はてなキーワード: ボットン便所とは
サークルの先輩に聞いた話だが、就活生に面接室でうんこをさせて、その外観・芳香・品格等によって選考をなす企業があるらしい。嘘みたいな話だが、これが本当なのだ。そもそもなぜ学生にうんこをさせるのかというと、そこには創業者の信念がある。その創業者は幼少時代、学校のボットン便所内に転落したことがあった。助けを呼ぼうと思ったが強烈な悪臭のため口を開けることができない。そうこうしているうちに同級生たちがやってくる。呑気に排便する同級生を頭上に望むこと十数分、彼は気づいた。良識あり頭脳明晰なる学友の便が美しい光沢を持ちまっすぐ決然と落下していくのに対し、最低にしておよそ褒めるべきところがない学友の便は表面が醜く爛れ、便槽に着地すると不愉快な音をたてる。そう、うんこと人間性は比例するのである。この大発見によって彼は陰謀渦巻く実業界中において成功を手にし、全学生の憧れるホワイト企業の創業者となったのである。以上は創業者の自伝による。
つまり、うんこによって当人の人柄はもちろん将来における成功ありやなしやまでをも判定することができる、というのがこの企業の言い分なのだ。これによって苦労するのが就活生であることは言うまでもない。なにしろ面接会場で当意即妙のうんこを放出しなければならないのだ。うんこ面接が学生の間で知られるにつれ、いろいろ対策がとられるようになった。就活生はまず自己分析の一環として自らの排便を見つめ直さねばならない。ワークシートに排便日時・場所・形状等を記録し、それを元に企業の求めるうんこを練ってゆく。そして、面接数日前からはコーラック・ビオフェルミン等によって排便を調節し、万全の態勢で本番に臨むのである。
このような方法論が積み重ねられれば、じきに内定へのセオリーが出来上がるのは当然といえよう。就活セミナーでは、理想的なうんこを出すための薬品使用法はもちろんのこと、排便に先立つ下着の脱ぎ方や、はては息むときにはどのような声を出すと好印象かといった問題までも詳細に指導されるようになった。こうして、就活生は志のある者ならば誰でも、面接室でバナナ形のほどよく光沢のある社会人として恥ずかしくない排便をなすことができるようになったのである。
しかし、誰もが似たようなうんこをしてくるようになったので、人事担当者は辟易した。なにしろ面接日となれば朝から晩まで皆一様にバナナ形でほどよく光沢のあるうんこをアピールしてくるのである。時々は向こうを張ってあえて下痢便を大噴射させてみたり、肛門まわりの剛毛を剃らぬままやってきたりする者が現われたが、そういう人間はむしろ不評で、結局は光沢バナナ形の中からわずかな差、たとえば尻のほくろがキュートだったとかうんこにコーンが混じっていたとか、そういう些細な差によって内定者が選ばれることの方が多かった。そういう現状を嫌い、ためしに細いうんこ出してみてよ、などと無理な要求をなす面接官まで最近はいるようだ。
こういう旧態依然とした面接に対しては、社内でもしばしば批判されている。うんこ面接はもう限界なのではないか、そもそも東大卒でうんこが理想的でも働かせてみると無能だったりするではないか、と主張する重役もいる。しかしうんこ面接を支持する声は根強い。言葉はいくらでも誤魔化すことができるが、うんこだけは当人の人間性を証するものとして否定しがたい説得力を持っている。就活を通じて自分のうんこを見つめ直せるならばそれもまた成果ではないか。というのがうんこ面接支持派の挙げる主たる理由である。しかし本当のところは違う。自分が過酷なうんこ面接をくぐり抜けて入社してきた、それが今の自分に繋がっている、という社員の思いが、うんこ面接の否定を避けさせているのである。
と言っても私が4年前に上京した時にお別れした一軒家じゃなくて
そこに父と母と弟と妹の4人で住んでいる。
そして今はそこに帰省した長女の私もいる。
必然的にスペースを分け合わなければ眠れない。
弟は大学中退したDQNなのもあり、その横暴さを振りかざして一つの部屋を独占している。
8畳の部屋に父と母と妹と私で2つの布団を分け合って寝ている。
と、いうのが理想。
現実は「仕事で疲れているんだ」といって父が一つの布団を使って眠るので
共働きの母はほとんど毎晩リビングで布団を畳みながら寝落ちしているらしい。
たまに最後まで畳めて妹のお布団までたどり着けたときは一緒に寝ている。
でもそれも私が帰ってきたら妹の隣を私に譲ってくれる。
「まるでヤドカリだね」「言い得て妙」と言って笑いあえる家族なので
弟や父にモヤっとした不満は抱きつつも我が家を嫌いになりきれない。
弟が部屋で買っている亀は可愛い。
でも今年受験生の妹に勉強机がなくて、テレビを見ている父のん横でテキストを解いている姿とかみていると
普段の学生生活で友人の指輪に自分のトータルコーディネートの総額が負けたときとか
生活費のために働いているバイト先で(仕送りは当然なくて、奨学金は全部学費に回している)
「今日8万もお買い物しちゃった☆」って会話が蔓延っている休憩室に座っているときとかの
胸の下あたりを細い糸でキュッと結ばれたような惨めな気持ちを思い出す。
両親には「勉強机を買ってあげて」って春に言ったけれど、結局叶えられず。
私はせめてと思って妹に自転車を買った。
安物だけれど、これで図書館に行って勉強してほしいなと思って。
片道40分かかるけど、無理な距離じゃないし、父とテレビに挟まれて勉強するよりかはマシだろう。
「ありがとう」と言ってくれた妹を見ていると、
最寄り駅まで1時間ちょっとかかった家だったけど、借家の一階建てでボットン便所だったけど、
(惨めな思いはしつつも)貴重な体験がいっぱいできて、
(お金かかるからあまり満喫はできないけれど)読書以外の趣味も見つかって、
なにより素敵な友人たちができた。
ただ、私の家は結構な貧乏だってことや、20歳でデキ婚は当たり前じゃないってことなどに
気づかされたのは正直とても辛い。
私は来年そのまま東京に残って希望していた職に就くことになった。
そのことを伝えた時、両親はいつでも帰ってきていいよって言いながら泣いてくれた。
家族のことは大好きだ。本当にこの家の長女でとっても楽しいし幸せだと思う。
でも、お金はないのに物で溢れている家だとか、母が10年間ずっと着ている服だとか
実は黙っているけど結構な額の借金があることとか、東京までの往復費が出せなくて未だ一度も遊びに来てないこととか
友人は奨学金借りていないし仕送りももらっていることとか、お母さんの車はいまだにカセットなこととか
そういうのがただただ悲しい。
私に何ができて、どうすればいいのかも分からない。
最近は貧困問題がよく取り上げられていて、色んな人の声を聞く。
その中には想像も絶するくらい苦しい状況の人たちもいる。
でもだからって「自分は貧困じゃない」「まだマシだから弱音を吐いたらいけない」とは思えない。
何が言いたいのかまとまってなくてごめんなさい。
気の置けない友人たちにも言えない私のコンプレックスを酔いにまかせて吐き出したかっただけなんです。
私はこのまま東京に残って就職するけれど、いつでも帰ってきなさいと言ってくれる両親を裏切れるように頑張る。
せめて自分の子どもにはこんな惨めな思いをさせないように頑張りたいし、まずは結婚できるように恋人を作るところから頑張る。
結局どんな大学に入っても頑張らなきゃいけないことはなくならないし、
俺がNGしてるだけだったwwwwwwwwwwwwww
だけどさ、こういうほぼ無意識のレベルで不快なものを遠ざけて暮らせることこそ豊かさなんだろうね。
たとえば下水には大量のうんこが流れてるけどそんなの普段意識しないじゃん。
でもボットン便所使ってた頃はボットンの下には無数のうんこが溜まってることをトイレ行くたびに意識するハメになった訳でさ。
他にも夏場の蚊やハエも今はキンチョールでシュっとするだけで全く居なくなるけど昔はハエたたきや蚊帳で頑張って遠ざけてた訳じゃん。
そういった不快な物を簡単に遠ざけられる技術が発達していくのって素晴らしいよね。
嫌な事から目を逸らしてばかりいないで向き合えって決め台詞が好きな人はいるけど、向き合わなかったら追ってくるような類じゃなければ視界から外せた方がいいんだよ。
同人板のチラシの裏に書こうと思ったけど、脱線したしますだに書く
どの少年漫画でも腐向けとか言う奴が居るし、写真うpすれば粗を見つけて叩き…
昔からそうだったけどさ、少なくともアホの一つ覚えで腐ガ腐ガ批判する輩を押し流せる程の人も居なくなったし
写真うpしてもまとめに一役かって集合知になる事はなくなり、むしろ恰好の叩き台になったからうpも激減
便所の落書きではあっても、閉鎖騒動から再起動した辺りは鉄クズやダイヤ原石もボットン便所には落ちてたけど
やっぱりスレ民によるスレまとめがまとめブログに、アフィに渡った事で集合知より炎上させる暴言ばかりがピックアップ
更にはそのアフィも壊滅して結局本当の便所になってしまったなと言う振り返り
今集合知って専門家が管理するコミュニティー下にしかない気がする
結局無法地帯なりにルールがあったから2ちゃんねるはスレによっては集合知だったけど、今はなぁ…
馴れ合いとはいえ割と誠実に偏向なくトピックへレポート投下がある他のSNSのが役に立ってきて草
それに昔は匿名で毒吐く以外に匿名で馴れ合いしたいってのもあったけど
鍵やグループ限定でも馴れ合いや毒吐けるようになったし、2ちゃんねるのメリットって
SNSが嫌いな人か、SNSでも言えない事を吐き出す場としてしか最早成立しないんじゃないかなと
そうなると後者の吐き出す言葉はほぼゴミだし、今やSNSやってない人って居るのか?状態だし
まぁ後個人的には年食ったのもあるけど、特に吐き出したい毒も殆ど無くなったし
皮肉混じりつつも考察やアドバイスの交わせる場ではないただの罵倒の場に居続ける方が苦痛に感じるように
今惰性で見てるのは知ってる
メリットは、それでも場所によってはまともな会話が成り立つ事と
趣味多様でツイ片っ端からフォローするとTL整理面倒だから、それよりはコミュニティーに出向いた方が楽に感じるだけで
まぁ、彼氏出来たらやめる!
実家に帰省したらしたで爺ちゃん何もしないし逆にしろって煩いからホテル使ってんのに
田舎だからトイレもボットン便所だし、小便は家の外の瓶溜めにしなくちゃいけない。
田舎は農家だから小便も肥料になるとかでいつも畑に小便撒いてるからな。
大便も撒くんだろうなって憂鬱になるからあんまり実家で大はしないようにしてるのに
洗濯機は何世代前か分からんのが未だに現役だし、風呂は今時珍しい五右衛門風呂ときてる。
慣れれば楽しめるかもしれないけど、たまの休みに帰るんなら1泊飯付9800円の宿借りた方がマシだよなぁ・・・。
私は物心付いたときから家には母親しかおらず、兄弟もいませんでした。一人っ子です。
家は木造で、ふたつの家が繋がった長屋のような家で、トイレはくみ取り式。いわゆるボットン便所。
いつの時代かとおもわれるかしれませんが、それほど古い話ではなく、水洗トイレが当たり前の時代でした。
家庭における経済的困窮は、母子家庭であれば母子手当。父子家庭であれば父子手当があり、
最低限の生活が送れるようになっています。私の家庭も受給していました。
しかし私がおもう大きな問題として、今回知ってもらいたいことは、
『片親などの家庭環境は、人間が産まれながらにして置かれる、小さな社会を奪うことになる』
ということです。
一般的にいう社会とは、お金を稼ぐための会社であったり、勉強をするための学校であるとおもわれます。
しかし私がおもう社会というもののひとつに、家庭が含まれているとおもいます。
本来であれば両親が二人いて、もしかしたら祖父母もいるかもしれません。兄弟だっているかもしれません。
その家庭・家族の中で周囲の人との付き合いかたを学び、豊か人間性を形成していく場所。
二人きりの家庭で過ごした私の幼少時代は、母親が本当に恐ろしく、守ってくれる人や、擁護してくれる人はいませんでした。
たまに祖父の家に連れてもらったとき、祖父に告げ口なんかしようものなら、家に帰ったあとお仕置きが待っていました。
ある種タブー的なことかもしれませんが、片親で育った人はどこかおかしいとおもわれてる節があるとおもいませんか?
私は直接聞いたことはありませんが、陰口は言われてるかもしれません。
自分の地元は無個性っぽくはないと勝手に思ってたけど、捨象気味に列挙したらそうでもなかった。
和歌山市すげーんでねーの。