「司馬史観」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 司馬史観とは

2023-11-22

氷河期世代は何故闘わなかったんだ」と言われても

いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラル言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。

氷河期世代不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得

仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。

左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。

日教組のせいである。

昭和50年代生まれの我々は義務教育間中、一度や二度はいわゆる日教組アカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近まり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。

増田担任にはならなかったが、当該クラスPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。

教師体罰がまだ当たり前だった時代アカ教師は手こそ上げないものの、従順女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。

その頃はインターネットがなく、テレビ新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。

あの頃は、一部のメディアにも左翼活動忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。

高校大学(増田が通ったのは地方駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさん垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。

ちなみに阪神・淡路大震災増田学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。

オウム真理教問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代過激新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である

オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなた幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ新聞をとれとうるさい。個人情報ダダ漏れ時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。

増田宗教2世である同級生から勧誘辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。

働きだしてから、といっても増田就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼馬鹿にされる対象しかなかった。制服強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。

からその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカ思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカ若者の口を借りて復活するとは予想外だった。

30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれ児童湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このとき自衛官親族に持つ子供が他の学年にいて、家族学校クレームを入れて大問題になった。

増田ネット匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒し発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。

結局SEALDs解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。

そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である

正直に言おう。

我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。

そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。

その結果、「闘わなかった」と怒られる。

今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。

ここからは余談。

数年前、増田が住む街の施設日教組全国大会があり、警察規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。

その規制線の外、ギリギリ場所愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。

どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。

かつてはヘルメットかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。

どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。

だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼日教組共産主義新左翼革マル中核派赤軍派リベラルも、まるで区別がつかないように。

仕方ない、そういうものだ。

これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。

2023-09-05

anond:20230905082058

知らんがな、、、  

というか、なんで司馬遼太郎が出てくるんだよ、、

ひょっとして、司馬史観って司馬遷のことか?w

2023-05-09

anond:20230509051520

本旨は軽々に語るのは措いとくにせよ、203高地のその認識、いま開陳してるのは流石に嘘だろ?

WW1との比較研究もかなり進んでるのにその書きっぷりはぜったいに嘘だよ。

中田大学批判してたブロガーといっしょの生き物なのか、これで? 冗談がキツすぎる。

WW1列強のそれに比べたらあきらかに投射弾量の不足はあれ、国力比(当時の弾薬供給比)で見たとき203高地戦は紛うことなき「火力戦」だった

(その火力を持ってしてもどうにもならないか最後は白兵に頼るしかなかったし、それはWW1で突撃大隊戦車が現れるまで打開策はどこにもなかった)のは

もはや共通認識だと思ってたが、未だに司馬史観ていどの所に囚われ続けてるとは。21世紀日本人なのかこれで。

てか増田も「203高地のごとき人海戦術」なんてもんはつゆほども信じてないだろこれ。追い討ちかけるつもりだろ。

・・・有料部分読むつもりもないが

弾薬供給限界ロシアよりウクライナのほうが(西の支援があっても)先に来て、少量を有効活用する手段(HIMARSなど)も封じられつつありヤバげ」

というシンプルな話だと思うんだけど、なんでポリコレになるのかがわからない。

2022-10-03

anond:20221003111240

NHKはともかく、司馬史観採用している「日本史学者」?

 

それはそいつ批判されるべきだろ。司馬遼太郎問題にしてる場合ではない。

2022-08-01

司馬史観は恐ろしいぞ

司馬遼太郎の「夏草の賦」っていう長宗我部元親小説があるんだけど、あれを読むともう仙谷権兵衛が大っ嫌いになるんだよね。

そのせいで友達面白いよって薦められたセンゴクをどうしても読む気にならなかった。

読んだら面白いのかもだけど仙谷権兵衛が主役ってだけでもう絶対に嫌。

別に嫌なら読まなきゃいいじゃんってだけの話なんだけど、それくらいに司馬史観てのは恐ろしいものなのである

2022-07-22

「チ。―地球運動について―」が傑作で面白いけどめちゃくちゃ不愉快って感覚なんとなく自分もわかる

自分司馬遼太郎に向ける感情に近い

書いたもの面白いんだが司馬史観功罪の罪の部分が罪深すぎるだろという感情

チ。は歴史漫画じゃねーよという話はもちろんあるが、面白くて多くの人に読まれるとその建前を了解しない人も出てくるわなという諦観

2022-07-05

バカ歴史現代価値観断罪するな!」

そもそも批判悪口区別が付いてないバカは論外だけどさ

じゃあ、ナチスだって当時は支持されてたから正しいみたいになっちゃうじゃん

そういう歴史的事実俯瞰的客観的に、審査するのが歴史を学ぶということであって

現代的な価値観が伴わなければ史実を羅列しただけで終わってしまう。

吉田松陰も、司馬史観とかの影響で思考停止して持ち上げてるバカが多いけど

歴史について語るなら、自分でも調べたり考えたりして、主体的吉田松陰審査する、松陰審査する必要があると思う

2022-01-27

プラネテス宇宙デブリ問題を誤解させ宇宙開発関係者迷惑している

フィクション迷惑を被っている人たち、いろいろいそう

2021-10-10

司馬史観キモチ悪さって

維新正当化してるとか、やたら明治時代を持ち上げるとか、

そういうことじゃなくて、

少数の英雄人物歴史を動かすと信じてる愚かさだと思う。

「○○がいなかったら、この時代はなかった」みたいなことって物語脳というか、

歴史的な必然性をまるで勘案しない非科学的な歴史へのアプローチだよね。

龍馬がいなければ明治時代なし、的な考え方って、

ヒトラーがいなければナチスドイツなし、ってことでもあるでしょ。

少数の英雄に手柄を独占させる考え方はイコール少数の人間に非を集中させる考え方。

ヒトラーがいなくても、ヴェルサイユ体制無茶苦茶ぶりからすればドイツは結局ああならざるを得なかっただろう。

司馬は頭お花畑フィクション脳で、それは作家としては別にいいんだけど、

偉そうに歴史を論じたり、周りがそれをもてはやしたりするのが良くなかったよね。

2019-12-31

"司馬史観" ”しばし完”

"司馬史観" ”しばし完” に一致する情報は見つかりませんでした。

2015-09-06

司馬批判にもう飽きた

いわゆる「司馬史観」に対する批判とか揶揄ってさぁ、最初創作史実混同して若者説教してくるようなオッサン読者に対してのものだったじゃない。

それはまあ「わかる」の範囲だったんだけど。

最近、どう考えてもお前さすがに司馬遼太郎より知的レベル劣るだろって若造が、自分は違いをわかっているとばかりに司馬作品嘲笑してるのみて、げんなりした。

いまや司馬批判中途半端インテリぶったガキんちょの自己顕示欲に利用されている状態なんやね。

2014-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20140911190146

坂本龍馬じたい、司馬が昭和30年代かな?に書くまでそれほど広く知られた人物ではなかったらしいよね

今の龍馬イメージを決定づける性格付けをしたのが、司馬の作品だって言われてるよね

司馬は偉大だと思うが、いろいろやらかしてることも多いだろう

司馬史観()みたいな批判はあって当然だよなあ

おりょうが実際には裸じゃなかった…てのは知らなかったけど、まあ、すっぽんぽんの方がドラマチックだもんね

龍馬に心底惚れてる強くていい女が裸で走った…って設定のほうがドラマチックだし、おもしろい!

司馬の文章おもしろいんだよ。おもしろから誰でもすらすら読めちゃう

俺でも読める

そこが問題でもある

まあ、史実でなくてもヌケルもんはヌケルもんとして、美しいおりょうさんの襖外しをネタにしてもいいかもしれない

2008-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20081205220114

いまでも放送している歴史番組その時歴史が動いた」あたりを基準にしたほうがよくないか?

本のベストセラーって歴史だと「逆説」ぐらいしか知らんぞ。

(さすがに司馬史観は古すぎる)

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん