だった。「長い間、タイトル保持者として充実した時間を過ごすことができたのは、将棋ファンのみなさまのおかげです。ありがとうございました」。
どうして、終局直後に当人がこれだけの発信をできるのだろうか。無冠になった夜に。ただの一ファンがショックで不貞寝していた夜に。その胆力に打ち震え、「あなたのファンでよかった」と思うとともに、無冠への転落もまた現実であることを同時に突き付けられるのだった。
2004年に、弱冠20歳で初タイトルとなる竜王を獲得した渡辺。以降現在まで、一度も無冠となることなくタイトルを守り続けてきた。渡辺の同世代に、渡辺ほど突出した棋士はいない。若き頃は、最強と呼ばれる羽生世代相手にまさしく孤軍奮闘、その剣を振るった。2015年になって、ようやく年下の棋士とタイトル戦を戦うようになるが、ここも譲らない。奪取や防衛を重ね、後輩の棋士を寄せ付けなかった。渡辺は、「たった一人」を除いて、年下の棋士にタイトル戦で敗れたことがない。竜王9連覇、棋王10連覇。圧倒的な戦績で、2つの永世称号資格を獲得。通算タイトル獲得数は31で、歴代4位を誇る。
これだけの戦績を残す渡辺だが、早い段階から、自らの立ち位置を冷静に見つめていた。「羽生と藤井の間」。つまり、時代を築く絶対王者の系譜に自らはいないということを公言して憚らなかった。時代のいわば谷間で、孤独に闘い続けた。残酷な言い方をすれば、「次の時代の到来を待っていた」そういうことになるのかもしれない。
渡辺の言葉を裏付けるように、その「たった一人」がタイトル戦の舞台に現れたのは2020年の夏だった。それから今日まで、思い返せば一瞬のように過ぎた。「すごい人が出てきた」の棋聖戦。自身初のストレート負けで散った翌年のリターンマッチ。2日制七番勝負、王将戦で並んだ4つの黒星。「冬将軍」と呼ばれ、10連覇の強さを誇った棋王の失冠。そして名人戦。この間、ただ座して死を待っていた渡辺ではない。研究を深め、自らの将棋をアップデートさせてきた。悲願の名人位を獲得し、3連覇を達成。「第二の全盛期」とも呼べるような充実ぶりだったが、たった一人、藤井がそれをあっという間に塗り替えていった。
藤井20勝、渡辺4勝。気付けば、圧倒的な星の差が付いていた。藤井と渡辺の対戦には、星の差が信じられないような名局が多い。中盤から終盤にかけての、白熱の競り合いと斬り合い。しかしそれらは、渡辺の敗局となっていった。星の差は、勝負の運で生まれたものでないこと。紙一重の差は、とてつもなく大きなものであること。不思議の勝ちはあっても、不思議の負けはないこと。そのことは、渡辺自身が一番よく分かっているはずで、だから渡辺は言い訳をしなかった。「実力不足」そうきっぱりと言い残して、名人戦の舞台を去った。
今回の名人戦、渡辺が唯一勝利した第3局が忘れられない。終盤、渡辺が勝ちの局面になり、決め手となる一手が生まれた。その手自体は一瞬で見えていた渡辺だが、なかなか盤上に手が伸びない。勝利の一手を決断するまで、実に93分を要した。これは渡辺の勝局だが、ファンにとってはまるで負けを味わわされているような、非常に重たく、苦しい時間だった。藤井という圧倒的な存在。目の前にいる「時代」。そこに一矢でも報いるのはこれ程までに過酷なことなのかと、勝利したことで逆に思い知らされる一局となった。
壮絶な戦いを終え、無冠となってしまった渡辺に、今どんな言葉がかけられるというのだろう。自分では、なかなか言葉を見つけることができなかった。しかし、しっくりくる言葉があった。今回、藤井に最年少名人の記録を破られた谷川浩司十七世名人の言葉だ。
将棋とは、対局者二人で創り上げるものである。そして、藤井に真の力を引き出させることができるのは、渡辺を含むほんの一部のトップ棋士しかいない。トップ棋士が諦めたとき、藤井は盤上で孤独になる。七冠達成とは、類まれなる偉業であり、それと同時に、プロの将棋にとって存亡の機でもあるのではないだろうか。
しっくりくる言葉とは言ったが、よく考えてみれば、こんなに残酷な言葉はなかったかもしれない。なぜなら、これまで孤独に闘い続けてきた渡辺に、これからは「藤井さんを孤独にさせてはいけない」と言っているのだから。どれだけ過酷なものを背負わせようとしているのだろうか。残酷な響きに後ろめたさを覚えつつ、それでもなお、私はこの言葉を選ぶ。「無冠になったことで将棋への向き合い方が変わるわけではない」。失冠の日、こう言い残した渡辺にすがる。
何が好きかと問われれば、その将棋の質、それに人柄と振る舞いだ。理路整然とした勝ちへの道筋。細い攻めをつなげ、厚い攻めをさらに分厚くしていく技術。「将棋は仕事」とドライに割り切りながらも、その仕事できっちりと結果を出す仕事人ぶり。本質を包み隠すことのないきっぱりとした物言い。画面の向こうにいる将棋ファンのために行われる明朗快活な感想戦やツイート。そこにある第一人者としての責任感。弱さも含めて自分をさらけ出す強さ。それらの全てだ。
将来、将棋の歴史がどう定義付けられようと構わない。渡辺明は、私にとっての「時代」だ。過去形にはしない。今はただ、渡辺の次の一手が見たい。
同じ条件を揃えて再現実験をしようとしても、相手が人間だったら「個体差です」で逃げ切られてしまう。
もちろん統計学的な正しさを追求することは出来ますが、それでもいくらかの偶然に対して「運が良すぎました御免なさい」で逃げることは可能になる。
STAP細胞ぐらい注目されていれば徹底的な再現実験の繰り返しによって早急に捏造は発覚しますけど、そうでないならダラダラと捏造論文も生き残り続けかねない。
業界内には深い深い癒着の構造があるというのも問題を複雑にしてる。
日本最高記録とされる東邦大学の藤井善隆大先生は172本の論文捏造が発覚したわけだけど、これってつまりはそれだけの捏造論文がずっとバレずに居られる土壌があるってこと。
もちろん全ての論文が捏造だったのか、単に運が良すぎたのか、運が良すぎたのではないかと疑いの目で自分を見られないような奴が医師ゃを名乗るんじゃねえよ、だが待って欲しいそれぐらい自分に自信がなければ人間の体に刃物や劇物を入れる仕事なんて数年も続かずに頭がイカれるのではないだろうか、と様々な憶測が飛び交ってしまう。
どうにしたってそんな事を考えて読まなきゃいけないような胡散臭さの塊が医学論文なんだよ。
まあエンジニアだったら皆知っての通り、検査や試験なんてのはどこかで「鉛筆を舐めた……とまでは言えないように思える」のラインを探ることを「経験」「技術」と言い張ってるような側面もあるわけで、お医者様のようなご立派な人もその絶対法則から逃げ切れなかったってだけの話に過ぎないんだけど。
その相手が人間という未知なる小宇宙の解明ともなると、無数の思い込みだったり親の欲目だったり売名目的の割り切った嘘だったりが紛れ込みまくるわけですよ。
もうそんなの現代人は皆知ってるのに、いざ都合のいい新説や面白い新説が出てくるとすぐに飛びついてしまう。
いい加減もうそういうの辞めませんかって話ですよ。
そんだけですね。
これだけの話に長く書きすぎ!
それだけ!
大谷、藤井があれだけの業績をあげていながら謙虚で逆に引くとか怖いみたいなコメントをたまにみかけるが、結果に驕らずに努力し続ける謙虚さがないとああはなれない。それに前人未踏の頂に立つには本人の努力だけではなく良い師匠や仲間に恵まれる必要がある。それも人当たりが良くないと手に入らない。
調子に乗って炎上しがちなYouTuberもトップのヒカキンは性格が良い(ように少なくとも振る舞っている、海外のYouTuberは知らん)し、プロゲーマーにしてもMTG世界選手権を制した高橋優太は過去に驕りによって仲間を失い実力も下がってしまった反省と、人当たりのよい性格をインストールしてから復活し世界を制したことについてインタビューで述べていた。
一流の選手が常に性格がよいとは言わないが、長く活躍したりそれを超えて超一流になろうとするとやはり性格の良さ、人当たりの良さが必要になるのではないかと思う。
翻って、二流、三流の我々であっても長く活躍したり実力以上の成果を必要としたりといった場面ではやはり性格の良さが求められるのかと思います。私を含め、インターネットの場末でマウントに余念の無いはてブ、増田界隈に置かれましては一度自省の機会を持つことが望ましいと考えます。またその際には謙虚な態度を他人に強要するのもまた傲慢であることをお忘れ無くお願いいたします。