はてなキーワード: ヴィーガンとは
「ヴィーガニズムとは、衣食住全ての目的に於て、実践不可能ではない限りいかなる方法によるどうぶつからの搾取及び、どうぶつへの残酷な行為の排斥に努める哲学と生き方を表す(ドナルド・ワトソン)」
つまり、ヴィーガニズムを実践する人をヴィーガンと言い、どうぶつのためにヴィーガンを実践しています。環境や健康はすばらしい副産物ですが、これらはメインではありません。
殺害、虐待、差別、搾取、レイプ、監禁に加担しない、「非暴力(Non-violence)」で成り立っています。
犬や猫は可愛がり、その他のどうぶつは食べたり、着たり、水族館や動物園などに監禁したり、実験したり、利用し搾取したり。これらは立派な差別で、「種差別(speciesism)」と言います。
暴力や差別に賛成の人なんていないはずです。反対なら、加担しない非暴力な生き方を選びませんか。https://sushivoyage.net/osaka-bakery-vegan/
数年間会っていなかったネットの知り合いと飲みに行った。
彼のことを仮にAとする。
Aとは10年以上の付き合いで、出会った頃はよくオフでも遊んでいたし、プライベートな話も気兼ねなくできるくらいの仲だった。
最近はお互いに引っ越して物理的な距離が広がってしまったことと、活動ジャンルが被らない、というかそもそも俺の方がいわゆるオタク的なコンテンツから離れていることもあって、相互フォローのTwitter(ここではしゃらくさいのでXではなくTwitterという認識で書く)でなんとなく近況を把握している、くらいの関係性になっていた。
先日、俺がAの住んでいる地域へ旅行することになり、その旨をツイートしたところAから「夜なら予定が空いているから飲みに行かないか」と誘われた。
オフで顔を合わせるのは5年ぶりのことで、俺は結構楽しみにしていた。
でも、実際にAと飲んで帰る頃には悲しい気持ちになってしまっていた。
なぜかと言うと、Aの出す話題が「インターネットの悪い部分」の煮凝りばかりだったからだ。
関西人でもないのに、イントネーションがぐちゃぐちゃの関西弁で喋る。
Twitterでよく見る、しかし元ネタはよく知らないミームを慣用句のように多用する。
極め付けにひどかったのは、肉を食べながらヴィーガンを茶化す話を振ってきたことだった。
「こんなに美味いのにヴィーガンの人たちは食べられないなんて損してるよな」から始まり、「どうすればヴィーガンに肉を食べさせることができるのか」という大喜利を繰り広げてきた。
そこで飛び出してくる発言からは、Aがヴィーガニズムという思想やそれに伴う生活実践を上っ面しか知らないこと、そして知らないにも関わらず、Twitterをはじめとしたインターネット上で展開されるヴィーガンをバカにした言説を完全に内面化してしまって「バカにしてもいい属性」としてヴィーガンのことを認識しているのだということが滲み出ていた。
俺はそれを聞きながら、正直かなり不快だった。
しかしAはAなりに、5年ぶりに再開した友人を楽しませようと思って話題を選定しているのかもしれないのに、「ネタにマジレス」されたAはどう感じるだろうか、と想像して、俺はそのヴィーガンネタを軽く流してしまった。
Aと直接顔を合わせたのだから普段Twitterには書けないようなプライベートな話もしたかったが、そんな調子で何の実りもない時間を過ごして解散してしまった。
プライベートなことは一切喋らなかったし、俺から話題を提供することもなかった。
俺の方から話題を降ればよかったのかもしれない。最近仕事はどうなのかとか。
でもAはTwitterで「仕事がつらい」という話をよくしていて、もしかしてこんなにも身のないインターネットの話しかしないのは現実逃避なのか、それなら下手に現実を思い出させることなく逃避させてやった方がいいのか、などと考えてしまって、何も踏み込めなかった。
Aの態度があまりにもインターネットの嫌な部分そのままで、ブロックできないアカウントからのリプライを受け続けているという感覚に近かった。
もう反AI(正確には反AI描画、と言うべきか)と言うのは(過激派)ヴィーガンのような存在に成り果てた、と。
こんなことを書いてはいるが、私とて最初は反AI側の人間だった。
その人の努力の結晶たる絵をAIに簡単に読み込ませて量産するのは絵を作った人に対して失礼だと感じていたし、だからこそAI描画は正しく使われるようにしなければならない、と思っていた。
最初はその危機感を訴えていたし、そういう認識が広がってほしいと思っていた。
しかし、反AIはもはや思想めいた何かに傾倒していき、いつしかAIで絵を描くこと自体がまるで悪かのようになっていった。
ここでAI技術で絵を描くことの是非を問う気はない。いろんな意見があるからできるだけそれを尊重したいし、それは少し本筋からズレるから。
過程を無視して、AI画鋲する事自体が悪であるかのようになっていく反AIに私は強い違和感を感じたので、AI画鋲については徐々に言及することは少なくなり、最近は対岸から眺めているような感覚だった。
私がいよいよ反AIがカルトじみてきたと感じたはFGOのCMを見て反AIが「AIを使って作ってる!」と騒いだ時だった。
話題になってるCMを見たが、確かに画像生成AIっぽい演出ではあったが、別に珍しい演出でもなく昔から存在する演出だ。AIじゃなくても出来る。
それをまるでAIを使った!と騒ぎ立ててる反AIの人たちを見て、私の中で反AI思想というのは完全に冷え切ったし、いつかこの人たちやらかしそうだな、て感じた。
心底あきれ果てたし、過去とはいえ自分が少しでもこの人たちと同じような行動を取ってたのかと思うと気が滅入る思いだ。
「これはAIで書かれた絵だ!私にはわかる!!」という証拠もない真偽も定かではない、個人の感情を元に何百人と言う人が個人を攻撃する。
一歩でも引いてその光景を見れば、如何に異常な行動を取ってるのかわかると思うのだが、彼らは自分たちがつかんだ『正義(ふいんき)という棍棒』を振り回すことに必死だ(ふんいきはわざとです。
で、あらいずみるい先生が動画付きで証拠を提示すれば、謝罪するなんてごく一部で、ほとんどの反AIはだんまりを決め込んでこの騒動が落ち着くのを待ってるわけだ。
どれだけ自分たちが恥ずかしいことをしたのか自覚も出来ないんだろうか。
確たる証拠もない、たった一人の思い込みに乗っかって個人を攻撃したとに対して、ダンマリを決め込むなら今後、学校のいじめ問題やパワハラ問題についても口を閉じててほしいものだ。
謝罪すれば許される、なんてのは言わないが、謝罪した人はそれだけマシともいえる。
今回の騒動、あらいずみるい先生はちゃんと声をあげられる人だったから良かったが、そうじゃなかったらどうなっていたのだろうか。
そもそも、あらいずみるい先生だって、今後のコミケに参加するかどうかも、同人誌を出すかもわからない。
これで先生がもし同人誌活動から離れたら、それは反AIのせいだと言われてもしょうがないことを起こした、と当事者たちは理解しているのだろうか。
先生のようにちゃんと声をあげて身の潔白を晴らせたらまだいい。
ちゃんと絵を描いたのに、「絵がAIっぽい」という理由だけでAI描画だと言われ、今回のように攻撃されたら、ほとんどの人は筆を折るんじゃなかろうか。
そうなったら本末転倒じゃないのか? ちゃんとAIに頼らず絵を描く人が筆を折ることになったら、何のために彼らは反AIなんて言ってるのか。
ましてや筆を折るくらいならいい、下手をすれば誹謗中傷を受けて自殺を選ぶ人だっているかもしれない。
私は反AIというのは思想が過激かもしれないが、その根っこにあるのは「絵師を守ろう」という気持ちだと思いたかった。
だが、今回の件で私は反AIというのは「自分の不愉快なものを攻撃したい」集団なのだと思わざる得ない。
それくらいに今回の彼らの行動は浅はかだし狂気じみているし、自分の行動に責任をとらない人たちの言葉を積極的に聞く人などいないだろう。
今回の件で反AIというのは地に堕ちたのだ。
少子化で日本がオシマイになるとか、温暖化で気候がぶっ壊れるし生き物も死にまくるとか、そういう話を聞いても、全然心が動かないんだよな
むしろ、そういう世界規模の、逃れようのない破滅がやってくると、俺より"上"にいる連中も俺と同じように苦しまざるを得なくなって痛快なんじゃないかとすら思う
環境活動家、ヴィーガン、そういう、「地球のことを考えて自分たちがいま動かなきゃ!」みたいな人たち、マジでどこからモチベーションが湧いてんのかわからん
子供がいて子供が大好き!みたいな感じなんだったらまあうっすらとは理解できるんだけど、子供もいねえのに未来のことに一生懸命な人もいるじゃん
マジでなぜなんだ
クソどうでもいいだろ
あるいは、何十億年にわたる人類の歴史に、私たちの世代(周辺)が終止符を打てるなんて誇らしい!とかさ
どうでもいいんだよなあ
人生に執着がねンだわ
早く殺してくれ〜っつってんのに、全然安楽死もさせてくんねえ、使えね〜カスみたいな社会じゃん
メチャクチャにぶっ壊れて欲しいよねえ
生命そのものだって呪いみたいなもんだし、魚も虫も鳥も、その他諸々も、ぜんぶひっくるめて、皆くたばったらスッキリすると思う
ホントに
どうでもいいんだってマジ
死んでほしんだよ全員
あと惑星とかも全部コナゴナに砕け散って欲しい
宇宙、ヒートデスとかチンケなこと言ってねえで、逆ビッグバンみたいな感じのなにかによって、跡形もなく消滅して欲しい
マジでなにもなくなってほしい
俺の願いは、それだけですね