はてなキーワード: 誤審とは
ワールドカップ初戦の西村主審のジャッジが「誤審か?」と騒がれたことについて、ある方のツイートにかぶせる形で“日本人だから(西村審判を)擁護する……”という趣旨のことをつぶやいたところ、その方から反論をもらいました。
で、1往復やりとりしたあと、ちょっとつらつら考えてみました。
リプライを返そうと思ったけど、答えというより自分の頭の整理になってしまったのと、
あと単純に長すぎるので、ここに書かせてもらいました。すみません。
詳しいどころか、サッカーそのものにはぶっちゃけ興味ないです。
でも、初戦の審判を日本人が務めたことは嬉しいし、そこで誤審騒ぎになったことに興味を持ちました。
私と相手の方ではスタンスが違いましたね。
1.ブラジル対クロアチアには興味がないし、その審判にも興味が無い。
1a.ブラジル対クロアチアには興味がないが、日本人審判が誤審と言われるのは嫌。
私はもともと1.なので、今回の件では1a.です。
だからといって、
1b.ブラジル対クロアチアには興味がないが、日本人審判が誤審と言われるのは嫌なくせに、日本と仲の悪い国の審判が誤審と言われたら喜ぶ。
2.ブラジル対クロアチアはもちろん、大会期間中ずっと緊張感ある試合を見たい。初戦のジャッジは大会全体に影響することもある。なのであのジャッジには反対。
2a-1.日本と外国の試合での審判のジャッジも冷静に見ることができる。
2a-2.日本と外国の試合で日本不利なジャッジにはさすがに冷静になれない。
2といえる人はサッカーの観戦力があるのでしょう。楽しいだろう、と思います。うらやましい。
さらに2a-1の人もいるし、2a-2の人もいるでしょう。
私はどっちもアリだと思います。
でも、
2b.当事国ではないサッカー先進国の専門紙が誤審と言っているのだから誤審だ。
きっと、2.、2a-1.、2a-2.の人も、一緒にされたくないでしょう。
でも、今回、そういう意見もいくつか見かけました。
今回は、私と相手の方がお互い1.と2.である=サッカーの審判に対する思い入れのレベルがまるで違うことを知らないままやりとりが始まりましたが、まぁこういう掛け違いはよくあることでしょう。
そのときに、1.の発言に対して「おまえ1b.だろwww」「だまれ2b.め」と言ったり、
逆に2.の発言に対して「おまえ2b.だろwww」「だまれ1b.め」と言ったりする応酬にはしたくないな、と思います。
(結構たいへんだけどね。自分の得意分野で自分と違う意見を言われた時は特に。自戒を込めて)
さてこれは正しいのか?
2.の人から見れば正しくないかもしれないですが、まぁ1.の人もいていいんじゃないか、と思います。
私は、海外で日本人が外国人によく評価されるのは嬉しいし、悪く評価されるのは悔しい。
そして、やっぱり外国の外国人より、外国の日本人の方が気になる。
海外で日本人が逮捕されて重い刑に処されるのは、たとえ罪状が事実でも気持ちよくはないし、
海外で飛行機が落ちた時に日本人の安否確認を優先するのは当然だと思う。
その分野に詳しくないとき、思い入れがないときは、自分は日本人として一旦は「賛」のスタンスをとると思う。
1.に近い。
でも1b.みたいなことは言わないし、2.の人がいることも忘れない。
でも、その分野に詳しいとき、思い入れがあるときは、その日本人に厳しい見方をするかも知れない。
2.や2a-1.に近い。
でも2b.みたいなことは(なるべく)言わないでおこうと思うし、1.の人がいることも忘れない。
※出羽守(でわのかみ)=二言目には「海外では~」「欧米では~」という人は、正直、嫌いですが、
論理や理想も大事だけど、日本という国民国家の国民であることは、なかなか超えられない壁と思うので。
長くてとりとめがないですが、以上です。
「サッカー競技規則」では、ファウルが与えられる条件は「第12条 ファウルと不正行為」に書いてある。
直接フリーキック
競技者が次の7 項目の反則のいずれかを不用意に、無謀にまたは過剰な力で犯したと主審が判断した場合、直接フリーキックが相手チームに与えられる。
- 相手競技者をける、またはけろうとする。
- 相手競技者をつまずかせる、またはつまずかせようとする。
- 相手競技者に飛びかかる。
- 相手競技者を打つ、または打とうとする。
- 相手競技者を押す。
次の3 項目の反則のいずれかを犯した場合も、直接フリーキックが相手チームに与えられる。
- 相手競技者を押さえる。
- 相手競技者につばを吐く。
直接フリーキックは、反則の起きた場所から行う(第13条―フリーキックの位置を参照)。
ペナルティーキック
ボールがインプレー中に、競技者が自分のペナルティーエリア内で上記の10項目の反則のいずれかを犯した場合、ボールの位置に関係なく、ペナルティーキックが与えられる。
「サッカー競技規則」はhttp://www.jfa.or.jp/match/rules/pdf/law_soccer_all_11_2013.pdfで読める(36ページ)。
あくまでJFAによる日本語訳なので、英語版を参照する場合はhttp://www.fifa.com/mm/document/footballdevelopment/refereeing/81/42/36/log2013en_neutral.pdfの36ページもしくはhttp://www.fifa.com/aboutfifa/footballdevelopment/technicalsupport/refereeing/laws-of-the-game/law/newsid=1290868.htmlをどうぞ。
「不用意な」って何?「相手競技者を押さえる」ってどこまでしたらアウトなの?という疑問については「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」が参考になる。
ファウルとなるための基本的条件
(略)
不用意な、無謀な、過剰な力で
〝不用意な〟とは、競技者が相手に挑むとき注意や配慮が欠けていると判断される、または慎重さを欠いてプレーを行うことである。
〝無謀な〟とは、競技者が、相手競技者が危険にさらされていることをまったく無視して、または結果的に危険となるプレーを行うことである。
〝過剰な力で〟とは、競技者がはるかに必要以上の力を用いて相手競技者を負傷の危険にさらすことである。
- 過剰な力を用いた競技者には、退場が命じられなければならない。
相手競技者をチャージする
(略)
相手競技者を押さえる
手、腕、または体を用いて相手競技者の進行や動きを阻止することは、相手競技者を押さえることである。
特にコーナーキックやフリーキックのときのペナルティーエリア内の相手競技者を押さえる反則に対して、早めに介入し、毅然とした対応をすることに留意する。
これらの状況に対して、
- 主審は、ボールがインプレーになる前に、相手競技者を押さえる競技者に注意しなければならない。
- ボールがインプレーになる前に、引き続き相手競技者を押さえる競技者を警告する。
- ボールがインプレーになったのちにこの反則が犯された場合、直接フリーキックまたはペナルティーキックを与えると共に反則した競技者を警告する。
守備側競技者がペナルティーエリアの外で相手競技者を押さえ、そのままペナルティーエリア内でも押さえていた場合、主審はペナルティーキックを与えなければならない。
懲戒の罰則
- 相手競技者を押さえて、相手競技者がボールを保持することを妨げる、または有利な位置を得ようとするのを阻止する競技者は反スポーツ的行為で警告されなければならない。
- 相手競技者を押さえて、決定的な得点の機会を阻止した競技者は、退場が命じられなければならない。
- その他の相手競技者を押さえる状況では、懲戒の罰則を与えてはならない。
プレーの再開
「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」はhttp://www.jfa.or.jp/match/rules/pdf/gudelines_11_2013.pdfで読める。上の引用部分は117-118ページ。
英語版はhttp://www.fifa.com/mm/document/worldfootball/clubfootball/01/37/04/28/law12-en.pdfで読める。
シミュレーションについては「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」の123ページに書いてある。
反スポーツ的行為に対する警告
競技者が反スポーツ的行為で警告されなければならない状況は様々である。例えば、
(略)
(略)
◆ブラジルW杯第1日1次リーグA組 ブラジル3―1クロアチア(12日、サンパウロ、サンパウロ・アリーナ)
「主審が勝利を奪った」「(クロアチア代表は)勇敢に戦った」。サッカー・ワールドカップ(W杯)の開幕戦でブラジルに敗れたクロアチアでは、
代表チームをたたえる一方で、決勝点のPKをブラジルに与えた西村雄一主審への不満が爆発した。
クロアチア代表のコバチ監督は地元テレビに「われわれはベストを尽くした。あれが(PKの)反則なら、サッカーなんてしない方がいい」と強調。
「主審は試合のレベルに達していない。恥だ」と酷評し、怒りをぶちまけた。
地元メディアも「チームはホスト(ブラジル)相手に燃え尽きるまで戦った」と健闘を称賛したが「主審はブラジルの肩を持った」と非難した。
↓
I hope Croatian people don't hate Japanese people after their unfortunate match against Brazil today...
日本人の西村主審がクロアチア人に憎まれたとして、なんでその憎しみを無関係の俺らまで受けなきゃいけないんだよwww
で、それを予防するために先回りして謝罪?
「お前は西村と同じ日本人だから差別するわ」っていう人たちの価値観を内面化してるんだよ宇多田は。そういう差別は許容してるんだよ宇多田みたいな奴は!
俺がよくわからないのは、ネガティブなことでは積極的にひとくくりにされようとする人々って、ポジティブなことではひとくくりにされたがらないよなwww
俺なら、ポジティブなことには積極的にひとくくりにされに行って、ネガティブなことは自分と切り離すわwwww
(文:masudamaster)
http://brazil2014.headlines.yahoo.co.jp/wc2014/hl?a=20140613-00000019-tospoweb-socc
追記:
大きなイベントがあるときって、ぽっと出の批判したがりが増えて嫌になる。
普段サッカーの話なんてこれっぽっちもしたことないやつが急に誰々は代表に選ばれるべきじゃなかったんじゃないのとか言ってるとなんかモヤモヤする。
今朝の試合の審判の話だって、誤審だ誤審だ試合壊したなんて言ってたりするし。
批評家気取ってるのかもしれんが批評・批判というよりも単なるdisじゃん。
今朝のは誤審ではないよな。
だって腕掴んでるもん。これは映像でも画像でもはっきり分かる。
流れ上、吹かない方がよかったかもね、は分かる。
誤審ではないでしょ。
個人の感想ならいいんだけど、そういう人に限ってもっともらしい理由つけてでかく騒ぎ立てるから嫌になる。
周囲に私のサッカー好きが浸透しているらしく、そういう連中が話かけてくるけど、その論調には賛同できないからやんわり否定しても「いやだけどさぁ」とまた同じことを繰り返される。
めんどくさいからもうホント話しかけないでほしい。もういっそ試合見てないとすればよかった。今後はそうする。好きなのに観てないのかよ!とか言われるけどもういい。
米国「ラッキーだった」 “ハンド”認める選手も「自分が主審じゃなくてよかったわ」
前半に宮間のFKがペナルティーエリア内で米国・ヒースの手に当たったが、主審は日本にPKを与えなかった。この判定についてロイドは「彼女の腕に当たっていたからラッキーだった。すごく微妙な場面だったから自分が主審じゃなくてよかったわ」と話し、ラピノーも「ハンドだったと言えるだろう」と認めた。
他にも日本のシュートがクロスバーに当たるなど、運が味方する場面も。スンダーゲ監督は「日本は素晴らしかった。多くの指導者は日本のパスワークを研究するべきだ」と持ち上げた。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120810/soc12081009530025-n1.htm
おかしいだろ。いっそフェンシングみたいに全身金属で覆ってボールも金属にして電流が流れたらハンドッ!!!!PKだ!オラ!さぁ並べ!ってしようよ。あと、変なアピールされないように選手同士が接触したら火花出て、「この量の火花だとファールですねぇ」(解説)といった具合に体当たり後の無駄な見苦しい馬鹿みたいな痛がりパフォーマンスをなくせると思うんだ。全身に金属で覆うと疲れるだと?そんなもん軍だったら25kgの装備で戦ってるんだ。関係なかろう。
ぜひFIFAには正式採用して次回の大会の折には、火花の散る試合を見せていただきたいと思う。ちなみにそんなルールになったら自分はそんなばかげたスポーツはせず試合を見るだけにします。
俺はオリンピックを観ていない。
別段観たいとも思わなければ観る必要性を感じたこともないから。
まして今は二人の幼子の成長をFacebookにアップするために必死で加工しているのだ。
目の前のSNSが大切であり目の前のSNSで精一杯であり「いいね!」してくれない誰かの応援などどうでもよい。
メルアドも電話番号も知らないような相手なら尚更応援する必要性を感じない。
しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。
世の中の多くの人がオリンピックの応援に興じているところをみると、
私のような人間の方が少数派なのであろう。
そう思っていた。
だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。
そんなに常に見ていないといけないものなのか。
一日くらいそれらを観ていなくたってなんてことはないと思うのだが、
そんなに片時も離れられないものなのか。
妻。あんただよ。
いつもオリンピック中継を観ている。
朝起きたらまずオリンピック。
朝ごはんを食べる。一人で速効食べ終わる。
そしたらまたオリンピック。
俺は1歳の子に離乳食を食べさせた写真をSNSへアップし、3歳の子が不器用に食べるのを、instagramでオシャレに加工してアップ。
その合間に何とか自分のごはんを口に流し込んでいる状態だというのに。
その後も食器の片付けやら洗濯物干しやら登園準備やら
その間子が泣いていてもオリンピック。
もちろん夕食もひとりで速効食べ終えてすぐオリンピック。
それはまだいい。もう諦めた。
家族で出かけてる間くらい、そのオリンピック速報はしまっておけないのか。
何故その間もオリンピック結果速報とやらをチェックしないといけないのか。
もしくは、審判の誤審だとか何の役にも立たない極めて他人的な情報を議論しないといけないのか。
電車の中、
遊園地、
外食中、
いつもいつもオリンピック。
なんでオリンピックばっかり見てるんだよ。
目の前にいるお前の家族は、
まあSNSでボロクソにdisられた夫なんかに興味はないとしても、
いいね!100件越えしたFacebookフィードは目に入らないのかよ。お前の子供の写真だぞ!
常にワンテンポ遅れて子を見ないで返事してる。
もしくは全然聞いてなくて生返事か「今、いいとこ!」
レストランで、
「ごめん今から決勝」
つってオリンピック中継観てる。
一番、いらいらする。
本当にわからない。
オリンピックやっている人、教えてくれよ。
そんなに常に見ていないといけないものなのか。
なでしこ決勝進出!
だの
メダル確定!
だの
リアルタイムに知る事はそんなに欠かせないことなのか。
他人の応援にいいね!とかするのは
そんなにも楽しいことなのか。
妻。
あんたにとっての現実は一体どこにあるの?
2005年9月3日に行われた2006 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 5位決定戦のウズベキスタン代表-バーレーン代表戦での誤審(本来、PKの蹴り直しとなるところをルール適用のミスで相手の間接FKとした)により、FIFAとAFCから国際審判資格の無期限資格停止処分を受けた。当該試合は後日、再試合となった。 なお、当該試合はFIFAが再試合を実行した、唯一の試合となっている。
「プレーに関する事実についての主審の決定は最終である」とするサッカーの競技規則を覆して再試合が行われたことについて、2006年1月17日の朝日新聞のコラム内で、「今後判定を覆すことを認めるルールができるなら、『トシズ・ルール』と名付けてもらい、歴史に名を残したいぐらいに考えていた。」と語っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%AF%BF%E5%85%89
ちょっと調べてみて、こういう事例を見つけたんだけど
それでも高体連には権限がないの?
ていうか結局主審はそんなに絶対じゃなかった…
たとえ話みたいなことしたら再試合だわ
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▽
遠山の金さんといえば庶民感覚で犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説のモデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。
お白砂には花吹雪舞う刺青の松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采をあびる。
江戸時代までは検非違使の伝統が息づいていた所為か警察、検察、司法が同じ行政機関で行われた。警察が逮捕し、検察が起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代の概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。
大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町と北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。
江戸時代を世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人が裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。
水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法の独立って概念を知っていたのかな。
そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律の風土が違う。
だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人の犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本に弁護士が少ない、と。
この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院。
そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人、傷害致死、放火、身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑か量刑か無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識が裁判官の常識を変えた例になった。
ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度が日本にうまれた。
左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。
議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員」制度の誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランス・チェイサー(救急車を追いかけて患者から事故の弁護士を成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラをでっち上げて日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。
だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。
第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。
第二に陪審員は買収されやすく誤審、冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員を黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。
第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。
▲上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明
細かな問題点はほかにも多々ある。
一、選挙管理委員会のリストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷の密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。
四、多数決で裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。
ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在の裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。
裁判員制度導入に賛成する保守の論客も意外に目立つ。代表選手はコラムニストの高山正之氏だ。
高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度に精通し日米の裁判に関連する著作も多い。
法律の解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知な裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。
ただし米国の陪審員制度といい、今度の日本の裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法の民主化などというお題目は寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。
通巻第2702号
2002年、日韓共催のサッカーワールドカップで「Fare Judge Please」 ってやってた運動をご存じの方はおられるだろうか?。私はそれをやっていたのでそのときのことを思い出した。
負けた国のマスコミも選手も 「ちょっとおかしい」 って言っている。
これは問題じゃないか?
このままじゃホスト国としての資質、ホスピタリティが問われる。
何てことを感じたモノです。
一人主観的な義憤に燃え、使命感を感じ、マスコミとかにもメールしたり。
まぁ、ネガキャンみたいなモノですね。
しかし自分たちが行動したからといって、すぐにみんなが自分たちに共感を示してくれるわけでもなく。
冷静に考えれば当然のことなのですが、すでに燃え上がっている自分から見ると、そーいう人を責めたくなってしまった。
国立でパブリックビューイングが開かれたとき、「Fare Judge Please」 と書いた横断幕やらをもって観戦した。
それでも自分たちの運動を、マスコミはあまり取り上げてくれなかった。
ただ、「Fare Judge Please」 と書かれた横断幕をどこかのカメラマンが撮影していて、その写真がYahoo!の写真(だったかな?)に掲載された。
記憶違いもあるかも知れない。でもそんな感じ。
今、私はあのときのことを思い出し、そして話題主の姿をかつての自分に重ね合わせている。
今、私はあのときの成果を「1枚だけ」 と否定的にではなく、「1枚も」 と肯定的に考えている。
話題主のこの少年さんの怒りや使命感、そしてそれに基づく行動で少年さんは何を得たのだろうか?
個人的に推察すると、「自分と真正面から向き合ってくれる親族がいる」 ことの確認・発見を得たのではないだろうか。
そのことを肯定的に認めて欲しいと思う。
AFCの田中達也のゴール(ポンテのシュートのこぼれ玉)をニコ動とか掲示板とかでオフサイドじゃないとか書いてるのはいったい何なんだ?
半分釣りも混じってるみたいだけど本気で書いてる人もいるみたいだし。
わざわざルールも知らないスポーツの動画なりスレッドを見てわざわざコメントを残す人の気が知れない。
そういえば高校野球の振り逃げ3ランを誤審だとかいうのもあったね。
振り逃げは確かに特殊なルールだけど基本中の基本だから野球好きを自認する人なら知らないわけがない。
しかもバウンドしたボール、タッチしてない捕手、コールを一度しかしていない球審、気付いて走り出す打者走者が後から編集したみたいにきっちり映っていたのに…
新入 「はあ、すみません。でもルール的には僕の勝ちは変わりないでしょ。」
審判 「まあまあ。練習なんだからさ、新入もなんで変な球ばかり打つんだよ?」
新入 「先輩なんだし、それぐらいしないと僕だって練習になりませんよ。」
部長 「あ?見逃してやってたけどお前のロブ殆どアウトだろ?」
新入 「アウトならそのとき言ってください。僕は入れてますよ。」
審判 「部長ほっときましょうよ、コイツなんか勘違いしてるんですって。」
部長 「マネージャー!さっき練習ビデオ撮ってただろー?ちょっと持って来て。」
マネ 「…ここですね。」
部長 「ホラ見ろアウトじゃないか。」
新入 「ラインでしょ?このアングルじゃ線にカブって見えて当然ですよ。」
部長 「お前さ、これから練習やるたびに同じ事したいわけ?」
新入 「相手のレベルに合わせますよ。先輩なんだからキツめでいいでしょ。」
新入 「はあ?不正って、審判まで居ましたよ?」
部長 「おい、3ゲームめのボレーで判定が遅れただろ?なんで?」
審判 「え、ああ、部長の影で見えなくて。」
部長 「じゃあなんでコイツにいれた?」
審判 「あ、新入がガッツポーズとってるし、ボールも入ってる気がしたから…」
部員 「どうしたんすかー?」
新入 「ええっしてませんって。なんか怒っちゃったみたいだけど。」
部員 「新入は基礎がなってないのにやたら勝ちに行きますからねー。バーカ。」
部長 「いや、これは冗談では済ましたくない。根本的な生活態度の問題だ。」
審判 「え、そんな大事にしなくても。」
部長 「カウントのごまかしがアウト5回に少なくとも誤審誘導1回。しかも開き直って。」
新入 「いつの間にアウトって事になってる?ちゃんと見てくださいよ。入れてます!」
部長 「ビデオだから客観的な動かしがたい証拠だろ。審判も見ただろ?」
審判 「え、ええ?はあ、まあ。でも。」
新入 「もー、マジの試合して気分を害したなら謝りますよ。どうしたら良いんですか?」
部長 「謝って済む問題じゃない。自分でやった不正だから自分で考えろ。」
部員 「部長、そこまで、部で基本マナーを教えてなかったの悪かったかも知れないし」
新入 「不正じゃなくてちゃんと入れてますって。」
部長 「みろ、反省なんか全然してない。」
審判 「確かに試合態度は悪かったんですけど、不正とかまできめつけるのは」
中央集権国家は目前に迫っている。
確信を持ったのは日韓ワールドカップの時だ。韓国がウリナラクオリティを見せつけ勝ち進むであろうことは予想していたが、ベスト4という予想を上回るすばらしいインチキをやってくれた。
私はこれはチャンスだという確信があった。すかさず関係各所に反則、誤審の検証ビデオを作るように支持した、そして、検証サイトがあればそのサイトに支持の書き込みを思いつく限り書き続けろと命令した。もちろん、2ちゃんねるは最優先事項だ。
効果は絶大だった、マスコミに踊らされ韓国マンセーだった空気は一気に反韓へと変わり、現在のようにストレスのはけ口を2ちゃんねるやブログに求める日本人を大量に生産することに成功した。同時に、マスコミの報道の信憑性も地に落とすことができた。
これが何を意味するか。反乱分子に行動を起こさせないことができるようになったのだ。私の策略により、我々日本政府がどれだけ富を搾取し、独占する法案を通したとしても国民は2ちゃんねる、ブログ、各種掲示板に不満を書くだけで実力行使に出なくなった。これが政府にとってどれだけメリットがあるかは、今の国会中継の稚拙なやり取りを見ていただければわかるだろう。馴れ合いで質問と答弁を繰り返しても暗殺も放火も暴動も起きない、政治関係者のパラダイスができたのだ。
今の私たちは何をやっても許される。「なんとか還元水」で税金を使っても我々は誰からも被害をこうむらない。この税金の無駄遣いに講義するためにナイフで刺殺する計画を立てる暇があったら、2ちゃんねるに「氏ね」と書くだろう。まったく良い時代になったものだ。掲示板で誹謗中傷されようが、見なければ良いのだから我々は一切困らない。むしろそこで暴力的な感情が収まってくれるのならいくらでもバカにしてくれといった感じだ。届きもしない批判をネット上でして何の意味があるのだろうか。笑いが止まらない。
そういえば、最近は「救う会」がすごいらしい。会計に我々の息のかかった人間を送り込んでおいたのだが、想像以上の募金がきているそうだ。被害者の両親が偉そうにテレビで講釈たれているのを見るとさっさとくたばれと思うのだが、政権の支持率を維持するためには長生きをしてもらわねばならない。何しろ拉致問題は北朝鮮の将軍様と日本政府がタッグを組んだ壮大な茶番劇なのだから。
日本政府と将軍様の間では我々が「ひがいしゃをかえせー」と言えば将軍様は「いやだー」と言い、将軍様が死ぬまで一生平行線を辿るという密約がかわされている。そうすれば絶大な資金力を持つ「救う会」はずっと維持され、毎年莫大な額の献金が日本政府に転がり込んでくるのだ。ジョンイルのアホにはそのうちの一部をくれてやれば良い。救うための金が救う気のない将軍様への献金だったと気づいたら、「救う会」の面々はどんな顔をするだろうか。救われる日を信じ、会を維持するためになけなしの金をはたき、自民党に投票し、たとえ逆風が吹いても自民党を支持すると答える。善意というのはまことに扇動しやすいものだ。
あと5年もすれば日本国民総無力化と政府主導の中央集権国家はほぼ完成するだろう。そうすれば、今の日本の国力から考えれば、少なくとも我々が寿命でくたばるまでは酒池肉林の日々を送り続けることができる。そのために、我々は全力で国民の感情をネットに押し込める作業に注力せねばなるまい。
「無能しかいない」と嘲笑されている日本政府の関係者がどれだけしたたかな存在だったか、無能な国民たちはもうすぐ思い知ることになるだろう。気づいた時にはもう遅いのだ。