はてなキーワード: 松田聖子とは
アラフィフ以上のジジイババアでないと分からないネタだろうが。
記憶が曖昧だったのでネットで調べてみたら、あれは1984年末の紅白歌合戦だったらしい。
当時の紅白は、まさに“国民的番組”で、視聴率は八割近かったはずである
当時、松田聖子と郷ひろみの交際というのは国民的な関心事で、このときの紅白のオープニングでは郷ひろみが松田聖子の手を引いて入場するという演出がなされていた。
歌唱順も当然のごとく、紅組の松田聖子と白組の郷ひろみが並ぶように組まれていた。
その直前がやはり交際が話題になっていた(そしてその後破局した)中森明菜と近藤真彦で、二組をステージに並ばせて“今、なにかと話題の二組”とかいって紹介してたと記憶する。NHKの番組で。
すごい時代だ。
(なお、このときの紅白の一番の話題は“都はるみ、紅白のステージを最後に引退!”であった。“あと1分時間をください!”と強引にアンコールを迫った鈴木健二アナウンサーとか、生方恵一アナウンサー、いちばん大事なところのナレーションで“みやこ”と“みそら”言い間違える事件とか、
で、年をあけてすぐの週刊文春(これまたネットで調べたら1月22日発売だったようだ)、松田聖子は郷ひろみとの破局を告白したのである。
当時は文春砲なんて言葉はなかったが、この記事は日本中に衝撃を与え、松田聖子は緊急記者会見を行う。
このときの泣きながら「今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうねって言いました」と語る松田聖子の映像は、飽きるほど繰り返しテレビで流れていた。
そして、このときも泣き顔なのになぜか涙は流れない、いつもの松田聖子だった。
(当時、松田聖子は賞レースで受賞したときなど、感激して泣くのに決して涙が出ないので有名だった。嘘泣き? 演技? いやよく知らんけど、“ぶりっ子”という言葉も松田聖子とともに流行った言葉ではある)
で、話はこれで終わらない。
この直後に、主演映画のポスター撮影のため、ハワイへ飛ぶ直前の松田聖子が、映画の相手役の男性と交際宣言をしたのだ。
これまたネットで確認したのだが、わずか10日後のことだったそうだ。
(なお、まだバブルも本格化する前で航空料金も自由化されておらずLCCなんて影も形もなかった時代、ハワイは日本人にとって、大スターがバカンスを過ごす夢の島であった)
映画は前年11月から撮影していたらしい。そして紅白、記者会見を経て翌年には交際宣言、である。
これ、昭和の価値観なら松田聖子はとんでもない悪女になりそうなものなのだが、なぜか彼女はこれを“致命的なスキャンダル”に貶めることなく、“自分に正直に生きる強い女”みたいなキャラを確立してしまう。
もちろん目黒の教会での挙式からホテル・ニューオータニでの結婚披露宴まで生中継。披露宴の司会は当時日テレの人気アナウンサーだった徳光和夫。
なぜか当時の日本では、大スターの結婚式というのはテレビの大イベントだったのだ。
その後、娘(神田沙也加)の誕生、神田正輝との離婚、“ビビビッときた”という流行語を生んだ再婚と離婚、さらには略奪婚とも噂される三度目の結婚と、話はまたまだ続いていくわけだが。
先日、亡き娘の位牌を手に、遺骨を抱えた元夫と並んで会見した彼女をみて色々とショックを受けた人も多いようだが、彼女のデビュー同時からずっと知ってる世代の人々は、わりと自然に“彼女らしいな”と受け止めたんじゃないかと思う。
ただ、そんな彼女の“昭和のスター”な振る舞いも、なんだか時代とはずれてきてるのかな?という感じもする。
なお、元彼の郷ひろみはその後、二谷友里恵と交際。交際中に二谷友里恵の書いた『愛される理由』がベストセラーになったり、結婚披露宴が古舘伊知郎の司会でテレビ中継されたりしたのだが、このふたりも離婚してしまった。
二谷友里恵はその後、「家庭教師のトライ」の創業者と再婚している…という話を聞いて以来、あの「トライさん」のCMを見るたびに、なんとなく余計なことを思い浮かべてしまう。
いまや紅白歌合戦で、松田聖子と郷ひろみは大ベテランで、かつての華やかで派手で、だけど歪な芸能界の空気をまとった数少ない出演者になっている。
今年も何事もなかったように、“松田聖子”と“郷ひろみ”を舞台で炸裂させるのだろうが、そろそろ時代との乖離が覆い隠せなくなってきたような感じはしている。
【追記】正式に松田聖子の辞退が発表されたようだ。一部スポーツ紙の報道を信頼して、“まあそりゃ松田聖子なら出るだろうな”という確信の元、駄文をしたためたが、やはりどこか自分の中に“昭和バイアス”があったのだなぁと感じている。
来年以降、復帰するのは難しいかもしれないな。なにかスマッシュヒットでもあれば別だが、しれっと復帰しても“そういえば去年は…”となりそうだし。
松田聖子がNHK紅白出場へ「娘に恥じないよう」沙也加さんとの思い出の場
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202112230000890.html
このブコメ。
「毒親に見える」や「感動話にするな」といった批判的なブコメがチラホラ。
断定をしているわけではないし、強い言葉を使ってるわけでもない。
ただもし仮に本人の目に入った場合、本人を傷付けるような攻撃的な要素を含んだ言葉であることは間違いない。
それが必要な時もあるだろう。
けれど、本当に個々のラインは誹謗中傷か否かであるべきなのか?
他人を傷つけるか否かではないのか?
今一度考えて欲しい。
例の松田聖子と神田正輝の会見に対する反応をSNSで見てて思った。
事件の内容はともかく、なんか昭和から平成初期の頃までのニュースだと、ああいう映像よく見た気はするんだよね。
事件性のありものだけじゃなくて、普通に天寿を全うした有名人の場合でも、最近は葬儀とかは身内で済ませてしまってカメラはいらないことが多いし。
テレビの画面だけじゃなくて、社会生活してても、もともと葬式というのが昔ほど呼ばれないものになっているし、コロナ以降はその傾向強まったから、あんまり遺骨の箱自体、見たことがない人が多いのかもしれないな。
日本人は特に遺骨に対する思いがつよくって、焼き場で遺骨に拾うのにお作法があったり、あの白い布で箱を積んで運ぶ風習は日本独自のものだという。
個人的に親のやつ持ったけど、まあ壺の種類にもよるのかもしれないが、あれは思ってる以上に思いもんである。
とくに、戦時中、戦地から帰った遺骨を運ぶ作法として定着したという話も聞いたことあるけど。
そういえば、戦中戦後のニュースフィルムでは、やたらとあの布で包んだ箱をもった遺族の映像とか、よく見るような。
子供の頃、なんどか電車であの箱を運んでる人を見た記憶があるんだけど、最近は見ない。自分がたまたま見ないだけなのが、遺族が遺骨を運ぶような機会が全体として減ってるのかは知らないが、なんとなく死に関するものはショックを与えるからどんどん社会から見えないようにしましょうという圧力があるような気はする。
転落する直前に父で俳優の神田正輝に電話していたという。正輝は18日にテレビ朝日系「朝だ! 生です旅サラダ」(土曜・朝8時)に生出演。
番組終了後の午前10時頃、沙也加さんから正輝の誕生日(今月21日)を前祝いする電話があり、会話をしたという。
・スタッフ―が神田沙也加の部屋を訪れ、窓の外に転落しているのを発見
・正午公演に神田沙也加の出演予定だったが
スタッフや共演者には「神田さんは転落して現在重篤な状態です」との説明があり、神田さん以外の主要キャストも変更された。
・ダブルキャストで神田の出番はなく少し遅れた程度で開演、アフタートークも。