はてなキーワード: 目からウロコとは
わかる。あと「目からウロコ」もあるといい。だいたい「何度目だこれ」って話だし。
え?ポケモン図鑑って、なんとなく埋めたくなるけど??と思って驚いたけど、そういう人もいるんだなーって目からウロコだった
ツイッターで「これまでのポケモンは図鑑を完成させられなかった。なぜならそのために乱獲するのが嫌だなと思ったから。でもアルセウスはその気持ちを薄めてくれたし(牧場だから可哀想じゃなく思えるとかで)図鑑を埋められそう。同じように思ってる人は是非やってほしい」てツイートがバズってて目に入ってきた。
なるほどなー。今までのポケモンから少し離れてる人も面白いかもよ!って話だなーとは思った。
ただ、それはそれとして
とか思ってしまった~
アルセウス、図鑑完成させないとストーリー進められないしな。今回は完成させてみてねと、思いつつ、なんかイマイチぴんとこなかったので吐き出したかった。
図鑑これまで完成させてきたけど、別に乱獲したつもりもないし、完成させるためにそのポケモンを探したり待ったり追いかけたり、そうやって試行錯誤したことでそのポケモンの生息地とか特性とかわかったり解像度あがって、なによりそれも自分のポケモンとの旅だったから。
なんか図鑑完成させることを、そういう引き合いにわざわざ出される言い方もにょったー
書いてすっきりした
36歳の冬、生まれてはじめて小説を書いてみようという気持ちになった。
この一文だけを見ると、なにか高尚な趣味にでも目覚めたかのような気持ちになるが、文学を題材にしたアニメに影響受けただけという、ひどく幼稚な理由だ。
普段から文章を書くような仕事をしているわけでもないし、はてな匿名ダイアリーに文章を投稿するという行為自体もこれが初めてだ。
そんなおっさんがいきなり小説を書こうとした結果、どういう状況になったのかということを書き記しておこうと思う。
まず、小説というのはほとんどの場合フィクションだ。「吾輩は猫である」という有名な作品があるが、猫は喋らない。あくまで創造された作り話だ。
ここに残している文章はノンフィクションであり、ただただ体験したことを日記として記載しているだけの文章だ。このような文章は日本語を理解できていれば残すことはできる。
しかしフィクションである小説を書こうと思った場合どうだろうか。いざ取り組んでみると最初の1文字を書くことすら出来ない。
これは体験した出来事を残す日記とは異なり、無から有を創り出す行為だ。求められている能力が根本的に異なると思う。
普段面白く見ているアニメや映像作品も、どこかの誰かが無から有を創り出している。イラストや音楽の創作についてもきっと同じだろう。
いざ自分でそれの真似事をしようとしてみると、それがどれだけ凄いことなのかを身を持って理解できた。
この先の人生で、小説を書くということに集中して取り組めば、もしかするとなにかを創り出せる日も訪れるかもしれない。
ただ、自分にそのような熱量があるわけでもないし、熱量を継続できるイメージも無い。
何かを創作できる人は凄い。とても簡単に真似できるようなことじゃない。
ここにノンフィクションの文章を残せたことに満足し、誰かが創ったものを消化する人生で満足しておこうと思った、おっさんであった。
みなさん、コメントありがとうございます。
小説を書くというのは無から有を創り出す行為だと思っていたのですが、何かしらのきっかけを膨らませるものという認識に変わりました。
この投稿内容は36歳おっさんのノンフィクションなのですが、例えばそれを「12歳の少年が初めて小説を書く話」として膨らませていけば、たしかにフィクションの小説としてなりたつような気もしました。そのような発想自体がそもそもなく、目からウロコでした。
多くの人は直感的に乱雑に散らかった部屋(物が多い少ないではなく、整理整頓されてるかどうか)を見ると不健康だと認識するだろう。
そして、反対に整理整頓されている部屋を健康的だと感じるだろう。
かつてシュレディンガーは生き物を次のように定義したことがある。
さながら一見秩序だっているように見える部屋というのは定期的に物質の代謝を行い、外部世界のエントロピーを増大させているのである。
ようはこまめにゴミを出して不要なものを捨てているから、この部屋の中だけはエントロピーが低い状態を維持することが出来ているということである。
生物も同じで、代謝がよい個体のほうが健康に見えるのは、おおくの我々の本能もしくは後天的に獲得した無意識の常識や世界観モデルの中に、エントロピーが低い個体を健康的であると認識する能力が備わってるのだろう。
それがエントロピーをどれだけ低く保ち続けているのか、という観点で評価できるってのは、結構目からウロコの話だったので、そして割とミニマリスト気質の自分がなんで一種の病的なほどに簡素でエントロピーの低い部屋の状態に固執していたのかってのの答えの一つを見つけられたようでいて、嬉しくなってここに書き記した。
太ってる人はそういった観点で、エントロピーが増大してしまっていて直感的に不健康であると受け取られうのかもしれない、汚れた部屋と同じような階層にそんざいして、判断されるのかもしれない。
手入れされてない服装や髪型、女性だと化粧の有無もエントロピーに関係するかもしれない。
きれいに整った化粧ってのは大量の化粧品とか添加物を外部で製造したり広告を使ったり、在庫管理したり、配送したり、といった膨大なエントロピー増加を行ったという裏付けであり、それほど外部エントロピーを発生させたということは翻って、化粧で整えた顔はエントロピーが低いのかもしれない。
ビットコインの情報がエントロピーが異常に低いのも、大量のコンピューターや電力を使って外部世界のエントロピーを増大させているからだと思う。
まあ全部が全部本気でそう思ってるわけじゃないけど、こうやって一つの観点でざっくり横串で刺し貫くのは、ちょっとした頭のストレッチみたいで楽しいものである。
飲食店で食事をした後、会計を済ませて帰る際に「ありがとうございました」に対して「ごちそうさま」と声をかけて去るのだが、
テイクアウトの時には「ありがとうございました」にどう返したものだろうと小さく悩んでいる。
「ごちそうさま」は食事を最後まで頂いた後に、それを出してくれた相手に対する感謝としての言葉だと認識しているため、
これから食事を持ち帰ろうという、まだ口をつけていないテイクアウトの状態では「ごちそうさま」は有効ではないな、という気持ちがどこかにある。
かと言って、「ありがとうございました」に何も返さずに去るのも個人的にはどこか落ち着かないものがある。
結果として、「どうもー」みたいな芸人の登場の挨拶みたいな、微妙な言葉で返しているのが現状である。
(追記)
確かにこれから頂くわけだから「いただきます」で良いのか。目からウロコの気分。
ちなみに「ありがとうございます」だけで返すと、向こうから再度「ありがとうございます」が返ってきて無限ループになることがたまにあるのと、
相手の「ありがとう」を反射的にオウム返ししているような心持ちで、やっぱりしっくりこなかった。
ビジネス系のサービスや最近増えてきたSaas系のCMなんかの演出で、
部下らしき人物が何も知らない上司や社長などのマネジメント層対して新しいサービスを紹介して目からウロコみたいな展開が半ばテンプレ化している感じなのだが、
これって今でもターゲットに刺さるメッセージとして通用しているのだろうか。
会社や自組織の課題を抽出して、その解決策を提示し実行させるのがマネジメントポジションの重要な仕事なのだとしたら、
上記CMで目からウロコ落としてる人たちはいったい何の仕事を毎日しているんだということになると思うのだが、
こんな演出が量産されているということは、まだまだ世の中にはこんなマネジメント層が蔓延っている会社が多いということなのだろうかね。
こんな上司ばっかりだったらとてもじゃないがこれからのビジネス環境に太刀打ちできるような企業力をつけることなんかできないと思うけど、実際どうなんだろう。
自分の周りのマネジメント層はわりとそのへんのキャッチアップが早くて自ら引っ張っていくような人たちが多いので、
そんな呑気な世界があるのかどうか知りたいと思ってここに書いてみました。
室内で使ってみたら確かに煙は少なかったけど、やっぱり一週間くらいは臭いが取れなかった。
どうしたものかととりあえずベランダに出してみたら、煙の少なさが近所に対して全く気にならず、屋外の気持ちよさも手伝って最高の焼き肉になった。
以前にもベランダで焼き肉をしたことがあるのだけど、そのときはガスコンロタイプの本格的なものだったので煙がすごすぎてすぐにやめてしまったことがあった。
でも、煙が少ないなら周囲に対しても全然気にならない。
煙が少ないプレートの使いみちがまさかベランダだったとは目からウロコだった。
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/noriki-washiya/18-00431
今はこのレシピをベースに電子レンジ麻婆豆腐を作るのにハマってる。
https://card-media.money.rakuten.co.jp/articles/2021/02/25/01/
マーナのおさかなスポンジは最初可愛いからという理由で購入したが、この形状がほんとに便利で、移行後はずっとこれ使ってる。
チン!してふくだけもとても便利で、常時ストックされる物になった。