はてなキーワード: 曹操とは
袁紹軍参戦!!
田豊としてのtikani_nemuruさんへ
https://anond.hatelabo.jp/20210923102036
曹操軍参戦!!
https://anond.hatelabo.jp/20210925061319
「JRの民よ、劉玄德と共に歩みましょう」
1. ある程度既に議論されているかもしれないが、今回の件が今まで問題視された公共空間・広告における性的な女性表象への批判と決定的に違うのは、Vtuberの身体は今まで問題とされたような二次元のキャラクターのような意図をもって製作された純粋な”デザインそのもの”なのではなく、中の人と結びつけられた疑似的な肉体でもある点だと思う。今までであれば、女性の描かれ方、デザインに関しての作り手の意図という点に着目して、性的に扱う意図をもってデザインされたものが公共空間や公共広告で扱われることを問題視する事に理があったように思う。描かれ方・デザイン(その意図)の問題であって単純に胸が大きいとかいう問題ではないという話だったからだ(だから宇崎ちゃんの件も現実の胸が大きい人への逆差別”ではない”というフェミニズムを支持する側の理屈にもなっていた)。
それが今回の件に関しては、Vtuberの身体はデザインでもある一方、中の人間の動きと外のガワが一体になって(今回の件では)3d空間で動いているVtuberという存在にとっての肉体そのものでもあるというのがややこしいというか、議連の批判が今までのフェミニズムからの公共・広告における性的な女性表象への批判と比べて明らかに大きく反発を受けて逆に批判を受けた部分だったなと思う。
議連の人たちはVtuberを3Ⅾアニメーションぐらいにしか認識していなかったのだろう。そして、今までの広告で扱われる性的な女性表象の問題においては、その作品がどういう作品なのかという文脈を知る必要はない、その作品を知らない人も目にするのが広告であるから、広告それ単体で女性表象がどう扱われているかのみが問題であるという理路が使われていたように思う。それはそれが二次元にとどまる話であれば正しかったように思う。だからこそVtuberがなんなのかよく知らなくても批判するという事が当然の帰結として起きた、今回の件は起こるべくして起こったと思う。
今回の件はフェミニズムという思想に依拠した批判・炎上問題の中でもとしてかなりフェミニズムに分が悪い出来事だったなと思う。Vtuberの身体とは何かという話は正直自分もきちんとした答えを持っていないし、この文化が今後も発展していけば学術的な議論も深まっていくんだろうなと思う。そんなまだ学術的な議論も深まっていない分野でフェミニズムの名を冠した人々が理論構築の甘い批判をしてしまった(少なくともそう思う人が過去の似た事例に比して格段に多かったと思う)。私はVtuberが好きな人間でもあるが、フェミニズムに興味がない人間だったとしたら、フェミニズムは自分の好きな文化にとっての敵だとしか思わなかっただろうなと思う。
Vtuberはなりたい自分になれる文化というのは特に2018年ぐらいの初期の頃のVtuberとは何かという話においてはまさしくその通りだったと思うし、今も個人VとかVRチャットとかの文化ではそうなんだと思う。この世界観をVtuberに親しんでいる人が共有しているというのも議連への批判が大きい点だろう。ただ、企業Vは必ずしもそうじゃない。デビューした後の別の新衣装とかは本人の意を汲んだものになることが多いけれど、最初は既にデザインとしての肉体(ガワ)は決まっていて、そこにオーディションを経て中身が決まっていく流れだと聞く(個々の企業によって差異はあるかもだが)。なりたい自分の姿を選んでいるとは限らない。
でもさらにややこしいのは、中の人間のプロポーションとガワの肉体のプロポーションをある程度同じにしている企業もあるらしいことで。胸が大きくてすごく揺れるVtuberがいて、そして更に中の人も胸が大きくて、中の人の動きをガワたる3dモデルに反映させている以上、3dモデルの胸の動きも中の人の胸の動きとある程度リンクしているとする(モデルと中の肉体で動き方が同じとは勿論限らないというか多分違うと思うが正直詳しくない)。そしてこのVtuberが警察とのコラボのような公的な広告に出ることがあった場合、今回と同じような批判がフェミニズムの立場からそれになされて、企業Vの中の人が自分のモデルを不適切だと批判されることは自分の肉体に対しても差別だと抗議した場合、自分は正直フェミニズム側からの批判を支持できないなと思ってしまう(起きていない仮のケースを想定して支持できないと述べるのは不誠実だとは思うが、起こり得ることだと思う)。今回議連を批判している人にとっては、私が例に出したケースと今回の事はほぼ同じだろってなりそうだけど(私にとってはそうではないが)。
Vtuber文化は今後も発展して警察のような公的な機関や催し事とのコラボも増えていく事と思う。そしてそれに付随して、公的なものに相応しくないという批判からの炎上も今後も目にしていくのではないかと思う。オリンピックの小山田氏やラーメンズ小林氏のような過去の不適切な発言での問題が、もしVtuberで起きて、そしてそれがVtuberとして活動する前の、Vtuberたるその人ではない純然な中の人間としての過去の発言だった場合、それはVtuber〇〇としての問題として扱われるのかどうかとか、そういった事を最近考えている。Vtuberの肉体とはなんなのかというのも、もっと議論が必要な部分だし、容易に結論がつくものでもなさそうだ。だからこそ、もし批判するなら真剣に理論を立てないといけない分野だと思う。普段の思想が近しい人同士でも、Vtuberの世界観(個々のVの世界観ではなくVtuberという文化の認識の枠組み)を共有している人とそれを知らない人の間で今回かなり意見の相違がある話だったと思うのだが、オタクの内輪の論理(Vtuberを知らない人には分からない世界観・認識)を持って来られても困るというのは一理あると思うが、この内輪の論理を共有する方が多数派になってしまったら結局そんな言葉もかきけされてしまうんだろうなと思う。知ろうとしない方が悪いとか言いたいのではなく、ただそういう未来がありそうで嫌だなと。
2. 現代の日本にはフラワーデモが起こったきっかけでもあった性犯罪の判決や、知識の不足や劣悪な環境に置かれたことでやむなく堕胎も出来ず病院にも行けずに一人で出産して赤子を死なせてしまった女性が犯罪者となり父親は何も責任を問われないような司法での女性の扱われ方に関する差別の問題がある。医学部の受験における差別措置も記憶に新しい。女性の政治家の数は少ないし、女性の総理大臣も0だ。ジェンダーギャップ指数の世界ランキングなんて参考にしなくても、日本には是正されるべき男女差別があり、その為にフェミニズムという思想がまだまだ必要である事は前提として認められる社会になってほしいと私は思っている。
公共空間・広告における女性表象の扱われ方の問題は勿論大事な問題であるし、フェミニズムにとってなおざりにしてよい問題であるとも思わない。だが、先に挙げたような女性差別の問題に比べると、人それぞれ色んな価値観があるし、フェミニズムを支持する人間の間でも一番意見がバラバラに感じるトピックだと思う。私としては女性表象の問題はフェミニズムという思想にとっての”鶏肋”であると常々思っている。鶏肋とは三国志で有名なエピソードが由来の言葉で、意味は「大して役に立たないが捨てるには惜しいもの」である。
私は少なくとも今までの女性表象に関する問題はフェミニズムの立場からの批判側に理があると思っている。しかし、一連の女性表象の批判は繰り返す度にフェミニズムを嫌う人間を増やしこそすれ、フェミニズムを支持しようという新しい賛同者をそこまで増やしているようには、少なくとも嫌われる人数を上回る程には新たな賛同者を増やしているトピックには思えない。思想が政治的に勝利するためには賛同者が増えなければいけない、いくら理論で勝っていたとしても民主主義においてはその賛同者の数が力になる、政治で勝つためには賛同者を増やす戦いになる。批判する側が悪いと言いたい訳ではない。これを批判する人々自体は必要であるとすら思う。女性表象に関する事で傷つけられた人も過去・現在も存在していて、その人たちの事を考えたら決して役に立たない問題なんかではない。ただ、女性表象の批判は賛同者の増減に関しては基本的に分が悪い戦いで、基本的に負け戦を強いられるものだなと見ていて思う。女性表象の批判でフェミニズムを敵視する人間の声が大きくなる風景がどんどん広がるばかりだ。嫌われるから批判をやめろという話ではない。嫌われるのだからこそ、理屈で負ける批判をしない事が大事だと思う。フェミニズムに興味のない人間にとっては、娯楽への批判なんてのは繰り返せば繰り返す程嫌われるものだ。いかに損害を出さずに負けるかという負け戦なのだと思う。今回の件がニュース番組や新聞など今までに比べて大きくメディアで取り上げられているのは、今回の件が華々しい(無惨な)負け戦だからだ。フェミニズムを嫌う人間にとってはこれほど溜飲が下がる事はないであろうし、メディアもフェミニズムが叩かれている所が人々の耳目を集める格好の餌だと分かっているから宇崎ちゃんやラブライブ!、アツギのタイツとは比較にならない程大きく取り上げる。自分は今回のメディアの取り上げ方にも不信感というか、怒りというか、やるせなさというか、とにかくいやな気持がした。
楊脩は”鶏肋”との言葉を聞いて「鶏のあばら骨は捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほどの肉はついていない。この戦もそれと同じだ」と解釈して軍を撤退させた結果、曹操に首を切られた。私は自分を楊脩になぞらえるような真似をしたい訳ではないが、上記の自分の意見もフェミニズムを支持する人から批判されるだろうと思うし、それは甘んじて受けるつもりだ。正直言って自分が正しいかどうか自信がない。でも、この表現をめぐる問題で一致が見られなくても、社会に是正すべき女性差別があるという点で一致できれば連帯していく事が出来ると思う。もっと言えば、件の青識氏とおぎの議員に関しても、表現をめぐる問題で議連を批判する立場であっても、他の部分でこの社会に女性差別があり、それは解消されるべきで、そのためなら議連とも連帯していきたいというメッセージがあるのであれば彼らを支持するのも全くやぶさかではないと思う。私が彼らを支持しないのは、差別を是正して社会を良くしたいという動きに対して、方法論の違いで衝突しているのではなく、敵対者としてその理想そのものを腐し足を引っ張る為に、自分が支持していない敵対者の思想の論理だけを借りて相手を批判し、批判に使った論理の元の思想(フェミニズム)が目指す理想そのものは唾棄して見もしないような輩だと思うからだ。今回の件で彼らの影響力が増しても彼らはそれを上記の女性差別の解消には向ける気はないだろうし、そんな人間がフェミニズムの論理でフェミニズム議連を批判し、そしてフェミニズムに興味のない人間からは彼らの方がよっぽどフェミニストだと思われるであろう現状が死ぬほど馬鹿馬鹿しい。
山田太郎議員のようなオタクというアイデンティティをナショナリズムのようにくすぐって、あおって、票にしていくスタイルは、おぎの議員の登場により今後アンチフェミニズムと結びついて、それだけでシングルイシューとしてオタクから票を集められるような政治勢力に発展していくのだろうなと思う。「フェミニズムから表現を守るオタクの会」なんて党が出来て議席を得るのも時間の問題だろう。今後この問題がアンチフェミニズムの立場から定期的に引き合いに出されるだろうことも想像に難くない。Vtuberという若い文化が今後発展していけばいくほど、この文化に若い人間が参加していけばいくほど、「フェミニズムとは僕たちが愛する文化を排除しようとする敵なんだ」と先輩オタク達が後輩に囁く風景が見られることだろう。暗澹たる気持ちだ。どうしようもない負け戦だった。
三国志9してるけどいつもどおり終盤あきた
なんなら中盤からもうあきてる
だけど9はなんといってもあほみたいな異民族が何個もあるのがつらい
なんだよ兵数50万て
ひとつの異民族滅ぼして次の僻地へ移送することを考えるだけでげんなりする
抜擢縛りで年1でしか増えない武将を目標に必死に序盤をいなすのはそこそこ楽しかった
港の棺桶ありきだがな
てーか兵糧の上限が低いんだよ
兵糧は年1収穫だからなんとか商人常駐の都市を奪わないと破産する
で序盤は米転がしで財政を黒字に持っていって中盤以降は上限値まで収穫しても一年間の出費をまかなえないから毎ターン金で兵糧を買い足さないといかん
抜擢縛りなら5年分がお買い物係で拘束される
戦争楽しいで高評価な9だけどかったるい部分も結構あるんだよなそれも毎回する時間がかかる作業部分でだから時間が溶ける
仕えるならやっぱり孟徳がナンバーワン!