はてなキーワード: ブラックリストとは
文化などの違いによって
たとえば
OKのマークが しりのあな、という意味の差別用語の国もあるため
本人が意図していない用語の、海外からのクレームによって急遽非表示にしなければならず
本人との連絡を待っていられない状況 というのは起き得るから
そういう場合に急遽 数週間非表示として、その間本人を探し出し 差別用語ではない事を確認した上で
訂正を申し込む処理というのは必要だが
非表示になった段階で自主的に表現をチェックして書き直しておくのが、ブロガーのマナー あくまでも自主的な変更
英語への翻訳などをチェックして 差別用語になっていないかチェックしたほうがいい
いま、やりやすいのがブラックリスト これが差別用語ではないか?というので揉めている。ホワイトリスト ブラックリストではなく
許可リスト、非許可リストではだめなのか?というのはよくあるが
直すのは簡単だが歴史的文化的な理由であるから、逆に表現を守り、歴史を尊重するために代えられないし、差別の意図など歴史的になかったものであるから、変える必要性を感じない
ブラックリスト というのは、黒子などとあり 黒子は見えない などから日本人としてはとらえるものであり、黒人のことではないため 変更できない 黒人のことであれば謝罪して変更しただろうがあれは、黒子などと同じで 日本文化などであるから、変更する必要性を感じない 黒人のことであれば変更するだろう
玄人 黒子などは、日本の伝統芸のうのことであり、黒人の子供という意味ではない。日本文化にも配慮してほしい。
ただ一定の確率でそもそも最初から出社しなくなる人が出てくるのはなんで?
パソコンとかデスク用意したり色々やってるんだけど迷惑かけてる自覚ないの?
特に最近コロナで仕事減ってたりするなら最初は普通がんばるでしょ
アメリカでのBLM運動を見て、あの人たちは「きちんとした教育を受けてない、財産も収入も全く支持してるリベラル白人違う」とわかってつらい。もてはやしてるリベラルや白人は教育を受けているが、彼らは残念ながらきちんとした教育を受けていない。肌の色の違いが教育を受ける機会に社会的階層として固定化されている。これは別におかしなことではない。格差は資本主義では固定化するという当たり前のことが当たり前に起きているだけだ。被差別が貧困層として固定化するのはよくあることだ。
なのになんでポリコレが、ブラック企業だのブラックリストだの、「悪い言葉のイメージに黒を使わないようにしよう」とか完全に上辺だけ取り繕って、黒人の押し付けられてる格差と社会的地位の是正をやらないの? 暴れて怒っている人たちの不遇を、警官が黒人を見ると犯罪と結びつける社会的な格差を全く是正するつもりはなく、ただ言葉遊びをしてるの、本当に「自分のことは自分でやれ。国が福祉を強化すると共産主義になる」って悪きアメリカの世界観では受けるんだろうな。白人も黒人も、同じ福祉にアクセスできない限り、差別なんてなくならないよ。こと、福祉に関して言えばアメリカは断言していいが後進国だ。ごくわずかな優遇措置を大袈裟に宣伝するが、無意味なパフォーマンスであり、貧富の拡大を是正するつもりは全くない。
反トランプのBLM支持者が、いざ自分の財産にBLMが近づくと銃を構えて追い払おうとする。要するに反差別というが、自分たちの財産が減るのは嫌だというわけだ。
そういう人たちにとっては、財産を分け与えるよりも「言葉遊び」でブラックはダメ」という方が楽なんだろう。ただ、それで差別がなくなるとは全く思えないが。
私は安楽死を支持する。その早急な法制化を望む。それへの抵抗勢力は徹底的に粉砕されるべきだ。
そう考えるに至った経緯を、以下に書く。
何年か前、某所で尊厳死・安楽死に関する議論をしたことがある。私が安楽死について肯定的なことを書いたところ、反対派から反論されたのだ。私の書き方もあまり良くなかったので、議論を挑まれたこと自体は構わない。だがその議論で、私は安楽死に対する信念を強化することになった。
議論の中で、私は自分の家系について触れた。私の家系はがん患者が多く、しかも体中を蝕まれて苦しみながら死んでいった者が何人もいる。私もそうなることはほぼ確実で、だから私は苦痛に満ちた死よりも慈悲の一撃による安らかな死を望む、それを邪魔する安楽死反対派のことは支持できない、という趣旨のことを書いた。すると議論相手は、次のように書き込んだ。
「それでも、自殺することは禁じられていません」
唖然とした。私はさっきまで、体中がボロボロになってひどい苦痛に苛まれていた親族の話をしていたのだが。「自殺できるでしょ」って、苦しまない自殺を自力で遂行できるのは健康な人間だけだという程度の想像力も彼にはないのだろうか? そりゃ自分一人で自殺する分には法によるお咎めなどないことは私だって知っている。私はただ死にたいのではなく安らかに死にたいのだ。
さらに彼は、私の自由主義的な主張にも反駁を加えてきた。私は、同性婚や選択的夫婦別姓と同じく選択の権利を求めているだけなのに、同性婚や別姓の問題では同じ側にいたはずの人たちからなぜここまで否定されるのかが理解できない、と書いたのだが、彼は言った。同性婚や別姓を主張する運動は同性婚や別姓を選んだ人たちが幸福に生きるための運動をしてきたが、安楽死推進派は病に苦しむ人びとが幸せに生きられるための運動をしてこなかった、だからそれらは同列には論じられない、というのだ。
他人の幸福のための運動をしなければ、私には安らかに死ぬ権利すらないと言いたいのだろうか?
この時点で確信した。安楽死に反対する連中には人の心がない。彼らは私が苦しんで死ぬことを望んでいる。
もちろん彼にそんな意図はないのだろう。でも、彼は私の安らかな死を、よくわからない運動の都合とか、見ず知らずの他人の選択とか、そういったものの下に置いたのだから、結果としてはそういうことになる。私にとって見ず知らずの誰かが望まぬ死を強制されないかわりに、私は苦しんで死ねというわけだ。
優生学は間違っている。高齢者やALS患者や知的障害者が「社会のお荷物」だからというとんでもない理由で意に反した死を強制されるなんてことがあってはいけない。だから、安楽死を認めるが、その際には厳格な手続きを導入すべきだ、強制を排せる仕組みを構築しなければ、という議論なら私は賛成していた(というか、そういう施策を私は支持していた)。私は彼らに死んでほしいわけじゃなく、自分が安らかに死にたいだけだから。選択の自由を認めてほしいだけだから。
でも彼らは、意に反した死を強制されるかもしれない人たちを守るために、私が安らかに死ぬ権利は認めないのだという。
見ず知らずのやつらが自分の意志を貫けないという恐れのせいで、なんで私が苦しんで死ななきゃならないんだ?
それ、私には関係ないよね?
苦しまずに死にたいというのは、そんなに強く否定されるほど、他人の都合で却下されなければいけないほど身勝手な望みなのか?
安楽死に反対する人たちの書いたものを色々読んだ。彼らの書いたものの中には、苦痛のない死を迎える権利についてはほとんど書かれていなかった。彼らにとってそれはどうでもいいことらしい。
私の苦痛があなたたちにとってどうでもいいなら、あなたたちに死が強制されることも私にとってどうでもいいことになってしまうのだが。
あの議論を経て、私の考え方は変わった。安楽死反対派は本質的に、私が苦しみに満ちた死ではなく安らいだ死を迎えることはたいしたことではないと思っているということが理解できたからだ。だったら、ALS患者や高齢者が死ねという圧力に抗しきれず安楽死の書類にサインしてしまうことだって、私にとってはどうでもいい。見ず知らずの他人が意志薄弱すぎて死ねと言われて死んでしまうことは私には何も関係ない。私はただ、ひたすらに安楽死を支持すればいい。自分の権利を強く主張すればいい。
私は、私の苦痛を切り捨てる冷血漢どもよりは、私に苦痛のない死を保証してくれる人たちを支持する。結果として死を強制される人が出てきたところで知ったこっちゃない。だって安楽死反対派は、私に苦痛を強制しようとしてきたのだから。そんなやつらが死を強制されることを、なんで私が心配しなきゃならないんだ? あの冷血漢どもが私の苦痛を心配しないなら、私にもあいつらの死を心配する義理なんてない。
だから私は、たとえそれが新自由主義者であろうが、安楽死を推進する側を支持することを決めている。私が苦しんで死ぬことを望んでいる側にはつかない、そんなやつらには徹底的に立ち向かって自分の選択の権利を守ると、反対派との議論の中で決意したのだ。
安楽死は早急に実現されるべきだ。反対派に屈してはならない。彼らは人の心がない冷血漢で、他人の苦しみを座視する連中なのだから。
ところで、医者には応召義務があるのだから、安楽死を認めることは医者に殺人を強要することになりかねない、という主張もあり、これはもっともだと思う。だから、安楽死に際しては応召義務を解除しうる法整備をすればいいと思う。それはブラックリスト方式で、デフォルトは安楽死を認めるものとし、安楽死を拒否する医者は役所に届け出た上でそのことを周知する看板かなにかを設置しておき、そういう看板が予め設置されている病院では安楽死を断れる、としておけばよいのではないか。これなら死ぬ権利と殺したくない権利を両立できるかと思う。死にたい患者はその病院を避けて別の病院にかかればいいのだ。
「ブラック企業」は、人種差別用語である | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/46755
sny22015 たしか、ブラックの語源は2chの就活板で2000年代初めに作られた就職先ブラックリストだったと思う。だから人種差別的かを問うなら、ブラックリストって言葉に差別的意味があるかまで掘り下げたらどうかと思うんだが。
Linuxカーネルでの「master/slave」と「blacklist」禁止、トーバルズ氏が承認
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2007/13/news058.html
blacklistについては、「slaveは人間と直接関連する一方、blacklistの語源は人種的なものではない」が、黒と白を許可されない/されるという意味で使うことは多様性を支援していないとした。
このような世界の流れの中、当時は先進的な考えを持つはずのはてな民ですらもなかば嘲笑まじりに反応していたが、今は違う反応をすることだろうね。
おれ凍結したからTwitterアカウント作れないわ。電話番号がTwitter社にブラックリストとして押させられるから面倒だよね。
何年か前に
『置き換え』とかに変更してください」
って要望が出されて、
圧倒的反対であっという間に却下された件があったけど、
「ブラックリスト」「マスター/スレイブ」というプログラミング用語が「人種差別的」として言い換えられつつある
https://gigazine.net/news/20200615-replace-master-slave-blacklist/