はてなキーワード: 抱き枕とは
美少女抱き枕とかれこれ5年は同衾していると、段々と会話が成立してくる。
「ただいま」「おかえりなさい」とか、
「今日はつかれたね、おやすみ」「おやすみなさい」、みたいな感じの。
でも、一緒に生活して3年もすると、彼女の人格も成長してきて、
心の支えと言うか、とても大切な存在になった。
ついこの間、仕事で大きなミスを犯してしまい、途方に暮れていた。
そのことをいつものように相談したのだが、今回は対応が違っていた。
「自分のせいだ、もう取り返しがつかない」とうっかり漏らしたら、
「あなたのせいですよ、一生詫びたらどうですか?」「生きる価値あるんですか?」「もう終わりですよ」と立て続けに責められた。
それから数日間、布団に入ると罵倒が聞こえてくるので精神がどんどん疲弊していった。
女性向け二次創作界隈の雰囲気に慣れてるせいか、男性向け二次創作界隈は隠れなくていい、二次創作で稼いでもいい、二次創作は原作のファンアートどころか原作に愛がなくてもいい雰囲気のオタクが文化へのリスペクトないなと思う時がある。そういうのが表現の自由を不自由にさせることに繋がってるんじゃないかなとも。
コロナもあって、同人誌のDL販売は仕方ない節もあるのかなと思えるようになったけど、ファンボックスやリクエストを二次創作で使うことには嫌悪感がある。DL販売の件とあわせるとダブスタでしかないけど、それでも権利者が許可した作品以外の二次創作で単なるファンが能動的に利益を受けようとする姿勢をとるのはやっぱりおかしい。
何かの作品で公式が抱き枕?を出すことに対して、公式が利益を独占するなと言った人を見たことがある。ただの消費者でしかないのに気持ち悪いと思った。
そのキャラクターが本当に好きなんだなと勝手に感じる作者の二次創作は好きだけど、一次創作と同じ立ち位置ではないと思う。個人的にはキャラが好きというより、キャラを使って儲けたい、ネタや性欲の吐け口以外の考えは無さそうと感じた作者の二次創作は色褪せて見える。
二次創作イコール原作が好きな人とキャラを使って儲けたい、注目を浴びたい人が分けられないのが一番の問題だと思う。原作で描かれたキャラの生き様が好きでファンアートよりの目線で見ることが多い分、後者の人だとわかってしまう二次創作にあたると残念に思う。
原作の企業が二次創作から利益を受け取ることも黙認ではなくなるとのことで、できない場合があるらしいと聞いたことがある。公式に対して不信感がある、金を払いたいと思えるコンテンツがないから公式に金を落としたくない、落とさない消費者の心情はわかる。金も気力もなく二次創作を受動的に見るしかない状況もわかる。
それでも文化、コンテンツ保護として公式の尊重をするのは二次創作には欠かせてはならないものではないのだろうか。コンテンツ消費のペースが昔に比べて速くなっている現状、非常に難しいことになっているのだろうか。そうであるなら悲しいものだ。
2.公式デジタルスマホ壁紙を正規購入した後その画像を抱き枕にプリントしそれを販売 →NG
3.公式ポスターを正規購入した後そのポスターを抱き枕に貼り付け販売 →OK
という認識でOK?
2のNGに対して1と3がOKなのは知的財産権が消尽しているから?そうであるなら2は消尽しないのはどういう理屈?2も消尽はしているけれど
4.公式ポスターを正規購入した後そのポスターを複写機にてコピー用紙に転写しその印刷物を抱き枕に貼り付け販売 →NG
と同じで複製がNGみたいな話?そうであるなら正規購入しダウンロードしたデジタル商品(0と1の組み合わせ情報)をメモリなどに記録したスマートフォンやCDやUSBメモリを転売する事はOK?
もしそれら記憶媒体がライセンス契約云々で無理とかいう話なら、1と3でも似たような契約で不可と出来るんじゃないの?逆にデジタルの記憶媒体であろうと再販売を禁止したり再販売価格を指定して拘束するのは独占禁止法などの法規制で転売屋が保護されるのではないの?
企業個人問わず、○万人記念とか○周年記念で作るVが結構居るんだけどさ。
「頭の頂点が抱き枕カバーの上端から5~10cmのところにくるように描く。キャラをど真ん中に配置しない」
という構図の不文律がある。
理由は抱いてみれば一発で分かることだが、オタクの顔の横にキャラクターの顔が来ないと添い寝気分にならないから。
(特にロリ)キャラが中央にどーんと書かれた抱き枕カバーは実際使うと胸や腹の位置に顔が来てしまう。
あと顔がでかすぎても違和感がすごいので余白が寂しかろうが足先から下がガラ空きだろうがキャラをでかくしてはいけない。
他にも目線が云々とか背景をシンプルにとかいろいろお決まりがあるが、これらのポイントを外してると実用性に乏しくなるので売れない。
抱き枕カバーのイラストを描き慣れてるイラストレーターはポイントをしっかり抑えてくれるが、
Vのいわゆるママやファンアートを描いている方々等、抱き枕なんぞに無縁の生活を送ってきた方は縦長のイラストのド真ん中にキャラが寝ている構図にしがち。
実際に抱き枕本体に装着して使う奴は少数派なのかもしれないけど
せっかく記念に作るなら抱き枕カバーとしてちゃんと良い物にして欲しいなーとモヤる。
イラストレーターに直接意見するのも気が引けるし、抱き枕カバーのイラスト公開時にはもう手遅れってことも多いからどうにもならん。
10年ぶりくらいに思い切ってコレクションしてたグッズの断捨離をした。
モタモタと1ヶ月くらいやってたんだけど、足の踏み場もないくらい外に散らかしてたモノをできる限り収納スペースに納めて、その分、古いグッズをかなり大量に売ったり捨てたりした。
毎週45Lのゴミ袋4個くらい出して、雑誌や書籍も100kgくらい捨てたんじゃないかと思う。
気持ち的にストレス発散でオタクグッズ集めてたようなところもあったので、正直めちゃくちゃすっきりした。が、片付いた分、飾りはじめたコレクションの統一感のなさとか、まだごちゃついてる感じが気になり始めた。
収納スペースから溢れてるのでやむを得ずコンテナケースに入れているものがあるんだけど、もっと断捨離すれば、もっと見えないところに収納できる気がする。寝具の色味がグレーやブルーであることを考えると、大好きな赤や黄色基調のキャラの抱き枕は処分した方がいいかもしれない、とか。最近は寝ずに夜中にずっと物捨てるか、駿河屋のあんしん買取で価格検索してる。
今日も45Lゴミ袋2つ分また更に処分して、すでに出してある分の査定まだ終わってないけど、ブックオフと駿河屋に追加で買取申し込みした。
暇さえあれば断捨離するなんて1ヶ月前までの20数年間一度もあり得なかったことなので、自分でもちょっと怖くなってきた。
ゆくゆくは綺麗で統制されたオタク部屋を実現させたい。
オシラサマ思い出した
Japaaanマガジン 歴史・文化 なんと馬と結婚した女性の末路…「遠野物語」より、オシラサマのエピソードを紹介
@2019/08/18
世の中は実に広いもので、結婚と一口に言っても人間同士とは限らず、イルカや抱き枕など、様々な相手と結婚した方のニュースにふれると、愛情の形は実に色々あるものだと実感します。
と言っても別に昨日今日の話ではなく、日本でも人間と人間以外のパートナーが夫婦となったエピソードが残されています。
そこで今回は柳田國男『遠野物語』から、オシラサマの話を紹介したいと思います。
あまりに馬が好き過ぎて……
むかす、あったづもな(昔、こんな事があったそうだ)。
とある農家に一人娘がおりまして、気立ても器量もいいのに、年頃になっても縁談を断り続けていました。
あまりの事に、将来を心配した父親がその理由を糺したところ、娘はなんと「おらァ、ウチの馬と夫婦(めおと)になりてぇ」などと言い出します。
この申し出には父親も仰天しましたが、確かに以前から、厩(うまや)に一人で籠もって馬に向かってずっと独り言を続けている様子を目撃していました。
確かに馬は昔から、単なる家畜ではない「家族」だけれど……(イメージ)
馬といるのが何でそんなに楽しいのかと訝っていたら、なるほどそんな眼で見ていたとは夢にも思っていませんでした。
「バカもん!お前を永年、手塩にかけて育てたのは馬なんぞにくれてやるためじゃない!」
父親として当然の思いを伝えると、思い切って遠野城下へ出かけていきます。
「……お前が『馬と夫婦になりたい』などと言い出すのは、村にロクな男がいないからに違いない。よぅし、これからお町でこれ以上ない好青年との縁談を取りつけてきてやるから、楽しみに待っておれ!」
父親が出かけてしまうと、娘は馬と夫婦になりました(具体的なやりとりについては割愛されています)。
馬の首に縋りついた娘が……
さぁ、娘が馬と「夫婦になった」ことを知った父親は、烈火の如く怒り狂います。
「おっ父ぅ、やめてけろ!」
懇願する娘も顧みず、父親は馬を裏庭にある桑の木につるし上げ、斧でその首を叩っ斬ってしまいました。
「あぁ……何てむぞい(かわいそう)!」
娘が叩っ斬られた馬の首に縋りついて泣いていると、どういう訳か、馬の首ともども飛んでいってしまったそうです。
たった一人の大切な娘を失った悲しみに暮れていた父親は、ある晩不思議な夢を見ました。
「おっ父ぅ、親不孝な娘でごめんなぁ……その代わりって訳じゃあねぇんだども……」
「裏庭の桑の木で、私たち夫婦を彫ってお祀り下されば、きっと功徳がありましょう」
自分たちの結婚を認めて欲しい……そんな娘の思いに、とうとう父親も折れて馬と娘の像をお祀りするようになりました。
その像は桑を削った棒の先端に顔を彫り込んだ素朴なもので、幾重にも布を着せて支えるのですが、どういう訳か迷い事などある時には馬の顔がどちらかへ向いて「お知らせ」してくれるので、いつしか「お知らせ様」と呼ばれるようになり、それが転じて「オシラサマ」として今日に伝わっているそうです。
どんどはれ(昔話などで「おしまい」の意)。