はてなキーワード: カトリックとは
はてなの多くがディズニー嫌いなので宗教上の理由でSHOGUNをみれなくて空想で語っていると思うんだ。
まずこの話はフィクションなのでキャラクターは架空の人物である。
「このドラマは歴史的に正しいのであって政治的に正しいわけじゃない」というコメントがみられたが歴史的に全然正しくない。
秀吉の死後家康が大阪城に幽閉され、三浦按針を切り札にキリシタンの五大老の仲を切り崩す。
全員架空の名前ではあるが日本人なら細部描写からモデルとなった歴史上の人物が想像できるようになっている。
歴史がわかる人なら「ん?」となる話だがアメリカ人の原作なんだからしょうがない。
家康(ここでは虎永)は由緒正しき美濃原の血筋とか訳の分からん言説も出てくる。源氏のことだろうか?
ハンセン病のキリスト教に帰依した大老が登場するなど日本が舞台のファンタジー小説を読んでいるような気分だ。
話の筋としてはプロテスタントの按針がカトリックを蹴散らし関ヶ原の趨勢に影響を与えるというアングロサクソンが喜びそうなお話となっている。
劇中ポルトガル語を話している体のシーンは全て英語で話している。
これは展開重視だったり、配信の視聴成績を考慮してだろうがちょっと変ではある。
細部にこだわった日本人スタッフがどう感じたか気になるところだ。
当たり前のように英語で話し白人文化にそれほど興味がない本作はとても「ポリコレ的」であると言えなくもない。
そもそも原作は白人万歳な70年代の歴史風ファンタジーで日本描写が適当だったら大炎上した可能性さえある。
いわゆる白人酋長モノ(アバターなどがわかりやすい。未開人の破滅の運命を賢明な白人様が救うお話)で昨今ではわかりやすい差別的な表現と言われているが今作では白人も日本人も互いに野蛮と罵り合っていてバランスを取ろうとする試みが窺える。
ハリウッドで何か賞を受賞する場合マイノリティ要素が大きく影響するのは最近のトレンドであるが本作の場合日本描写が丁寧だった点が評価されたのは想像に難くない。
少々イジワルな言い方だがあなたの習った歴史では五大老五奉行に「大谷吉継」がいたのかな?
インパクト重視の人物配置をして異国情緒を意識した、日本を「異世界」として扱うファンタジー作品と評しているんだよ。
実在の大老前田利家は織田家臣からここまできて悲喜交々の物語があるが架空人物を置いたらもったいないじゃないか。
囚われの身→安針の活躍で脱出→地震で大ピンチ→また囚われの身…
都合の良すぎる展開も去ることながら日本版ゲースロと称されるだけあって無駄に三角関係作ったりノイズになる。
史実から引っ張ってきたエピソードと適当に作った話の混ぜこぜで歴史がわかる日本人には特殊な体験になったと思う。
それでもこの作品の魅力が足り得ているのは俳優陣の引き締まった所作と小道具やセットの作り込み、ロケーションの良さ、落ち着いたCGIの使い方などがあるためだと思う。
偏見にまみれた原作からこれだけの視聴体験をつむぎ出したのはハリウッドでのマイノリティにあたる日本人の描かれ方や起用に疑問を呈し、日本人役は日本人、日本語劇、日本スタッフによる文化監修の賜物。
将軍のポリコレがわからない人は自身を名誉白人だと思っているという評があったけれど国外に出ないでいたら差別的な扱いを受けた事がないので自分のことをマイノリティと認識できていないのかもしれない。
残念ながらひどい勘違い
この手のエントリに対しては何度も同じこと書いてるが
産業構造の発展と比例して進行してきた
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/images/01-01-01-07.gif
http://honkawa2.sakura.ne.jp/images2/5240.gif
これは日本だけでなくどこの国も同じ
12、3歳そこいらで農業だの漁師だの個人商店だのの家業のため働かせる
途上国は今もそう
でもアフリカでさえ経済成長と比例して合計特殊出生率は下がってる
https://ecodb.net/country/CD/fertility.html
https://ecodb.net/country/GH/fertility.html
https://ecodb.net/country/KE/fertility.html
高いGDPやスマホとコンビニのある高度産業社会と人口減はトレードオフなの
教会行くとかして、真面目に聖書隅から隅まで勉強するのも大事なんだろうけどね
ベルセルクみたいな、祈るな!みたいな話で呆れるかと思ったら、
なんか意外と、信仰のコアな部分というか、少なくとも自分の考えと近かったので、ちょっと驚いた
というか、不覚にも泣いた
「祈るな!!祈れば手が塞がる!てめえが握ってるそれは何だ!?」
ごちゃごちゃ書くのをすっ飛ばして、結論だけ書くと、信仰ってそういうことじゃないんだよ
それを色々な意味で誤解させるようなセリフや展開なので、正直、読んでいて不愉快でさえあった
そうじゃねーだろ…、と思ってしまった
あと、変な例え方するけど、キリスト教というかカトリックの国が歴史上、あれほど勢力的に強く、
残虐で残忍でさえあり、仮に信仰が建前だったとしても、あの勢いは何なんだと…
いや、キリスト教だけではない、イスラムであれ、あまり同じにしたくはないがカルトな宗教団体であれ、
信心がある信者の方が手が塞がるどころか、神に許されたと思い込んでバーサーカーモードなのなんなの?あれはなに?
そういう負の側面も考えても、祈るな!はちょっと違う、信仰心というより、神の試練の前に自分を放棄してるだろ、それは単なる自殺だろ、信仰心って自殺じゃねーだろ
あと、飢えて死にそうな奴が祈ってた、っていうのは、祈る以外にもう手段がないからだろ
でも、てめえが握ってるそれは何だ?飾りか?というのは、ある意味正しい
まだ手段があるなら、死ぬまで戦うというのも信仰心としてはありだろう
中二病というわけではなくて、自分も正気を普段保っているだけで、沸点を超えるとバーサーカーモードになってしまって、人生失敗したことが何度かあるので自重したい
沸点が低いんじゃなくて、なんか、それ人としてどうよ?みたいなストレスが溜まっていくと、どこかで沸点を超えるんだよな
そうなると、自分の身体を破壊されても暴走したい、みたいに思って止まらなくなることがあるので、やっぱり信心は大切だなと思いました
ゼロ年代のインターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語版ウィキペディアで、ウクライナに関する有益な記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。
しかし、Alex Kさんはウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナの歴史上の人物や、都市や、教会についての記事を執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事を修正しようとした。それが問題のはじまりだった。
話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由にキリスト教を布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師を日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書が必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自の日本語版聖書を作った。正教会の宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめしい文体の日本語訳聖書を作った。カトリックやプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会の聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会の聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。
正教会 | カトリック |
---|---|
主教 | 司教 |
顕栄 | 変容 |
生神女 | 聖母 |
至聖三者 | 三位一体 |
イイスス・ハリストス | イエス・キリスト |
これがいいか悪いかは、その人の価値観によるだろう。他の教会と共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自の伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利は日本人の正教徒にしかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。
このようにキリスト教各派が使っている用語がバラバラなので、日本語版ウィキペディアでは、「各派の独自用語を尊重する」というデファクトスタンダードが確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自の呼称である「教皇」が採用された。カトリックの教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。
ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別は存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自の用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。
このような反論にAlex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ、投票に参加しなかったにもかかわらず勝手に記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさんは日本語版ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。
Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会の立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会はロシア正教会の一部なのである。
それの何が問題なのだろうか。日本のカトリック教会は、全世界の信徒を統べるカトリック教会の地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会がロシア正教会の支部であって何か問題があるのか? カトリックと正教会の組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界の組織がピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだ(コンスタンティノポリスの全地総主教はあくまで同輩中の首席にすぎない)。
正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会やブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自の組織が存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的に日本人の信徒や神品(聖職者)で決めているが、教会トップはモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省の統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会はロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジアに独立教会がない。中国正教会もロシア正教会の傘下だし、韓国や香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。
つまり、ウクライナ民族主義者であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会を尊重せよ」というのは、「ロシア正教会を尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会とカトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリックと差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会が存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたことから、ウクライナ民族主義の核になっている)。
しかしAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会は日本人によって運営されている教会だ、という点である。確かに教会の設立はロシア人によるものだし、ある時期まではトップがロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒は自分たちで教会組織を運営するようになり、ここ半世紀は教会のトップも日本人が務めている。しかも、日露戦争やロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話である。ロシア正教会が気に食わないというウクライナ人の気持ちは理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。
ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人のあいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロ・コロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会の用語法を意図的に無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会の管轄地である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイートを公然としている。まあ、こういうツイートでウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教の精神的双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。
(そもそも、ウクライナ正教会が日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒は基本的に日本正教会の聖堂に通うべきだからだ。とはいえ、移民が移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本に支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会が独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワの許可が必要なんだ?」と嘯いたそうだ)
さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本の総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教は日本正教会の自治権を認めておらず、韓国に派遣したギリシャ人の神品を日本の正教会のトップに任命しているのだ。彼は韓国の正教会のトップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情は理解できる。だがそこでも、日本正教会が日本人の運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人の神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人が日本の正教会のトップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?
ロシアのウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンとプーチンを盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教は腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本の教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人、特にウクライナ正教会の関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会の信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統は尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。
ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。
На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].
この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナルの記述である。
Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».
Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的な解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに「第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者の勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界の言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法はモスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<
再投稿かもしれないがカンボジア求人詐欺が摘発されて、思い出したことがある
旅行業者A(観光庁長官登録旅行業第 XXX号)は、語学研修やホームステイなどの斡旋業を営む会社
22年には子会社のコロナ補助金不正受給のことで観光庁に報告書提出をした
うまく説明できるか自信ないのだが、私はその会社に単独で語学研修を申し込んだことがある女性である
90年代の昔だが、米国ニューヨークのスパニッシュカトリック系の修道院ホテルに4週間滞在し、相部屋のブラジル人女性Cと日本人女性Yと懇意になった
Yはある週末トンネルズというクラブで、音楽スタジオの者というハイチ人男性二人組、Sと経営者Fを紹介してきた
(いずれも日本人と取引をしていいて中尊寺ゆつこの漫画に登場したときの週刊誌を示し、日本人関係者も男女1人ずつ見かけた。ただS、Fが既婚者であることは秘匿されていた)
私は半信半疑だったが彼らを語学学校生徒の他の日本人にマタ紹介し、大勢で音楽スタジオを見学したりした
しかしその後、Sは私に気があることを装い「友人の部屋」に連れ込み性交の目的を果たしたうえ(いわゆる強制性交であり私は怒鳴り続けであったし、気づけば部屋主まで見てたし、怒鳴ってるの撮影されていた可能性も否めない)
スイスのスタジオに投資するので2週間だけ40万円貸してくれとしつこくいい、借用書は書いたがこれも目的を果たした(40万は当時のクレカの借出限度額である)
私がのちに返金を催促すると、金は返さず既婚者であると言ってきた
(のちに再渡航したときにも催促したが返さなかったし、本人訴訟の自信もなかった)
ターゲットである単独旅行者の私を慣れない環境におき詐欺役と親切役を派遣しての犯行と見られる
(私の弟はカトリックではないがキリスト教系大学を出ており私を疎んじているし、キリスト教徒母の知人弁護士が家族に策謀を働きかけた可能性も一概には否定できない)
家族が契約する保険会社は当然に家族情報を掴んでいるし、出版社や旅行会社は、電通や保険会社、投資銀行にはまず逆らえないと言ってもよいだろう
それで私は、訳あって隙があれば弁護士会を、産業的詐欺システムの原因の一つとして告発したいと思うのである
裁判所が住所などの秘匿決定申立を認めるか、実際にそれが有効であるかが問題となる(資料盗難防止策である)
日弁連が長くカンボジア司法支援をしてきて、カンボジアで日本人相手の詐欺事件が発生したのは、さすがに偶然に過ぎないとは言い切れないんじゃないか?
共産主義は、進化と変革の原動力を、変革の担い手である「主体」に求めすぎているのだろうと思うね。
連帯、戦線、同志、団結これらの共産臭のするターミノロジーは、その時代時代で、変革の担い手と目された人々へ向けられる。
古典的な資本主義の確立した時代に「労働者」という概念を再構成したのが、たぶん最初かな。
日本共産党の歴史をふりかえると、労働問題においても農民組合闘争においても、被差別部落問題にしても、変革の担い手を自分たちに取り込むことに知らず知らずのうちに夢中になっていた。その力ずくなやり方への反発へも少なくなく、運動からの離脱、分派を促進していた。
結果として共産党は思想の核である「労働者階級」すら満足に取り込めず、高度経済成長期が終わると、次第に、連帯のターゲットを主婦とか消費者とか言い始めた。そうした社会階層に媚びを売るために、自らの綱領をあいまいにしてブレた主張を繰り返しては運動の広がりが得られず、連帯の同志候補として次のターゲットを探してきた。
あげくの果てには性的少数者、LGBTQを守る(田村氏)とか言い出して今日に至っている。
他方で、資本主義社会の進歩史観は共産主義のそれとは趣が異なる。
根っこには、社会ダーウィニズム的な、進歩への信頼というか期待がある点では、帝国主義も共産主義も同根。
ただ、その実現が「強いもの」による自然淘汰によってなされると考えるか、闘争によってなされるかの違い。
「強い者」が先験的に理解されてしまうと、「弱い者」を排除してしまえばよい(優生学など)という発想になるし、差別の絶えない社会となる。帝国主義やナチズムは典型。
一方、一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考えると自由主義社会となる。理念ではなく、利害で集う社会はこの考え方から支持される。
先日、福岡支部のどなたかを除籍した日本共産党が今もって理解していないことの一つは、日本国憲法がもつ表現の自由の考え方だ。
実は、憲法第21条の源泉は、「一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考える」自由主義の考え方を基礎としている。
これは、表現の自由をめぐる憲法判例のうち「思想の自由市場」という考えから、典拠をどんどんさかのぼってゆくと理解できる。
そうすると、20世紀初頭の連邦最高裁ホームズ裁判官の考えにつきあたり、そのホームズからパースプラグマティズムに行きつく。
そしてさらにさらにさかのぼると、唯一正しい真理を押し付けてきたカトリックの猛威を振るヨーロッパ、お互い不寛容なプロテスタント同士の修羅場のヨーロッパから逃れてきた巡礼始祖たちの考え方に行きつく。お互いに自分が正しいと言い切れないなかでどういう社会を構築するかを模索したところからアメリカ合衆国は始まっているので、表現の自由というのは、国の成り立ちを土台で支える重要な考え方だということがわかる。
政治体制 | 言論自由 | 進歩史観 | プレイヤー |
---|---|---|---|
自由主義 | どちらかというと放置 | 蓋然的・客観的 | 多様性重視 |
共産主義 | どちらかというと統制的 | 必然的・主体的 | 一体性重視 |
同志の団結を迫りまくるという意味では、根性論とか暴力で一定の方向に人々の顔をむかせ社会変革をしようという路線になりがちなのが共産主義。
多様性を重視するあまり、どんなに社会が乱れようが差別が根深かろうが、偏見による暴力を許容してでも自由に奉じるのが自由主義。
日本共産党は、何かにつけ、ひとの横っ面を自分たちと同じ方向へ向かせたがるが、それは自分たちが嫌われて終わるだけというのは、これまでの歴史が証明している。
日本共産党は、自らの綱領に一言も書いていない、表現の自由の意味を社会のプラットフォームの視点から今一度振り返るべきだと思う。
フランスでは最大勢力の宗教で、歴史的に人を殺しまくりで、同性愛・ユダヤ人その他の少数者差別の根源の一つで、現代でも教会での児童性加害など害悪を撒き散らしているから。
これが例えばフランスのアフリカ系移民のような明らかな弱者・少数者をオリンピックの開会式でバカにするなら、いかがな物かと思うけど、カトリックは強者・加害者属性が強いのでいくらでも叩いてOK
カトリックが全世界で100人しか信者のいない圧倒的少数派に転落したら保護されるべきだと思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240804/k10014536461000.html
その上で「全世界が共通の価値観のもとに集う名誉あるイベントで、多くの人の宗教的信念をあざ笑うような表現はあってはならない」と指摘し、表現の自由は、他者への敬意を欠いてはならないとしています。
トランプ支持者の場合は「誰が作ったか」「何の目的で作ったか」が重要だからオタクに称賛されてる日本アニメに文句を言うことはない。てか炎上を先導する4chan民はフェミや人権運動叩きに利用できないものには完全に無関心よ。4chan民が無関心ならトランプ派のカルトの偉い人の耳に日本コンテンツの「歴史修正」が届くことはないし、動くこともない。一方で、バイデン支持のリベラルが積極的に「チ。」を使うかというと、原作内でキリスト教と異なるフィクションだと明示されてるし、魔女狩りはすでにカトリックでもプロテスタントでも反省の対象だから異端審問が悪く描かれることに反論することもない。
『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』と言い出したのは氏が初ではないかも知れないが、
氏が大手ニュースメディアのCNNで語っていた、『信長は弥助を神だと思っていた』『日本で最も有名な外国生まれの武士となった』
『ヤスケの仕事は一族の権力を守ることでした』(信長の首を守護し息子に届ける) の根拠はそれぞれそれなりに気になる
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味があるよ
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.
Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”
“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
氏が出演したNHKの番組でも下記のように"侍"と書いてるので根拠はあるのだと思う
Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助 |NHK BS
織田信長に仕えた黒人侍、弥助(やすけ)。イエズス会の宣教師に同行していた弥助を信長が気に入り、家臣に取り立てたのだという。2人の主従関係は「本能寺の変」によりわずか1年3か月で終わったが、その前後の弥助の足取りはこれまでなぞに包まれてきた。しかし近年の研究により、アフリカからアジア、日本へ到る弥助の人生が次第に明らかに。ハリウッドで映画化も進むなど、今世界中から注目を集める、弥助の生きざまに迫る。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051309_00000
なお、『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』という主張の根拠は、
京都国際観光大使で政府の成長戦略会議の委員も勤め、『中小企業であること自体が特権化している』
『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』などなど
数々のありがたいお言葉を下さる、デービッド・アトキンソン氏によると、(アフリカ人奴隷の流行は)『資料にかなりあるけど』らしいです
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味がある
https://x.com/sessyun5021/status/1815008190398148816?s=61
ちなみ 群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答があるね
問12 群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。
『日本で黒人奴隷が流行していた』からの『流行していたから連れてこられた』ってことにしたい一派が、
ちなみに、SNSでのきゃっきゃに参戦している人に、日本の要職についてたり、竹中平蔵氏と共著を書いたり、
著書の中で『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』だと語ったり、
近々の京都での炎上事件の件で、日本人アカウントに『恥を知れ』って言ってた人もいたりする
一例:
X民:トーマス・リーの本に『日本で黒人奴隷が流行った』って本当に書いてある。酷い嘘だ
↓
『恥を知れ』って言ってた人 :それが嘘だって言うエビデンスは?
↓
X民:どうやって黒人奴隷を連れてくるんだよ?
↓
『恥を知れ』って言ってた人:無知な指摘。シルクロードも知らないのか?
↓
X民:【新説】オスマン帝国は存在せず、シルクロードは16世紀でも使われていた!大航海時代は無かった!
X民:シルクロードで日本に黒人奴隷を送った‥?いやいや過酷ですし、コストがヤバいですよ?
↓
『恥を知れ』って言ってた人:
大丈夫ですか、みなさん?
ることに対して、私が、極東であって
も、シルクロードでもあった様に、大昔
した。
るから。
増田も豊臣秀吉(キリシタン大名と日本人人身売買)の件は学校で習ったでしょ?
あと、彼が登り詰める前も、日本の識字率は昔から低くないですし。侍の階級なら尚更ね
なんで流行してたなら資料に残ってないの?ってなるで?日本人が奴隷として連れてかれた記述は残ってるのに
そもそも欧州やアメリカ大陸に売るよりも日本の方がコスパいいってどういう理屈ですか?って話よ
大航海時代に続く三角貿易も無い世界線・・・・・・歴史改竄しすぎでは?感
つか、人権がなく命が安い時代に言葉が通じない奴隷を買う必要性・・・????
(その意味では、改めて日本語を解したとされる弥助は優秀な方だったよね)
このような状況を憂慮し、秀吉はキリスト教宣教師の追放を命じた。高山右近も、キリスト教信仰のために領地を没収された
追放されるキリスト教宣教師たちへの配慮として、帰国の費用として米1万俵が与えられた
https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_kaken_medInterNationalExcange/E14585
こういえば、単なる事実として受入れられると思うよ
戦国時代、確かにキリスト教徒は多くの日本人を性別関係なく奴隷として連れ去った
しかし、たとえ一人でも、当時の日本人が黒人奴隷を売買していたとすれば、それは悲しい事実だ
現代ではすべての人の人権が守られ、正当に実力が評価される社会を目指すべきだし、
自分が出来ることをしたい
anond:20240724065503 anond:20240726154243
いやUBI(アサクリ)はUBIで普通に問題なんで。そもそも、下記についてなにも説明もないよ?
なので、日本で販売しない or 日本語版出なかったら フツーに弥助問題は勝利条件クリアじゃない?テッテテレーー🎉
(もっとも元から日本でさほど売れてるタイトルじゃないので、日本以外で売れるならUBI赤字にはならないだろうけど)
ただ、アジア人蔑視それに付随する日本の歴史改竄は一朝一夕にはどうにもできないのでは?
(水俣病やコロナやJAXAの時のよう。いつもの日本の風景。これで子どもたちが学者に憧れるとかあるわけないでしょ)
日本の学者や研究者を名乗る人がYASUKE肯定した結果、それを根拠にして、日本の人種差別主義者ガーとか英語コミュニティでコメント付いてんね。当然だわな
一例
However, a recent, widely shared post from Japanese historian Yu Hirayama argues that Yasuke was indeed granted samurai status by Nobunaga. Hirayama cites Yasuke’s stipend, housing, and sword afforded him by Nobunaga, but acknowledges that Nobunaga’s enemies did not view Yasuke as a samurai.
(しかし、日本の歴史家である平山優氏による最近の広く共有された投稿では、弥助が実際に信長から侍の地位を与えられたと主張しています。平山氏は、信長が弥助に与えた俸禄、住居、そして刀を根拠として挙げていますが、信長の敵対者たちが弥助を侍とみなしていなかったことも認めています)
↓ 対するコメント
racist in Japan and racist in the rest of the world get to work hand-in-hand now
(日本のレイシストと世界のレイシストは、今、手を取り合って働く)
https://www.polygon.com/24204308/assassins-creed-shadows-yasuke-samurai-ubisoft-controversy
While there’s some question as to his exact role, Yasuke was a real person and, as a Japanese scholar has recently pointed out, there’s no doubt that he was a samurai, which is a social status that can encompass a variety of duties.
(弥助は実在の人物であり、日本のある学者が最近指摘したように、彼が武士であったことは間違いない。)
https://metro.co.uk/2024/07/23/ubisoft-apologies-assassins-creed-shadows-doesnt-say-21281545/
あと、基本的に英語圏・英語コメントでもUBI否定の反応が多いけど、アサクリ シャドウズ騒いでるのに関わりたくないから黙っているだけで、
実は買う気満々の欧米人それなりにいたりしそう
アジアにゆかりがある人をのぞいたら、アサクリ シャドウズ の関連問題に関心がない・気にしてないって人が多くても別に驚かないなぁ
一例として、フランスの某元ゲームマネージャーとか、『騒ぐ奴は人種差別主義者』だとか『日本人が黒人以外に置き換えられたら騒がない』とかやってるしな😑
https://x.com/gyojvfr/status/1815799450046194020?s=61
ゲームメディア以外でも取り上げられる機会がもっと増えたら、日本の歴史改竄に関する風向きは、お気持ち程度になら変わるかもね
でもまぁ基本的に歴史改竄は、アジア人蔑視と日本軽視が根本の問題だから、解決には長い長い時間が掛かる(同じアジアでも中国に対してなら、たぶんUBIはやらなかった)
anond:20240724041000 anond:20240723184517
弥助の出身の部族やカトリックの宣教師が同性愛に寛容だった可能性はほぼゼロと言って良いが、まぁ、いまは16世紀ではなく、21世紀、2024年ですからね
弥助も出てくる仁王のコエテクは現代的な時代劇(フィクション)として『Rise of the Ronin』(PS5独占タイトル)出してます
ほんで、『Rise of the Ronin』の主人公キャラクターは様々な人種に設定できるし、劇中で同性との恋愛イベントもあるわけなんだけど、別に批判はどこからも出てないのよね
それは、極めて現代的な見た目のデザインからしてフィクションとわかるのはもちろんのこと、
開発者は歴史的正確さについてアピールしてない上に、ゲームを始める前にも念押しで下記のように出るから
『本タイトルは日本の史実から着想を得たフィクションです。
ゲームを通じて歴史上の人物や出来事を描いていますが、 本タイトルの開発、販売に携わったチームの思想や価値観を表すものではありません。』
アサクリでもちゃんと似たような文言は出るもん!!!って言うけど、Rise of the Ronin と アサクリ シャドウズ が違ったところは、
何故か BBC などのニュースメディア や Xbox や 各種ゲームメディアのインタビューで『なろーじゃぱんです!』アピールではなく、
下記のように言って回った事に尽きるよね
<日本とその文化を正しく描写することに重点を置き、真正性を重視した>
<実在した歴史上の人物や当時の出来事を忠実に描いているので、封建時代の日本を舞台にゲームを楽しみながら、この素晴らしい時代について学ぶことができます>
言って回ってることが確認できる一例:
Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC
https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo
『アサシン クリード シャドウズ』は、2 つの異なる体験をどのように融合させたのか|Xbox Wire Japan
https://news.xbox.com/ja-jp/2024/05/16/assassins-creed-shadows-interview/
ゲームメディアのインタビュー(非日本向け)でも、『誠実で敬意持ったものです』とアジアン(おそらく日系人)に言わせていることも確認出来るで
Assassin’s Creed Shadows: Inside Ubisoft’s Ambitious Open World Japan
明らかさまに間違えてる日本風習やデザインを止められなかった、団体や文化財の無断利用・利用料無視の件を見るに、
あと首云々もひでーわな
It was surprisingly gory, like the decapitations, you could get coated in blood. How vital is that to the assassin’s fantasy?
(斬首シーンなどでは、予想外に残虐で、血まみれになることもありますね。これはアサシンのファンタジーにとってどれほど重要なのでしょうか?)
I think it’s not an assassin thing, it’s a Japan thing in our case. So looking at death was a day-to-day occurrence in that period, and the way most people died in Japan during that time is clean decapitations.
So we didn’t want to shy away from it, although you can turn off the violence if you want. There’s options for it. You can turn off the blood, you can turn off the dismemberment and stuff. So it’s more trying to be faithful to the war aspect of Japan at that period. Death was a common thing and decapitation was not a strange sight in Japan.
私たちの場合、これはアサシンに関することというよりも、日本に関することだと考えています。当時の日本では、死を目にすることは日常的なことでした。そしてその時代の日本で多くの人々が死んでいった方法は、きれいな斬首でした。
ですので、私たちはそれを避けようとはしませんでした。ただし、望めば暴力表現をオフにすることもできます。そのためのオプションがあります。血の表現をオフにしたり、切断などの表現をオフにしたりすることができます。これは、むしろその時代の日本の戦争の側面に忠実であろうとする試みなのです。死は日常的なことであり、斬首は日本では珍しい光景ではありませんでした。
https://videogames.si.com/features/assassins-creed-shadows-interview
anond:20240723220837 anond:20240724014155 anond:20240724022429 anond:20240724081654 anond:20240724081126 anond:20240723184517
anond:20240724125807 anond:20240724093221 anond:20240726204454