はてなキーワード: リリースとは
ちがう、ちがう、ちがう。
バグポートフォリオをどうやって使うのかを、また説明しなきゃいけないようだね。もう毎回ずっと、ああもう、8年くらい? リリースのたびに説明してこなかったっけ?
バグにそもそものプライオリティなんかないんだ。バグはプライオリティとともにうまれるわけじゃない。バグのプライオリティってのは、我々の決定なんだ。単なる技術的な決定じゃない。単なるバグの影響度でもない。単なる重大性でもない。バグは、リソース、ビジネス上の判断なんかによって、決定されるもんなんだ。
バグの優先度は、意思決定プロセスの結果なんだよ。つまり、どれがバグで、どれがバグじゃないのかって決めたことのね。
もし、あるバグを絶対、確実にリリース前に直さなければならなくて、そいつがリリース前に直っていないならば、絶対にその一つのバグが直されるまでリリースを止めなきゃいけない、それをP3としてマークするんだ。ベータ版のときもおんなじように、P2ってマークするんだ。どんなにP1バグってのが重大なものか理解できるだろ?
単に直したいってだけなら、それはP4バグなんだよ。
もし、P4バグを担当していて、それをリリースまでに直したい、でもそれを忘れないようにしたいってなら、「ターゲットリリース」のところに、それまでに直そうとするリリースのバージョンを書いておこう。
それで、もしそんなすぐに直したくないP4バグがあるなら、そう、それがP5バグがある理由なんだよ。
これが900のバグを管理する方法なんだ。バグをカテゴリーにわけるのは管理できるようにしているんだ。注目に値するバグってのは、なにがなんでも絶対に直さなきゃならないもんだ。そういうバグが900よりも少ないくないっていうのなら、なんか深刻な問題があるってことなんだ。
バグを報告するときにおぼえておこう。バグを割り当てるときにおぼえておこう。バグを評価するときにおぼえておこう。もし、バグの優先度が正しいってことをコンスタントに証明できないのならば、管理もできない無数のバグで大混乱にみまわれることになるんだ。
大して歌が上手くない人が、そこそこ名のあるクリエイターに作ってもらった曲をリリースするのは、もうどうしようもないとは思いつつ受け入れ難いものがある。
クリエイターとしても自分の名前や作品が売れるキッカケになるから美味しいだろうが、嫌だな~と思ってしまう。自分が心狭いだけなのは分かってる…
内向きな傾向にある人が気軽に過ごせる場をということで作ったんだけど速攻で投げた
原因は3つ
1つ目、
内向きの人の中でも更に内向きかつ傷付きやすい人たちがどんな書き込みを見ても
『だから私はダメなんだ』『ここにいてはいけないと感じる』『XXXって○○○って言えるのかな』
『壁打ちみたいで悲しい』ってサイト内だけでなくTwitterなどで綴っちゃう。
基本的にみんな内向きなのでSNSサイト内では面と向かって説教やポジティブの押し付けをする人はいなかったが
場外乱闘は起きてた(激しい言葉は使ってなかったけど)、あと何なら書いても良いのか?みたいな雰囲気になった。
2つ目、
メンタルを病んだ人の過剰な要求。仕事でもなく有償サービスでも無いので過剰な要求はサクッと無視していてたんだけど、
まぁ諦めないよね。本気で言っていてしかもまったく悪気が無いのが見て取れる。
これはめちゃくちゃ荒れた。例によって例のごとくSNSサイト内は平和なんだけど場外で荒れる荒れる。
内向きな人が気軽にという趣旨なのに過剰な要求をする人に対する個人攻撃まで始まってしまって、
サイト外でもそういう行為は控えるようにとルールを追加するはめに。もちろん増田民的な自由を愛する人から大不評だった。
『なぜSNSサイト外の行動を指示されなきゃいけないの?』的なことを非常にマイルドな表現でチクチクと。ごもっともで。
しかしそれでも過剰な要求がは止まらず、そしてそれに対する攻撃も止まず、それを目にするのが辛いという反応でも止まらず、
もうどうにもならねぇなって思って第三者を装って『意見を出すのは自由』『お互いを尊重しましょう』的なことを書いて鎮火を試みた。
概ね、思惑通りいったのだけど、なぜか最終的に運営者(自分)の判断を仰ごうという流れに。
なんの判断だよ、”要求にすべて応えることはできない“、”個人攻撃はやめましょう“ってSNSサイトに書いてあるじゃん?って思ったが、
まぁ仕方ないそのまま返そうと待てど暮らせど、SNSサイトの公式フォームにその判断を仰ぐご意見とやらは来ない。
場外でのやり取りをSNSの公式リリースとするのも変だし、なにこれ?放っておいていいの?と思い放置。
やーめた\(^o^)/
3つ目、
運営するにあたり基本的になにも考えていなかったこと。仕事じゃないしお金も取ってないしみたいな
https://anond.hatelabo.jp/20060924
↑ ここに好きな日付を入れると好きな日の増田が見れるやで
2006-09-24
自分のサーバーでやれよって感じだなぁ、と言っているとラボが終わってしまうので気分の良い時はてきとうなものを作ることにする。jkondoのkondoは公私混同のkondoやで。
しかも何回同じ話を焼き直しリメイクしてるんだよ。当時でさえ三国志みたいな話を舞台を宇宙に変えたスペース時代劇みたいな評価だったのに(だがそれがイイ)、2020年にもなってあんな古臭い話を絵だけリメイクして再リリースでそこそこ需要があるってのにビックリだったわ。
ガンダムなんて未だにオリジナル版のリメイクには手を出してないし、逆に聖書ですら時代に応じて解釈を微妙に変えてきてるのに、なんでたかだか40年の歴史の銀英伝だとあんなめんどくさい原作原理主義者が騒いでるんだろ。
一視聴者であるジェンダー系の学者が「女性観については今風にアレンジして欲しい」ってTwitterで感想書いただけだろ。普通に面白そうじゃん。有能なのに上層部が無能過ぎて前線で儚く散る幸薄な女性指揮官とか君らの大好物だろ。ポリコレがコンテンツをダメにするみたいなアホが大勢いるけど、アレンジの方向性さえ間違えなければ原作の良さに加えてさらに現代風にブラッシュアップした新しい名作として生まれ変われるんだぜ?
10年以上フィギュアを集めた私が、今回フィギュアを売るにあたって、自分の気持ちを整理するためにフィギュアに対する想いを長々と綴った。
業者さんに送った文をほとんどそのまま投げる。業者さんの名前は出していいかわかんなかったからとりあえず空白にした。
自分でも今後読み返せるようにしておく。あと誰かに読んでほしかった。
ーーー
今から十数年前。高校最後の年に友人から食玩フィギュアをもらったのが、私とフィギュアの出会いでした。
あのころはガチャガチャ・食玩フィギュアが多数存在しており、小さいながらにそのキャラクターの特徴が捉えられていました。ゲームばかりしていた当時の私に多大な衝撃を与えてくれ、自分のオタク趣味の世界が少し広がりました。バイト代をガチャガチャにつぎ込み、クローズド食玩フィギュアの中身を数少ないフィギュア仲間とトレードしていました。
翌年進学してすぐ、自分へのお祝いとしてショップで初めてのスケールフィギュアを購入しました。マックスファクトリーのアル・アジフです。この頃はフィギュアの購入者層も限られており、ギャルゲのフィギュアが圧倒的に多かった時代でした。
これは偏見かもしれませんが、当時学生だった私のオタク趣味の中でスケールフィギュアというものは、とても高額でありかつガチオタが楽しむものだとされており、とてもハードルが高いものでした。友人間でも冗談で「そっち(スケールフィギュア)に踏み込んだら終わり」という謎の感覚が浸透していたので、ショップで会計をしているときは心臓が早鐘を打っているようにうるさく、とても緊張したのを憶えています。大きい袋を持って帰路につき、自室の机でさっそく開封して台座に立たせました。まずはその圧倒的な存在感。ガチャガチャ・食玩と比べてその大きさもさることながら、それまで手の届く範囲にあったものとは圧倒的にクォリティが違いました。こんなすごいものがあるんだと、いろんな角度から夢中で眺めました。
そしてここからズブズブとフィギュア沼にはまっていきます。私はすっかりフィギュアの持つ魅力の虜でした。
この頃はメーカーによってフィギュアの出来に大きく差がついており、好きなキャラクターが出ても購入意欲がそそられないものもある時代でした。そのため私は自然と、知らない作品のキャラクターでもクォリティが高ければ買うという、造形買いをし始めます。
初めは大手メーカーのものから買い始め、原型師さんによっての造形の違いが分かるようになってくると、好きな原型師さんが作っていれば買うという原型師買いもし始めました。
社会人になると使えるお金も増え、より多くのフィギュアを手に入れられるようになりました。そうすると飾る場所も考えなければなりません。ガラスケースを購入し、大きな部屋に引っ越しするなど、更に管理のために室温なども考えるようになりました。
そうして現在、多くの素晴らしいフィギュアがリリースされる時代になりました。有名なキャラクターはほとんどがフィギュア化され、ハイクォリティで360度眺められます。その分値段が高くなりましたが、メーカーから比較的安価のものも出ており、可動やデフォルメ、プライズも素晴らしい出来で世に出ています。フィギュアの世界はこの十数年で大きく広がったなあと思っています。
そんな時、ふと自分の部屋を見回すと、未開封のフィギュアが積まれているのが目に入りました。いえ、今まで目を背けていただけで、本当は分かっていました。今の現状を、アル・アジフを買った当時の私が見たら罵倒されるでしょう。今の私は、惰性でフィギュアを買ってしまっています。
私の家にはガラスケースが3つあり、そこに100体ほどのフィギュアが飾られています。一年前くらいからそこに入りきらなくなってしまい、仕方なく積んである子達です。いつか飾るからね、と思いながらどんどん積んでいくフィギュア達。同時に作ってくれた原型師さんやメーカーさんにも申し訳ない気持ちが積み重なっていきます。
ケースを追加して飾ることも可能ですが、必ず限界が来ます。フィギュアの管理は箱から出して空気に触れさせた方が良いと言われていますが、あれだけ管理面にも気を付けていたのに今の私はそれすらできていません。さらに物を捨てられない・売ることができない物欲の塊の私は、どうしたらいいのかわからず悩み始めました。
こんな思いを引き摺って数か月、答えが見いだせないまま、近々引っ越しをすることになりました。今まで通りなら当然フィギュアも連れて行くのですが、悩んでいる自分が今まで通りでいいのかと言ってきます。今が引き際なんじゃないかと。
まず友人に譲ることを考えましたが、当時のフィギュア仲間はほとんどおらず、今の友人もだいたい同じものを持っていました。また、量が多いので個別に送るとなると手間もかかります。そうして私は、思い切ってネットでフィギュア買い取りを検索し始めました。そして見つけたのが「 」さんです。
決めてはこの「愛情買取」でした。先に買い取り依頼をした方の愛情紹介を読んだ時には、私と似た状況の方もおり、正直泣きそうになりました。
よしここで売ろう、と決めて買い取りオーダーをしましたが、やはりまだフィギュア達には未練があります。自分が惚れ込んで買った子達なのに、飾ることができなかった状況がとても悔しくて申し訳なくて悲しいです。でも私の手元にあったのではこの子達は輝けない、他の人の手に渡ることによって輝けるなら、それが一番いいんじゃないか。売ることに対して引っ掛かりを感じていましたが、こうして文章にして自分の想いをまとめると少し心が軽くなったような気がします。
「 」さんでは「娘を送り出すようなもの」と書かれていましたが、私の友人間では昔からフィギュア達のことを「養子」と呼んでいました。大げさかもしれませんが、まさに子を送り出す親の心境です。
私はダメな親だったけど、みんなに魅力がなかったわけじゃない。それぞれの造型美に惚れ込んで、迎え入れた時の気持ちは本当でした。これからは新しい家で存分にその魅力を振りまいて、きらきら輝いてほしい。みんな、幸せになってね。さようなら、ありがとう。